脱獄(最終話)


 フユさんが王家の使者に会いたがっていると伝えても、ブラックベリー所長は状況をうまく飲み込めないといった顔をしていた。


「どういうことかね、バートン君? 0番は待遇の改善でも望んでいるのか?」

「私にはよくわかりませんが、0番は王家からの条件を飲む、所長にそういえばわかると言っていました」

「なんだと!」


 興奮が所長の太った体を突き動かし、椅子から大きなお尻を上げさせていた。


「それは本当かね!?」

「はい。朝食を運んで行ったときにそう告げられました。何やら大切なことだったようなので、清掃業務を後回しにしてきましたが、まずかったでしょうか?」


 俺はとぼけてそう言っておいた。


「いや、おおいに結構だ、バートン君! そうか、良く知らせてくれた!」


 所長はベルを振ってミセス・アボットを呼んでいる。

すぐにドアが開き、取り澄ました顔の秘書が顔を出した。


「ミセス・アボット、私は王宮に行かなくてはならなくなった。すぐに準備を!」


 この分なら使者は遠からずやってくるだろう。


「自分の耳で0番に意志を確認したい。君も一緒に来てくれたまえ」


   ◇


 地下監房まで足を運び、フユさんの意志を確かめたブラックベリー所長はそのまま慌ただしく王宮へと出かけていった。


「どうやらバレなかったようだな」


 所長の気配が去ると、フユさんが音を鳴らしながら手枷を持ち上げた。

これはただの鉄で作らせた魔封錠のレプリカだ。

タングルタンのヤスリを手に入れてから、街の鍛冶師に大急ぎで作らせたものである。

金属の質感がぜんぜん違うのだが、何度も見ているはずのブラックベリー所長も気が付かなかったようだ。


 ただ、レプリカと言ってもつくりは重厚だ。

普通の人間なら、自力では決して外せるものではない。


「本当に大丈夫ですか? それをつけたままで」

「船石が埋め込まれた区域を抜ければ勇者としての力は戻るはずだよ。そうすればこの程度の拘束具を外すくらいわけはない」


 それでもやっぱり心配だった。

もし力が戻らないときは、フユさんは再び牢に戻されるかもしれない。

俺も脱獄を助けようとした罪で死刑、良くても監獄の中に放り込まれるのだ。

そうなればフユさんには二度と会えない。


「大丈夫だよ、狼殿。勇者の力が完全に戻らなくても私は戦える」

「ええ、私も全力で戦います」


 つまりそれは二人の死を意味する。

派遣されてくる近衛騎士は最強だろう。

フユさんの力が戻らないときはすべてが終わる。それでもフユさんのいない世界に未練はなかった。


「おいおい、暗い顔をしてるんじゃないぞ、二人とも。大丈夫だって、きっとうまくいく!」


 キンバリーが俺たちの上を飛び回り、元気に励ましてくれた。


「うん、キンさんの言うとおりだ」


 10センクルにも満たない小さなキンバリーの存在が、何よりも大きく俺たちを支えてくれていた。


   ◇


 その日、アルバン監獄の前に集まった近衛騎士は2000人。

名目上は演習ということになっているが、フユさんの護送のために、これだけの人数が集められたのだ。


 移動は目立たないように日が落ちてから開始されると聞いている。

真冬なので日が傾けば暗くなるのはあっという間だ。

もう間もなく動きがあるだろう。


 俺は落ち着かなく、監房の間を行き来している。

最後にフユさんの顔を見たのは朝食を運んだときだ。

そのときだってブラックベリー所長が一緒だったから、自由に話すこともできなかった。

俺の任務はそこで解かれ、以後フユさんには近づけなくなってしまったのだ。

 

