スマスリク

篠也マシン

本編

 今日はスマスリク。仕事を終えた僕がいつもの電車に揺られていた。冷房のきいた電車を降りると、夏特有の蒸し暑さを感じた。ネクタイをゆるめ、改札へと向かった。

「お父さん、お帰りなさい。お仕事お疲れ様」

 改札を出ると小さな人影が見えた。僕のかわいい息子だった。

「お母さんと一緒じゃなく一人で来たのかい?」

「うん! 僕ももう小学生だし、これぐらいの距離なら一人で大丈夫だよ。それにまだ外は明るいし」

 僕は息子の頭を軽くなでた。

「鞄持つよ」

 息子はそう言って両手で鞄を抱えた。小学生の彼にとってはとても重いようで、ずるずると引きずりながら歩いていく。

「ありがとう、だけど無理はするなよ」と僕は笑いながら言った。彼は昼に輝く太陽のような笑顔で言う。

「ねえ知ってる? 今日はスマスリクなんだよ」

「もちろん知ってるよ。最近毎日テレビで言ってるからね」

「お父さんは小さいころ、サンタさんに何をお返ししたの?」

 僕は苦笑した。

「僕が小さいころ、スマスリクなんて日はなかったからな」

 スマスリクとは、クリスマスと百八十度違う日。サンタから子供達へではなく、子供達からサンタへプレゼントを渡す日だ。時期も正反対で、冬ではなく夏の真っ只中にある最近できたイベントだ。

「そうだったんだ! じゃあなんでできたの?」

「さてね」と僕は苦笑した。ハロウィンなどと同じく、昔はあまりなかったイベントがどんどん増えてきた気がする。

 玄関のドアを開けたとき、キッチンから何かを焼くにおいがした。鶏の照り焼きだろうか。クリスマスと正反対とはいえ、料理は似たようなものが定番になっているらしい。

「お母さん、ただいま」

 そう言って息子は妻の下へと走っていった。

「ちゃんとお父さんを迎えにいけたよ」

「えらいわね」

 妻が息子の頭をなでた。急に息子が迎えにきたのは妻の差し金だろう。僕は彼女に小さく笑いかけ、ネクタイを外した。息子は鞄をリビングに置き、自分の部屋へと戻っていった。

「お疲れ様。今日はあの子から何かプレゼントをもらえると思う?」

「さて、どうだろうか。でも自分からスマスリクのことを話題にしていたからね。ちょっと期待してるよ」

 息子はもう小学生。そろそろ世の中の動きを知っておく必要がある。僕はにやりと笑った。

「いつもプレゼントをあげてばかりのサンタさんにもお礼をしなくちゃ。バレンタインデーにはホワイトデー。父の日、母の日には子供の日があるんだから、クリスマスにもそういう日があってもいいよね」

「礼には礼をつくすってやつね。あの子も立派な大人に成長してほしいわ」

 僕はうなずいた。

 リビングのソファへ座ると、より香ばしいにおいがしてきた。

「お腹空いたな。早く君のおいしい料理が食べたい」

 キッチンから彼女が顔を出した。

「じゃあ早くできるよう手伝ってね、サンタさん」

 僕は首をすくめ、ソファから立ち上がった。やれやれ、サンタさんも大変だ。


「ご馳走様でした」

 鶏の照り焼きをぺろりとたいらげ、食後にはケーキを食べた。食事の後片付けを三人で行った後、息子は再び自分の部屋へと戻っていく。プレゼントを取りに行ったと思ったが、しばらく待っても息子は戻ってこなかった。僕は落胆し、ソファへ深く座った。彼女は僕の気持ちを察したように、僕に近寄りそっと肩へ手をおいた。

「ちょっと待ってて。今お茶を入れるわ。プレゼントについてはまた来年期待しましょうよ」

 僕は「そうだね」と彼女に言った。

 二人でお茶を飲んだ後、僕は洗面所へ向かった。僕は鏡を見ながら、自分の古い記憶を思い返した。よく考えてみると、小学生のときにプレゼントのお返しなんてしたことがあっただろうか。おそらく一度もないだろう。貰うのが当然だと思っていた。そればかりかプレセントの中身に不満を言うような愚かな子供だった。きっと両親からすると腹が立つ息子だったのだろう。僕には息子を蔑む資格などまったくない。

