9.タングルタン 9-1


 キンバリーは毎日所長室へ出かけて行ったが、いまだに設計図を見つけられないでいた。

自称世界一の諜報員ちょうほういんなのだが、字が読めないという、諜報員としては致命的な欠陥があるからだろう。

それでもキンバリーはブラックベリー所長の動向を逐一ちくいち調べて報告してくれ、それがかなり役に立っていた。


「あのデブっちょは週明けに、フユさんを見にくるぜ」


 所長はたまに、思い出したかのようにフユさんの様子を探りに来る。

そんなときはいつものようにフユさんと話せなくなってしまうのだが、今のところこれと言って問題も起きていない。


「大丈夫、あいつはバートンとフユさんの仲には気づいていないよ。金儲けと秘書とのエッチで忙しい。所長は家庭には居場所がないみたいでさ、愚痴を言いながら秘書のおっぱいを吸っているんだぜ」

「そういう情報はいらないから……」

「でさ、おっぱいを吸われているときの秘書の冷めた目ったらないぜ。月に10万ギールのお手当てをもらっているみたいだけど、やっぱり愛情を金で買うのはできないんだな」


 ミセス・アボットは俺の5倍近くの給金をもらっているのか……。

それでも愛人稼業あいじんかぎょうは幸せではないのだろう。


 アキーム王子の視察に合わせて大量のアヘンが没収されたのだが、監獄内では新たな薬物が流行している。

ホワイトマジックと呼ばれるものだ。

医務室で試験管を覗いていたメフィスト先生はにんまりと笑いながら顔を上げた。


「どうやらアヘンを精製して作ったドラッグのようですね。いやあ、ヤクザ者もやるなぁ、こんなものを作り出すなんて」

「嬉しそうにしないでくださいよ。それより、どうなんですか、以前の物と比べて?」

「純度が上がっている分だけ効き目も強そうですね。試してみないとわかりませんが……」

「バカなことを言わないでください」


 メフィスト先生は本気だから始末が悪い。


 このドラッグはとある囚人から没収したものだが、これを売り捌いているのはどうやらパルプアのグループのようだ。

そう、ケッチ殺害の真犯人らしいあのエルフである。

最近になって一気に勢力を伸ばしてきたのだが、その裏にはホワイトマジックの存在があったようだ。

純度が高いということは、それだけ依存性も高いのだろう。


「所長に相談してまた摘発をした方がいいかもしれませんね」

「無理無理、下手につつけば看守の家族が狙われますよ」


 裏組織の怖いところはそれである。

監獄外にいる者が手をまわしてくるのだ。

もっとも俺は天涯孤独てんがいこどくの身の上だし、大切なのはフユさんだけだ。

どんな人間だってフユさんにだけは手出しができないので安心ではある。

でも、だからと言って組織壊滅のために働くわけにもいかない。

今は脱獄のことで手一杯だった。


「仕方がありませんね。とりあえずこれは所長に提出しておきます」


 ホワイトマジックの入った試験管を持ち上げると、メフィスト先生がひきつった笑顔で俺を見上げた。


「少しだけ置いていきませんか? 研究用に……」

「ダメです。先生はもう少しお体をいたわってください」

「その善意は苦痛でしかありません……」

「愛の鞭ですよ」


 医者の不養生ふようじょうなんて言うけど、メフィスト先生はその典型てんけいだった。


   ◇


 不穏ふおんな空気を感じて階段下の用具置き場を覗くと、数人の囚人がたむろしていた。

その中心にいたのは例のパルプアである。


「お前たち何をしている?」

「あぁ? 看守には関係ねえ話だよ」


 パルプアは看守など恐れるに値しないとばかりに俺を睨みつけてきたが、仲間の一人がすぐに止める。


「おいよせ、この人が監獄狼だ」


 俺のあだ名を聞いたパルプアの目がスッと細くなり、値踏ねぶみするような視線を投げかけてきた。


「はーん、旦那が噂のウルフ様ですかい? ケッチの野郎をダメにしたっていう」

「本当にダメにしたのはお前だって聞いたがな……」


 ケッチの殺害犯はお前だと突きつけると、パルプアの細い眼はさらに細くなったが、それは一瞬のことだった。


「さーて、何のことやらわかりませんが……」


 どうせ証拠はない。

この場で真相を追及する気はないし、したところで無意味だ。

それよりもこいつらは何をしていたかの方が気になる。

隠れてアヘンタバコを吸っていたのなら臭いで分かるが、どうもそんな様子はない。


 暗い部屋の中をよく見ると四人のエルフの後ろに怯えたようなドワーフがいた。

エルフたちは背が高かったし、その後ろにいるドワーフは背が低いのでわからなかったのだ。

ひょっとしていじめにでもあっていたのか?


「さあ、いつまでもここにいるな。自分たちの監房へ戻るんだ」


 囚人たちは無言で立ち去ろうとしたが、俺は最後に出ていこうとしたドワーフを呼び止めた。


「638番、話があるからここに残るんだ」


 呼ばれたドワーフは素直に従ったが、パルプアは少しだけ抵抗しようとする素振りをみせた。

もっとも仲間に止められて諦めたようだが……。


 俺にはおどしも賄賂わいろも効かないことはみんな知っているのだけど、入ってきたばかりのパルプアは、まだそこら辺の事情をよく把握していないようだった。


 パルプアたちの姿が見えなくなったところで、俺はドワーフに注目した。

638番はガンツという名前で、年齢は30歳くらい。

たしか、酒場の喧嘩で入獄した鍛冶職人だ。

ざっと見た感じではガンツに外傷はなさそうだから、暴力を受けていたわけではないようだ。

だが、やけに顔色が悪く、油汗もかいている。

何らかの脅迫を受けていたのかもしれない。


「ガンツ、何があった?」

「いえ、別に……」


 ガンツは視線を逸らして俺の方を見ようとしなかった。


「脅されているようなら言った方がいい。何とかしてやれるかもしれないぞ」

「そういうんじゃないんですよ、旦那。ちょっとした世間話みたいなもので……」


 何かを隠しているのは明らかだったけど、詮索せんさくしても打ち明けてはくれそうもない。


「もういってもいいですか? そろそろ集合の時間なので」

「わかった」


 ガンツは頭を下げて、そそくさと用具置き場から去っていった。

その後ろ姿を見ながら、襟の中に隠れていたキンバリーが顔を出す。


「あいつ、絶対に嘘をついているな」

「ああ」

「オイラが監視してやろうか?」

「そうしてもらうと助かるけど、所長室の方はもういいのか?」

「だってさぁ、資料は見つからないし、所長は変態だしもう嫌になっちまったよ」


 妖精は飽きっぽい性格をしていると言われている。

もう所長室を探るのはうんざりしているようだ。


「変態ってどういうこと?」

「あいつ、赤ちゃんごっこが好きなんだぜ」

「はっ?」

「いい年したオッサンが、『ママ、ママ』って叫びながらことに及ぶんだ。痛々しくて見ていられねーや」


 それは辛いものがあるな……。

これ以上キンバリーを所長室へ行かせるのは悪いことのような気がしてきた。


「その点、囚人の監視なら楽なもんだろう? まあ任せておいてくれ」

「わかった。よろしく頼むよ」

「へへ、超巨大要塞船に乗ったつもりで任せてくれ!」


 キンバリーは姿を消して638番の後を追っていった。

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