第3話 救

 アネッサの濡れ羽色をした髪がさわさわと長さを伸ばし、色素が抜ける様にその色が薄まっていく。

 最終的に腰に届くまでになった髪は白銀色と化し、頭部からり出た双角が陽光を受けて煌めいている。

 

 変化は身体つきにも現れ、ダボっとしていたチュニックがほど良く収まり、主張する胸元が魅惑的なシルエットを形作る。

 膝上だったズボンも太腿丈へと様変わりし、そこからすらりと伸びるしなやかな足。

 瞬く間に、背の高い大人の女へと変貌を遂げた。 


甘露かんろ、甘露。やはり儂の魔力の味は格別だな」


 銀髪を風になびかせ、アネッサは恍惚うっとりとした表情を浮かべている。


 細い輪郭の顔立ちからあどけなさは消え、頬を掠めた傷は跡形も無い。

 蝋の様に白く滑らかな肌に、吊り目がちで切れ長の紅い瞳がよく映える。

 細く長く息を吐く様に、薄く開かれた唇。

 赤い舌先がちろりと艶を加え、女の妖艶ようえんさを際立たせた。


「その姿……貴様、竜人か? 【曇天を穿つ黒曜の煌き、曇りなき紅眼は真理を覗く。銀の逆鱗に触れること勿れ】――よもや伝説にうたわれし竜人と死合う機会を得られるとは、まさに天啓!」


 狂人じみた笑みを貼り付け、シャキリが一瞬で間合いを詰めた。

 息つく暇もなく繰り出す連撃は、先刻のそれよりも明らかにキレを増している。

 

 ただそれ以上に、予測めいた動きで躱すアネッサは余裕すら漂よわせ、実際、躱す度にじわりと間合いを詰めていた。

 次第にシャキリの顔からは笑みが消え、代わりに畏怖の念を色濃く滲ませていく。


「これなら、どうだっ!!」


 その姿が一瞬ブレたかと思うと、突如、アネッサのシャキリが現れ、前後からほぼ同時にアネッサを切り裂いた。

 笑みを浮かべたまま、霞の様に消えるアネッサ。


残像ディレイ?! くそったれ、がっ!?」

 

 振り向きざまに繰り出したシャキリの刺突が空を切り、アネッサの頬にかかる髪を揺らした。

 力のベクトルが引き戻しへと移る直前、ハルバードのを掴んだアネッサに引き寄せられる。

 シャキリは堪え切れずにたたらを踏み、その体を受け止める様にして手を添えたアネッサと肉薄した。


「見たか? 本物オリジナルを」


 アネッサが呟くと同時に、鳩尾に添えるてのひらが閃く。

 紅い瞳を細め、緩やかに弧を描く口元。

 シャキリの見開かれた目に、得意気に微笑む女の顔が映り込んでいる。

 

 時と場所さえ違えば、逢瀬を楽しむ男女の様に見えなくもない。


 現実は残酷である。

 いかに鍛え抜かれた筋肉を纏おうと、身構えず衝撃を受けては用をなさない。

 それが鳩尾であれば呼吸困難に陥り昏倒する。

 黒目がグルンと裏返り、膝から崩れ落ちたシャキリが、地面と抱擁を交わすかの様に倒れ込んだ。


「精進が足らぬよ」


 手向けの言葉を残し、踵を返したアネッサ。

 王女殿下であるターニアが、深々と頭を下げて出迎えた。


「アネッサ・スクリティー様、無事転生なされました事、王家を代表し心からお慶び申し上げます」


「アネッサ……スクリティー? 転生?」 


 主の態度にレイナは片眉を上げる。


さっきのディレイは……騎士の剣技。魔法と剣技――あっ!?」


 何かに思い当たったレイナがターニアと視線を合わせた。

 頷いて見せるターニア。

 

「魔導騎士団永世団長、史上唯一の五つ星クインティプルアネッサ・スクリティー?! 初代国王シスタニア様と共に、建国とその後の安定に多大な功績を残したとされる。永世団長って、故人に送られた名誉職で、実質空位なのではなかったのですか?」


