てん☆じん

夏屋なつ

1章 天候擬神

第1話 幼馴染雷雨

 夏の終わりを知らせるように、地上に降り注ぐ強雨や、鳴り響く雷鳴の回数も少なくなり始めた頃。

 晴れ晴れとした青空の下、学生服に身を包んだ若者達が小路を行き交う影よりも上。とある雑居ビルの屋上に、四つの人影があった。


 「……でさ」

 「……へぇ、やるじゃない」


 貯水タンク付近。身を寄せ合い、こそこそと密談しているのは、ぴょんとしたアンテナっ毛が目立つ赤毛の小柄な少年と、艶やかな長髪が美しいスレンダーな女性。

 そんな二人の表情は、にやにや、にこにこ。しかし、笑顔であるのに穏やかさが感じられない。まるで、徐々に近付いてくる曇天を見ているよう。

 意味ありげな笑顔で仲良さ気に密談している二人を、少し離れた場所から不安そうに見つめていた小柄な少女と、上背のあるサングラスをかけた少年は、タイミングを合わせたように困った面持ちで深い溜息を吐き出した。


 「……生き生きしていらっしゃいますね……あの二人」

 「……ああ。レイの笑顔が、とてつもなく胡散臭い」

 「ライ君の笑顔も、とてつもなく悪そうな笑顔です」


 不安気な視線の先では、“生き生きとしていて、胡散臭くて、悪そうな笑顔”の少年と女性が【雷雨】について熱心に語っている。


 「やっぱ、狙い目は夜だと思うんだよな。暗いから稲妻がハッキリ見えるし、音もよく響くじゃん? 人気ひとけも昼間より少ないから、安全面もバッチリじゃね?」

 「そうねぇ……。まぁ、現代人のタイムスケジュールは日々変化してるからアレだけどね。でも、朝方なんかもいいんじゃない? 白んだ空に稲光……ここは豪雨じゃ駄目。音のないような雨の中、カッと光る一筋の閃光。ほら、ね? これもまた雷雨の美じゃない?」

 「お、おぉ……!  流石、レイ姉! レイ姉は雷に理解ある!  最近の雷は風情がないって言われがちだけど、あの綺麗さと豪快さをちゃんとわかってくれてるよなぁ!」

 「当たり前じゃない。何年あんた達と組んでると思ってるのよ、ライ」

 「俺、レイ姉と組めてマジ良かった~!」


 小柄な赤毛の少年ことライは、感動を覚えたような表情で、艶やかな髪を靡かせるレイを見上げた。

 ライの方は十代半ばより少し下くらい。レイの方は十代後半か二十代前半の印象を受ける為、何も知らない者が見れば仲のいい姉弟にも見えるかもしれない。

 だが、ライとレイをよく知る者から見れば、あれはそんな微笑ましい光景ではない。にしか見えないのである。


 「あの二人……また、仕事をダシにして、余計な事を考えてる気がする」

 「今日は関東方面に雨雲と雷雲のタマゴを設置するだけのお仕事なのに……」


 上背のある少年は呆れたように呟いて、目元を覆っているサングラスを左手で押し上げる。

 一方、その隣に佇んでいる小柄な少女は、髪に刺した髪飾りを揺らすようにして項垂れた。

 すると、そんな二人の声が聞こえたのか。ふと、密談を交わしていたライとレイが、声の方へと視線を向けて口を開いた。


 「なーに? アズマ。 何か、言いたそうね」

 「なんで、俺名指しなんだ!」


 じと目でレイに睨まれ、“アズマ”と呼ばれた上背のある少年は、金色のポニーテールを揺らしながら、思わず抗議の声を上げる。


 「しらばっくれるんじゃないわよ。さっきから、こそこそこそこそ……ウルルと話してたじゃない。どうせ、「ロクでもないこと考えてるぞ、あいつら」的なことでも言ってたんでしょ?」

 「だ、だから、なんで俺限定なんだ!」

 「ウルルがそんな陰湿な言葉、使うわけないから。ねぇ、ウルル」


 そう言って、レイは小柄な少女__花をモチーフにした髪飾りがよく似合うウルルを麗しい笑顔で見やった。


 「え、えーと……」

 「お前。さては、俺に対してはなんか言ってやがったな」


 困ったような苦笑いを浮かべていたウルルに、今度はじと目のライが口を開く。そんなライの視線とツッコミに対し、ウルルは慌てて反応する。


 「い、言ってません! ただ、不安になってただけです!」

 「不安?」

 「ライ君がまた派手な悪戯をして、神様にお説教をされるような事にならないか、です!」


 ウルルの言葉に、ライは赤点のテストが母親に見つかった子供のように、思い切り顔を顰めた。


 「忘れたとは言わせませんよ! この間もお仕事が終わった後、勝手に能力を使って雷を発生させて、五時間もお説教されたでしょう!」

 「私利私欲に使ってねーし! ほっといたら、雷雲になるかもなーくらいの積乱雲の膿み出ししただけだし! あと、集落関係には落としてねぇし! それに、下界じゃ雷が鳴ると豊作になるって言うから、時期的に鳴らしたら喜んでくれっかなって__」

