9-3
空いている取調室に押し込むと、ガンツは怯えたように俺を見上げてきた。
「な、なんのようですか? ウルフの旦那。俺は悪いことはなんにも……」
ソワソワと落ち着かない態度が痛ましい。
ガンツはパルプアに脅されても、今のところはタングルタンのヤスリは渡せないと拒否しているそうだ。
だがそれも時間の問題ではないかとキンバリーは言っていた。
パルプアの追い込みは激しく、ガンツは神経をすり減らしているようだ。
「パルプアにタングルタンのヤスリを手に入れるように脅迫されているだろう?」
いきなり図星を指されて、ガンツはずんぐりとした体をヒッと硬直させた。
「どうしてそれを……」
「俺なりの情報網がある」
なにせ俺には凄腕の諜報部員がついているのだ。
「勘違いしないでください、ウルフの旦那。俺はいやだと断ったんだ! だけどパルプアの野郎が……」
「お前が頑張っているのは知っている。だが、限界なんじゃないのか?」
そう訊くと、ガンツの髭に涙がこぼれた。
「あいつら、俺に薬を飲ませようとするんだ。それに、妹を襲うって脅迫まで……。妹は来年に結婚が控えているっていうのによぉ、うぅっ……」
「パルプアの狙いはなんだ? 話してくれたら力になる」
それでもガンツはしばらく言い淀んでいたが、なんだかんだと言い聞かせると、ようやく覚悟を決めたようで、
「あいつは二か月後には北方の開拓地へ移されるだろう? そうなる前に魔封錠を何とかしたいみたいなんだ」
魔法が使えれば開拓地でも威張れるだろうし、隙をついて警備兵を倒し、脱走だってできるかもしれないというわけか。
「パルプアは魔封錠を外してレプリカをつけておくつもりらしい」
いつでも魔法が使えるように本物の魔封錠は外して、偽物をつけておくつもりだな。
「だけど、そんな頼みは受けられるわけがないだろう? バレたら俺は死刑になっちまう。もともと俺の刑期は三カ月だぜ。それなのに死罪だなんて、やってられるかよ! ウルフの旦那助けてください、この通りだ!」
ガンツは酒場で喧嘩をしたといっても、それは売られた喧嘩だったようだ。
たまたま相手が失明するほどの大怪我をしてしまい、過剰防衛で三カ月の入獄を食らっている。
だが、こいつは堅気の職人なのだ。
パルプアのような裏社会の人間に追い込みをかけられたらひとたまりもないに違いない。
「わかっている、力になるからもう泣くな。奴らはお前に何をさせようとしているんだ?」
「手紙で親父を説得して、監獄の外にいるクレイブって男にヤスリを渡すように言われている」
「クレイブっていうのは何者なんだ?」
「よく知らねえけど、そいつに渡せば監獄の中に届くっていう
方法はわからないが、クレイブとやらが外部の品物をアルバン内に運び込んでいるというわけか。
ひょっとするとパルプアたちが売り捌いているホワイトマジックもクレイブが運んでいるのかもしれないな。
そこまで聞いて、俺は考えていたことを実行に移すことにした。
なんの関係もないガンツを利用するようで気が引けたが、俺もフユさんも余裕のある立場ではないのだ。
「よし、よく聞けよ。お前はパルプアの言うことを聞くふりをするんだ」
「でもそれじゃあ……」
「安心しろ。奴が監獄にヤスリを持ち込んだ時点で再逮捕する。ガンツのことは絶対に言わないし、タングルタンのヤスリも俺が責任を持って実家に返しておくから」
「本当ですかい?」
返す前にフユさんの魔封錠を切らせてもらうけど……。
「たまたま見つかったことにするからガンツが裏切ったとは誰も思わないさ。これなら家族にも被害は及ばないだろう?」
ガンツはコクコクと頷いている。
「だが、実際のところどうなんだ。タングルタンのヤスリがあれば、本当に魔封錠は切れるのかい?」
「ああ、魔封錠ってのは魔法を無効化してしまうラグナム鉱って金属でできている。こいつはかなり硬いから、生半可なヤスリじゃあ傷もつけられない。だけどタングルタンの硬さはそれ以上だ」
それなら、フユさんの魔封錠も何とかなるかもしれない。
「よし、俺が届けてやるから、お前は父親に手紙を書け」
「手紙?」
「タングルタンのヤスリが必要だという手紙だよ。俺が持っていけば検閲は免れる。それに俺から家族に事情を説明できるだろう」
