6/6
「え? 別れたの?」
ファミレスの席に座ると、真っ先に身を乗りだしたリョウが、社会人彼氏と別れたことを告げてきた。
「そうなんだよぉ。あっちからさ、いきなり別れようってラインがきて。どうしてって聞いたら、女子高生には飽きたとか返ってきてさぁ。そのあとブロックされたのか連絡取れなくなって。ほんとひどくない?」
「ヒドイ。ありえないよ、それっ」
「だよねー。こっちは本気だったのにさ、あっちは遊びだったんだよぉ」
シクシクと泣くリョウの瞳から、本当の涙がこぼれてきた。ティッシュを渡すと、「ありがとう」と言って涙を拭う。リョウは彼氏に対して、本気だったんだろう。
涙を流した彼女の顔は、メイクが崩れてぐしゃりと歪んでいた。そのメイクの下には、もしかしたら彼女の秘密が隠れているのかもしれない。そう考えると、あたしは見ていることができずに、そっと目を逸らした。
友人との久しぶりのひと時は、彼氏と別れたリョウの愚痴がほとんどで、とてもではないけれど理史との勉強会の話題は上げられなかった。いまはそれよりも、友人であるリョウの愚痴を親身に聞きながら相槌を打たねばならない。
それには疲れたけれど。どうしてなんだろうか。
あたしは、理史と一緒にいるときよりも、こっちのほうが楽に感じている。
その日のバイト帰り、コンビニを出ると歩道脇で待っていた理史に声を掛けられた。
「お疲れ、美空」
「理史? なんでここにいるの?」
「夜道を女ひとりで歩かせるのは心配だろ。だから迎えにきた」
あたしの疑問に即答すると、理史はあたしの腕を掴んだ。
そのまま駅前まで向かい、改札の時だけ手を離して、改札を出ると再び手を繋ぐ。あたしたちのこの光景は、傍から見ると仲の良いカップルに見えているのだろうか。
手を繋ぎながら二人掛けの座席に座っていると、理史がポツリと言葉を溢した。
「ここでキスをしたら、怒るか?」
「え?」
驚いていると、理史は「なんでもない」と窓の外に目を向けた。
夜九時過ぎの車内は、ゆっくりと落ち着いて座席に座ることができる。でもいくら客が少ないと言っても、電車内でキスをするという行為にはどうしても抵抗がある。それにあたしは――。
アナウンスが、理史の降りる駅を告げた。それなのに、窓側に座っている理史は微動だにしなかった。
「いいの?」
「お前の家まで送ってく」
「でも明日テスト最終日じゃん」
「俺が送っていきたいつってんだよ」
怒鳴るような理史の声音に、周囲の乗客の視線が遠慮がちに向けられた。
あたしは「ごめん」と言って、それ以上何も言わなかった。
あたしの家の最寄り駅――学校の最寄り駅でもある――に到着すると、あたしたちは手を繋いだまま電車を降りた。
改札を出ると、あたしの家に向かっていく。
あたしの家は駅からそれほど遠くないところにあって、その近くのファミレスであたしはサチたちや理史と一緒に雑談をすることが多い。最近は下校時も、理史があたしの家まで送ってくれる。
四階建てで十六戸入っているマンションの前で、あたしたちは「またね」と言い合って別れた。てっきり今日はこのままキスでもされるんじゃないかと身構えたけれど、理史はすんなりと帰ってくれた。
理史の背中が小さくなる前に、あたしは誰もいない家に帰ると、制服から私服に着替える。
それから再び外に向かった。
あたしの夕飯は、コンビニ弁当かファミレスだ。学校の制服を着ていると、ファミレスは十時以降の入店を拒否されるが、服を着替えると、年齢を疑われることなく席に案内してくれる。
今日は何を食べようか。ひとりでファミレスに入る時は、人目を気にしなくてもいい分、何でも好きなものが食べられる。でも、あたしはこれと言って好みがないから、サチたちに合わせて自分の食べたいものを決めるほうが楽だったりもするのだけれど。
――それは、駅近くのファミレスの前までやってきた時のことだった。
ふと視界の端を、見たことのある制服が通り過ぎた。
