第2話 破

「敵襲!」


 一報から間を置かず地響きが押し寄せ、すぐにこすれ合う金属音や爆ぜる音がこだました。

 そこに人の喚き声と馬の悲鳴じみた鳴き声が入り混じる。


 程なくして喧噪が収まると甲高い馬のいななきが響き、徐々に速度を落とした馬車が停止した。

 束の間の静寂が嫌な緊張感を煽り、車内が重い空気に満たされる。


「中にいる者、全員すぐに出てこい。二十数える間に出てこなければ、馬車を爆破する」


「なっ!? ……馬鹿な……」


 明らかに護衛とは違う野太いがなり声。

 腰を浮かしかけたマイヤーが言葉を失い、床へと視線を落とす。

 その眉間には、深い皺が刻まれていた。

 

「おとう……さん?」


 不安に駆られたライアルが呼びかけるも、床を睨み続ける顔は上がらない。

 重苦しい沈黙が流れる車内に、気だるげに数え上げる声が幌をとおしてかしてくる。


「とにかく、外に出ましょう」


 アネッサは「大丈夫」とライアルの頭に優しく手を置くと、席を立ち出口を潜る。

 続いてマイヤーとライアルが、少し遅れて飴色の髪の女と連れの二人が降り立った。


 馬車を背にした五人を、十五メートルほど距離をとって取り囲む男たち。

 数にして二十程。

 思い思いの装備を身に付け、一見、野盗の様に見受けられる。

 その後ろには、動かなくなった護衛たちの姿が散見された。


「外套を着ている二人、前に出ろ。……早くしろっ」


 集団の中央に構え、鼻から下を布で覆った男の籠り声。

 揃いの外套に身を包んだ二人が前に歩み出た。


「フードを取ってもらおうか」


 言われるままに小さな手がフードにかかり、顎のラインで切り揃えられた薄紫色の髪と、同色のくりっとした瞳をもつ少女の顔が現れた。

 薄紫の瞳は、真っすぐ男を見据えている。


「探しましたよ、ターニア殿下」


 舐め上げる様な男の口調は、布の下でニタリと歪む口を容易に想像させるものであった。

 飴色の髪の女が前に出て、男の視線からターニアを隠す。 


「貴公は殿下に顔を見せぬのか? クロイツ共和国将軍、シャキリ殿」


「ぬ? ……どこかでお会いしたかな?」 


 愉悦に水を差された男が、露骨に冷めた調子で問いかけた。


「ルナリア王国近衛騎士、レイナだ。同盟締結の調印式でお見かけした。その巨躯に赤毛、手にするハルバードを見れば一目瞭然だ」


「やれやれ、名が通るというのも考えものだな」


 わざとらしくかぶりを振ると布を剥ぎ取り、シャキリがその獰猛な顔つきを晒した。


「それで? 同盟国の将軍殿が野盗のふりまでして、これは一体どういう事なのかご説明願おうか?」


「なに、貴国でクーデターが起きたとの一報を受け、同盟国として見過ごせず駆けつけたのだ。途中、そちらのターニア殿下が無事逃げおおせたと聞き及んでな、保護しようと捜索しておった。火急の事態とはいえ越境行為、大っぴらに所属を明かす訳にもいかず、この様な格好をしたまでだ」


 レイナがこめかみをピクリと震わせた。


「保護? 隊商の護衛たちを片付けておいて? ヴェント卿を煽ってクーデターを起こさせたのは、お前たち共和国であろう。殿下を亡き者にしに来たと、正直に申したらどうだ!」


「ふん、そうか。見事に一杯食わされたぞ。まさか、第三王女が王位継承者の証を持っていようとは。王の首をげ替えるだけでは足りぬ。開祖への根強い信仰心を持つ、ルナリア王国民が納得せんからな。ターニア殿下、ご一緒願えますか? さすれば、お付きの者とそちらの三人は見逃しましょう」


 悪びれもせず言い放ったシャキリを忌々し気に睨みつけ、レイナが腰の剣を抜刀した。


「殿下、戯言です。目撃者も含め、はなから全員消すつもりです」


「そんなっ!!」


 悲痛な声を上げたのは、マイヤーの腰にしがみ付くライアルだった。

 レイナの吊り上げていたまなじりが思わず歪む。

 