 「そう言うことは雨乞い申請が来てからでも充分です! 業務上過失でも起こしたら、どうするんですか!」

 「そこのラインは見極めてらぁ!」

 「そうよね。その辺りの見極めが甘いのは、アズマよね」

 「うぐっ!」


 突然レイが立てた言葉の矢に、アズマが思い切り身体を揺らす。

 黒いTシャツの胸元をぐしゃりと掴み、サングラス越しに“めちゃくちゃ動揺してます”の顔。そんなアズマの様子に、ライとウルルはハッとなると。


 「うっわっ! 兄ちゃん! 大丈夫か!?」

 「あ、あああアズマさん! あ、あの! 私、別に雷の能力が悪いとか、そういう事を言ったわけではなくて……!」

 「気にしなくていいのよ、ウルル。別にウルルの言葉でショック受けてるわけじゃないから」


 とは笑顔のレイ。しかし、当のアズマは、


 「…………やっぱ……雷って嫌われものだよな……危ないこと多いし……災厄の一種だとか言われてるし……。いやまぁ、俺自身が気を付けていればいいんだけど……あ、いや、でも……」


 屋上の扉__の隣の壁に向かって、何やらブツブツと独り言を唱えていた。

 金髪頭にサングラス、おまけにその下に見える大きな頬の傷。一見すると、所謂“強面”の印象があるアズマだが、その内面は実に心優しく繊細な少年だった。

 それをよく知る三人は肩を竦めたり、しどろもどろとしたり、呆れたりとそれぞれ反応する。


 「ホンット、いちいち面倒臭い男ねー」


 呆れた反応を返したレイが腰に両手を当て、溜息をこぼした。


 「あんたねぇ……雷の擬人として生まれて十七年、雷の天神としても三年経ってるんでしょうが。いい加減、自分と自分の仕事に自信持ちなさいよ。あと、仕事終わる度にニュースチェックするのもやめたら? 気が滅入るわよ」

 「俺はお前と違って、大雑把に物を考えられないんだ……周りの目が気になって仕方ない。て言うか、そもそもお前が人のメンタル崩しにきてるんじゃないか」

 「失礼ね。ライとウルルが飴を与えてくれるから、私は鞭を振るってるだけ。 大体、私は自分に仕事を任されるだけの技量があることを理解していて、それに対する自信をちゃんと持っているだけよ。神経が図太い女みたいに言わないでくれる?」

 「……だから、俺とお前は違うって言ってるだろ。ほっといてくれ……」

 「だーかーら、やる事ちゃんとやってるんだから、ちったぁ自信持ちなさいって言ってるのよ。アズマ如きが、一々うじうじしてる方が周りは気にするわ。昔っから変わんないわねー、あんた」

