第16話 失ったものと残ったもの


 噴水の縁に座り、真っ白いページが増えてしまったスケッチブックを広げ、今日も絵を描き始める。

「こんにちは、コーギィ」

「ミリア、こんにちは」

 彼女はいつも通り、赤髪を揺らしながら明るく声をかけてきた、

 ミリアの母親が見つかったことは、あの事件の翌朝に彼女に告げられている。その後は留置されている状態で、ミリアは母親にはまだ会えていないそうだ。それでも彼女は母親がいなくなってしまったのは自分の病気が嫌になったせいではないことが分かって、少し安心した様子でいる。

「僕もミリアみたいに作品集みたいなものを作ろうかなって。絶対に消せないように」

 筆の力のことは既に彼女も知っていて、あの晩に全ての絵を取り出して消してしまったことも話している。その話をした時のミリアがとても残念そうな顔していたのを忘れられずにいる。

「うん、絶対そうしたほうがいいよ。コーギィの絵ならきっとすごい一冊になると思う」

 彼女は嬉しそうにそう応える。そして、それに付け加えるように続けた。

「来週、やっとお母さんに会えるかもしれないんだ」

「そうなんだ!」

「でも、まだ会うだけみたい。その時にね、ずっと描いてきた絵を見せてあげようと思うんだ。喜んでくれるかな?」

 不安そうな様子で僕に尋ねる。

「うん。きっと、喜んでくれる。ミリアの絵、とってもきれいだから」

「……ありがとう。なんだかね、実際に会うってなったら少し怖くなっちゃって」

 彼女は一度起きてしまっているその大きな変化に対して、恐怖を感じている。でもそこにやり直せる機会があるのであれば、彼女はそれを掴むべきだろう。

「きっと、大丈夫。ちゃんとお母さんの話を聞いてあげて、それからミリアの気持ちもちゃんと話せればきっとまた元どおりになる」

 それでもまだ不安そうなミリアだったが、しばらくして、何か覚悟を決めたように「うん」と頷いた。

そして、しばらく一緒にそのまま絵を描くことにしたが、なんとなく集中出来ずに、僕はスケッチブックをしまう。

「コーギィ……、マリーさんは?」

「うん、まだなんだ」

「そっか……」

「じゃあ、僕ちょっと行くところもあるから。また明日ね」

「うん、ありがとうコーギィ!」

 そうして、噴水広場から家に帰る前に行くところである珈琲屋に立ち寄る。

「いらっしゃい」

 店内に入ると香ばしい香りと共にレイリィが笑顔で話しかけてきた。

「あの、おととい頼んだマグカップを受け取りに来ました」

「ちょうどさっき届いているわよ。トリスタンが持ってきてくれたの。どうぞ」

 そう言って、彼女はカウンターに紙袋を置く。その紙袋に「いつでもどうぞ」とトリスタンからのメッセージも書かれていた。

「マリーさん、どう?」

「うん、相変わらずです。まぁそのうちに……」

「おお、コーギィ!」

 呼ばれた方向、店内のテーブル席を見るとそこにロビーが席に座って手を振っている。

「こんちは」

 僕は片手でひらひらと挨拶をする。ロビーは挨拶程度では済む様子ではないのか、椅子から立ち上がり、僕の方へ歩いてきた。

「元気か?」

「いつも通りだよ」

「だんだん生意気な感じになってきたなぁ」

 そう笑いながら言い、頭をくしゃくしゃと撫でる。

「あんた、いい加減にしなよ」

 レイリィが呆れながらぼやくも、ロビーはあまり耳に入っていないようであった。

「ミリアのお母さんの話きいたか? 来週面会できるようになったんだよ!」

 どうもロビーはタイミングが悪いようで、まるで自分が情報の最先端というように自慢げに言うが、僕がさっきミリアから直接聞いたよと言うとがっかりした様子で苦笑いを見せた。

「まだ、釈放っていうことには出来ないけど、少しでも力になれればなって思ってさ。いろいろうちのボスとかにも話しをしたんだよ」

「ちょっと……」

「あの事件で仮面会と言われている色々な関係者が芋づる式で出てきてはいるんだけど、実際に悪いことをしていたのは……」

「ロビー!」

 レイリィの一喝にロビーが口をつぐむ。

「っと、俺また余計なこと言ってた?」

 それに対してレイリィはキッとロビーを睨む。レイリィはおそらく僕のことを気にしているのだろう。

「僕は大丈夫だよ、レイリィ」

 ちょっと無理した笑顔でそう彼女に伝えると、彼女のロビーへの呆れ顔も少しだけ緩和された。

「わ、悪かったな。コーギィ。とりあえず伯父さんたちについても何かあれば……」

「うん、ありがとう」

 ディーンのことを考えたくなかったのは事実でもあったので、僕は紙袋を受け取って、早々に店から出た。

 街はまだ明るかった。家に帰ろうとしている時間が少し早いこともあるが、陽が延びてきたんだな、と僕は空を見上げる。そして視線を地に戻し、家路を向かい始めた。

「…………」

 途中途中で周りの人たちにコソコソと噂をされているのも耳に入ってくる。先ほどの珈琲屋にいた時の別のテーブル席にいた人たちも遠巻きに僕のことをチラチラとみているのも分かっていた。それもそのはずだ。両親は火事で亡くなり、実はその犯人は親戚、実の兄弟であったなんてことはもうみんなに知れ渡っている。なんだか、両親がいなくなったことに気が付いてしまったあの夜を思い出す。マリーさんに助けられたあの寒い夜のことを。