「案ずるな、坊主。一瞬だ。痛みを感じる間もなく逝かせてやる、このハルバードでな」


 シャキリが芝居じみた調子で右手に持つ得物を掲げて見せた。

 鈍い光を放つハルバードに多くの目が吸い寄せられた直後、短い金属音が鳴り響く。


 瞬き程の間に迫り、ガラ空きの右脇腹を狙って突き出されたレイナの一撃。

 その剣先が、ハルバードの石突で

 点と点で完全に勢いを殺してみせたシャキリの曲芸に、レイナは動きだけでなく思考まで停止させられる。


「あり……えん……っ!?」


 勢いよく後方に吹き飛んだレイナが、背中を数度、地面と打ち付けて止まった。

 横蹴りを放った形のシャキリが、つまらなそうに蹴り足を戻す。


「精進が足らぬわ、話にならん。かろうじて一つ星シングルといったレベルか。その程度で近衛とは、殿下に同情の念を禁じ得ぬよ」


「くっ、まだだ……まだこの程度で……がはっ」


「レイナ?!」

 

 起き上がれず吐血したレイナにターニアが駆け寄った。

 その瞳から、今にも涙が溢れようとしている。


「すみません、ターニア……殿下」


「もう十分です。レイナは良くやってくれました」


 ターニアはふるふると顔を振ると、頬を伝う涙もそのままにレイナの血を自分の袖で拭う。


「それからマイヤー殿。ご子息共々この様な事態に巻き込んでしまい、誠に申し訳ございません。そちらの貴女も。本当にお詫びのしようがありません」


 顧みたターニアが、三人に向かって頭を下げた。

 それを目にしたマイヤーは硬い表情をふっと崩す。


「謝って頂く必要などありませんよ、ターニア殿下。我が家は三代に渡ってルナリア王国の庇護を受けてきた商人でございます。愛する故国が傀儡となるのをどうして見過ごせましょう。貴女様の一助になるのであれば、算盤そろばんなど弾くまでもありません。例え私と息子の命が、担保になると分かっていてもです」


「最初から……気付いていながら乗せたのですか?」


「目利きと情報の収集は、商人の腕の見せ所です」


 ライアルの頭をガシガシと撫でるマイヤーの顔は、誇らしげな笑みに満ちていた。


「申し訳……いえ、ありがとうございます」


 場が悲壮な空気に覆われる中、それを突き破る朗らかな声が発せられた。


「あのー、どうせ皆殺されるんでしたら、次は私の番って事で良いですか?」


 それまで無言を貫いていた黒髪の少女だった。

 アネッサは気負った様子もなくターニアへと歩み寄り、その姿をじっと見つめる。


「本当に……出会った頃のあやつにそっくりだ」


「え?!」


 一人呟いたアネッサは、レイナへと視線を向けて囁く。


「治しますけど起きないで下さい。バレてしまいますから」


「何を……言ってる? 戦うつもり……か? 無茶をする、な? えっ!?


