最終回
翌日、レイチェルが目を覚ますと、ルーラの姿が消えていた。隣で一緒に眠っていたはずなのに、その痕跡もまるで残っていなかった。
名前を呼びながら家中を捜したが、彼女は現れない。どこかに出掛けたのだろうかと思ったが、これまでにルーラが何も言わずに出て行ったことは、一度たりとももなかった。
レイチェルは不安になった。何としてでもルーラを見つけ出さなければ――と気ばかりが焦った。もうルーラなしでは、どこにも行けないような気がしていた。
レイチェルは家を飛び出した。ルーラの姿を求めて、あちこちを駆けずり回った。
やがて足が痛み、靴の中で血が出てきたような感触があったが、レイチェルは気にしなかった。ただルーラを見つけたいという一心だった。
――何も成果がないまま、夕方になった。あたりが薄暗くなり、寒くなってきた。レイチェルはそれでも、ルーラを探すのをやめなかった。
「レイチェル!」
大声で呼びかけられて、レイチェルは身を固くした。ルーラと出会ったときと同じ、やはりひと気のない路地だった。
しかし向こうから駆けてきたのは――ラナだった。
「こんなところで何してるの! 急にいなくなって、どれだけ心配したと思ってるの?」
手首を強く掴まれた。レイチェルはひっ、と声を洩らした。
ぐいと引っ張られた。視界に飛び込んできたラナの顔は、最後に見たときよりますます黒ずんで、醜くなっていた。体じゅうを這い回る影の数も、濃さも、大きさも、ずっとずっと酷くなっていた。
レイチェルは呼吸するのも忘れた。もう、ラナの姿が化け物にしか見えなかった。
「放してよ! 近づかないで!」
振りほどこうともがいたが、ラナは握った手に力を込めて、レイチェルを解放してくれなかった。ラナは声を張った。
「こんなにぼろぼろになって――。あなたが墓場に通うのを見たっていう人が、何人もいたの。墓場よ! 分かる? レイチェル、あなた、悪いものに取り憑かれてるのよ」
嘘だ。嘘に決まっている。この女はいつだって、こうして嘘を吐くのだ。そして自分の気に入らないものを、わたしから遠ざけようとする。
取り憑かれている? 冗談じゃない。それはあなたのほうだ。おぞましい影を引き連れた化け物のくせに、なにを言うのだろう。美しいルーラのことを、この化け物が――。
レイチェルは怒りと恐怖にまかせて、ラナを突き飛ばした。彼女の黒い身体が、どしん、と音を立てて壁にぶつかった。一瞬だけ静寂があって、ラナは途端に支えを失ったように、ずるずると崩れ落ちた。その軌跡には、醜い汚れが残った。
荒く息を吐きながら、レイチェルはラナを見下ろした。力なく横たわり、ときどき身じろぎをするラナの様子を眺めていると、やがて、不思議なことが起こった。
ラナの身体に染みついていた影が、少しずつ薄くなっていくのだ。あれほどどす黒かった顔が、徐々にもとのラナのものに戻っていく。出会ったばかりの、美しかったころのラナに。
ああ、そうか、とレイチェルは思った。こういうことだったのか。
ラナの唇がかすかに動いて、なにかを言おうとしていた。耳を近づけた。
「助け……」
やはりそうだ。ラナは助けてほしがっている。ルーラの言葉が耳朶に甦った。
――あなたは取り憑かれた人たちの、救い主になるの。
ラナを、取り憑かれた哀れな女を救えるのは、自分だけなのだ。
そう確信すると、次第に、心が穏やかになっていくのが分かった。
いろいろと酷いことをされたはずだったが、レイチェルはもう、ラナのことを許していた。何としてでも助けなければ、という胸苦しささえ生じはじめた。
「いいよ、いま助ける」
言いながら、ラナににっこりと微笑みかけると、レイチェルは彼女の傍らに屈みこんで、その細く白くなった首筋に、ゆっくりと手を伸ばした。
取り憑かれた女 下村アンダーソン @simonmoulin
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