 「ごっ、如き……」


 レイの声に、思わず顔を壁から離すアズマ。

 振り返って、何か言い返そうと口を開きかけるも、何故か途中で火が消えてしまったように口を噤んだ。


 「ったく、言い返すくらいして見せなさいよ。その辺、ライの方がよっぽど男らしいわ」

 「……ほっといてくれ」


 深い溜息をこぼして、アズマはレイから視線を外す。

 何を言っても口で彼女に勝てる気がしないのだろう。その横顔からは、齢十七歳とは思えぬ哀愁が漂っていた。

 レイは、軽い溜息をこぼしてから、背後にいたライとウルルに向かって笑みを向ける。


 「まぁいいわ。とりあえず、今日の仕事を片付けましょ。アズマは放っておいて」

 「いや、レイ姉。それはどうかと」


 とはライ。


 「そ、そうですよ、レイさん。今日は雷雲のタマゴも設置するんですよね?」


 少々不安そうな表情でウルルが言う。

 レイは感心したような顔で小柄な二人の頭を撫でてやりつつ、


 「いい子ねぇ、あんた達。ヘタレで見た目詐欺にも程がある、超ナイーブな年上同僚のフォローまでしてくれるんだから」

 「ぐっ!」


 未だメンタルダメージを負っていたアズマに、トドメの一撃を刺した。


 「よっ、と」


 小気味いい音を鳴らして、ライは顔の前で勢いよく両手を合わせる。

 そして、徐に合わせたてのひらを離していくと、何かが弾けるような音と共に放電現象が発生し、ライはそこに向けて息を吹き込む。

 すると、放電帯を抜けたライの吐息は、瞬く間に煙となり畳一畳分ほどの雲となった。時折ゴロゴロと唸るそれは、“雷雲”と呼ばれるものである。

 ライは“創り出した”それに乗ると、ウルルも追うようにその後ろに乗り込み、不安気に眉を八の字にした。


 「……う、うぅ……」


 顔色のよろしくないウルルが、無意識に目の前に見えたライの真っ赤な上着の裾を掴む。

 ライは、またかと言わんばかりに息をついて振り返ると。


 「お前なぁ……いい加減、慣れろよ。雷雲での移動」


 呆れた口振りでそう言えば、ウルルはくわっと言い返す。


 「怖いものは怖いんです!」

 「……あ、そう」


 半泣き顔で言われたところで、怒り口調の効果も半減すると言うもの。

 ライは皺が残りそうなくらいに掴まれたままの上着をそのままに、目的地である栃木方面へと雷雲を進ませる。

 一方、ライとウルルを乗せた雷雲を見送りつつ、手の平で吐息を滑らせるようにして“雨雲”を創り出したレイは、それに乗り込みつつ、背後に感じた気配に向かって、淡々と言葉を投げた。