 目を見開くレイナにアネッサが微笑みかける。


「一応、これでも星持ちなんですよ。ただ、得物を持ってきてなくて。レイナさんのは蹴られた時に折られてしまっていますし……ターニア殿下、帯剣をお貸し頂いても?」


「はっ、はい。お父様から頂いた剣です。どうぞお使い下さい」


「殿下!? それは――」


 レイナの言わんとする事を視線で抑え、ターニアが腰の短剣を差し出した。

 つかの部分には装飾として、アネッサの瞳と同じ紅色の宝石が埋め込まれている。

 アネッサはうやうやしく両手で受け取ると立ち上がり、シャキリと対峙した。


「さてと、将軍、お待たせしました」


「構わん。えらく可愛いお嬢さんが相手をしてくれるようだが、名乗り出るからには腕に自信があるのだろう。先の女騎士よりは楽しませてくれよ?」


 余裕たっぷりといった感じでシャキリは笑みを崩さない。


「ご期待に応えられると良いのですが。敏捷性には、ちょっと自信がありますけどね。では、行きますよ?」


 半身になって腰を落とし、逆手に持った右手の剣を背中に隠すように構える。

 アネッサの独特な構えに片眉を上げるシャキリ。

 その怪訝そうな顔を見つめる神妙な面持ちのアネッサが、口角の片側をニヤリと吊り上げた。


 ボォン!! という短い爆音が一斉に轟き、シャキリの陣に黒煙と土煙が混ざって立ち込めた。


「ふふっ、これは流石に効いたでしょ」


 先程の構えのまま、いや、左手を突き出して、したり顔で笑うアネッサ。


「凄い……凄いけど、それはちょっと卑怯では? わざわざ剣を借りておいて、いかにも何かありそうな構えを見せて、その上で魔法で不意打ちするなんて。しかも、さっき敏捷性がどうとか言ってなかった? その魔法で治してもらった私が言うのもあれなんだけどさ」


「駆け引きですよ。生き残った者が強者なんです」


 納得いかない顔で苦言を呈したレイナに、アネッサは振り返らずしれっと返す。

 ターニアは苦笑いを浮かべていた。


「いやいや、驚いたぞ。その歳で無詠唱の範囲魔法を使うか。実に興味深いお嬢さんだ」


 い混ざった煙の奥から愉快気な声が届いた。


「あれの直撃に耐えますか」


 驚くというよりも呆れ顔で、アネッサは声の出所を見据えている。

 徐々に視界が戻ってきた。


 シャキリの上半身の防具はぼろきれと化し、隠されていた筋骨隆々の肉体がさらけ出されている。

 ダメージは、口端から血が伝っているのを見るにゼロではないと言えるだろう。

 取り囲んでいた男たちはことごとく倒れ伏し、呻き声をあげていた。


「ふむ、魔導士であったか。無詠唱でこの威力、二つ星ダブルに相当する実力者。だが、無詠唱といえど魔力を練る時間は必要。だとすれば、常に攻撃あるのみ」


「わっ、ちょっと、待って!」


 血を拭ったシャキリがアネッサ目掛けて突進した。

 ターニアたちを巻き込まない為に、誘導する様に移動するアネッサ。

 追撃するシャキリは長大なハルバードを軽々と振り回し、斬撃、刺突、打撃と流れるように攻撃を繰り出す。

 それはまるで踊っているかの様な優雅さすら覚えるものであった。


「なんて攻防だ、私とは実力が違い過ぎる……」


 レイナが己の無力さを嘆くのも仕方がない。

 だがハイレベルな攻防といっても、怒涛の攻撃をしかけるシャキリに対し、アネッサは防戦一方。

 一撃必殺の攻撃を紙一重で躱し、避けきれないものは短剣で得物の軌道を逸らして凌いでいた。


「はははっ、素晴らしい! 魔導士でありながら剣の腕もそれ程とは」


「褒めてくれるなら、っと、危なっ! 手加減してくれてもっ、良いんですよっ?」


「馬鹿言うな、こんな楽しい戦闘は久しぶりだっ。もっと、楽しませろ!」


 躱しきれなかった鉾先が頬を掠め、赤い線を走らせる。

 アネッサが大きく飛び退いて距離をとった。


「ガレスの小僧と同類か。まったく、戦闘狂どもめが」


 苛立たし気に愚痴ると、握り込まれたつかに視線を落とすアネッサ。

 の溜息を吐き、口調を取り繕うのを放棄した。


「将軍、武器を捨てて投降せい」


「投降……だと? 可笑しな事をおっしゃるお嬢さんだ。何を企んでいる? それとも、万策尽きたか? こちらは、まだまだ全然物足りぬぞ――!?」


 距離を詰めようとしたシャキリが思いとどまり、唐突に短剣のつかを握り潰したアネッサに眉を顰める。


「忠告はした」


 その言葉と共にゆっくりと開かれたアネッサのてのひらから、柄の残骸に混じってキラキラと光る結晶が零れ落ちる。

 一拍の後、ビリビリと耳鳴りするほど大気が震え、遠く離れた林で一斉に鳥たちが飛び立った。

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