 ただ、それでも僕は自分ではっきりとした根拠はないのだが、自分はあのころに比べて強くなったと実感していた。周りになにを噂されようと、かわいそうな子供だと思われようと、僕には僕の幸せがちゃんと存在していることを知っている。それがあるからこそ、僕は下を向かずに、目を背けずに前を向いていられるんだ、という実感があった。。

 一旦振り返り、遠くなった噴水広場の方を見る。

 そして少しずつ赤みが増してきた空に別れを告げて、僕は家の中へと入った。

「帰りましたよ」

「コーギィか」

 力なく、椅子に座っているマリーさんに挨拶をする。

 あの日からマリーさんはイマイチ調子を取り戻せずにいた。力を使っても制御がうまく出来ず、そもそも身体の節々に痛みもあるようで、仕事にも行けていない状態であった。未だにあの時の呪紋の効力が残ってしまっていると彼女は話していた。

「早いじゃないか」

「……陽が延びたんですよ」

「私のことが心配か?」

 にやついた顔でマリーさんは問いかける。

「……そりゃあ、マリーさんがそんな状態だとやっぱり絵を描いていても楽しくはないですよ」

「ふふ、そんなものか。ミリアには悪い気がするがな」

 マリーさんは吐息を吐くように静かに笑った。

「あと、マグカップ。受け取ってきました」

 テーブルに先ほどレイリィから受け取った紙袋を置いた。

「今の状態で無理に力を使おうとするから、ああなるんですよ。ちゃんと自分でマグカップを取り出して、自分で珈琲を入れてください」

「……いやぁ、今の状態だからこそ、だろう?」

 けだるそうに彼女は言った。

 そう言うのも、三日前の晩に僕が料理をしているところ、マリーさんは珈琲を飲もうとしたようで、力を使ってマグカップを取り出したのだが、そのマグカップを制御出来ずに僕の後頭部に激突させた。マリーさんお気に入りのそのマグカップは激突した衝撃と、その後力なく地面に落ちたことで粉々に割れてしまい、普段であれば力で戻すことも可能だったが、今の状態ではそれも叶わず、わざわざ新しいマグカップを買うに至ったわけである。

「少しずつ体調も良くなってきているとは思うんだがなぁ」

 彼女の言う通り、日に日に彼女の容体は良くなっていっているのは見ていてわかる。

「だからって無理しちゃだめですよ。せっかくケヴィンスさんから休みをもらっているわけですから、ゆっくり体を休めてください。夜にこっそり家で仕事するのもダメですからね。ケヴィンスさんに禁止されているので」

「……ぬーん、何だか色々と申し訳ない気がしてなぁ」

「それなら尚更、今はゆっくりして早く元気になってくださいね」

 荷物を片付け、僕は今晩の夕食の準備を始めた。



「コーギィ」

 食後にマリーさんは窓辺でぼうっとした様子でそう声をかけてきた。

「どうしました?」

「なんだかこの数か月で、随分と芯が通ったな」

 芯が通った、その言葉の意味合いはいまいち僕には理解は出来ていない。だが、言いたことは何となく伝わってくる。そしてマリーさんはまた窓から空を見上げた。

「……何を見ているんですか?」

「ん、あぁ。星だよ。少しずつ見える星座も変わってきているなって」

 僕もマリーさんの横に立ち、窓から夜空を見上げた。

 あの寒い夜の日に見た星はまだこの空のどこかで輝いているのだろうか。

「男らしい顔つきになったな。お前はここ最近随分強くなったと思うぞ」

「……はは、不思議ですね。僕もなんとなく今日、そう感じたんです」

「そうか」

「この数か月は僕にとっては、失うものばかりだったので……」

「……それも、そうだな」

 ただし、失っただけではない。得たものも決して少なくはないことをおそらくマリーさんも理解してくれているはずだ。この数か月、僕とマリーさんは同じようにして大事なものを失い、そこからまた別の大事なことを得てきた。

「それでも、僕たちは生きている。生きているからには理由がある。だからこそ、それを求めて前に進めるんですよね」

「ほう、やたらとそれらしいことを言うようになったものだな」

 マリーさんは笑いながら新しいマグカップに珈琲を注ぐ。

「マリーさんに教わったことですよ」

「……そんなこと、言ったかな?」

 珈琲の香りが部屋を包む。

「そうであるべきだな、って思ったんです。マリーさんを見ていて」

「なんだか不思議なことを言う」

 そして一口、その珈琲を口に含める。きつすぎない酸味と後から顔を出してくる苦みと心地のよい香り、彼女が選んだ豆の珈琲ブレンドはやはり心までも落ち着いてくる。

「マリーさん」

「ん?」

 静かな、とても静かで優しい夜に目の前には大事な人が穏やかに笑っている。この数か月で変わったもの、失ったものは数えきれないほどあるが、そんなものを数えるよりもたった一つ、目の前にいるその大事な人は変わらない。それだけでも僕は充分幸せ者である。



「これからも、よろしくおねがいしますね」

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コーギィと呪われた血(後編) 高柳寛 @kkfactory2020

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