白痴たちの饗宴
足摺飯店
白痴たちの饗宴
わては彼女を待っている。会いたくて、震える。いや違う。これは飢餓感から来る震え。既に空っぽの冷蔵庫。わては六年間彼女のヒモをしていて、一遍も職に就いた事無し。彼女が専門学校に入って卒業しデザイン会社の正社員になる間、わては医学部受験に失敗・四浪し家を追い出されヒモとなり、それからは何もしていなかった。受験期においても医者になるつもりなぞ毛頭なく、パチンコばかり打っていた。つまりは自堕落な性分。であるからにして食糧を得る為働くは難しい。即ちこれ以上の放置=飢え死に。腹が減って気が狂うてしまいそうだ。数えてみると、もう一週間ほど帰ってきていない。家財を持って行った形跡もなく、住居を捨てたとは考えられないのだが。そもそも一人では何も出来ぬわてを見捨てるような薄情な女ではないのだ。
あやめ。彼女は昔から優しかった。わては高校時代苛烈な虐めに遭っていた。何故虐められていたのだっけ。いまいち記憶が曖昧だが、おそらく女生徒に痴漢でもしたのだろう。直接虐めに加担する輩、わてを白眼視して半ば黙認する輩が大半を占める中、あやめだけが優しくしてくれた。弱者を見過ごせぬ性格で、駅前で動物基金などあると必ず金銭を投じてしまう。自分で稼いだ金であるだろうに、勿体無いことだ。わてもそうした愛護すべき動物の一種であったのであろう。罵詈雑言書かれた机の掃除、押し付けられた奉仕活動の手伝い、色々やってもらった。高校時代のわて、美人の施しに咽び泣き、ひどく感激の極み。こんなにも尽くしてくれるのはもしかすると自分に気があるからではないかと邪推、何度もわての嫁になってくれと求婚を繰り返す。当初あやめは頑として拒絶していたものの、ついには求めに応じ、ずぶずぶの関係へ突入、そして現在に至る。
回想終わり。あやめの成長ぶりにも関わらずわては何も変わっていないと焦っていたが、思えば彼女は昔から立派だった。一先ず安心する。善き人、嘗ても立派。反して、元から駄目の奴はいつまで経っても駄目のままなのだ。わては高校時代同じように自らの醜き所業から虐めに遭っていた友人を思い出した。そうだ。その友人の家に赴き、何か物を喰わせてもらおう。これは我ながらナイスアイデアだ。社会不適合者ゆえに外出するのは嫌だったが、背に腹は代えられぬ。わては部屋を出た。これは部屋を出る行為そのものだけを指すのであって、特に社会にコミットメントすることの比喩表現ではない。
季節は冬で、外は少し肌寒い。わては友人である〝天皇〟の家に行った。〝天皇〟の家は中野区の住宅街の隅っこにある古びた一軒家だ。わては玄関でチャイムを鳴らし、眉間にきつい皺の寄った母親らしき女が出て、軽く会釈、階段を登り〝天皇〟が二十四年間住み続けている子供部屋の前に立った。ドアノブを握るもビクともせず、施錠されている。どうやら改造を行なっているようで元々付いていなかった錠前が3つもついていた。コンコンと軽くノックをすると、
「去ねーー‼︎‼︎」と物凄い怒鳴り声が中から聞こえてくる。
「早う去ねやーー‼︎」
「わてや、高校の。合田清和や」
「なんだ清ちゃんか。先に言ってよ」
解錠。〝天皇〟は高校時代も肥っていたが、今はさらに脂肪が厚さを増していた。首が脂肪で埋まってしまう程だった。仰向けで寝ると自分の脂肪に潰されて窒息死しそうだな、と莫迦な光景が頭をよぎった。
「あー久々やね。数年ぶりにまともな人格と話した気いするわ」