 「アズマ。その体育座り、いい加減にやめてくれないかしら。思わず乗雲拒否じょううんきょひしそうだわ」

 「……お前、俺の事嫌いだろ」

 「嫌いとはまた違うわよ。どっちかって言うと、出来の悪い弟を見てる感じ」


 レイの所作で動き出した雨雲の浮遊感を感じつつ「大して年齢とし、変わらないじゃないか」とアズマは心の中でぼやく。

 どうせ、何か言い返しても五倍十倍になって返ってくるのだ。無駄にアズマのガラスのハートに、傷を増やしたくはない。


 「それにしても、いつ下りてきても下界はいいわねー。面白そうなものも沢山あるし。人間を観察するのも楽しいわ。仕事終わりに、渋谷で買い物して行こうかしら」


 しとしとと雨粒を地上に落としつつ、埼玉方面へ向かっていく雨雲。

 レイはそれを確認しつつ、腰に巻き付けていたウエストポーチから、スコープを取り出し、雲の下を覗き見る。色とりどりの幾つも開いた傘が花のように見えた。

 そんな光景を楽しげに眺めていれば、雨雲の上で体育座りをしていたアズマが小さな溜息交じりに言葉をこぼす。


 「そりゃあ、俺達の住む天界のになってる下界は、親近感も沸くし、面白く見えるだろうさ。けど、俺達は下界の人間にとっては異分子だ」


 体育座りをしたまま、ぽつりと呟いたアズマに、レイは意外そうな口振りで言った。


 「能力さえ人目に付くところで使わなければ、どう見ても私達は“人”よ。誰が私達を異分子だなんて決めつけるって言うの」


 湿気を含んだ風に靡く艶やかなレイの髪が、サングラス越しにアズマの三白眼に映る。アズマは、思わず諦念の吐息をもらした。


 「……早く家に帰って、コーヒーが飲みたい」



***



 並行世界。それは、“自分”が実体験している現実とは、別に在る現実。

 例えばそれは、天国や地獄と言った名前の世界であったり。漫画や小説、アニメの世界のことを示すものかもしれない。

 例えばそれは、今の“自分”が選び取らなかった、もう一つの人生のことを示すのかもしれない。

 例えばそれは、この地球上に在る“日本”と呼ばれる島国の遙か上空にもう一つ、“人類に近い生きもの達が存在する国”が在ることを言うのかもしれない。


 その国の名は“天界”と言った。人間が言うところの“神”と呼ばれる人物が創造した、“空に浮かぶ島国”である。

 神は古来より、人間の住む“下界”を甚く愛していた。そして、“国”や“命”を創り上げる力を具えていた。


 ある時代——多くの災害を目の当たりにした神は、何処かの未来に繋がっているかもしれない終末危機ハルマゲドンを危惧し、ふと思い立った。


 ——己の愛する人間が、自ら滅びの未来を選び取らぬよう、“自然界の調整役”を創ってやろう——。


 神は自身の持つ創造の力で、“日本”の上空に一つの“島国”を創った。そして、支配下にあった“地水火風”から、まずは四種の命を創りだしたのである。

 久遠のような時間をかけ、四種だった命はやがて、“気象の子”として八種にまで増えた。


 __雷・雨・雲・風・晴天・雪・台風・霧。


 姿形は人の子と何ら変わりない。ただ、生まれた気象の子らは、生まれつきそれぞれ地水火風を元とした力——“天候の力”を扱う事が出来た。

 例えば、雷の子ならば、その身一つで雷雲を創り出し、いかづちを起こせると言った具合である。

 神は、そんな彼等をこう名付けた。天候を司る人の模った者__天候擬人と。

 そして、その天候擬人を総べる頂点に立つ擬人、“天候擬神”。通称、“天神てんじん”と呼ばれる擬人が生まれたのは、今から百年ほど前の事。

 幾度も生まれ、語り継がれていった“天神”の今は____。


 「そーーー…………らっ……よっ!」

 「きゃあああ! ライ君! デリケートな雷雲のタマゴを、そんな風に投げ飛ばさないでください! 割れたらどうするんですかっ!」

 「割れなきゃ、どうにもなんねんぇだろうが」


 赤毛の少年ライ。並行世界・天界で生まれ、“雷の天神”として存在する天候擬神の一人である。

 その隣でライの行動にハラハラとした声を上げているウルルも、同じく天界生まれの“雨の天神”として存在している天候擬神。

 そして現在、この下界の埼玉方面で、ライ達と同様に薄いプラスチックの球体を打ち上げているアズマとレイもまた、天界生まれの天神。アズマは“雷の天神”、レイは“雨の天神”として存在している。