藤野エリナだと気づいたときには、あたしの動きは止まっていた。
歩道を歩く彼女の姿は一見してもわかるほど、フラフラと危なげなかった。
道行く人は彼女の姿を自然に避けている。通行人が少ないからか、彼女の状態に気づいている人はあたし以外に誰もいない。
あたしは、自然に彼女のことを視線で追いかけていた。
彼女は学校の方角から、駅に向かって歩いてきているようだった。その間には、このファミレスがある。
あたしの存在に気づくことなく、彼女はあたしの傍を通っていく。
カクッと、彼女の顔が糸か何かに引っ張られたかのように、あたしに向いた。
まるでお気に入りのおもちゃを見つけた子供のように、藤野エリナがあたしのことを指さした。
「あ、ミソラだぁ」
へにゃりと歪んだ笑顔で、藤野エリナがあたしの顔を覗き込む。
藤野エリナの目元には黒い隈があった。瞳もどこか朧気で、焦点の定まっていない瞳が忙しなく動いている。
あたしは彼女の名前を呼ぼうとして、だけど渇いた口からは言葉が出てこなかった。
彼女と話す資格を、あの時にしくじったあたしは持っていない。それに彼女と話さなくなってからの半年間、あたしの周囲はすっかり変わってしまった。あの頃とは違う自分になっている。
だけど彼女は、変わることなくいまもひとりのまま。
ひとりで生きている藤野エリナは、好きな人形を愛でるかのように、あたしの両頬に両手を当てる。
「……ッ」
夏なのに、ひんやりとした冷たい掌だった。
漏れ出る悲鳴を押し殺す。
なんで急に彼女が?
突然の出来事に、あたしは混乱していた。
半年前の冬、あたしから離れて行ったのは彼女のほうだった。彼女があたしを拒絶してから、彼女はすっかりひとりになってしまった。
でもそれは彼女の選択で、もう友人ではないあたしには関係がないこと。
それなのに彼女のほうからいきなりあたしに絡んできて、あたしの思考回路はすっかりとぐにゃぐにゃに歪んでいた。
「ミソラぁ」
どこか間延びしたような、あたしを呼ぶ声。その声に、あたしは得体のしれない不安を抱いていた。
彼女はこんなふうに、あたしの名前を呼んだっけ?
藤野エリナは両手であたしの頬を掴むと、一気に自分の方に引っ張った。
つんのめり、彼女の顔が間近に迫る。
あたしの唇が、彼女の唇に触れて――
「……ッ」
あたしは咄嗟に両手で、彼女の体を突き飛ばした。
藤野エリナは大きく目を見開くと、温もりのなくなった手を呆然と眺め、それからギュッと唇を引き結び、その黒い瞳であたしをにらみつけた。
「きもちわるいって思ったんでしょ?」
「ち、ちがっ」
「私のこときもちわるいって。あの時のように、私のことをきもちわるいって」
捲し立てながら、藤野エリナは頭を掻きむしる。
それからフツッと、糸の切れたマリオネットのように脱力すると、ぼんやりと瞳孔の定まっていない瞳で、あたしを見た。
「やっぱり、あんたなんかと話したから、死にたくなったじゃないの」
「え?」
突然快活な動きを取り戻したマリオネットは、あたしに背を向けると走り出した。
狭い道路を、どんどん、どんどん、大通りに向かっていく。
この道の先は、車通りの多い駅前の交差点に繋がっているはずだ。
「ま、待ってっ!」
既視感があたしを襲う。
あの時、あたしは、間に合ったんだっけ?
ふらつく足で、あたしはだんだん小さくなっていく背中を追う。
「あ、」
小さくなっていく壊れたマリオネットが、糸に引っ張られるように小さく飛び上がると、プツンと切れて地面に転がり落ちた。
あの日、あたしたちはお互いにひとりだった。 槙村まき @maki-shimotuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。あの日、あたしたちはお互いにひとりだった。の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。