最終話 果てなき


 田舎町にあって一際目立つ高層マンション。その七階に天津風夜霧の住居はあった。

 特に面白いものはないわよ、なんて冷めた態度をとっていた夜霧の言う通りで、確かにその部屋は真っ白だった。


 テーブルとベッドに家電一式。生活に不自由はなさそうだが、自由なのかと問われれば首を傾げざるをえない、そんな部屋。自由は不自由なんていう彼女の嫌いそうな言葉遊びを体現したような空間だ。


 ――ただ、なにも無いかと言えばそうではない。


 ダイニングテーブルの上。木製のフォトスタンドに入っているのは、例の桜の前でぎこちない笑顔を浮かべる夜霧――に加えて、腕にギプスがはめながら逆手でピースしているミーハーや、照れるように目線を外す先輩など、協力してくれた皆が一緒に映っている写真。


「ふはっ――」


 なんとも微笑ましい写真に思わず笑いが漏れる。


「女の子らしくなくて申し訳ないわね」


 夜霧は嫌味っぽい声で自虐した。


「あ、あぁいや違うぞ。夜霧が写真なんて想像できなくてさ」


 あんなに周囲を突き放していた人間が二週間足らずで他人と自撮りとは、世の中何があるか分からないものだ。

 俺が近づいて眺めていると、夜霧が照れ隠しをするように割って入って写真を伏せる。


「無理やり撮らされたのよ、快気祝いとか言われて。他人と写真とか小学校の卒業アルバム以来よ」


「へぇ……って、中学校はどうしたんだよ」


「丸く切り取られて宙に浮いていたわ」


「天才は浮けるのか、流石だな」


「つねるわよ」


「……って言いながら足踏むのやめようぜ?」


 体重をかけてくるので結構痛い。まぁ、そのおかげで彼女と肩が触れ合うくらい距離が縮まったのだから僥倖というものか。

 

「俺も写真撮りたかったなぁ。あんな頑張ったのに」


「私だってあなたと撮りたかったわよ」


「――っ。よ、夜霧って結構ガツガツくるよな」


 一瞬呼吸が止まる。きっと俺は少女漫画の女の子のような顔をしているに違いない。

 こいつと会うたび心臓が悪くなっていく気がするな。


「当然じゃないの。私はあなたが好きなのだから。私が嘘つけないのくらい知っているでしょう」


「まぁ、そうだけど……」


 こんなセリフを恥ずかしがらずに言えてしまうこいつの胆力とはいったい。


「こんな美少女の告白を受けて返事をしないあなたのヘタレの方がよほど問題だと思うのだけど」


 チクリと棘を刺される。


「うっ――それは……あれだよ。夜霧がほんとに油絵が描けるようになったらってことで……」


 茶を濁す。ただ、言葉自体は嘘ではない。

 彼女の気持ちは嬉しいし俺だって――。しかし、ここで甘えた関係になってしまえばまた似たようなことが起きかねない。

 俺らのあるべきカタチは既に決まっている。ひとまず今はそれを固めていくために、交際関係といった決まった関係にしたくないのだ。


 チキンとかヘタレとかそういうのではない。そうじゃないから!


「あら、それなら条件クリアね」


 しかし、夜霧は俺の思考を読んでいたかのような余裕のある動作で、リビング奥の部屋を指さした。


「夜霧……まさか――」


「えぇ、ほんと自分の実力不足に嫌気が差すけれど……描けたわよ、私の青春」


 「こっちよ」夜霧はゆっくりと奥の部屋へ歩いていく。俺は胸を高鳴らせて、揺れるスカートについていく。


 そして扉が開かれる。

 油絵具のにおい。

 本当にモノ一つ無い空間にポツリと置かれたイーゼル。そこに掛けられたキャンバスに弾ける青い花弁は、今にもこちらに飛んできそうな立体感でもってこちらに迫る。


 ――青い春。俺たちはそのなかにいる。

 それは比喩ではなく、二人のこと。


「――少年を増やしたのか」


 俺が最後に見たときは、桜と一人の少女の絵画だったはずだが、今はその少女に手を伸ばす少年の後姿が描かれていた。


「えぇ。私の青春にあなたは不可欠でしょう?」


 彼女は頷く。そして俺を見つめる。


「そっか」


「……」


「……」


 それからしばらく、俺たちは無言で絵を眺めていた。

 言葉がなかったわけではない。ただ、それを伝えて言いものか悩んでいるのだ。そんな俺の逡巡を悟ってか、夜霧は俺の袖を引っ張り、


「感想はないのかしら」


 なんて期待に満ちた目で尋ねてきた。

 彼女は何を期待している。どんな言葉を待っている……?

 

 ……いや、こいつがお世辞を求めるわけなんてないよな。  


 目を覚ませ俺。彼女が期待しているのは上っ面な世辞ではなく、俺の感じたそのままの言葉だ。友人のお世辞よりきついものは無いからな。うん。

 足りないからこそ前へ進む。その不満足が、欲張りこそが創作家の本質だと言ったばかりなのに。

 俺は息を吸う。

 隣の彼女は唾を呑み込む。


「……全然足りてないよ。あの本物の青い桜ほどの迫力も刺激も無い」


 確かに素晴らしい絵ではある。出会った時よりも更に良いと感じる。

 でも、には程遠い。

 絵の中の二人の世界に俺たちは入り込めていない。


「そう――まぁ、覚悟はしてたわ。自分でもそう感じたし」


 夜霧は動揺する素振りも見せず、絵と相対していた。彼女の険しくも凛々しい横顔。その口角は微かに上がっていた。


「私の才能は一度枯れた。だからこそ、その灰で私はもっと育っていける。もっと上に行けると確信できる。出来ないことが多くて苦しいけれど、でも私は進んでいける。描き続けていられる」