 天神は下界の天候を調整する重要な擬人。一種の“神”と言ってもいい。故に、天神は“天候擬神”と神の名を名乗ることを許されていた。

 天神の御役目は下界の天候を調整する事。気象の能力を司る彼等は、神が愛する下界の平衡バランスを取る為に、地表に影響をもたらす大気に干渉しているのである。


 「しかし、あれだな。何回やっても、原理がわかんねぇんだけど……このカプセルにちょっと力込めるだけで、勝手に雷雲に育つっつーのは便利だよな」


 薄いプラスチック製の透明な球体を、ライが両手で包めば、空っぽの球体の中で小さな発光が起こり始めた。


 「最近は専ら、このタマゴを設置するだけのお仕事が多いですよね」


 ウルルも同様に球体を両手で積み込む。すると、球体の中で薄灰色の靄が渦巻き始め、球体の内側に水滴が付いていく。


 「楽だけど、つまらん。やっぱ、雷ならドカンと一発っつーか、夏の夕立みたいなのが理想じゃねぇ?」

 「やめてください。ライ君が言うと、冗談に聞こえません。いいじゃないですか。それだけ、大気の状態が安定してきてるんですから」

 「けどさぁ……お?」


 ぼやいた声に対し、ぴしゃりと反論したウルルに、ライが不満げに眉根を寄せた時だった。

 ライの腰元に引っかけていたウエストポーチから、ピーピーと電子音が飛んだ。


 「通信ですか?」

 「おー。兄ちゃん達も、タマゴ設置終わったんじゃねぇか」


 言いつつ、ライはポーチを開き、そこから天神に支給されている小型通信端末“スマフォン”を手にし、通話の表示に指を置くと。


 『__ライ?』

 「兄ちゃん。そっち、もう終わったのか?」

 『ああ、終わった。そっちはどうだ?』

 「こっちもウルルが打ち上げれば終わるぜ」


 スマフォン越しにアズマと会話しつつ、ライは背後のウルルを見やる。

 丁度、球体__“雨雲のタマゴ”を空に向かって、そっと浮かび上げているところだった。

 と、


 『あ、おい! 急に人の物を取り上げるなレイ! ぐはっ!』


 ライの耳にスマフォンから、アズマの慌てた声と鈍い悲鳴が届く。

 容易くスマフォンの向こうの状況が把握できたライは、苦笑いを浮かべながらスマフォンに向かって、声をかけた。


 「……もしもーし」

 『__あ、ライ? そっちも仕事、終わったんでしょう? 今から合流して、東京の方でお昼でも食べない?』


 返ってきたのはアズマの声ではなく、レイの声。どうやら向こうでスマフォンの主が、アズマからレイに代わった__基、奪われたらしい。

 既に年単位もの付き合いである四人。最早、こういった状況には慣れたものである。ライはてくてくとこちらに寄ってきたウルルを一瞥して、了解、と返した。



***



 四人が人目につかない雑居ビル屋上で合流した頃、都内には雷鳴の微かな轟きが届いていた。

 空を見やれば、数刻前まで晴れ晴れとしていた青空がすっかり灰色の雲に覆われ、小雨程度の雨粒を落とし始めている。


 「……タマゴを設置してから一時間弱。まぁ、誤差はないわね」


 都内某所に位置するファミリーレストラン内に備え付けられた掛け時計を見上げ、レイは満足げに呟く。

 四人掛けのテーブル席には、レイの隣にウルル。その正面にアズマ、その隣にライと言う席順でそれぞれがソファーに腰を下ろしていた。

 ちなみに、ライの正面には大盛りのビーフカレー。ウルルの前には、ハッシュドビーフソースがかかったオムライス。アズマの前には、ホットコーヒーとレストランおすすめの日替わりランチ。レイの前には、これまた大盛りライス付きのレディースランチが置かれている。


 「しかし、よく食べるな……」


 げんなりした面持ちで、レイの前に並んだレディースランチと呼んでいいものか迷うようなライスの量を見やりながらのアズマ。

 しかし、レイの一睨みを受け、アズマは大人しく日替わりランチのロールキャベツを口の中に放り込んだ。


 「んんっ……今、リズム狂った。やっぱ、タマゴは不安定だなー」


 カレーを掬ったスプーンを口に運びつつ、不満そうにライがこぼす。

 その視線の先は、大きなウィンドウから見える灰色の空。微かに聞こえる雷鳴の音が、ライには不協和音に聞こえるらしい。


 「……で、でも、今日の雷は海沿いの一部地域だけで、都心の方には来ないんですよね……?」


 不安そうにちらっと灰色の空を見上げて、ウルルが言う。


 「そうね。一応、その予定だわ」

 「で、ですよね……」


 少しだけほっとした顔で、胸を撫で下ろしたウルル。それをちょっと訝しげな目で一瞥したライは、手に持ったスプーンを揺らしながら怪訝そうに言った。


 「つーかさ、ウルル。お前、いい加減その雷嫌い、どうにかした方がいいぞ」

 「き、嫌いじゃなくて、苦手なだけですっ! そこは勘違いしないでください!」

 「どう違うんだよ」

 「そ、それは……」


 ウルルが一瞬だけ、正面にいたアズマを見る。その意図に気付いたのはライとレイ。当のアズマは、首を傾げるだけだ。

 思わずライとレイの口から、溜息がこぼれたのは言うまでもない。

 薄らと赤らんだウルルの挙動不審と言える言動が意味する“理由”など、幼子でもわかりそうなものだと言うのに。


 「——ま、アズマの所為よね」

 「えっ!?」

 「え!?」


 頬杖を付きながら放たれたレイの言葉に、驚愕の一声を上げたのはアズマとウルル。と言っても、その一声の理由わけは似て非なる物だ。


 「や……やっぱり、俺、怖いから……?」


 高い背丈、長い金髪、大きなサングラス――どうしても、“強面”の印象が強いことを自覚しているアズマは、しゅんとした顔であからさまにショックを受けたように頭を垂れた。

