人妖異変絵巻

朔鵺

少年はとある屋敷の門前に立っていた。

【冬季休業中。依頼のある方はこちらまで。】

門に貼られている紙を見れば少年の顔は険しくなる。

何が『依頼のある方はこちらまで。』だ。その後ろに続く地名は僕の家がある所じゃないか。全く。冬場は動きたくないからという理由だけで断りもなしに仕事を押し付けるのはやめて欲しい。

頭の中で文句を垂らしていると、少年はこうしてこの屋敷の家主が何かと押し付けてくるのは今に始まったことではないことを思い出す。視線を落としていると思わずため息がはあ、とこぼれ落ちた。

しかしこのままこの紙を門に貼られている状態にするのは良くない。この貼り紙がある限り家主が屋敷から出てくることはないと言えるし、何より自分の負担が大きくなってしまう。

少年は改めて貼り紙を見据えると迷わず門から紙を引き剥がし、びりびりと破り捨てる。そして一息つき、門に手を掛けた。





しん、と静まり返った廊下を歩く。何度もこの屋敷には来ているはずなのにうっかりすると迷いかねない。一人で住むには広すぎるのでは、と少年は来る度に考える。

実際、使われてない部屋の方が使われている部屋より多いのだ。物臭な節がある家主は普段使う部屋は綺麗にしておく癖に使わない部屋は放ったらかしにしている。しかし、そんな放ったらかしにされている部屋達もある程度の綺麗さを保っているのだから不思議だ。


ふと、みゃあ。という鳴き声が聞こえて足を止めると、足元に一匹の赤毛の猫がすり寄ってくる。

少年はその猫を抱き上げるとまるで自分と同じ人間に話すかのように話しかける。

「珍しいな、一颯イブキ。お前がその姿で居るなんて。喧嘩でもしたのか。」

その問いに猫はみゃあ。とまたひと鳴きすると庭の方に顔を向けた。

少年も釣られて庭の方を見るとああ、成程。と呟く。

ここ数日見慣れた景色だった為気にも止めていなかったが、この屋敷の周辺や庭にも雪が降り積もっている。流石に池などの水場が凍るほどではない。しかしあまりの寒さに餌を獲りに行くことも億劫になった結果、なるべく体力と妖力を温存しようと猫の姿に戻ったのだろう。

猫の姿、と言うのもこの猫“一颯”は正確には猫ではない。猫に限りなく近い見た目と生体をしている全く別の生物だ。いわゆる巷で噂の『アヤカシ』という存在である。

普段は人間の様な、人間にしては毛むくじゃらではないのかと言いたくなるくらいには猫としての要素が残りすぎた姿をしている。

そして、気がついた時には勝手にこの屋敷に住み着き、気まぐれに使われてない部屋を片付け、気まぐれに家主のお使いを頼まれるという比較的自由気ままな生活をしている。

当然人の言葉も喋れるので、少年は当たり前のように人間が相手の時と同じように話しかける事にしている。

「アイツはどうにかしてくれなかったのか。というか、もしや。」

一颯を撫でながら家主に呆れていると、ふと頭にひとつの状況が過ぎる。

さすがにそんな事は無いはず。もしそうだとしたらまた面倒事が増えてしまう。

頭に浮かんだ内容を消し飛ばすかのように大きく頭を横に振り、いち早く確認しようと少年は一颯を抱えたまま廊下を走り出した。





目的地である部屋へ辿り着くと少年は肩を揺らし息を整えながら勢いよく扉を開け、そしておそらくこの中にいるであろう家主に対して声を発する。

「おい、門の張り紙はどういうことだ晴め……。」

扉を開けた先の光景を見るや否や発した言葉を言い終わらないうちに膝から崩れ落ちそうになる。先程頭をよぎった状況が現実になってしまったのだ。

他の部屋よりはかなり広く天井が高いこの部屋の中央には大きな毛の塊。否、人よりもだいぶ大きな茶毛の狐が丸まって寝ていた。

一颯を床に下ろすとまたため息をひとつ零し、頭を抱えながら狐へと足を進めた。

「おい起きろ晴明。」

げしげしと狐──この屋敷の家主である安倍晴明アベノ セイメイを揺さぶると、晴明は欠伸と軽く伸びをして少年の方に顔を向けた。そして一言、なんだ道満かと零すともぞもぞと動き、次の瞬間には青年の姿へと変化した。

焦げ茶の左から右にかけて段々と長くなる非対称な前髪に少し長い襟足と、目張りを入れた端正な顔立ちという中性的な印象を与える容姿だが実年齢は不明だ。少年──蘆屋道満アシヤ ドウマンも少なくとも自分よりも、恐らく彼の容姿よりもかなり歳上であるという事しか分からない。

「それでなんの用だっけ。」

「だからあの張り紙はなんなんだ。せめて貼るにしても一言僕に言ってくれよ。」

少々不服そうな表情をし、のらりくらりと言葉を発する晴明に対して道満は怒る気力も失せたのかげんなりしながら返す。

「ああ、あれか。何せ冬だからなぁ。外は寒いし他の季節より気力も体力も持ってかれるんだから部屋の中で寝てるのが一番だろう。」

「狐は冬眠しない生き物のはずなんだけどな。」

「普通の狐はそうかもしれないけどなぁ。お前には分からないかもしれないけど案外この姿でいるのもかなり妖力消耗するから。狐の姿で外に出る訳にもいかないだろう。」

そう言い終わるや否や再び寝転がり寝ようとする晴明を必死に道満は引き留める。

冬場は妖の活動が不活発になる為都周辺に現れる数も減るし、ましてや人に悪意を持って害をなす──彼曰く喰らっても問題ない妖と限定すればその数は他の季節の二割にも満たない事は道満も理解している。勿論それ故消耗し続ける体力や妖力を回復する手段が限られてしまう事も。

しかしいくら少ないと言っても都で妖絡みの問題事が起きないという訳では無いし、それを自分一人で対処できるとは思っていない。道満は自身のことをまだ未熟だと思っているし、だからこそこうして時折晴明の元を訪れては泊まり込みで術を教わっているのだ。

一方引き留められた晴明は仕方ないなぁ。と呟きゆっくりと起き上がる。一颯を呼び寄せると抱え上げ、部屋を出ていこうと準備をする。

「食糧の買い溜めも尽きてきた頃だったし、まずは買い物に行こうか。」

どうせ暫くは此処に泊まるつもりだろう。と道満に声をかけると返答を待たずに玄関の方へ歩き出した。

それを聞いた道満はちゃんと起きて活動してくれる事にほっとしながらその後ろをついて行くのだった。

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