 ――私は、絵が好きみたいだから。


 長いまつ毛に縁どられたその瞳はまるで玩具で遊ぶ子どものようにキラキラしていて、眩しくて、俺は目を逸らす。

 きっとこの先も、思ったように表現できずに苦しみ、他人の作品を見て己の非力さを恨み、正解のない道行みちゆきに死にたくなるくらいの不安を覚えるだろう。 

 それでも俺たちが折れることは無い。そんな負の感情でさえ俺らには愛おしく、それを乗り越えて作品を完成させる喜びと達成感を何よりも尊ぶから。


 彼女はその感情にようやく気付いたのだ。


「そりゃよかった。そうでなきゃ今までやってこれてないよな」


 夜霧は今まで気づいていなかっただけで、きっと彼女は絵が好きだったのだと思う。

 そうでなきゃ青春を捨ててまで絵を描けやしない。描かなければという義務感の発端は、絶対に自分の意志のはずだから。

 まぁ、結果的に同じなのだから別にいいか。


「……そうね。今ではあなたに振ってもらって正解だったと思えるわ。こんなんで満足して別の人生を歩んでいたとしても、絶対にどこかで悔いが残っていたでしょうね」


「お前のことだからな」


「心外だわ、そんな重い女だと思われてるなんて。よよよ」


「……」


 彼女が目に手を当ていかにもな泣き真似を披露する。

 いや、そんな『ぴえん』の五世代前くらいの表現されてもリアクションに困るのだが。

 と、俺が返しの言葉を探している間に彼女は何事もなかったかのように顔を上げ、


「ま、いいわ。とにかくこれで私たちの関係は解消ね」


 いつもの抑揚のない声でそう告げた。


「解消……そうなるのか」


 俺は大きく息を吐く。

 俺たちの関係は夜霧が青春を得る、というのを目標に始まった関係だ。その間に色々な――本当に大変なことがあったけど、出発点がそれである以上これまでの関係性が変わるのは当然のことだ。

 

「これからお互いに忙しくなる。あなたのために割ける時間は少なくなるだろうし、私のせいであなたの時間が削られるなんて私が許さない。だから……この関係は終わり。互いを見つめ合う時期はもう過ぎたのよ」


 彼女は俺を見ない。


 分かっていたことだ。

 彼女は世界的に活躍している画家。こんなことが無ければ会話する機会さえなかっただろう遠い存在。しかも彼女の告白を断わって前へ進めと言ったのは紛れもない俺、彼女の絵に――光に惹かれて話しかけたのも俺。

 最初は踏み台になるとまで言ったのだ。いつも俺は彼女の後ろにいた。俺の中ではずっとそうだった。夜中手を取り走り回った時だって、心中じゃ彼女の背中を軽く押している感じだった。

 そもそも俺がいなくても彼女は一人で立ち直れたとさえ思っている。もしかして今までの出来事は俺のマッチポンプなのではないかと。


 そんな俺に何も言う権利は無いのかもしれないけど。

 たとえ無駄な頑張りだったとしても、頑張ったことに変わりはないのだから。「一緒に苦しむ」と宣言したのだから。


 少しばかりのわがままは許してくれよ。


「――それでも、俺はお前と一緒に歩いていきたい。俺頑張るからさ、お前と同じ方向を見れるようになるから――せめて近くにいさせてくれないか」


 夜霧は俺のことを好きだと言ってくれていたけど。

 それ以上に俺は夜霧のことを大切に想っているんだぜ――とは流石に言えないが、これが俺の精いっぱいのお気持ち表明だ。

 顔が熱い。きっと耳の裏まで赤くなっているに違いない。

 夜霧はそんな情けない俺の姿を一瞥すると、


「随分と下手したてに出るのね」


 皮肉めいた言葉。


「俺からすれば夜霧はそれだけ先を歩いてるように見えてんだよ」


「あら、それは間違いよ」


「いやいや、俺はたった一冊しか出せてない底辺作家だし」


「はぁ……これだから草食系は」


 夜霧はわざとらしくため息をつく。

 言葉選びを間違えたかと、俺は彼女の顔色を伺うために振り向き――


 ――唇が重なっキスをされた。


 経験したことの無い――いや、幼いころ母さんとした記憶がいやでもこんな柔らかくなかったし急に心拍は上がるし呼吸が、動悸が!


 ふらつく俺から彼女が一歩退がる。


「……こうしてキスできるくらい近いじゃないの」


 女の子らしい優しい笑み。

 俺は彼女で塗りつぶされる。


「安心なさい。あなたは私と一緒に地獄をくのだから――ねっ?」


 彼女はそう言うと、追い打ちをするように俺の頬に、しっとりとした唇でもう一度口づけをした。

 童貞歴=年齢の俺がそんな刺激に耐えられるはずもなく――ここ三日間の寝不足も効いているのだろう――あえなくK.O。ふと意識が遠のく。

 

「――って、航君!?」


 白む視界に慌てふためく彼女が見える。こんな表情見たことないな――なんて思いながら、最後に視界に入った青い絵。


 イーゼルの上の青春。


 少女は悪戯っぽく笑っていた。




                            END.





 


 

 


 

 


 


 




 

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『青春欠乏症』と診断されました。余命はどうやら三年だそうです 麺田 トマト @tomato-menda

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