9-4


 クレイブ商会の荷馬車は三日後にやってきた。

実を言えば粉せっけんはしょっちゅう納品されるのだ。

というのもブラックベリー所長の強欲が原因で、所長は囚人を使って洗濯屋のサイドビジネスをしているのである。

人件費がかからないのだからいい儲けになっているらしい。

おかげでパルプアみたいな悪党が付け入るのだ。


 俺は体調不良を訴えて、今日の仕事を休んだ。

もちろんパルプアたちを監視して、タングルタンのヤスリを奪うためである。


 アルバン監獄にもたらされる物資は、厳重に警備された二つの門を通過して受け渡し所に入ってくる。

そこで荷馬車から降ろされた積み荷は、今度は囚人たちの手によって運ばれるのだ。

粉せっけんを運ぶのは洗濯場を取り仕切るプルプアたちのグループである。

監視しているのは同僚のエベントだが、奴はたっぷり賄賂をもらっているようで、チェックはほとんどしていなかった。

噂では最近になって若いエルフの愛人ができたようだ。

おそらくパルプアの息がかかった女なのだろう。


 エベントと下役のローンが洗濯室を立ち去ると、入り口をふさぐように屈強な男が二人出てきた。

こいつらは見張りだな。

他の囚人や看守がやってきたら妨害するように言われているに違いない。

俺は何気ない風を装って通路を歩く。

すでに身体強化魔法スクロールは発動済みだ。


 俺の姿を認めた見張りは大きな咳ばらいをした。


「どうした、風邪か?」


 中の奴らに合図をしたことはわかっていたが、素知らぬ顔で訊いてみた。


「まあ、最近寒いから……」


 男はごにょごにょと言い訳めいたことを言っている。


「ふーん……」


 プラプラと警棒をまわしながら、ただの巡回のように洗濯室に入った。

相変わらず湿気がひどくて薄暗い。

室内にはパルプアの他に四人の囚人がいた。

相手は合計六人か……。

少々人数が多いけどやるしかない。

このタイミングを逃せば摘発は難しくなる。

タングルタンのヤスリだって見つけるのが難しくなるだろう。


「これはウルフの旦那、巡回ですかい?」


 パルプアが緊張した様子で話しかけてきた。


「ああ、お前たちは何をしているんだ? 今日は洗濯業務なんてないだろう?」

「粉せっけんの納品があったんで、運び込んでいたところですよ。ついさっきまでエベントの旦那が監督してました」

「そうか。作業は終わっているようだな」

「へい、もう終わりです」


 積んである粉せっけんの袋を確認すると、袋の口が開けられていて、ほんの少しだが中身が床へこぼれていた。

薄暗い部屋の中でも黒い床に白い粉はよく目立つ。

パルプアたちはすでに持ち込まれたブツを回収しているのか? 

俺は大きく息を吸い込んだ。


「全員後ろを向いて壁に手をつけ!」

「何を言っているんで?」


 パルプアの顔に焦りが見える。


「お前たちの態度はどうにも怪しい。今から身体検査をする。言われた通り壁に手をつくんだ」


 手下たちはどうしたものかとおろおろしていたけど、パルプアだけはじっと俺から視線を離さなかった。


「俺たちが何をしたっていうんですか?」

「わかっているぞ。粉せっけんの袋にホワイトマジックを隠して、アルバン監獄に持ち込んでいるだろう?」


 あえてヤスリのことには触れないでおく。


「チッ、出口を塞げ!」


 パルプアの命令に弾かれたように見張りの二人が扉をしめた。


「どうする気だ?」

「もちろんてめえの口を塞ぐんだよ。みんな、やっちまえ!」


 パルプアは威勢よく命令したけど、仕掛けてくる囚人はいなかった。


「どうしたって言うんだよ? 相手は一人だぞ。監獄狼かなにか知らねえが、六人でボコればひとたまりもねえさ。やっちまえ!」


 視線を交わして頷きあった囚人が殺到してきたので、俺は身をかがめ、用意しておいた閃光フラッシュのマジックスクロールを発動させた。


「うぐあっ!?」

「目が……」


 日中の太陽よりも明るい白色の光が室内に広がり、前後左右にいた囚人の目を焼いていく。

非殺傷系ひさっしょうけいの魔法ながら威力は強烈で、囚人たちは木偶でくのように動けなくなっていた。


 心を鬼にしてパルプアたちを警棒で殴りつけて無力化していく。

懐を探って持ち物を調べると、ホワイトマジックの袋は部下が、タングルタンのヤスリはパルプア自身が持っていた。


 必要なものがそろったので、俺はおもいっきり警笛を鳴らした。

監獄内に響き渡る笛の音に看守や下役たちが走ってくる。


「なにがあった!?」


 声をかけてきたのはマシューだ。


「襲われかけたんだよ。こいつらこんなものを持っていたぜ」


 俺が指し示したのはテーブルの上に置いたホワイトマジックだ。

1キロくらいはあるだろう。

もちろんタングルタンのヤスリはポケットの中にしまってある。


「刑期が伸びそうだな、パルプア」

「……」


 声をかけてもパルプアは悔しそうに俺を睨みつけただけで、何も言わずに連行されていった。


   ◇


 一夜明けて、俺は緊張しながらフユさんの朝食を運んでいる。

フユさんには昨晩の内にタングルタンのヤスリを渡しておいた。

すぐに使ってみると言っていたから、少しくらいは削れているかもしれない。

期待に胸を膨らませながら奥へ進むと、汗だくのフユさんが笑っていた。


「えっ? お熱があるんですか?」


 フユさんの前髪がぺったりとおでこに張り付いている。

こんな姿を見るのは初めてだ。

だけど、フユさんは左手をヒラヒラ振って否定してみせる。

と、その左手に魔封錠はなかった。


「まさか……」

「ああ、一晩中頑張ってこちらは取れたぞ、狼殿」


 フユさんはとても誇らしげだ。

真冬の監獄だというのに、火照ほてったフユさんの頬は薔薇色ばらいろに輝いていた。


「一睡もしなかったのですか?」

「そうだ。だって、一刻も早くここから出たいから」

「そんな……、お体を壊したらどうするのですか?」

「壊さない。それにどうせ眠れない。興奮で目が冴えてちっとも寝付けないのだ」

「ですが――」

「魔封錠を外して、ここから出て、狼殿を抱きしめる。狼殿は私を抱きしめてくれるか?」


 フユさんの真摯しんしなまなざしを受け止めるのに精いっぱいで、とっさに言葉が出なかった。

俺だって今すぐにでもフユさんを抱きしめたい。


「私も同じ気持ちです」

「それを聞いて安心した」


 フユさんはタングルタンのヤスリを持って作業を再開し始めてしまう。


「ですが!」


 俺は思わず大きな声を出していた。


「……なに?」

「朝食は召し上がってください」

「う、うん……」

「近日中に魔封錠のレプリカもできます。そうなったらいよいよ脱獄を決行です。体力を落とさないようにしてください。風邪などひかないように汗も拭いてくださいね」

「わかった……」


 ずっと閉じ込められていたのだ。

少しくらい興奮しても仕方がないとは思う。

だけど、フユさんなら三日三晩寝ないで作業とかをしてしまいそうで怖くなる。

俺もフユさんもキンバリーも、脱獄にはベストの状態で臨まなくてはならないのだ。


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