銀杏編・後編
「なるほど。
イチョ美は種そのものを滅亡に追い込むウイルスと言っていたが、それはつまり直接的な破壊をもたらすということではなく、子孫を残せなくするという意味だったらしい。外敵に襲われるというのに反撃の手段が種の繁殖の阻害とは、また随分悠長な発想ではある。
(確かに、種としては滅びるけど)
イチョウは成長が遅く、手間がかからないために街路樹に向いている。それはつまり寿命が長いということだ。そしてイチョウの中には、樹齢が千年を超えるものも存在する。つまり。
「気が長い。……木だけに」
「深刻そうな顔でそういう冗談言ってる場合じゃねぇんだよっ」
どや顔でオヤジギャクをかました身内の首を、久朗津くんは力いっぱい締め上げた。
久朗津先生が、深刻そうな顔でふむ、と目を細める。
「まぁ落ち着け。目の前にハーレムが出来たってのに、冗談なんて言ってる時間が勿体ないのは分かる」
「いっぺん死んでこい!」
腹が立ちすぎて殴った。ひょいっと逃げられた。
「なんだ、close。お前、ハーレムが嫌いなのか?」
「今はそういう話をしてんじゃねぇ! そしてネイティブで呼ぶな! 苗字同じだろうがっ」
当たるまで殴ってやると追いかける。が、どこまでも軽やかに逃げられ、久朗津くんの血管は今にもはち切れそうであった。しかも逃げながら、深刻な顔を崩さず更に聞いてくるから余計に腹が立つ。
「嫌いなのか? ハーレム」
「は!? だっ、だからっ」
「嫌いなのか? は・あ・れ・む」
「……ッ」
顔は兄のままなのに、女声と流し目に妙な色気を出して久朗津先生が迫る。返る自分の声まで女のそれなものだから、久朗津くんは何故か倒錯的な気分になってまごついた。
「い、今はそ、そっ、きっ、嫌い、とか……!」
「好き」
「っ!」
久朗津くんが顔を真っ赤にして返事に詰まる横で、眠目くんが真面目な顔で返事をした。ぐっ、と久朗津先生が親指を立てる。
「だよな」
諸悪の根源×2に向けて、久朗津くんは力の限り椅子を投げつけた。当たり前のように二人ともに避けられた。
「お前らはもっと欲望を抑えて生きろ!」
「そうですよぅ! 我々の最終兵器を勝手にばらまくなんてっ」
「お前もちったあ自粛しろ!」
横から被害者面して口を挟んだイチョ美の襟首を、久朗津くんは青筋立てて掴み上げた。もとはと言えば、この間抜けがうっかり落とすからいけないのだ。
「いいから早く元に戻せ!」
「そんなことを言われましても、なにぶんウイルスですので」
「分かった。お前をあの街路樹のばあさんの所に突き出す」
「女王様です! この抗体を持っているのは女王様しかいないのです!」
秒で白状した。よくもこの状況でもったいぶったものである。
久朗津くんはきりきりと締め上げていた手を解くと、ふんすと鼻息も荒く腕を組んだ。
「よし。今すぐその女王様んとこに連れていけ」
「そ、そうしたいのはやまやまですが、出来ません」
「あぁん!?」
期待外れのイチョ美の返事に、久朗津くんはカツアゲする不良のような声を上げた。久朗津先生が「まーガラの悪い女の子ね」と楽しそうに茶々を入れる声に「だーってろ!」と律義に返す。
そしてまたイチョ美の首を絞めた。
「まだ出し渋る気かオラ」
「そんなんじゃないですって! ただ、女王様はいま世代交代のタイミングで、新たな女王様はまだ種の中で眠っている段階なんです」
「……は?」