 それに慌てたのはウルルである。


 「あ、あああ、あの! あ、アズマさんの所為ではありません! 本当です! ただそのっ、昔から大きな音が苦手なだけであって……決して、アズマさんが怖いなんて!」

 「いや……別に、俺に気を遣わなくていいんだ……雷って結構、昔から怖がられてたし……俺、見た目も怖いし」

 「こ、怖くないです! アズマさんは優しいです! 大丈夫です!」

 「そ……そうか?」

 「も、勿論です!」


 ぐっと両手で握り拳なんか作って見せ、音が聞こえそうなくらいに頷いてみせるウルルの姿に、アズマはちょっと安堵したような笑みを浮かべると。


 「ありがとな、ウルル」

 「…………あ、は、はい……。あ、いえ! その……当たり前の事を言っただけですから……」


 アズマとウルルの間に、穏やかな花が飛んでいるような空気が流れる。

 それを間近で感じつつ、時折こちらに飛んできそうなお花空気を取っ払うような仕草をして、ライとレイはまた密談を始めた。


 「……なんで、この二人は自身が発する空気に気付かねーの?」

 「アズマが超が付くほど鈍くて、ウルルが人並より純粋度が高いからじゃない?」

 「て言うか、ウルルはなんで自分が兄ちゃんの事、好きだってバレてないと思えんの?」

 「純粋だからじゃない?」

 「それこそ鈍いからじゃねーの?」

 「あんた、自分の幼馴染み相手に言いたい放題ね」

 「それだけは、レイ姉に言われたくねっす」


 うん、と深く頷いてライはレイを見る。

 軽い密談を終えた二人は、何気なくアズマとウルルの方へ視線を向けた。

 未だ花が飛び交うほのぼのオーラが見える気がする。状況を何も知らない人間が見れば、決して悪い仲には見えない。

 恋人とか、そう言う仲に見えるのかと問われれば、微妙ではあるが。


 「俺達、周りからどう見られてんのかな。クラスメイトっつーには、外見年齢バラッバラだし」

 「お友達グループには見えてるんじゃないの? その中で、兄弟姉妹に見える事もあるかもしれないわね」


 テーブルに置かれていた水の入ったグラスを持ち上げて、レイはもう一度アズマとウルルを観察するように見た。

 友人、同僚。そんな欲目を抜いても抜かなくても、今の二人は到底恋人のような関係には見えない。悲しいかな、いいとこ兄妹。風貌は何一つ似ちゃいないが。

 もしかしたら、アズマの強面な容姿が相成って、女児誘拐なんて事にもなり兼ねない__気がしないでもないような。


 「……おい、レイ。なにか俺に対して、失礼な事考えてないか?」

 「は?」


 神妙な顔つきで考え込んでいたレイに、怪訝そうな顔をしたアズマがつい、声をかけた。

 その声で、はっとライとレイが顔を上げれば、ウルルも不思議そうな顔でこちらを見ていた。先程まで感じていたお花畑空気は、いつの間にかただの空気に戻っていたらしい。

 サングラス越しの怪訝そうなアズマの視線を受けつつ、レイは何事もなかったかのような顔をすると。


 「被害妄想も甚だしいわね」

 「いや、明らかに考えてただろ! そういう顔してたぞ、今!」

 「そういう顔って、どういう顔よ。ここには鏡がないから、確認のしようがないわ」


 残念ね、と言ってみせるレイに、アズマは口籠る。

 なんて口の回る女なんだ__そんな面持ちでレイを見て、言い返せない自分に悔しさを抱きつつ、深い嘆息をもらした。


 「……やっぱ、俺と大差ねぇよな」

 「何です?」


 斜め向かいで言い合いを繰り広げる少し年上の男女を見やりつつ、ライが呟く。

 ウルルはそんなライを不可解そうに見つめて、首を傾げるしかない。


 「幼馴染みってのは、どこも大差ねぇなって話」


 一匙掬ったカレーを口に運びながら答えたライに、ウルルはまた首傾げ。


 「……ライ君の言ってる事は、時々よくわからないです」

 「大人ってめんどくせぇなって、常々思ってるだけ」


 外見はどう見ても十代半ばくらいのライだが、その言葉は年齢よりも若干大人びているように感じなくもない。

 見方を変えれば、捻くれていると言えなくもないが。


 「そういやさ。この後、どうすんの? もう帰んの?」


 既に空に近いビーフカレーの皿から顔を上げ、ライが口を開いた。その声で、それぞれ食事を再開させていた三人も、ふと顔を見合わせる。


 「私達は今日の仕事、タマゴの設置だけだったわよね」

 「あ、はい。今日はこれでお終いです」


 隣同士の雨天神二人が、今日の予定を確認し合う。


 「ライ君達は?」

 「ん? 今日は雨との仕事だっつって聞いてただけだし、多分もう終わりじゃねーかな」

 「ああ。確か、俺達もタマゴ設置だけで終わりだった」


 適当に答えたライに代わって、アズマがしっかりと返答。それに対し、レイも空に近いレディースランチセットを前にして、


 「じゃあ、帰る前に買い物してかない? どうせ報告済ませちゃえば、天界で過ごす事になるんだし」


 麗しい笑みを浮かべて、そう言う。

 レイ以外の三人は何気なく顔を見合わせ、それぞれ同意するように答えた。




 レストランを出た後、四人は下界の住人達に紛れて、買い物や散策を楽しんだ。

 ちなみに天界と下界の時刻、暦間隔実情は日本に合わせ、二十四時間制と一週間七日制となっており、本日は土曜日。

 夏の終わり__八月末と言えば、下界の学生は夏休みと呼ばれる夏休み期間中の者が多く、四人のような若者が真昼間から、私服で街を出歩いていても何ら問題はない。

 天界で様々な下界事情を勉強している天候擬神達にとって、下界に溶け込むのは決して難しくない事なのである。


 「やっぱ、下界での買い物はいいわねー! ストレス発散も出来るし、向こうにはない物も安く買えるし」


 ご機嫌そうに、下界で有名な婦人物洋服店の紙袋を肩に下げたレイが満足げに言った。

 その後ろには、にこにこと笑顔のウルルと少々疲れた面持ちのライとアズマが佇んでいる。


 「…………相変わらず、レイの買い物は長い」

 「……同感」

 「お疲れですね、ライ君もアズマさんも」


 重苦しい雰囲気の少年二人に、邪気のない面持ちでウルルは言葉をかけた。

 四人の中では、一番か弱そうな印象のウルル。しかし、三時間に及ぶレイの買い物にも嫌な顔一つせず付き合えるとは__小柄な少女のタフさに、少年二人は愕然とした視線を向けた。

