川で魚と戯れる

烏川 ハル

トップウォータープラグ

   

 僕には前世の記憶があります。

 ……と言ったら、笑われるでしょうか。「そんなもの、単なる思い込みだよ」と言われるでしょうか。

 いや、信じてもらえないかもしれませんが、本当に覚えているのです。ただし小学四年生の出来事までなので、おそらく僕は、それくらいの年齢で亡くなってしまったのだと思います。

 不思議なことに、死んだ前後の記憶は存在しないので、自分の死亡原因すらよくわからないのですが……。「その辺を詳しく覚えているとショックが大きいかもしれないので、そこだけ思い出せないようなシステムになっているのだろう」と、勝手に納得することにしています。

 でも、どうやって死んだのだとしても、その瞬間の僕は「神様、僕は生まれ変わっても釣りがしたいです!」と願ったに違いありません。

 それくらい、僕は釣り好きな子供でした。


 ……と言っても、僕の『釣りフィッシング』は、あまり本格的なものではありませんでした。元々は父の影響でしたし、その父からして本格的な釣り人ではなかったからです。

 運動神経が鈍く、どちらかといえば外で遊ぶよりも、家に閉じこもりがちだった僕。そんな僕を外へ連れ出すために父が与えてくれたのが釣り道具であり、休みの日には池や川へ連れて行ってくれました。


 初めて魚が釣れた時のことは、今でも覚えています。近所の池に泳いでいた、手のひらサイズのフナでした。

 浮きが沈んだ瞬間に合わせようとしても、浮きの動きを見てから手を動かしていては、いつもワンテンポ遅れてしまうので……。「それならば!」と、浮きがユラユラ揺れたところで合わせるようにしたら、うまく魚がヒット!

 竿に結ばれた釣り糸を通して伝わってくる、ブルブルと魚が抵抗する感触。それは魚が生きている証であり、僕を「生き物と戯れているんだ」という気持ちにしてくれました。「釣りって面白い!」と感じた瞬間です。


 やがて。

 リールの付いた竿を買ってもらってから、釣りのスケールは大きくなりました。

 まず、キャストという形で、エサの付いた針を遠くまで飛ばせるようになったのです。そうなると、近所の池では手狭であり、釣り場は「車で2時間くらいのところにある、郊外の川や湖」に変わりました。

 当然、釣れる魚のサイズも大きくなります。ヒットした時のブルブルと抵抗する感触も大きくなります。……と言っても、あくまでも小学生レベルの『大きく』です。

 釣りの本を読むと、川の投げ釣りではメートル級の鯉や草魚ソウギョなどが「大きい魚」であり、60センチくらいは「普通の魚」として釣れるらしいのですが……。子供の僕では、60センチどころか、40センチオーバーも滅多に釣れませんでした。

 子供だから仕方がない。本に書いてあるのは、大人の世界なんだ……。

 そう自分を納得させてしまえば、30センチが一つの基準になりました。小学校で使っている文房具セット、その中にある長い定規のサイズです。あれより大きければ「今日は大きな魚が釣れた!」と思えるようになりました。

 なお、一応は大きな鯉を釣るような仕掛けで投げていたのですが……。釣れるのは、ほとんどがフナばかり。たまにナマズやウグイなどが釣れることもありましたが、肝心の鯉が釣れることは、ほとんどありませんでした。

 本を読むと、鯉が釣れるのは、早朝と夕方の決まった時間だけだそうです。ですが「父に車で2時間かけて釣り場まで連れて行ってもらう」という環境下では、とっくに『早朝』が終わってから釣り場に到着して『夕方』になる前に「もう帰るぞ」と言われてしまいます。

 もしも、朝食や夕食を無視して、自分一人で釣り場へ行けるならば、ちゃんと魚が釣れる時間帯に釣りが出来るのに……。そんな不満もありましたが、これは子供の身ではどうしようもありません。釣りをする度に「早く大人になりたい」「大人になるまでの我慢」と思っていました。


 また、父と一緒に釣りに行くことの不満が、もう一つ。世間では釣りと言えばバス・フィッシング、つまりルアーでブラックバスを釣ることが主流でした。でも、なかなか父はルアーを買ってくれなかったのです!