「しかもその種は敵に見つからないよう、他の実に紛れるようにして生っているので、実が落ちるまでは見分けが付かないように……」
「またか!」
久朗津くんは空を仰いだ。
たった今失くしたギンナンを探して走ってきたというのに、今度はまた別のギンナンが要るという。そんな阿呆な世界がどこにある。それもこれも全部眠目くんのせいである。
「……よし。作戦を変える」
久朗津くんは閃いた。
そろそろ顔が青くなってきたイチョ美をぽいっと捨てて、びしりっと久朗津先生を指さす。
「兄貴。今すぐネムを正気に戻せ。それで全部片が付くはずだ」
「…………」
「ギンナンを食うなっ」
こんな状況だというのに、久朗津先生は電子レンジの庫内に残ったギンナンを食べ始めていた。むちゃむちゃとギンナンをしっかり呑み込んでから、やっと口を開く。
「別にいいけど。それでウイルスの影響だけ残ったらどうすんだ?」
「…………」
そんなことあるか、と言いたいところであったが、この女体化ウイルスも眠目くん現象のせいだと断定できる確証は、実はない。
イチョ美のいうイチョウとは別の貴重種が事実だとして、本当にウイルスを作っていたとした場合、イチョ美たちだけが元の街路樹に戻って、久朗津くんたちは女のままという悲惨な状況になりかねない。その場合、全校生徒で目印も手掛かりもない女王の種を探す羽目になる。
そしてそんな事態に、眠目くんが役に立とうはずは決してない。
久朗津くんは、可能性と危険性を天秤にかけて、苦渋の決断をした。
「仕方ない。ネム、探しに行くぞ――っていない!?」
振り返っても、眠目くんはどこにもいなかった。床にイチョ美がよよよっと転がっているだけである。
「ネムなら、丁度いいから買い物に行くって言ってたぞ」
「こんな時に!?」
久朗津先生が、懲りずにギンナンを食べ続けながら教えてくれた。怪しげなものだとは十分証明されただろうに食べ続けるあたり、ちょっと神経を疑うと久朗津くんは思った。
「っていうか、聞いてたなら引き留めろよ」
「今日は俺の当番じゃない」
「日替わりかよ……」
久朗津くんはとうとう脱力した。眠目くん追跡時の奇天烈な放送を用意しているくせに、今日は一人しかいなかった第一警戒配備に参加しようとは思わないらしい。相変わらず、やりたいことしかやらない男である。
「こんな状況なのに、なんでそんなにチョコなんか食いたいんだよ……」
理解できない、と久朗津くんは嘆息した。チョコなどどれも大差ないだろうに。
だがそれを言い出したら、授業中でも抜け出すほどの食欲が、既に久朗津くんには理解できない。だから余計に、頭ごなしに怒鳴ってしまうのだが。
「何でも女性限定のメニューがあるらしいぞ。諦めてたらしいが、丁度いいから買ってくるって」
「めっちゃ会話してる」
久朗津先生の丁寧な解説に、久朗津くんはちょっと殺意が湧いた。
◆
次のギンナンを電子レンジに入れ、渋い緑茶まで淹れだした久朗津先生に、久朗津くんは椅子を三つほど投げ付けてから調理実習室を後にした。
そしてそのまま校門まで走ったが、妙に息が上がっていた。
(体力……筋肉が減ったからか?)
いつか眠目くんを掴まえるために、実はこっそり毎日ジョギングもしているのだが、やはり女性の体では基礎体力が違うらしい。久朗津くんはぜぇはぁと肩で息をしながら校門を出て、
「出合え出合え!
「戦闘要員は全員配置に着け! 決して取り逃がすな!」
「我らが次代の女王様を奪った者ぞ!