 困惑した面持ちのレイナが、アネッサとターニアとの間で視線を行き来させる。


「あれは、シスタニアにまんまと手伝わされた……暇潰しに手伝ってやっただけだ。好きに出入りしてよいという話だったしな」


「はい。お父様からもその様に伝え聞いております」

 

 アネッサの視線にターニアが頷いた。


「アネッサ様! 今一度、お力添えを頂けないでしょうか。王や王妃は恐らく幽閉され、殿下を逃がす為に他のご子息の方々も……」


 いきなり両膝をついたレイナが、地面に額を押し付けて懇願した。

 その姿にアネッサは溜息を吐き、ターニアは複雑な面持ちで目を伏せた。


「よせ。今日は偶々、居合わせただけだ」


「ですがこのままでは、シスタニア様より続く王国三百年の歴史が途絶えてしまいます。何卒なにとぞ、ご助力をお願い致します」


 レイナが顔を上げる気配は全くない。

 それどころか、いっそう擦り付けるように力を込めている。

 やれやれと顔を振り、ターニアに止めさせろと目で訴えるアネッサ。


「レイナ、顔を上げなさい」


「殿下、でも……」


 無念そうに見上げるレイナに一つ頷き、ターニアはアネッサへと向き直った。 


「アネッサ様、この度は誠にありがとうございました」


「礼なら不要だ。偶然、本当に偶々、居合わせただけだ。今日の事は忘れてよい」


「お心遣い、感謝致します。では、お貸しした国宝の短剣についてですが」


「あー、壊れた。刃の方だけでも拾ってこよう」


「いえ、それには及びません。国宝でしたのはつかに装飾されていた希少魔石、【龍涎香】りゅうぜんこうでございますから」


「そう……か」


「はい」


 ターニアが、にこりと微笑んだ。


「それも……忘れてよい」


「はい?」


 笑顔のまま、首を傾げるターニア。

 目を泳がせたアネッサが頬を引き攣らせ、ぼそりと呟く。


「ご馳走さま……でした?」


「二千億ベル」


「へっ?! 何を……」


「代金として、二千億ベル頂戴致します」


「なっ?! 元は儂が、シスタニアにやった物だぞ? 大体、あれの魔力を喰らって力を取り戻した儂のお陰で……」


 アネッサが渋い表情を浮かべて言い淀む。


「勿論、感謝しております。ですが、それとこれとは別です。今は、私の所有物であり、国宝です。それに先程、礼なら不要と。まさか誇り高き竜人が前言を撤回なさるなど」


「無論だ。くっ、儂の老廃物が二千億ベル……だと? それだけあれば【霜降り一番亭】の厚切りローストビーフ、どれだけ食べられると」


「それ、城下で近頃人気の……いつからいらして……。お支払い頂けないのでしたら、体で払って頂くしか」


「おぬし、性格までそっくりだな。本当に生まれ変わりじゃあるまいな?」


「光栄です」


 満面の笑みを咲かせるターニアに、アネッサが口を尖らせる。

 目尻に涙を浮かべ、つい笑ってしまったレイナが、ふと顔色を変えて叫んだ。


「殿下! 笑っている場合では。王位継承者の証である剣が」


「落ち着いて。あれは、アネッサ団長不在時の代用品なのです」


 ターニアの視線を受けて、アネッサが不承不承といった様子で口を開く。


「シスタニアの定めた王位継承の条件、紅の剣に選ばれし者。紅の剣とは本来、儂の事を指す」


「そういう事なのでアネッサ団長、頼りにしてますよ?」


「その顔をやめろ。本当にそっくりだ」


 ニマニマと笑みを浮かべるターニアと、げんなりして見せるアネッサ。

 大陸史に永く名を刻むルナリア王国、その中興物語、始まりの一幕であった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

なんだかんだでお人好しの団長さんは人でなし 草木しょぼー @kakukaku6151

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