第弐話 ”御意思”

 ランゲルデは教会を後にした。


 出るとすぐに大通りがあり通行人が少々。

 大通りは、坂道だった。


 ここ帝都ガラデルンは坂の街。

 坂の上は帝国の中枢に。

 坂の下は帝国のすそに繋がっていた。


 なだらかな斜面に建物が立ち並ぶ景色。

 美しくもどこか懐かしい街並み。




「少し下らなくては」




 行き先のわかっているランゲルデは坂を下に。

 少し上れば帝都に着くが、ランゲルデは下っていく。




 歩きながら、ランゲルデは色々なことを考えた。


 生きるのに必要なもの。水と食料。

 自分のこと。中性的な外見で今はシスターのように見えている。

 体格は痩せてもいないし太ってもいない。身軽な動きをしようと思えば、それなりにできるはず。


 そして目的。




 急がず、順調に坂を下っていく。

 しばらく下ると、坂がほぼ平坦になった。






「きゃあぁ!」




 帝都ガラデルンに女性の叫び声が響く。

 ランゲルデはその声を聞いた。




「近いな。この地域は治安が悪いのか?」


 帝都ガラデルンはフロレ国の首都。

 治安については、悪いとは言えない都である。


 叫び声こそ何かあったことを思わせる。

 近隣にいた住民も驚いていた。




 声は脇道から聞こえた。


「あちらか」


 声のした方へ向かうランゲルデ。

 大通りの交差点を通り脇道へ。




 タン、タァン。

 高音の破裂音。


 銃声だ。




「驚いた、なんの音だ」




 記憶のないランゲルデにはその音の正体が分からなかった。


 街で突如響いた銃声。

 2発撃たれた。撃たれた後に銃声は続かなかった。


 ランゲルデはそのまま接近する。




 脇道に入って少しすると、人の目線が集まる路地があった。


 ここが現場のようだ。




「ひいいい、助けてくれえっ!」


 路地に接近した次の瞬間、路地から男が飛び出してきた。


 右肩に傷がある。服に破けが多く汚れは少ない。

 滴る脂汗。血走った目に、荒い呼吸。




「血、血よ!」

「うわあっなんだあっ!?」

「まずい何があったんだ、逃げないとっ」


 焦り出す住民がその場を離れる。




「ひい、ひいいいっ」


 肩の傷をよく見ると銃創だった。

 男は必死に走り、そしてランゲルデに接近する。




「シスター、助けてくれシスタ……」




 突如、路地から1人出てきた。

 手にはライフルが構えられている。ランゲルデがそれに気づき目線を向けると、ちょうど発砲による炎が見えた。


 また1発。銃声が響いた。


 銃声はとても大きな音である。

 市街地で生活していれば銃声ほど大きな音は聞こえないし、それゆえに銃声を聞けば誰でも驚く。




「ひいっ」


 銃弾は男に着弾せず、地面に跳弾した。

 地面を弾が跳ねる音がした。




「動くな!」


 路地から出てきたのは2人。


 なんと、2人のうち片方は修道服を着てライフルを持っている。




「あれはシスターじゃないか。それに何だこの音は」


 必死に逃げる男と、明らかに目立つ2人のライフル持ち。


「あの手に持っている物はなんだ? この男はなぜ逃げている?」


 男が襲われ逃げているというのは検討がつく。しかし何も知らないランゲルデには自分で事態を把握することなど叶わない。




「おいシスター、俺を助けろ――」


 ランゲルデに接近する男。

 声を荒らげて掴みにかかった男だったが、




「分からん――ならば、神に従うとしよう」




 そう言って急に蹴り足を入れたランゲルデに顎を打ち抜かれた。


「ぐえっ」


 がちん、男の顎から痛そうな重い音を聞いた。

 意表を突かれた男は地面に倒れ込み、ランゲルデは少し距離をとる。




「いっ、いでええええっ! いでえよおおおお!」


「動かないで! 動くと撃つ!」

「動くな!」




 路地から近づいてくる2人。

 片方は先程見た通りシスターで、もう1人は男性だ。服装から司祭のように見える。




「畜生、こっちのシスターもグルだったのかよ……っ!」


