春の君
麻(asa)
焼き鳥を買いに行ったはずの彼女が、ギャン泣きの女児を連れて帰ってきた。
「え、どしたの」
「あーちゃん、この子迷子になっちゃったみたい〜」
日曜、青空、満開の桜、ついでに今はお昼時。桜祭りの会場に並んだ屋台にはどこも行列ができていて、通り抜けるのも一苦労だった。こんな小さな子が、迷子にならないほうが難しいかもしれない。
「入り口のところに運営本部みたいなのあったから、そこに連れてってあげたらいいのかな」
「だね! よしマリちゃん、お姉ちゃんたちとママ探しに行こっ」
桃香はしゃがんで女児と目線を合わせ、にこっと笑ってみせる。マリちゃんはまだしゃくりあげてはいるものの、少し安心したのか、こっくりと頷いた。
さすが遊園地のスタッフとして働いているだけあって、彼女は子どもと接するのに慣れている。一方の私はからっきしで、特にこんなときはどうしたらいいのか分からず、うまく名前を聞き出すこともできない。子どもが嫌いなわけではないのだけれど、目つきが悪いせいか、向こうから好かれることもほとんどない。
人混みの中を私が先導して歩き、マリちゃんと手をつないだ桃香が、ぴったりと後についてくる。歩調はこのくらいで丁度いいようだ。
進むにつれて、マリちゃんの口数が増えていくのがわかる。やたらとカラフルで巨大なペンダントを首から下げているなあと思っていたけれど、あれは日曜の朝に放送されている、女児向けの魔法少女アニメに登場する変身アイテムだったらしい。
「マリちゃん、プリキュア好きなんだ〜」
「うん、すき!」
無邪気な声がまっすぐにひびいて、口元がほころぶ。なんだか、聞いたことのある「すき」だと思いながら。
運営本部と書かれたテントの前に着くと、乳児を抱えた若い夫婦が不安げな様子で立っていた。
もしかして、と思った瞬間、こちらを向いた母親が「マリ!」と声を上げる。マリちゃんはすっかり元気になっていたけれど、両親の顔を見るや、わっと泣き出した。はりつめた緊張の糸が、一気にほどけたようだった。
「マリちゃん、すぐに家族に会えてよかったね」
「下手に探し回るより、ああいうところで放送してもらったほうが早い場合が多いからね〜。来てくれててほんとよかった〜」
比較的人の少ない土手の斜面に並んで座りこみ、私たちは焼き鳥で乾杯をする。どうしてもお礼がしたいと言うマリちゃんのお父さんに、それならと買ってもらったのだ。
「ねえあーちゃん。マリちゃんさ、大きくなったらプリキュアになりたいんだって」
「うん」
「あの子がプリキュアになるころには、私たちも結婚できるようになってるかな?」
頬張った鶏肉を噴き出しそうになった。それをなんとか飲み込んで、私は彼女に顔を近づける。
「ちょっと桃香、何を」
「いーでしょ、本当に思ってることなんだから」
それに、と、彼女はさらに顔を寄せてくる。
お風呂上がりに毎日塗っているボディクリームの、甘い桃の香り。それはかすかな桜の香りと混じって、私の思考をわずかに停止させる。
「みんな酔っ払ってるんだから、私たちのことなんて誰も見てないよ」
その隙を狙いすましたかのように、桃香は唇を重ねてくる。
「葵ちゃん。好きだよ」
心底いとおしいというように見つめられて、頬が上気するのがわかる。
「私も。桃香が好き」
ささやくように返事をする。桃香は、蕩けるような微笑みを浮かべる。
私たちは、それこそマリちゃんと同じくらいの年頃からいつも一緒にいて、「好き」を言い合い続けてきた。年齢を重ねるごとに、「好き」は甘く重たく、湿り気を帯びていったけれど、その本質は今も変わらない。
桃香が言うように、もしも私たちが結婚できる時が来たら、「私たちは好き同士です」と堂々宣言できる。周囲から祝福されるという新しい幸せも、そこにはあるのかもしれない。
けれどこんなふうに、ひっそりと伝え合う「好き」を、私はまだ味わっていたい。そう思ってしまうのだ。
「贅沢者だなあ、私は」
「えー?」
何言ってんの、という顔をした桃香の手を、私はそっと握る。
少し強い風が吹いて、私たちの頭上に、桜の花びらを散らしていった。
春の君 麻(asa) @o_yuri_san
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