 これが、男女の根本的な思考の差なのだろうか。

 人間の間でも女の買い物は長いと、男が不平不満をこぼすらしいが__天神でもそれは同じ事なのだなと、少年二人は悟るのだった。


 「さ、時間も時間だし。そろそろ戻りましょ」

 「はい」

 「おー」

 「……やっとか」


 この四人が集まると、自然とレイが主導権を握る。彼女が行くと言えば、なんとなく馳せ参じるし、彼女が帰ると言えば、そうだなと頷く。

 三人に意思がないわけではない。従わされているわけでもない。ただ、自然とそれが当たり前となっているのだ。この四人には。

 四人は歓楽街から差ほど距離のない、“天上自然公園”へと向かう。

 天上自然公園は、昨今では珍しい大型の芝生公園だ。一年を通し、四季折々の草木を楽しめるこの公園は、特に春に大輪の花を咲かせる華やかな薔薇園が人気の一つである。

 この日は休日。しかも、夏休み期間と言う事で、公園へ足を運んでいる人間は多くいた。

 そんな中、四人は目の前の親子連れが入園料を支払ったゲートではなく、ゲート脇に見える関係者専用の小さな門の方へと進む。

 門の傍には、正面ゲート同様に入園料を支払うような販売機がある。しかし、それには故障中の紙切れが貼られていた。

 四人——まず先頭にいたライが故障中の張り紙を持ち上げると、カードの差し込み口のような穴が現れる。一見すると、それ以外にボタンやら硬貨の投入口などはない。

 ライは張り紙を持ち上げたまま、七分丈のズボンの尻ポケットから一枚のカードを取り出す。プラスチック製のそれは、ライの顔写真と名前が印刷された天界への“通行証”である。