 男が顎を押さえて起き上がろうとする。

 その目はランゲルデを睨んでおり、怒りと恨みの表情が読み取れる。




「どうすればいいかわからなかったが――」


「クソッ、許さねえ――」




「――今わかりました」




 がつん。起き上がろうとする男の頭を踏み落とすランゲルデ。

 男の顔面が地面に叩きつけられた。


「――ッ!」


 驚いてもがき出した男の顔を、ランゲルデは今度は横から蹴る。ばちんと痛々しい音が響いた。


 がし、がし、がつん、がし……倒れた男の頭を、腹を、様々な部位を蹴り続けるランゲルデ。

 いつのまにか男は気絶していた。






「近づかないで! この男は戦闘修道官が収容します」




 近づいてきたシスターがそう言った。


 銀髪で、小柄な女性だ。ライフルが大きいのにシスターの体が小さいので違和感がある。

 その小柄な身体でどうやってライフルを担いでいるのか不思議なほどだ。


 丸っこく愛嬌のある目が特徴的で、走ったせいか少し息が上がっていた。




 もう1人の方は、司祭のような格好だ。

 髪色は茶色でやや短髪。

 体格がしっかりしていて、ライフルが少し小さく見える。シスターとは大違いだ。

 顔つきがしっかりした印象を思わせる。その大きい体と相まって印象に残る外見をしていた。




「シスター、この男は何を?」


 シスターへの問いかけは、司祭が答えるかたちになった。


「この男は人を殺したのです。それを見て我々は取り抑えようと追っていた」




 シスターの方はというと、ランゲルデを見てこう言った。


「……? 声が低い、あなた本当に修道女?」




 ランゲルデの声を聞き、シスターは疑いを持っていた。

 ランゲルデのそれはハスキーな印象のある声で、女性でも聞くような声だが男性と言われた方が納得のいく低音であった。




「君たちは何者?」




「ちょっと、私の質問に答えなさいよ。今聞いたでしょう、あなたは本当に修道女かって」


「ユリ、落ち着いてくれ。どう見ても帝都の修道女じゃないか」




 シスターは気が強い性格のようだ。名前をユリというらしい。

 女性の勘というやつなのか、ランゲルデの性格に疑いを持って解かないでいる。


 司祭がそれを引き止めた。

 司祭の方は冷静な印象がある。

 図体は大きいが頭で物事を理解する性格なのかもしれない。




「失礼、シスター。男の逮捕に協力していただいて助かりました」


「ええ」


「あなたは何者か、と聞かれましたね。我々は国教の戦闘修道官。任務は国内の治安の維持です。シスター、あなたの名前は?」


「ランゲルデ」




 司祭がランゲルデと会話をする。シスターの方は、少し不満そうな態度をしていた。


 ランゲルデの名前を聞いた司祭が不思議そうな顔をする。




「ランゲルデ、というと……あまり聞かない名前ですが。本名ですか?」


「――ええ。本名は『ブルーゥダ・ランゲルデ』です」




 ランゲルデ自身も自覚していなかったが、ある変化が彼には起きていた。

 その顕著なものが口調の変化である。




「『ブルーゥダ・ランゲルデ』。嗤う……弱性知能障害者という意味ですか」

「ソプライナ、それじゃ意味が伝わらない。知恵遅れって意味よ。しかも苗字の方が嗤うって意味だから言葉が成り立ってない。本当の名前かも疑わしいわ」


 司祭の方の名前は、ソプライナというらしい。




「この名前はある方からもらいました。苗字と名前の分別はなく、これ一つでわたしの名前です」


「苗字がない? 孤児院の出身?」


「いいえ」




 シスター、ユリという名のある方が疑いの目を向ける。


「どこに住んでいるのですか」


「住む場所はありません。私には記憶がない」




「記憶がない?」


「ええ。さきほど教会で目を覚ましました。それまでの記憶はないですが――」


 司祭、ソプライナという名のある方も疑問符を浮かべている。


「私は教会都市フーレへ行きたい」




 ランゲルデの言葉に、ソプライナが反応した。


「驚いた。我々もそこへ行く途中なんですよ」


