丸山くん
「おはようございます、先生!」
「おう、おはよう!」
連休明けの月曜日、今日も生徒達は朝から元気だ。廊下ですれ違う度、俺にハツラツとした挨拶をしてくれる。この学校は明朗活発な生徒が多いことで近所からの評判も良いのだが、実際にこうやって接しているとそれがよく分かる。教師として、彼らを受け持つ事ができるのは本当に誇りだ。だからこそ、俺は生徒達の悩みをもっと的確に解決できるようになりたいのだが、まだまだ未熟な俺にはなかなか難しい。
「先生、おはようございます!」
「お、おう、おはよう桜木くん」
桜木くんは相変わらず周囲に筋肉を見せつけている。彼のストーカー問題は解決したが、逆に彼自身へ深刻な問題が生まれたような気が「……ん生! 先生!」
「ん? おっと、すまん。どうした、丸山くん」
俺としたことが、桜木くんに意識を取られて生徒からの声に気づいていなかった。
声を掛けてきたのは、俺のクラスで学級委員を務める丸山くんだ。日頃から進んで様々な行事に参加し、成績も優秀で難関大学への進学が期待されている真面目な生徒だ。
普段は模範生の如く常に笑顔を絶やさない彼だが、今日は表情に少し疲れが窺える。
「すいません先生、ちょっと相談したいことが……」
伏し目がちに丸山くんが呟いた。これはただ事じゃなさそうだぞ。俺で力になれるかは分からないが、まずは話を聞いてみるか。
「分かった、廊下で話すのはアレだから職員室に行こうか」
丸山くんを先導するように俺は職員室へ向かった。その最中も、時々振り返って彼の様子を見たが、彼が視線を上げることはなかった。
「さ、座って」
丸山くんを先に俺のデスクのイスへ座らせ、俺は隣の空きデスクのイスを持ってきて腰を落ち着けた。
「それで、相談っていうのは?」
「あの、僕が飼っているネコについてなんですけど……」
あれ、丸山くん自身についての悩みじゃないのか。彼がネコを飼っているのは知っていたが、一体何があったんだろう。
「今朝起きたら、そのネコ……レモンって名前なんですが、レモンの姿が見当たらなくて」
「えっ」
「どこかの窓から逃げたのかと思って落ち込んでいたら、母が玄関先でこんなメモを見つけたようで」
丸山くんがポケットから一枚の折りたたまれた紙を取り出し、それを開いて俺に差し出した。
これは……。
『ネコちゃんは俺が預かった。返して欲しければこの番号へ電話するのだ』
「な、ゆ、誘拐!?」
「そうなんです。確かにウチのネコはめちゃくちゃ可愛くて毛がモフモフしてて、お目々クリクリで鳴き声もすごくキュートで、たまに繰り出すネコパンチとかもう可愛すぎてキュン死にしそうなレベルで、あ、この前なんか猫じゃらしで『ふい~』って遊んでたら」
「分かった、可愛いのは分かった! でも今はそれどころじゃないよね!?」
教頭が筋肉について語った時並みに熱を帯び始めた丸山くんを落ち着かせ、俺は続けた。
「で、警察には相談したの?」
「いえ、母が大の警察嫌いなので相談してないです。あ、ちなみに母は父のことも大嫌いです」
「後者の話はあまり触れないようにしておくけど、そっか、でもこれは俺でも力になれるかどうか……。ちなみにこの番号にはもう電話してみた?」
「いえ、父の電話番号なので母がかけたがらないんです」
「なるほど、お父さんの電話番号……って、え、は?? じゃあ犯人は……」
「そうです、レモンを誘拐したのはおそらく父です。でも、母は警察も父も大嫌いで関わりたがらないから、それで先生に相談を」
はーこれまた厄介なことになったぞ。どうしよう、ひとまずこのメモに書かれた番号に電話しないと何も始まらないと思うが、はっきり言って面倒くさいことに巻き込まれそうなので気が進まない。
「本当は僕が電話するべきだと分かってはいるのですが、やっぱり僕のせいでレモンに何かあったらと考えると不安で……。先生、お願いします……!」
丸山くんが声を震わせながら頭を下げた。
……くそ、生徒がここまで苦しんでいるのに俺は見放そうとしているのか。そんなんで何が教師だ。生徒のために全力を尽くす。それが、本物の教師だろうが!
