エピローグ

エピローグ 終わりなき旅路

 ヘリティアから続く緩斜面かんしゃめんを、父と娘はただ二人、ゆっくりと上る。


 ヘリティアへ向かう折にはリアナたちと一緒だった。荷車がニハコビガメの速度を超えないように、皆で押さえながら下りたっけ。ほんの三日前なのに、随分と昔のことのように思われた。


 広い草原が潮風に乗ってさわさわと揺れる。


 ヴァナディスは足を止めて風車と橋の街を振り返った。


 重く深い鐘の音が、風に乗って耳に届く。距離を隔てたこの場所から聞けば、確かに美しい音色だった。


 たくさんの出会いと、たくさんの別れ。たった三日の滞在だったのに、幾多の思い出がぎゅうぎゅうに胸に詰め込まれて、苦しいほどだ。


 鼻の奥にすっぱいものを感じつつ、ヴァナディスは再びその街に背を向ける。どこかへと続く道が、彼女の前に広がっていた。


「とんだ騒ぎだったな。」


 ツァランがぼそりと呟いた。


「私はまあまあ楽しかったけど。」


 ヴァナディスはからから笑う。ツァランは頭痛を覚えたが、それを表に出すことはなかった。


 一方で別れを惜しみつつ、一方では新しい出会いに胸を高鳴らせ、ヴァナディスはツァランと二人、ふらふらとあてどない旅を続ける。


「ヘリティアにいる間に、自分が変わっちまった気がするよ。」


 ヴァナディスはしみじみと呟いた。


「安心しろ。何一つ変わっていない。」


 ツァランの苦言を、ヴァナディスの耳は都合よく聞き流した。


「さあて、次はどんな冒険が待ってんのかなあ!」


「二度とごめんだ。」


「そんなこと言って、何だかんだ助けてくれるじゃん。」


 ヴァナディスの甘えた発言に、ツァランは一連の己の行動を激しく悔いた。


 今回助けてやったばっかりに、この娘はこれからも迂闊うかつなことをしては気軽にツァランを頼るのではないか。


「次は助けてやらん。」


 ツァランがきっぱりと言い切った直後、ヴァナディスは突如として走り出した。


 きつい下りに転じた坂を、彼女は弾丸のように駆け抜ける。向かう先では、旅人がいさかいを起こしていた。事情の一切を聞こうともせず、駆け下りた勢いそのまま当事者の一方に跳び膝蹴りを食らわせるヴァナディスから視線を逸らすように、ツァランは空を仰ぎ見た。


「……空は青いな。」


 この空なるものは全ての人の頭上に広がっているのだなあ、などと現実からの逃避行を試みた思考を、ツァランは苦労して引っ張り戻した。問題がこれ以上大きくならないうちに、娘の下へと向かう。


 鐘の音を乗せた強風が、ツァランの背を柔らかく押した。




  







――おまけ――


 出会いと別れを繰り返しながら、隊商はひたすらに道を歩く。


 今日もまた日が沈み、明日もまた日が昇る。同じような真新しい毎日を繰り返しながら、その旅路の果てに、隊商はどこに辿り着くのだろう。


「さあさ、皆さん急ぎましょう! あんまりのんびりしていると野宿になってしまいますよ。」


 リアナはリズムよく手を叩いて隊商の歩みを鼓舞する。彼女には大きすぎる防寒具が、風に裾を乗せてふわりと揺れた。


 リアナは足を止めて振り返った。もう橋も風車も塔も見えない。別れは遥か、後方に。


 爽やかな風を頬に受けて、リアナはヘリティアまで旅路を共にした父娘おやこのことを思い出す。優しくて温かな思い出と共に、交渉失敗の苦い思い出がよみがえって来た。あまりの苦みに、リアナの精神が軋みを上げ、体がガタガタと震え始めた。


「ふふ、大丈夫、大丈夫よ。」


 リアナは自分に言い聞かせる。


「いずれツァランさんが私に逆らえないほどの力を手に入れたら、もう一度声をかけるわ……」


 道のりは遠い。だが諦めさえしなければ、いつかはきっと辿り着く。リアナは大きすぎる防寒具の襟を寄せ合わせて、布地に向けて呟いた。


「私が世界を手に入れるその時まで、せいぜい独身を謳歌して下さいね、ツァランさん……」


 己の呼気のぬくもりに顔を埋めて、彼女はそっと微笑んだ。

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風が廻る街 文月(ふづき)詩織 @SentenceMakerNK

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