「ソプライナ! 少し喋りすぎよ。そんなこと教える必要はない」


「いいじゃないかユリ。この程度」


 シスター、ユリはまだ不満そうだ。




「ある方がこの名前を私に与え、フーレへ行くよう言いました。その道の途中、2人の修道官に会ってともにフーレへ向かうよう言われました」




 ランゲルデの言葉に、2人の修道官は違和感を持った。

 記憶喪失で、きょう目を覚まして、これから行く場所は分かっている。なにかがおかしい。




「どうして教会都市フーレへ?」


「そこで、あなたたちと同じ立場になれる」


「同じ立場というと……まさか、『戦闘修道官』にですか? そう簡単にはなれませんよ? 推薦状がなくては戦闘修道官にはなれない」




「ええ。推薦状。それと、養成を受けて、遠方で研修を受けなければならない。知っています」


「……なぜ記憶喪失のあなたが、それを知っているのですか?」


「教えてもらいました。ある方から」




 シスター・ユリは何が何だか分からない。


 まだ不審者ではないかと疑っているが、ソプライナがそう思っているそぶりを見せないので動くに動けない。


 修道官のソプライナはというと、何やら気がついた様子。




「シスター・ユリ。そしてソプライナ戦闘修道官」


「勝手に名前を呼ばないで! あなた、怪しいわ」




 ランゲルデは2人を見据えてこう言った。


「私も戦闘修道官になりたい。一緒にフーレへ同行させてください」




 何やら気がついたソプライナは、不審がるユリの肩に手を置いて制しこう言った。


「ある方から、天啓を受けたのですね」


「え……? 天啓?」




 ユリは何が何だか分からなかった。


 ランゲルデはというと、静かに頷いて口を開く。




「ある方から名を受け、私は2人の修道官と船に乗る。船には神の敵がいて、男は肩に傷を、女は足に傷を受けるが、神の喜びと共にある限り失うものはなく、都に着く」




 ランゲルデが口にした言葉。


「予言です。我々はこれから、教会都市フーレへ向かう」


「神からの予言というわけですか」


「その通りです”サルケチャハリ”ソプライナ戦闘修道官。我々はこれから船に乗ります」




 ソプライナの苗字をランゲルデは知らなかったが、ランゲルデはそれを口にした。奇跡だった。


 目の前で神の使いを見て、ソプライナはそれをすぐに信じた。


 ランゲルデが神によって使命を与えられていると信じたのだ。




「……信じられないけど、本当のようね」


「ええ本当です”ハラ”ユリ戦闘修道官。『信じ、道を共にすれば汝は喜びにある』」


「それ、ハンペラグスタス教の聖典の言葉じゃない。記憶喪失って言ってたあなたが知るはずはない」




 悪印象を持っていたシスター・ユリも、ランゲルデのことを受け入れることにした。




「神の喜び、ね。あなたから少しでも離れたら殺されてしまいそう」


「冗談はやめてください」


「悪かったわね。これ以上の冗談はやめておくわ」


「そうしてください」




 その後、ランゲルデがある事に気づく。

 さきほど気絶させた男。それが姿を消している。


「……神はこの2人に会わせるために、私の足を止めさせたのですね」




「船に乗るんでしょ? それなら早く行きましょう。車を止めれば次の船に間に合うかもしれない」


 シスター・ユリはすぐに出発するつもりのようだ。


「ここにいた男はどうするのですか」


「男? ……何の話?」


「いえ。なんでもありません」




「変なの。じゃあソプライナ、車を手配して船に行きましょう。財布を出して」


「手を返すのが早い事ですね。ユリ、待ってくださいよ」




 歩き出した2人を追うように、ランゲルデも歩き出した。


 港へ。

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God’s gardenia しゃべるそら @Ludier_kak

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