返答は一生分の後で

抹茶

結婚




 

 一面をおおう、白銀の色が闇色やみいろに溶けて消えてゆく……。

 吐き出した白い息が宙を舞い、月の明かりに消えてゆく……。


「こんばんは」


 彼女は、答えなかった。


 当然とわかりつつも、僕は少し苦く笑った。

 寒い寒い冬の、一大イベント。12月の24日の、その夜。僕はやっとの思いで覚悟を決めることができた。


 あいにく天気は猛吹雪だった。

 

 傘も無く、僕の左半身は吹きあたる雪で今にも白に染まってしまいそうだ。


「覚えてますか? 5年前のあの日、僕と君が、恋人になったあの日」


 僕は忘れるはずがない。

 中学生で初めて出会った僕と君が、10と少しの歳月を掛けて歩み寄った日々の、集大成だったから。


 変な幼馴染の関係だなと何度思ったことか。

 中学校から、高校大学と同じ場所に通い、そして同じ会社で働いた。僕と彼女はいつも一緒で、なんとアパートも隣同士だった。


 それなのに、僕と彼女の関係は幼馴染止まり。いや――


「あの日僕は言いました。『高校2年生の時から好きだった』と……。ホントはあれ、嘘です」


 小さく、微笑む。

 

 高校2年生にあった出来事は、ラブコメの世界みたいだった。

 彼女を好きな人が現れて、僕は自分の気持ちを伝えられないまま、少しずつ仲の良くなる2人に嫉妬して。


 不思議とそれでも、今はその日々が楽しかったと思えている。


「実は、中学1年生の、夏休み明けの日から、ずっと、君のことが好きでした」


 今度こそ、恥ずかしくて僕は少し顔を逸らした。

 彼女の方を向いているとむず痒さが出てきてしまうからだ。


 彼女は静かに、僕の独白を聞いてくれている。


「一緒に修学旅行でペアを組もうと言った時、雨の日に相合傘をしてもらった時、一緒にお弁当を食べて、一緒に登下校して…………僕は、日が経つ毎に君のことを好きになっていきました」


 暗がりを照らす僅かな月光が、降り積もる雪によって隠されていく。細い光の線が彼女に反射するのを見て、僕は一瞬、言葉に詰まった。

 

 体の震えは、寒さのせいだと思う。けれどきっと、それだけじゃないとわかっていた。


「この2年間、僕はずっと考えてきました。本当は、どうしたら良いのか。僕がどうすることが、君の幸せに繋がるのか」


――答えは、少し前にやっと出てきました。


 雪の中に霧散する言葉の、その一つ一つに熱が籠る。

 綺麗に舗装されていたタイルの道も、想いの込められた煙の姿も、もう見えなくなっていた。


 歴史的な大雪。そう――


「約束の、日でしたよね」


――『いつかきっと、私たちの人生に必ず残るような、特別な日に、聞けたら嬉しい』


 僕はその言葉を、忘れたことが無かった。

 それだけが、2年間僕が悩んでいた時間だったから。


「ちょっと、雪が強過ぎはしますけどね」


 そう言って、僕は小さくわらった。


 歴史に名が残る日だけれど、さすがに風邪を引いてしまうかもしれない。

 僕の恰好は有り体に言って防寒に適している訳ではない。


 寒さが冷たさになって、僕の足先から静かに、けれど確かに心臓に向かってきていた。

 温かさが、恋しかった……。


「さて、前置きが変に長引きましたね。こんな話、君は聞いても面白く無いですよね」


 だって、僕の独白だから。彼女はきっと、気付いていたから。

 5年前に僕の言葉から始まった彼女との時間は、言葉なんて無くても伝わるものがあった。


 僕は言ってもないのに、彼女が僕の好きな食べ物を知ってたのは、きっと中学生の時の調理実習で呟いたから。

 僕は教えてないのに、彼女が僕のはまっていたゲームの続きを買ってくれたのは、そのゲームを中学時代に友人と話していたから。


 何気ない日常の、何気ない彼女と繋がらない生活で、彼女は僕を見ていてくれた。

 彼女は僕を、知ろうとしてくれていた。考えていてくれていた。



 思い返すと、やっぱり目元が熱くなった。

 男が勇気を出したのだから、泣くべきでは無いと理解はしているけれど、彼女の姿を見ていられなかった。


「君の作る料理は、温かい……幸せの味がしました。君の掃除してくれた後の部屋は、温もりと……懐かしさを、感じました。君が……隣を歩く度に、僕は心が満たされました」


 寒く凍える雪の夜。僕は小さく告白を始めた。一言を重ねると、一粒頬を流れる雫を感じた。

 喉の奥が震える。声が、震える。体が、震えた。


 息を吸うことも、吐くことも出来なかった。喉の奥の、心臓だけが煩く鼓動している。


 やがて、小さく。僕は息を吸った。

 

「僕と…………結婚してください」





 取り出した指輪を、彼女の上に置く。

 あの日から、今日までずっと、これからもずっと、彼女はこの場所で眠っている。


 もう抑えることの出来なかった嗚咽が、我慢しようとする脳に反して、雪の中で舞った。地に零れた涙が、小さな結晶を作った。


 僕の言葉が、彼女に届いているかはわからない。


 2年前の、プロポーズをするはずだった日も、雪の降る日だった。けれどそれは、北国である故郷でも珍しい程の少量で、それが逆に歴史的だった。

 




――彼女は、車に轢かれて死んだ。


 引っ越してきたばかりの運転手は、少量の雪に油断して、透明な氷になった道路でスリップを起こし、ブレーキも間に合わず彼女に衝突したという。

 でも、そんなことはどうでもよかった。


 本当のことを話すと、2年前のあの日のプロポーズは、3回目の挑戦だった。それよりも前に2回、僕はプロポーズすると決心したのだ。

 なんてことはない、ただ僕がヘタレたという理由で、その2回は失敗していた。


 聡い彼女は、それも知ってて、困ったように笑いながら言った。


『待ってる』と。


 彼女の優しさに甘えて、彼女の温もりに溺れて、彼女の幸福に依存して……。


 僕は彼女との約束すら果たせなかったのだ――。


 今さら、どんなに勇気を出したって意味がないのに!

 今さら、自分に言い訳をしながら偽ったって意味がないのに!




 彼女はもう、答えてはくれないのだから。


 自らの驕りで、僕は彼女との約束だけでなく、人生に一度しかない機会すらも失ってしまったのだ。




 一面を覆う、白銀の色が闇色に溶けて消えてゆく。


 燦燦さんさんと照らす雪の輝きが、彼女の姿を優しく包んで僕の視界から遠ざけていく。


 答えは待っている。


 僕が君に逢いにゆく、一生を終えた先で、きっと‥‥………。

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返答は一生分の後で 抹茶 @bakauke16

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