 それを差し込み口に通せば、故障中と書かれていたはずの販売機から電子音が鳴り響く。

 吐き出された通行証を取り、次はアズマ、レイ、ウルルと続いて、それぞれの通行証を認証させる。すると、電子ロックされていた小さな門がカチャリと音を立てた。

 それを耳で確認すると、四人は大っぴらにその門を開いて、公園内へと足を勧める。

 不思議なもので、周りに大勢見える入園者達は四人の存在を全く気に留めない。いや、“存在を感じられていない”と言った方が正しいかもしれない。


 「この通行証、一体どういう仕組みなんでしょう? 神様から支給される品は、摩訶不思議な物が多いですよね」


 下界で購入した可愛らしい花柄のパスケースに通行証を仕舞い込みながら、ウルルが首を傾げて言う。


 「一応、全知全能たる神とやらのクソジジイだからな。色々何でもアリなんじゃねーの?」

 「もう! また神様に向かって、そんな言葉を!」

 「いいだろ、別に。クソジジイはクソジジイなんだから」

 「ライは本当に恐れってものがないわよね」


 くすくすと楽しげに笑うレイ。


 「……ちょっと羨ましいな」


 ぽつりと何気なく呟いたのは、ライの少し後ろにいたアズマ。言葉通り、羨望の眼差しを小柄なライの背中に注いでいる。


 「あーあ。これから、そのクソジジイのとこに行かなきゃなんねーのか」


 頭の後ろで腕を組んで、面倒臭そうにぼやくライ。隣にいたウルルは、また! とライの言葉に不満そうにしていた。


 「めんどくせーなぁ……門番二人に報告して、終わりになんねーかな」

 「月締めの活動報告は、神様本人に通さなければならない。面倒な規約っちゃあ、面倒な規約よね」

 「その辺、もうちょっと天界も電子化しねーかなぁ。下界じゃ、携帯電話とかパソコンとかでパーッと報告できるんだろ?」

 「え? 重要なお仕事は、今でも口頭や直接報告しに行くものとばかり思ってました」


 少々意外そうなウルルに、アズマが苦笑気味に口を開く。


 「下界でもそういった電子報告が容認されているのは、重要な事柄以外だけじゃないか?」

 「そう、ですよね。大切なお話は、やっぱり直接話すのがいいですものね」

 「ああ、そうだな」


 少女らしい純粋な笑顔と言葉に、思わずサングラスの下にあるアズマの目元も和らぐ。

 ——ああ、そうだ。このくらいの年頃と言えば、人をおちょくって楽しむようなものじゃなくて。このくらい純粋で素直な顔がよく似合う。

 と、ほわほわした思想がアズマの脳裏に浮かんだところで、どこからか突き刺さるような視線を、はたと感じた。


 「……なんだよ」

 「いや、なんか……失礼な想像をされたような気がして」


 怪訝そうなレイの視線だった。本能的に、自分の事を悪く言われていた気配を感じたらしい。

 女の感とは恐ろしい、と言った顔でアズマはこっそり身を竦めた。


 「お、見えた見えた。相変わらず、綺麗に人が噴水避けてんなぁ」


 感心したように言ったライの視線の先には、魔法陣のように丸を基盤とした円の中に、様々な模様が描かれたコンクリートタイルが敷かれた場所。

 よくよく見れば、丸く円を描くようにコンクリートタイルには直径七センチほどの穴が開いている。辺りのタイルも濡れて、色が濃い物に変わっていた。

 ここは地面から噴き出る噴水なのだ。これも、天上自然公園の売りの一つであり——同時にこの噴水は、天界と下界を繋ぐ“出入り口”でもある。

 まるで見えない壁が噴水の周りにあるかのように、入園者達は一人も噴水の方に近付いて来ない。四人も、それが当たり前のように噴水の中央へと歩を進める。

 四人が噴水の中心に集まった時。水が噴き出すであろう円を描いていた穴が淡く光ったと同時に、勢いよく水が噴き出す。その勢いや否や、目測百八十センチはありそうなアズマが頭の先まで、すっぽりと隠れてしまう程。

 水のカーテンとなったそこは、四人を包んだまま、淡く発光する。四人が水のカーテンに包まれていたのは、約数分の事。

 段々と噴き出す水の勢いが弱まってきた頃には、そこにいたはずの四人の姿はどこにもなかった。

 そして、次の瞬間。何事もなかったように、ライよりも少し年下であろう少年が、元気よく噴水中心を横切るように走って行った。




 「あー、気が重い」

 「天界に戻って早々、項垂れないでください」


 天上自然公園と、全く同じと言っても過言ではない公園内。

 これまた、天上自然公園と全く同じ魔法陣のように描かれているコンクリートタイル製の噴水。先程同様、円を描くように直径七センチ程度の穴も見える。

 天上自然公園と違う事はと言えば__突如、噴水らしき場所から噴き出した光の柱のような中から四人が現れた事に、誰一人疑問も驚きも抱いていない事。それから、


 「よう、ライ! 仕事の帰りか?」

 「おう。これでも、天神だからな」

 「ナリだけで見りゃ、アズマのがよっぽど天神っぽいけどなぁ!」

 「兄ちゃんがカッコイイのは認めるが、なんかカチンと来たぞ今の!」

 「ライ……」


 気さくな様子でライやアズマに話しかける男性がいたり、


 「あら、レイちゃん。ウルルちゃん。今日もお仕事? 大変ねぇ」

 「ホント。うら若き乙女を、馬車馬のように働かせてくれてるわよ。我らが神様は」

 「レイさんまで、そんな言い方……」

 「でも、立派な御役目に着いてる二人は、雨擬人の中じゃ期待の星よぉ。お役目、がんばって!」

 「もう……過度な期待はプレッシャーになるってば。私達だって、元は普通の擬人なんだから。ねぇ、ウルル」

 「そうですね」


 ウルルやレイに親しげに声をかける女性がいたりする事。つまりは、周りが四人の存在を認知しているのだ。その事から、ここが先程まで四人がいた“下界”とは違うと言える。

 ここは人間が生き死にし、生活する世界ではない。人間の姿形をした、人間とは少しだけ違う生き物__天候擬人達が暮らす世界。天界である。

 四人はそれぞれ、呼びかけられた擬人達と他愛ない会話を済ませ、とある方角を見やった。

 天界の“天上自然公園”からでも、良く見える真っ赤な鳥居。その大きさと言えば、下界の高層ビルにも引けを取らないのではないかと思えるほど。


 「……やっぱ、めんどくせ」

 「ライ君!」

 「こういう時は風の能力が羨ましく思えるわよね。パーッと飛んで行けそうだもの」

 「いや、飛ぶのは無理だろ」


 聳え立つ鳥居を次の目的地とし、四人は真っ青な空の下。下界同様、綺麗に整備されたアスファルトの街路を歩き出した。



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