……よし。
「丸山くん、俺『私に任せてください!』に……ん?」
俺の言葉を遮った声の主は、俺達のすぐ隣に立っていた。
「す、ストーカー!?」
「だから違うもん! 筋肉見てただけだもん!」
「き、教頭先生! ストーカーって……?」
そうか、丸山くんは桜木くんの件を知らないんだったな。
「あ、丸山くん、この人A組の桜木くんをつけ回して」
「せんっせーい!! 今はそれどころじゃないでしょう! 生徒が! 困っているんです! 我々はできる限りのことをしなければ!」
「彼の筋肉をジッと舐め回すように見てたド変態なんだよ」
「鬼ですか貴方は」
丸山くんの軽蔑の視線が教頭に突き刺さる。
「ゲホン、とにかく! 今回の事態、話は聞かせて頂きました。丸山くんの事情もよく分かりました。私が、この番号に電話してみましょう」
「「えー」」
「そこでハモるのおかしいですからね? 私はせっかく力になろうとしているのに」
まあ確かにこの人は変態で桜木くんを苦しめたが、それも純粋な筋肉への興味が行き過ぎてのこと。
生徒を思う気持ちはきっと本物だろうし、何よりこういう時は俺よりも人生経験の豊富な人に頼るべきなのかもしれない。
「分かりました。教頭、よろしくお願いします」
「ええ。では早速かけてみますか。邪魔が入らないように私の部屋へ行きましょう」
教頭に促され、俺と丸山くんは職員室から続く教頭室へ入った。
「へー、かなり綺麗に整理されていますね」
「生徒を育てる立場ですからね。教頭という責任ある役職ですし、まずは私自身がしっかりしないと」
「説得力ねーな」
「先生?」
しまった、心の声が漏れてしまった。
「まあいいでしょう。では、かけますよ。スピーカーモードにしておきます」
「お願いします」
教頭が受話器を取り、メモに書かれた番号に電話をかけた。
『も、もしもし?』
野太いが、かなり震えた声が聞こえてきた。丸山くんに「お父さんか?」と口の動きだけで確認する。彼はゆっくりと頷いた。
その様子を見た教頭が、続いて声を発した。
「もしもし、丸山くんのお父さんですか?」
『だ、誰だお前は!』
「私は息子さんが通う学校で教頭を務めている者です」
『お、お世話になっております』
あ、このお父さんも根は真面目な人なんだろうな。
「ネコちゃんを誘拐したのはあなたですか?」
『ゆ、誘拐じゃない! ちょっと預かってるだけだ! そもそも俺が買ったネコなんだぞ!』
「そうですか。では、あなたの望みは何ですか? なぜこのようなことを?」
淡々と問いかけていく教頭。あれ、この変態なんか格好いいぞ。
『うるせえ、お前には関係ないだろ! 息子は?
「先に私の質問に答えなさい。話はそれからです」
うおぉ、めっちゃクールじゃん教頭。ちょっとだけ見直したよ。
『クソ、俺は悪くないんだ。嫁も息子も、俺を無視してネコばっかりに構いやがって。こっちは汗水垂らして働いてるのに!』
「ふむ。なるほど、ネコちゃんへの嫉妬ですか」
そういうことか。自分を気にかけてくれない家族への腹いせに、ネコを連れ去ったと。まったく、いい年して何やってんだか。
「このバカ者が! それが一家の柱であるべき父親の姿か! 家族の問題はきちんと家族で話をして解決しなさい! ネコちゃんに罪は無いだろう!」
『くっ……。俺は、俺は……!』
「父さん」
教頭とお父さんのやり取りを沈黙して聞いていた丸山くんが、ついに口を開いた。
「ごめん、無視するつもりは無かったんだ。けど、最近の父さんは仕事の話ばっかりで、僕や母さんの話を全然聞いてくれなかったから……」
『翔……』
しばらくの静寂の後で、教頭が諭すように言った。
「お父さん、どこの家族にもすれ違いはあります。これを良い機会だと思って、ちゃんと家族で話し合いなさい。私も一家の主だ、苦しい時はいつでも相談に乗りますよ」
『き、教頭先生……』
え、この人本当にあのストーカー? 俺今結構ウルッてきたよ。
『……俺は、なんて恥ずかしいことを……。すまん翔、すぐにネコを連れて帰る』
「うん、僕も謝らないと。今夜一緒に話そう」
『ああ、そうだな。教頭先生、本当にご迷惑をおかけしました……』
「いえ、分かって頂けて何よりです。それでは」
通話を終えて、教頭がニコリと俺達に微笑む。誰だこのイケメン。
「教頭、見直しましたよ! ただの筋肉好きなド変態じゃなかったんですね!」
「教頭先生、本当にありがとうございました! 桜木くんの件は聞かなかったことにしておきます!」
「え、ええ。そうしてください。さあさあ、もうすぐホームルームの時間ですよ。早く教室に行かないと」
「はい! 失礼します」
教頭と俺にそれぞれ一礼して、丸山くんは部屋を出て行った。
今回は完全に教頭に助けられたな。多分、俺にはあんな毅然とした諭し方はできなかっただろう。
「さ、先生も早く教室へ」
「はい、では失礼します」
教室へ向かう道すがら、俺は考えた。やはり俺はまだまだ未熟だ。生徒からの相談というものに苦手意識を持ってやってきたが、教師として生徒達を導く以上、このままじゃいけない。
まさか、あの教頭に教師としての在り方を見せつけられるとは。
「……よし!」
いつも以上に気持ちが引き締まった、月曜日の朝だった。
教師だけど相談とかマジ勘弁。 宜野座 @ginoza
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