「魚は餌を食べるんだぞ。ルアーなんて、難しいから子供には無理だ。魚だって馬鹿じゃないんだから、そう簡単に騙されないだろう? どうしてもブラックバスを釣りたいならば、ミミズを餌にして釣りなさい」

 今にして思えば、父には「自分がやってもいないことを想像で決めつける」という傾向があり、この「ルアーフィッシングはエサ釣りよりも難しい」というのも、その一つでした。

 でも小学校で「釣りが好き!」というクラスメートたちは、みんなバス・フィッシングについて語るばかりで「ルアーフィッシングをしないのは釣り人じゃない」という態度です。僕が「ミミズでブラックバスを釣った」という話をしたら、思いっきり馬鹿にされて『ミミズ野郎』というあだ名をつけられてしまいました。

 だから僕は、父に何度もせがみました。その結果、

「そんなにルアーフィッシングがやってみたいならば……」

 ようやく買ってもらえたのが、ワームと呼ばれるタイプのルアーでした。大きなミミズを、そのままゴムで模したようなルアーです。

 僕としては、魚の形で派手な色をしていて、水面や水中でヒョコヒョコ動くプラグとか、水の中で金属板ブレードがブーンと回るスピナーベイトとか、面白いアクションのあるルアーが欲しかったのですが、

「そんなオモチャみたいなルアーで魚が釣れるわけないだろう? ミミズとよく似た疑似餌にしておきなさい」

 父に笑われてしまいました。これも「自分がやってもいないことを想像で決めつける」の一例であり、父も――そして当時の僕も――知らなかったのです。

 実は『オモチャみたいなルアー』こそ、リールを巻くだけでブラックバスを誘惑するような音と動きを出すから簡単だが、一方『ミミズとよく似た疑似餌』は、放っておいたらブラックバスは寄ってこないので、それを餌っぽく見せるテクニックが必要なのだ、ということを……。

 ともかく、これも「大人になるまでの我慢」という案件でした。……結局、大人になる前に、僕は死んでしまうわけですが。



 そして。

 生まれ変わった今。

 状況は、大きく変わりました。


 まず、国が違います。

 日本よりも暑い夏の日差しの下。しかし湿度が低くカラッとした熱気のため、体感温度は日本にいた頃よりも低く、油断していると日本人は軽い日射病にかかるそうです。

 今、僕がいるのはアメリカ合衆国の南部。バス・フィッシングで有名なフロリダ州ではないですが、その北隣にあるジョージア州です。大きな川の一部が湖になった箇所がいくつかあり、お隣さんなので自然環境は似通っているとみえて、そこにはブラックバスもたくさんいます。


 例えば、今も。

 湖面に浮かぶ、トップウォータープラグ。クローラーと呼ばれるタイプで、水に落ちて暴れる昆虫を模しているらしいのですが、普通にリールを巻くだけで、左右の金属羽根をバタバタさせながらパシャパシャ動く、優れものです。特に、特徴である金属羽根のおかげで、水面で大きく音を立てるので……。

 ほら!

 ちょうど、水の中からブラックバスが忍びよる気配が!

 そう思った次の瞬間には、もう魚が噛み付いた感触! 糸と竿を通して『感触』を楽しんでいた前世とは異なり、もっとダイレクトに伝わってきます。ザラザラしたヤスリのような、ブラックバスの歯が、僕のプラスチック製の体をガリッとかじった感触が……。


 そうです。今の僕は、釣りをする方ではなく、釣り人が使うルアーそのものなのです。

 僕の「生まれ変わっても釣りがしたい」という望みを、神様は、こんな形で叶えてくれたのでした。確かに、釣り道具になってしまえば、ずっと釣りだけしていられるわけですが……。

 でも。

 持ち主が釣り場に行かない日は、道具箱タックルボックスの中でお留守番ですからね。暇で仕方ありません。

 釣行ちょうこうの日時や場所を委ねる相手が『父』から『持ち主』に変わったようなものです。

 ようやく釣り場まで運ばれて、いざ道具箱タックルボックスの蓋が開いても、持ち主が僕を使ってくれない時は、最上段の仕切りの中で、日向ぼっこです。

 道具箱タックルボックスの中から眺めていると、どうやら持ち主は、バス・フィッシングだけでなく鯉釣りも好きな様子。まるで昔の僕のようですね。

 時間帯が違うせいか、国が違うせいか、同じ『鯉釣り』でも、僕の前世とは全く違います。狙い通りに鯉が釣れることが圧倒的に多く、たまに違う魚が釣れるとしたら、色々な種類のナマズやブルーギルの亜種です。フナを目にすることはないのですが、アメリカにはいないのでしょうか。

 また、釣れる鯉のサイズも、50センチ以上70センチ未満、つまり60センチ前後という感じ。もちろんブルーギルの仲間は小さいですし、ナマズで30センチ級が釣れることもありますが、鯉は全て50センチ以上です。

 ちょうど、前世の本で読んだ「普通の魚」のサイズですね。ならば、あの時に書かれていた「大きい魚」――メートル級の鯉――を、この持ち主も釣りたいと考えているのでしょうか。

 持ち主の気持ちまでは読み取れないですし、ルアーとなってしまった僕では、彼に尋ねることも出来ないのですが……。

 バス・フィッシングをしたり、鯉釣りをしたり。とにかく釣りを楽しんでいる彼を見る度に、僕は思ってしまうのです。

 どうせならば、この持ち主の方に転生したかったなあ、と。

 これって、贅沢な話でしょうか?




(「川で魚と戯れる」完)

   

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