「ねえ、お父さん」

 振り返ると、いつのまにか息子が立っていた。とても困った表情をしていた。

「どうしたんだい?」と僕はたずねた。

「これ」

 息子は小さな箱を僕に差し出した。綺麗にラッピングされており、英語で『メリースマスリク』と書かれてあった。

「プレゼントじゃないか! どうもありがとう」

 落ち込んでいた気持ちが嘘のように明るくなった。お礼を言ってプレゼントを受け取ると、息子は首をかしげて言った。

「ちょっと、お父さんにあげたわけじゃないんだからね」

「えっと――じゃあお母さんにかい?」

 息子は首を振った。じゃあ一体誰になんだろう、僕は激しく混乱した。

「サンタさんに決まってるじゃないか」

 息子は笑って話を続けた。

「クリスマスのとき、お父さんが話してくれたのを思い出したんだ」

「一体どういうことだい?」

 僕は首をかしげた。息子は透き通るような笑顔を浮かべた。

「『お父さんはサンタさんと知り合いなんだよ』って。だから僕のプレゼントをサンタさんへ渡してほしいんだ。約束だからね」

 僕が思っている以上に彼は幼く、そして優しかった。


「あら。これどうしたんですか?」

 次の日、会議の資料を渡しにきた後輩が僕に言った。

「ああ、ちょっとね。スマスリクのプレゼントとして、息子にもらったんだよ」

 僕は自慢げに後輩へ言った。

「なあ今日はいつもより暑くないし、少し窓を開けてみないか?」

「まったく、いつもエアコンの温度を下げろってうるさいくせに」と後輩が僕をからかいつつも、窓を開けた。いつもうざったいと感じる夏の日差しが、今日はとても気持ちよく感じた。

「――さてと、そろそろ会議をはじめる時間だ」

 うなずいた後輩と共に僕は会議室へと向かった。僕は頭の中で、昨日息子が言った言葉を思い出していた。

『あんな暑い服装しているサンタさんに少しでも涼しくなってほしいんだ』

 あの年でなかなか考えているものだ。今日は早めに仕事を切り上げ、おもちゃ屋に寄って帰るとしようか。たしか息子がほしがっていたゲームソフトの発売日だったはずだ。

 後ろを振り返ると、透き通るような鈴の音が聞こえた。小さなサンタにもらった風鈴が心地よく揺れていた。


「どうだい。うまくいっただろう?」

「うん。お兄ちゃんの言う通りだったよ」

 スマスリクからしばらくたったある日、僕は近所に住む中学生の友達の家に遊びに来ていた。

「おかげでお父さんにほしかったゲームソフトを買ってもらえたよ。どうもありがとう」

「どういたしまして」と彼は夜に輝く月のように笑った。

「君はもう小学生になったんだろう? ほしいものはたくさんあるはずだ。お小遣いだけで全部手に入るわけがないのだから、頭を使わないといけない」

 僕はうなずき、暗い表情を浮かべた。

「でもお父さんをだましたみたいで気が引けちゃったな」

「おいおい。そんな甘いこと言ってちゃこの先生きていけないぜ。君もそろそろ世の中の動きを知っておく必要がある。どうせスマスリクなんて玩具メーカーの戦略さ。君の親は上手く騙されたんだ」

 彼は笑みを浮かべたまま話を続けた。

「君はもっとクールでタフな人間にならないとだめだよ。そのためにはあどけない子供を演じてでも、他人を利用する術を覚えておくんだ」

 僕はもう一度うなずいた。

「お兄ちゃんはさすがだよ。頭もよいし僕はいつも憧れているんだ」

 僕がほめると、彼は得意げに笑った。僕は手をうちわのように仰いで言った。

「それにしても暑いね。冷房でもつけようよ」

「そうだな」

 僕はクールでタフな彼に向かって小さく笑いかけた。これからもたくさん利用してあげるよ、お兄ちゃん。

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スマスリク 篠也マシン @sasayamashin

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