9-2


 夕飯を持っていくと、フユさんは鉄格子の向こうから心配そうな視線を投げかけてきた。


「狼殿、ちゃんと寝ているのか? 目の下にクマができているのだが」


 実を言えば少し無理をし過ぎている。

フォスター男爵はあればあるだけマジックスクロールを買ってくれるというので、ついつい睡眠時間を削って作製していたのだ。


「欲をかいてしまいました。とりあえず100万ギールを目標にしていますので」


 フユさんは少し怒っているようだ。


「私は贅沢などできなくてもいい。狼殿がいてさえくれればそれでいいのだ」

「フユさん……」

「最初の取引で31万5千ギールを儲けたのだろう? あまり無理をしないでくれ、心配で私まで眠れなくなってしまう」


 フユさんは手を伸ばして俺の髪にそっと触れた。

一度手を繋いでからというもの、フユさんは俺が地下監房に行くと必ずスキンシップを求めてくる。

ずっとこんなところに一人でいたんだから、本人が自覚している以上に寂しかったのかもしれない。

フユさんのこれまでの孤独を思うと俺の胸も痛んだ。


「今夜は早く寝ることにします。だから安心してください」


 そう言って手を重ねると、フユさんはようやく柔らかいいつもの笑顔を見せてくれた。


「そうそう、以前にホビットの盗賊から聞いた話を思い出しました。ここからバジントンまで荷物の運搬船に乗せてもらえるんですよ。バジントンまで行けばサウスエンドの港まではすぐですから、外洋船にのって国外へ脱出できるはずです」

「ドルバン海峡を越えてフランセアか?」

「それもいいですね。国外に出ればそうやすやすと追手もこないでしょう」

「あとはこの魔封錠を何とかするだけか……」


 じゃらりと音を立ててフユさんが手枷を持ち上げる。

フォスター男爵から金を受け取った日にヤスリを買ってきたのだが、魔封錠に傷をつけることさえできなかった。

おそらく魔封錠はヤスリより硬い金属でできているのだろう。


「必ずこれを外す方法を探し出します」

「うん……、これまで人生に希望なんて何もなかったけど、今は狼殿と手を繋いで太陽の下を歩いてみたいのだ。……すまない、自分のことなのに、私にはできることがない」


 俯くフユさんの髪に、今度は俺がそっと触れた。


   ◇


 魔封錠を開錠するヒントを持ってきてくれたのはなんとキンバリーだった。


「てぇへんだ、てぇへんだぁ! バートン、さっさとここを開けてくれ!」


 集中してマジックスクロールを書いていたのだが、窓を叩くキンバリーに中断されてしまった。

気が付けばもう夜もだいぶ更けている。

自室の空気は冷たく、吐く息が白い。

俺は窓辺に行き、鍵を開けてキンバリーを室内に招き入れた。


「おいおい、こんな時間までどこへ行っていたんだい?」

「ひどいぞそれは! オイラにガンツを見張れって特別任務を与えたのはバートンだろう?」

「ごめん、ごめん。ひょっとして、ずっと見張っていたのか?」


 実を言うとマジックスクロールを書くことに気を取られ過ぎていて、キンバリーのことをすっかり忘れていたのだ。


「当り前だ! オイラは有能な諜報員だぞ。一度食らいついた獲物からは絶対に離れないのがモットーさ」


 偉そうにしているけど、設計図を探すという当初の目的はすっかり忘れているな……。


「それよりもバートン、奴らの狙いが分かったぞ」

「奴らって?」

「ガンツをいじめていたパルプアたちだよ。それに、こいつはフユさんやバートンにも関係のある話だと思う」


 キンバリーは興奮して口から泡を飛ばしていた。


「俺やフユさんに関係あるってどういうこと?」

「パルプアの目的は魔封錠を破ることなんだ!」


 それまでぼんやりしていた頭が一気にシャキッと覚醒した。


「魔封錠を破る? どうやって?」

「パルプアはそれをガンツにやらせようとしていたんだ」


 パルプアは火炎魔法が使えるので魔封錠をかけられている。

鍛冶職人であるドワーフのガンツを使えばそれを解除できると考えたようだ。


「そもそも魔封錠を外すなんてできるのかな?」

「えっとな、魔封錠ってのはやたらと硬い素材でできてるんだと。これはとっても硬いから、普通のヤスリじゃあ切ることは不可能だ」


 それは知っている。

俺もフユさんの魔封錠で試したけど、わずかに傷がついた程度だった。


「じゃあ、パルプアたちはどうするつもりなんだ?」

「それがさ、タングルタンとかいう金属でできたヤスリなら可能なんだって。もっとも、これはドワーフの秘術で作る金属で、一般にはぜんぜん流通していないんだってよ。ドワーフ以外には渡しちゃいけない、なんて掟まであるみたいなんだ」


 滅多に手に入らないドワーフの秘宝か……。

闇に閉ざされていた脱獄に希望の光が灯った気がした。


「ガンツはそれを手に入れるように脅されているんだな?」

「脅されているっていうか……」


 キンバリーの表情が暗くなった。


「どうした?」

「パルプアたちはガンツを薬漬けにして協力させようとしているみたいだ。用具置き場のときも、無理やりガンツにアヘンを飲ませようとしてたんだよ」


 アヘンのやり方はいろいろある。

タバコのように喫煙するのもあるし、飲み薬として使うこともあるのだ。

腸内で吸収される場合は喫煙よりも中毒性は低いとメフィスト先生は言っていたけど、それでも依存症になることは間違いない。


「どうする、バートン?」


 キンバリーが不安そうに俺を見つめている。


「どうするって?」

「このままいけば、ガンツはタングルタンのヤスリを手に入れるかもしれない……」

「いや、それはダメだ」


 いくらフユさんのためでもガンツを薬物中毒にするわけにはいかない。


「だよな!」


 キンバリーはホッとした顔を見せた。


「一度、ガンツと話し合ってみるしかないな……」


 ガンツを薬漬けにすることは避けるつもりだが、この状況を利用できなくはないだろか? 

俺としてはどうしてもタングルタンのヤスリを手に入れたいのだ。

テーブルの上には書きかけの治癒魔法のマジックスクロールが置いてある。

これは売り物だ。

だが、パルプアたちのことを考えると戦闘用のマジックスクロールも必要だろう。

フユさんには無理をしないと言ったけど、今夜も寝るのは遅くなりそうだった。


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