「でもよぉ……、あれをドワーフ以外の種族に渡すのは掟で禁じられているんだ。掟を破れば俺だけじゃない、家族や一族までつまはじきになっちまう。そうなれば、鍛冶職人として俺の家族は終わっちまう」
「安心しろ、パルプアに渡る前に俺が阻止してみせるから。パルプアには協力するふりをするんだ。そうすればお前に対する暴力はなくなるはずだ」
不安そうな顔をしながらもガンツは俺の提案を受け入れ、家族への手紙を書きだした。
◇
向かいの建物の陰に隠れて見張っていると、ガンツの父親は言われた通り一人でクレイブ商会へと入っていった。頑固で気性の荒そうな親父だったが、跡取りが薬漬けにされそうだと知ると、渋々ながらタングルタンのヤスリをクレイブのところへ持っていくことを承知してくれたのだ。
何かあれば姿を隠してついていったキンバリーが知らせてくる手はずになっている。いきなり殺されたりすることはないと思うが、身体強化と火炎魔法のスクロールを準備しながら、俺は成り行きを見守った。
クレイブ商会というのは割合と大きな商店で、表では荷物の積み下ろしをしている労働者が大勢働いていた。小売店ではなく卸問屋のようだ。荷車に乗せられているのは大きな袋だけど、中身まではわからない。どこかで聞いたことのある屋号の気はするのだが思い出すことはできなかった。
しばらく待っているとガンツの父親は無事に表に出てきた。顔は青ざめていたけど怪我などはしていなさそうだ。真っ直ぐに表通りに向かっているところを見ると、このまま帰るつもりなのだろう。どこで見られているかわからないので、接触はせずに見送ることにする。それよりも父親について建物の中に入っていったキンバリーが気になった。きっといろいろと調べて回ってくれているのだろう。
キンバリーが帰ってきたのは、それから30分後のことだった。
「バートン、ただいま。いろいろと分かったぞ」
「さすがは凄腕諜報員だ」
「こんな所じゃなんだから、暖かいところで休みながら話そう。オイラはすっかり体がひえきっちゃったよ。美味しいものが食べたいな」
マジックスクロールを売ったおかげで懐だけは温かい。俺たちは少し高給なカフェに移動して、じっくりと話しをすることにした。
帽子の中に隠れたキンバリーにローストビーフのサンドイッチを食べさせ、スプーンでミルクティーを飲ませてやると、ようやく人心地ついたようだった。
「ふぅー、満腹、満腹」
キンバリーはお腹を叩きながら満足げにげっぷをしている。
「そろそろいいだろう? クレイブという男がどんなだったか教えてくれよ」
キンバリーはよっこらせと帽子から出て、襟元の定位置に落ち着くと、すぐに話し始めた。
「クレイブはエルフだったよ。まっとうな商人のふりをしているけど、あれは裏社会の人間だね。なにせ、パルプアに薬を供給している張本人だ」
「なんだって! でも、どうやって?」
「連中が荷車に積んでいた袋の中身さ。あれは洗濯石鹸だよ」
「あっ!」
そこまで言われてようやく思い出した。クレイブ商会という名前に聞き覚えがある気がしていたけど、それはアルバン監獄に粉せっけんを納入している業者だったのだ。
「そういうことさ。連中は粉せっけんの中にいろんなものを隠してアルバン監獄へ持ち込んでいたんだよ」
袋はもちろんチェックされるだろうけど、その管理は杜撰だ。ひょっとしたら検査をする看守も買収か脅されているのかもしれない。そして、洗濯係を取り仕切っているのはパルプアのグループだ。奴らが薬を仕入れるには絶好の場所なのだろう。
ひょっとするとケッチはその関係に気がついて洗濯場で殺されたのかもしれない。ドラッグの利権をめぐって争ったのかもしれない。
「おい、バートン、クレイブたちが次にいつアルバンに荷物を運び込むかがわかれば、タングルタンのヤスリを奪えるかもしれないぞ」
「記録簿に載っているから調べるのはわけないさ。何としてでも手に入れないと……」
目の前にあるローストビーフサンドはとても美味しそうだったけど、これからの計画を考えるとうまく腹の底に落ちていかない。味もなんだかよく分からなかった。
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