 交代の時刻を告げる鐘が鳴った。

普段なら休憩室へ行くところだが、俺は自室に戻り腰に剣を挿した。

そしてそのまま通用門を通って表へと向かう。


「おや、ウルフ。この時間からお出かけかい?」


 顔見知りの門番が話しかけてきた。


「まあね……」

「ひどい顔色をしているけど大丈夫なのか?」

「ああ、外の空気を吸わなきゃおかしくなってしまいそうだよ。すこし羽を伸ばしてくる」

「ちがいねえ。カバント通りにできた新しい店がお勧めだぜ。リサって踊り子が最高でさ、そそる腰つきをしてるんだ」

「ははは、恋人が嫌がるからそこには行けないな」

「なんだ、さすがは監獄ウルフ様だな。ちゃーんと女がいるのかよ」

「まあね、最高の彼女だよ。世界中探したって、彼女以上の人はいないさ」

「ケッ、もげちまえよ!」


 門番は笑いながら毒つき、ゲートを開けてくれた。

俺は別れの一歩を踏み出す。

これでもう、二度とアルバン監獄へ戻ってくることはないだろう。

だが、それを惜しむ気持ちは一切湧きあがらなかった。


   ◇


 月が上り、小雪が舞いだした。

外気はグングンと下がり、風が吹くたびに刺すような痛みが頬を襲う。


「バートン」


襟元に隠れていたキンバリーが声をかけてきた。


「ああ、時間だ」


 アルバン監獄の正門が開き、一台の馬車が出てきた。

黒い車体には金でできた王家の紋章がつけられている。

おそらくフユさんはあそこにいる。

無事に特殊監房を抜けてきたのだろう。

騎士団に守られた馬車はビンツァー通りを西に、つまり王宮方面へと移動を開始した。


「えっ……?」


 俺はあっけに取られて馬車の行方を追う。

計画ではアルバン監獄から出た時点でフユさんが力を開放することになっている。

勇者の力さえ元に戻れば、敵が何人いようとも関係なく脱出できるとフユさんは言っていた。

ところが、馬車はすんなりと動き出してしまったのだ。

俺は馬車の先回りをするために細い裏路地を走った。


   ◇


 馬車のシートに座った相良布由は顔面を蒼白にしながら全身に汗をかいていた。

先ほどから体にほとんど力が入っていない。

それというのも彼女の正面に座っている人物が持つ、拳大の岩のせいだ。

布由の前に座っているのは宮廷魔術師長のモリス伯爵であり、彼が持つ岩は布由の力を奪う船石である。


「申し訳ございませんな、勇者様。けれども念には念を入れさせてもらいますよ」


 モリス伯爵は両手で船石を包み込むように握っている。

その手が1ミリでも近づくたびに、布由は気を失いそうなくらいの苦痛に襲われるのだ。


「私の予想以上に効果があるようですな」


 布由の苦しみを察してかモリス伯爵は少しだけ船石を遠ざけた。


「……」

「まあ、そう長くは苦しめませんよ。貴方には元気な子どもを産んでもらわなくてはなりませんからね」


 予定ではアルバン監獄を出た時点で魔封錠のレプリカを引きちぎって脱出するはずだった。

ところが、監房まで迎えに来たモリス伯爵が船石を持っていたので、計画を実行することができなくなってしまったのだ。


 このままでは自分は王宮まで連れていかれてしまうだろう。

ひょっとしたら、王太子は枕元に船石を置いたまま布由との初夜を済ませようとするかもしれない。

最悪の予感が布由を襲う。


「狼殿、助けて……」


 与えるだけの人生を歩み続けた布由が、生まれて初めて人に助けを求めた瞬間だった。

大きな音を立てて馬車の天井に何かが降り立った。


   ◇


 外階段のついたアパートがあったので、急いで駆け登り2階からフユさんの乗った馬車を観察した。

身体強化魔法を使えば視力も上がるので、窓から馬車の中の様子もかろうじてわかる。

フユさんは青い顔をして座席に座っていた。

アルバンから出てきたのなら、まずは一安心だ。


 だが、フユさんの前に座っている男が大きな石を持っている。

あれは特殊監房のあちらこちらに埋め込まれていたという船石か? 

それで、フユさんはまだ力を取り戻せていないのだろう。

だったら、あれを何とかするしかない。


 悠長に計画を立てている時間はなかった。

俺は外階段に繋がる通路を走りだす。

身体強化魔法が効いている今ならあそこまで飛び移れるはずだ。


「待っていろ、フユさん」


 手すりを踏み越えて、俺の体が月の夜を滑空していく。

目の前にフユさんがいる、そう考えるだけで恐怖はなくなった。


 雪で濡れていたので着地は失敗してしまったけど、なんとか馬車の上に降り立つことができた。

天井の縁に手をかけて、一回転しながら足で馬車の窓をぶち破る。


「焼き尽くす焔よ、我の願いを聞き入れことわりをむぐぐ……?」


 突然の闖入者ちんにゅうしゃを排除しようと男は魔法詠唱を始めたが、その口をキンバリーが両手で抑え込んでしまった。

身体強化魔法をつかったキンバリーは小さな巨人だ。

詠唱の邪魔くらいならわけもない。

俺は船石を奪い取り、男を馬車から放り出す。

そして、船石を闇に向かって頬り投げた。


「フユさん!」


 フユさんの顔色はまだ悪かったが、その瞳には生気がよみがえっていた。


「来てくれると信じてた」


 俺たちはしっかりと抱き合った。


「二人とも安心するのは早いぞ。まだ2000人の近衛騎士たちに囲まれているんだ!」


 キンバリーが焦った声を出したけど、フユさんは穏やかなほほえみを返している。


「キンさんも、狼殿もこちらへ」


 フユさんが俺とキンバリーに触れながら呪文を唱えると、それまで騒がしかった外の騒音が消えた。

世界が静寂に包まれている。


「これは……」

「どうなっているんだ? オイラ、夢をみているのか……?」


 時が止まっていた。

近衛騎士たちはこちらを見つめたまま動かない。

それどころか空を舞う雪までもが銀色に淡く輝きながら停止していた。


「さあ、いこうか」


 繋いだままの手から魔力が流れ込み、俺とフユさんはふわりと空中に浮かんだ。


「その……こんな力を持つ私は怖いか?」


 フユさんが怯えたように訊いてくる。

だから俺はフユさんを抱きしめ、そのままキスをした。

北風が冷たかったけど、流れに身をまかせればバジントンまで運んでくれそうだ。

だからもう少しこのままでいさせてほしい。

フユさんも同じ気持ちでいてくれるようだ。

フユさんの熱い唇は離れることなく、俺の背中に回した手はほどかれない。


「この二人にしちゃあ、上出来だな」


 陽気な妖精の声が凍える真冬の空に響いた。



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監獄・狼(かんごく・ウルフ) 長野文三郎 @bunzaburou

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