〝天皇〟は虐めに耐えかねて不登校になってしまい、それからは家にいるようだった。ニート生活の為かやはり両親との折り合いは悪いらしい。しかし、彼の一家は今では珍しくなった純日本人であり(わてもマジャール人とのハーフである)、ドナルド・キーンが設立した日本文化保護財団からベーシックインカムを月々もらっているので、生活には苦労していない様子だった。純日本人の血統と日本文化の保護にそれほど相関性があるのかは知らないが、ドナルドの提唱する説によると日本文化には日本人の血統から生まれる日本人的精神が不可欠らしい。ようけ分からん。断っておくが、純日本人だとはいっても彼は皇家の血筋を引いている訳ではない。〝天皇〟とは彼が僭越ながら自称する渾名であり、本名が『なるひと』であることから着想を得た非常に安易なネーミングである。自分は足利義満の南北朝統一によって事実上解消された南朝の末裔であり、正統とされた方の天皇家が断絶を遂げた現在自分は真の天皇である、と彼は声高に主張しているが、絶対的に嘘である。信じてはいけない。ていうか、信じた者は皆無。
〝天皇〟はスーパーファミコンでドラクエ5をやっていた。レトロゲーマーなのである。まだ始めたばかりなのであろう、主人公がパパスと旅をしていた。わては画面に一瞥をくれた後、彼が下半身を突っ込んでいる炬燵の上に蜜柑の詰まった籠があるのを発見・これ幸いとべりべり皮を剥き始める。籠の周囲に小麦粉のようなものが散乱していて、やはりニートの部屋は汚い。思わず糞尿の入ったペットボトル群がないか探してしまったが、そこまではないようだった。ポテチの脂でベトベトになったコントローラをぐりぐり動かしながら、〝天皇〟は言った。
「やっぱパパス強えーな、魔物バッタバッタ斬ってくれる」
「父親やからな」
父親という言葉が家庭的なイメージを想起させ、そういえば自分ら子供いてもおかしくない歳なんやなと思い、両者の間に気まずい沈黙が広がる。〝天皇〟が炬燵の上の小麦粉を指に取り、歯茎ににぎにぎ塗りつけ始める。
「やめろよ。そんなん食っても美味くないやろ」
「コカインや」
さっそくわても実食してみる。ほんまや。感覚が鋭敏になってきた。スーパーファミコンから流れ出る貧弱な音源が荘厳なオーケストラに聴こえる。蜜柑の一房を噛むと、ぷちという音と共に果汁が炸裂し、一滴一滴が芳醇な味わいを舌に残す。うっひょう。なんか楽しくなってきた。ここは天上界。数多の天使がラッパ吹く。ダガンダガン。和太鼓も加わってきた。なんだかミスマッチだなあ。とか暢気に考えていたら、振り向くと扉が叩かれている。
「鳴仁。さっきの誰。開けなさい」
ダガンダガン。〝天皇〟の母親であろう。面倒なことになったなあ。至福の一時を邪魔する闖入者め。速やかに掃討してやるわい。妄想の機関銃を乱射していると、
「去ねーー‼︎‼︎去ねやーー‼︎」と〝天皇〟が口角泡を飛ばしながら叫んだ。
国家の象徴の危機。ここで尻込みすれば、男が廃る。拙者も助太刀いたそう。
「「去ねやーー‼︎‼︎早う去ねやーーー‼︎‼︎」」二重奏。音声の絨毯爆撃。
なおも鳴り止まぬ執拗な解錠要求に脳の血管がいくつか切れちまったのか、汚れることがわかっているのに蜜柑がドアに放られる。美しい放物線を描くオレンジ色の楕円球。扉に激突し、ぐちゃっという破裂音と共に散る飛沫、描かれる一枚の抽象絵画。
コカインの効果が切れたのか、叫び疲れて何時の間にか寝入っていた。夢の中でわてと〝天皇〟は海洋生物保護団体シーシェパードの一員で、クジラを殺し喰らう人類に対する壮絶な抵抗戦線を開始する。捕鯨船にヨットで突撃し、迅速に殺戮の限りを尽くすのだ。
白痴たちの饗宴 足摺飯店 @yuki1220
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