「…………」
目の前の歩道を土煙を蹴立てて走っていく街路樹の軍勢に、ぽかんと足を止めた。
「な、なんだこの物々しさは……?」
美少女になる前のイチョ美がたくさんいる、と呆然とする久朗津くんの横で、当のイチョ美も驚いたように目を左右に泳がしている。
「一体何があったんでしょうか」
「お前、聞いて来いよ」
「嫌ですよぅ。なんか怖いですもん」
どどうどどうっと走り抜けていく
久朗津くんはその肩に優しく両手を置いて、
「阿呆なことを言っとらんで……」
力任せに放り投げた。
「とっとと行かんかーい!」
「あーれーっ」
イチョ美がひゅーんと孤を描いて、走っていた街路樹の一つにべちょりっとぶつかる。その街路樹が立ち止まると、イチョ美をべりっと剥がしてから、久朗津くんを振り向いた。
「同じ服じゃ……」
その樹皮の一体どこが目なんだという問いを投げる間もなく、街路樹が呟いた。
「我らが女王様を奪った不届き者と同じ格好じゃ。こやつも仲間じゃ!」
「はぁああ!?」
街路樹の枝がびしりっと久朗津くんを指し、周りにいた軍勢が怒涛のごとく久朗津くんに襲い掛かった。
体力も回復していないというのに、結局久朗津くんはまたもや走る羽目になった。
「一体、何がなんだってんだ!?」
街路樹たちが、地鳴りを上げて久朗津くんを追いかけてくる。思わず反対の歩道に走り出してしまったが、実は校内に戻るのが一番安全だったのではと早速後悔する。
その横に、どうやって戻ってきたのかイチョ美が並走した。
「どうやら、パタンさんと同じ服を着た誰かが、女王様の眠る実を持って行ってしまったようですね」
「まだどれが女王か分かんねぇんじゃなかったのかよ!?」
「それがどうも、今日か、昨日の辺りにはもう落果していたらしく」
「のんびりなのもいい加減にしろよ!?」
「それでパタンさんもその仲間――つまり我々を滅ぼしに来た敵だと勘違いしたようで」
「こりゃ制服だ!」
そろそろ血管がはち切れそうだ。そして「昨日」という単語に嫌な予感がむくむくと膨らんだ。
久朗津くんと同じ服を着ていて、少し前に街路樹たちに気付かれる動きをしていて、南(
(一人しか思い付かねぇ!)
久朗津くんは、怒りを決意に変えた。
「お前、実が落ちたら見分けがつくって言ったよな?」
「匂いで追えます!」
「行くぞ!」
「イエス・マム!」
「誰がマムだ!?」
結局眠目くんを追いかけるのかと思うと徒労感が半端でないが、今は理不尽な怒りが久朗津くんの足を三倍に速めていた。しかも先に走っている街路樹の勢いもあるのか、いつものような変なちょっかい――チョコが爆発したり、戦闘機が飛来したり、野良猫の猫パンチ――にも遭わなかった。
火事場の馬鹿力のような速さで駅前に到着すれば、眠目くんの居場所は一目で分かった。
何故なら、チョコレート専門店と書かれた看板の前に、もっさもっさと街路樹が押し寄せていたからである。
「狼藉者はこの中じゃ! 引きずり出せ!」
「我らが女王様を奪った罪、必ず報いさせてやる!」
「滅殺! 滅殺!」
殺気立っていた。とてもではないが、ポップなチョコレートが描かれた店舗の可愛らしい雰囲気とはまるで噛み合っていない。
(いや噛み合わなくていいんだった)
眠目くん現象に毒されてはならぬと、久朗津くんはごくごく冷静に訂正する。
その隣では、ここに着くまでに話しておいた可能性と、目の前の光景とで板挟みにおろおろするイチョ美が久朗津くんの腕に縋りついた。
「ど、どうしましょうっ。本当にネムさんが持って行ったなら、きっと何か誤解が……」
「よし、一番槍はくれてやる!」
「あーれーっ」
久朗津くんは、大いなる親切心で栄誉を譲ってやった。つまりイチョ美を再び全力でぶん投げ、店の前でいまだ怒号を上げている街路樹の軍勢の真ん中に放り込んだのだ。
それに街路樹たちが気を取られている隙に、久朗津くんは店頭に滑り込んだ。途端、もわりとチョコレートの甘い濃厚な香りが鼻腔を満たす。
「ネム!」
「あ、パタン」
ガラスのショーケースの前にいた眠目くんが、満足げな顔で振り返った。手元には、既に可愛らしいピンク色のコスモスが描かれたタンブラーが握られている。その制服の胸元は珍しくボタンが外され、シャツの下の膨らみが無言で強調されている。
(こいつ……本気で女だって言って買いやがったな?)
