五、稚児の容姿と結び

 帯で腹を締め付ける日本の装束は背中が反って、お尻がつんと突き出すように見える。男子の場合は帯と袴の紐のために背骨はまっすぐになり腰を伸ばし”腹を据える”ことになる。この姿でついと美しく立ち上がり、腰から進んで能の舞のように歩く少年の姿は美しいであろう。世阿弥の『風姿花伝』で「幽玄」という言葉は芸の優美さを示すためにところどころにあるのだが、冒頭に少年のために使われている。

 現代でも能、歌舞伎に子役が立つとそれを目当てに老若男女が押しかける。氏家幹人氏の著書に、江戸幕府の大身の旗本が京都で麗しい評判の公家の少年をわざわざ見に行ったという記事もある。現代のように庶民に媚びるわけでないが、ある意味アイドルである。寺や朝廷で働く上稚児達は庶民にはそう映ったと思う。


 能や古舞はそれほど近代舞踊のような派手な動きはない。ただただ静かに優美に無駄なく動く。これは姿、所作の美というものが中世にすでに確立されていたことを物語る。


 そのような所作で美しく装った少年がいたら誰もが視線を向けるだろう。大人びた動きに残る幼さと可愛さを見出した時に、歌舞伎の観客は喝采を叫ぶのだろう。

 稚児とは幼い無垢の頃から躾を強制された結果の儚い夢なのかも知れない。現代では歌舞伎などの芸道の家以外はありうべからぬ人生なのだろう。


 茶花を嗜むには無骨な道具の掴み方をしない。日本の美しいと言われる所作はすべからく力を抜かなくてはならない。無防備にも見えるが無駄な動きもなくスキもない。少年少女がそれをやったら幽玄なのだ。

 現代に見る中学生、高校生の男子にはこのような躾けられた無防備で無駄がない所作をするものはいないであろう。それが稚児という幻影を私が懐かしむ理由である。


"Someone show me how to tell the dancer; from the dance"

by Eagles "Saturday Night" from the poem of Yeats

"How can we know the dancer from the dance?"



初稿令和元年長月

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『稚児考』 *『弘児聖教秘伝私』などからのあらゆる可能性から稚児の実態を推測する 泊瀬光延(はつせ こうえん) @hatsusekouen

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