8-6


 指定された午前10時に館を訪ねると、フォスター男爵は眠そうな顔で俺と面会してくれた。

貴族というのは夜遅くまで遊び、朝は9時過ぎに起きるというのがデフォルトなのだ。


「コーヒーはどうかね?」


 勧められたコーヒーは最高級品で、これほど美味しいものを飲むのはサリバンズ家を追い出されて以来だった。

看守の休憩所で出されるものはほとんど味も香りもない。


「いい香りです、ワイア・コナですか?」

「ほう、さすがだな。これは少々惜しいことをした。やっぱりアルバン監獄へなどやらずに、当家の執事として雇うべきだったかな?」


 男爵の言葉はリップサービスだろうけど、俺は丁寧にお辞儀をしておいた。

なにせこれから始まるのは大切な商談だ。


「それで、今日はどういった用件かな。手紙では私にどうしても見てもらいたいものがあると書いてあったが?」


 俺は鞄からサンプルとなるマジックスクロールを取り出した。

大きさは手のひら大で、円柱状に加工した細い木片に巻き付けてある。


「本日持参したのはかなり貴重な品物です。もしご興味を持っていただけるようなら、買い取りを願いたいのです」

「ほう……」


 男爵はコーヒーカップを脇に置いてマジックスクロールを手に取った。


「慎重に扱ってください。それは初歩的な治癒魔法のマジックスクロールです」

「マジックスクロール? それはどういったものなのかね?」


 先ほどまで男爵の顔にあった眠たげな表情がなくなっている。

どうやらこれに興味を持ったようだ。


「マジックスクロールとはごく微量な魔力を流すだけで、魔法を発動することができるアイテムです」

「つまり魔法が使えない私でも、これさえあれば治癒魔法を使えるというのだね?」

「その通りです」

「ふむ……信じられん」


 男爵がそう考えても仕方がない。

この世界にはマジックスクロールなんて物はほとんど流通していないのだ。

調べたところ、極まれに古代遺跡から出土するようだが、市場に流れてくることはまずないそうだ。


「お屋敷に怪我人や病人はいませんか?」

「怪我人? そういえば女中がスープ鍋をひっくり返して火傷やけどをしたと聞いているが……」


 火傷は可哀そうだけど、俺にとっては都合がいい。まあ火傷を負った女中も、これで怪我が治るのなら喜んでくれるだろう。


「呼んでいただけますか? これが本物だということを証明いたしましょう」

「わかった」


 フォスター男爵は半信半疑はんしんはんぎながらきょうが乗ってきたようだ。

手元のベルを鳴らして使用人に指示を出していた。


「マジックスクロールは男爵がお使いください。もちろん火傷を負った女中が自分で使ってもいいですよ」

「本当に誰でも使えるというのだな」

「その通りです。必要な魔力は人間が感じ取れる量以下なのです。マジックスクロールに手を当てて念じれば発動します」

「よし、私がやってみよう」


 治癒魔法のマジックスクロールを男爵に渡して待っていると、中年の女中じょちゅうが連れてこられた。

何をされるかわからずに怯えているようだ。


「ミノア、ここにきて火傷を見せてみなさい」


 主人の命令に逆らえるはずもなく、ミノアと呼ばれた女中は恐々と包帯が巻かれた左腕を差し出した。


「バートン君、包帯は取った方がいいかね?」

「その方が傷の治りがよく見えると思います」

「ふむ。ミノア、包帯を取りなさい」


 俺はまごまごしている女中が包帯を外すのを手伝った。


「安心してください。これから治癒魔法で貴女の火傷を治すだけですから」


 そう声をかけるとミノアさんはたいそう驚いていた。


「そんな、もったいない……」


 治癒師に魔法をかけてもらうのは目玉が飛び出るほど高額なのだ。


「よい、今日は特別だ。それより、じっとしているのだぞ」


 フォスター男爵はマジックスクロールを手に持って火傷をじっと見つめた。

火傷は手首からひじの手前あたりまで広がっていて、見るからに痛々しい。

ミノアさんの目の下にはクマが出ているが、きっと痛みでよく眠れていないのだろう。


「魔法が発動すると対象を選択するように迫られます。そうしたら、ミノアさんの傷を選択してください」

「わかった」


 男爵が魔力を流し込むと、マジックスクロールに書かれた文字が青く輝き、魔法が発動した。

すると、赤くはれた火傷痕が徐々にピンク色の正常な肌へと変化してく。

今回書いたマジックスクロールは以前の物より効果が大きくなっている。

スクロール作りにも慣れてきたので、フユさんに頼んでグレードアップしたのだ。


 もしあのとき、このスクロールがあれば、ジェーンは命を落とさずに済んだのだろうか? 

俺は目の前で死んでいった、かつての同僚のことを思い出して悲しい気持ちになった。

だが、そんな悔恨の念は男爵とミノアさんの声でかき消された。


「おお! 本当に治癒魔法が……」

「ああ、旦那様、感謝いたします」


 ミノアさんは涙を浮かべて、フォスター男爵の前にひざまずいている。


「ミノア、痛みはないか?」

「はい、すっかり良くなったようです」


 ミノアさんが部屋から出て行った後もフォスター男爵の興奮は中々冷めなかった。


「これは実に素晴らしいぞ! まさか私が魔法を使えるようになるとは!」


 ひょっとしたら、フォスター男爵は魔法を使えないことにコンプレックスでもあったのかな? 

でも、これだけ喜んでいるのなら高値で買ってくれるかもしれない。

男爵はカップに残ったコーヒーを飲み干した。

少しだけ落ち着いた男爵が質問してくる。


「バートン君、君は一体どこでこれを手に入れたのだね?」

「私が作りました」

「君が?」


 嘘をついても調べられればすぐにばれてしまうだろう。

むしろ真実に嘘を混ぜる方がいいと判断した。


「はい。最近になってその能力に目覚めたのです」

「おいおい、とんでもない能力だぞ、これは」

「そうなのですが、書くのは非常に困難なので、二日に一枚が限度です。自分の魔力を込めなくてはならないので無理がきかないのですよ」

「なるほど、量産はできないのか……」


 男爵は俺の話を信じているようだ。


「それに、俺が知っているのは治癒魔法、水を作り出す魔法、マジックランプの三種類だけです。それでよければ男爵に買い取っていただきたく存じます」

「なぜ私に?」

「恩義がありますから。屋敷を追い出されて途方に暮れていた私にアルバンの仕事をくださいました」

「なるほど……」


 けっきょく、フォスター男爵は俺が持参したマジックスクロールをすべて買い取ってくれた。

内訳は治癒魔法10万ギール×3、水魔法1万ギール×1、マジックランプ5000ギール×1だった。

やっぱり治癒魔法がいちばんいい値段がついたな。


 それにしても総額31万5千ギールとは恐れ入った。

看守の年収を軽く超えてしまったよ。

フォスター男爵は今後もマジックスクロールを買い取ってくれるそうだ。

これで逃亡資金は楽にためることができそうだ。

あとは魔封錠を何とかするだけである。


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