相変わらず、店の外の騒ぎなどお構いなしに悠長に買い物できる奴である。
だがそれは、丁寧な接客ができる店員も同じだったらしい。
「お客様、申し訳ございません。女性限定ホットチョコレートドリンクは、たった今終了してしまい……」
「買いませんから!」
ショーケースの向こうにいた女性店員の実に申し訳なさそうな説明に、久朗津くんはなんか理不尽だと思いながら丁重に断った。
そして早速タンブラーに口を付けようとしていた眠目くんの手を掴むと、逃げるように店を後にした。
「ちょっと、何するの」
やっと念願のチョコレートを口にしようとしていた眠目くんが、不満そうに久朗津くんを睨む。その襟首を掴み上げて、久朗津くんは今日何度目とも知れないカツアゲに取り掛かった。
「出せ!」
「……嫌だよ」
「誰がチョコなんか欲しがるか! ギンナンだよ! 拾っただろ」
額に青筋を立てながら、眠目くんのポケットを乱暴に漁る。眠目くんは迷惑そうに身を捩ったが、すぐに何かを思い出したように「あ」と言った。
「もしかして、これ?」
そう言ってポケットから取り出されたのは、金色に輝く殻を誇示するように丸い、ギンナンが一つ。
「昨日の掃除の時、なんか一つだけ光ってたから拾ったんだけど……欲しかった?」
「超絶要らん」
小首を傾げる眠目くんに、久朗津くんはやっぱりかと思いながら力いっぱい返事した。
昨日の落ち葉拾いの間中微動だにせず何をしているかと思ったら、こっちもこっちでトラブルを拾っていたとは。
眠目くん現象が発動していない時にまで面倒を拾ってくるのでは、久朗津くんは気の休まる時がないというものである。
「超絶いらん。が、寄越せ」
「変なの」
久朗津くんは、差し出された掌から文字通り光り輝いているギンナンをはっしと奪い取ると、ずっと店の前でイチョ美をもみくちゃにしていた街路樹たちの更に向こうへと、全力投球した。
気分は、飼い犬への「とってこーい!」である。
「「「ああっ!」」」
わらわらしていた街路樹が、頭上を飛び越えていく光る物体――もうじき目覚める次代の女王様に一斉に反応した。口々に雄たけびを上げて、ギンナンが飛んで行った方向――奇しくも
「……なんかあったの?」
「…………」
そのせわしない街路樹軍団の後姿(と言っても目も口もどこがどこだか特定できないのだから、前も後ろも何をかいわんやであるが)を見送りながら、眠目くんが呟く。
その無頓着な発言に久朗津くんは大いに物申したい気分ではあったが、最早疲れるだけと分かっているので返事は保留にした。
代わりに、仲間たちにもみくちゃにされた挙句、その場に打ち捨てられて置いてけぼりを喰らったイチョ美に歩み寄る。
「おい、大丈夫か?」
「死ぬかと思いました……」
轢かれたヒキガエルみたいな体勢で歩道に倒れている魔法少女風ツインテール美少女が、もごもごと答える。イチョウの葉をかたどった服もスカートもボロボロだったが、大事なところは隠れているので久朗津くんは良しとした。
それはそれとして、見た目だけはレディなイチョ美を助け起こしてやろうと、久朗津くんは手を差し出した。
「さすが木だな。頑丈で何よ――ぉわ!?」
言い切る前に、イチョ美が唐突に元の街路樹に戻った。歩道のタイルをばりばりと割り砕いて触手のような根を張り、イチョウの幹と黄色い葉を惜しげもなく広げて見せている。
「なっ、何で突然――!?」
魔法少女の変身解除にしても高速すぎると驚く久朗津くんの横で、ずずっ、と音がした。
眠目くんが、ほくほく顔でホットチョコレートドリンクを啜っていた。
「…………」
久朗津くんの頭に嫌な可能性が過って、こめかみがひくついた。
まさかと、恐る恐る自分の胸に手を当てる。
(……ない)
かつてあったささやかな二つの山が切り崩されて、いつの間にか平地に開拓されていた。
その隣では眠目くんが、ずずっずずっとカカオの香りをさせて甘味を噛みしめる。
(まさか……こいつの現象って、兄貴の呪文なんか関係なく……)
いや、考えてはならない、と久朗津くんはその先の思考を強制的に停止させた。
まさか毎度振り回されている眠目くん現象は、実は欲望を満たせば自動的に解消されるから追いかける必要も止める必要もないのではないか、などとは。
「……あげないよ?」
気付きたくなかった結論のせいでじっとりと幼馴染みを睨んでいた久朗津くんに、眠目くんがタンブラーを少しだけ隠しながら先手を打つ。
「超絶要らん……」
次はもう絶対に追いかけないと、心に誓う久朗津くんであった。
《終わり》
逃走男子。 仕黒 頓(緋目 稔) @ryozyo_kunshi
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