腹の虫
氷見 実非
腹の虫
「また、上司に怒られた。 俺は、何も失敗していない。 完璧に、仕事をしていたのに、、、。 」
Mは、誰もいない家に帰って、部屋の明かりも付けず、背広のまま寝床に横になると、そう呟いた。何時ものように、寝れば腹の虫を鎮められるだろう、と思い、Mは目を瞑った。しかし、瞼の裏に、上司の憎たらしい顔が映し出され、腹の虫がさらに盛んに活動するのを助力するばかりであった。
数十分間、活発に動き回る虫と格闘している内に、Mは自分の胃の辺りに、実際に虫が這い廻っているような感覚を覚えた。蜘蛛のような虫が、胃の中を歩き廻るような感覚。その瞬間、Mは途轍もない吐き気に襲われ、一刻も早く、その虫を取り除かなければ、自分の意識がその虫に乗っ取られてしまう、という恐怖を感じ、自分の腹を何度も何度も殴ったが、一向にその気分が解消される気配はなかった。
Mは意識を何とか保ちながら、虫が自分の意志を食うてしまおうとしているのに、対抗した。そんな中、Mの胃の中にいる虫が話し掛けてきた。
「何度、腹を殴ろうとも俺は死なない。 そんなに俺を殺したいならば、あそこにある包丁で俺を刺してみてはどうか。」
Mはその言葉を聞くや否や、台所へ走り、滅多に使わない包丁を自分の腹に向けて、幾度と無く突き刺した。自分の意識を取り戻すために。冬の外気に奪われながらも、まだ少し残っていたはずの部屋の温かみは、静寂の訪れと共に、跡形もなく消え去っていった。
Fは、朝起きると、枕元に置いてあるテレビのリモコンを使って、テレビを起こし、テレビに何時ものニュース番組を見せるように指示した。自分の体温でぬくぬくとしたベッドに名残惜しく別れを告げて、珈琲を飲もうと冷蔵庫に向かった。Fは、珈琲が入ったグラスと昨日コンビニで朝食用に買った菓子麺包をテレビの前に配置された円卓に起き、ベッドを背凭れにして、座った。テレビには、北海道の雪景色が映し出され、冬の北海道への旅行をお得にするための情報を、爽やかなタレントが紹介していた。季節に関係なく忙しいFは、使いどころのないお得情報が映し出されたテレビに、「まぁ、お前には関係ないだろうがな。」、と言われているような気がして、何時か長期休みを確保して北海道に行ってやるぞ、と決意したのだった。ニュース番組から様々な情報が受け取れる、この時間は、Fにとって、会社の同僚や上司との話題を見つけるための重要な時間だった。
朝御飯を食べ終わると、テレビの声を聞きながら、会社へ行く支度を始めた。
「続いては、ニュースです。 大阪府東大阪市に住むMさんが、自宅のリビングで、血を流して倒れているところを、Mさんと交際中であったTさんが発見しました。警察によると、Mさんの部屋から、覚醒剤らしき白い粉が入った袋が見つかった、ということです。 警察は、自殺の方向で捜査を進めながら、Mさんを覚醒剤使用の容疑でも捜査を進めるつもりだ、ということです。次のニュー、 、、。 」
午前8時を少し過ぎた頃、Fは瓦斯栓の絞め忘れや、家電製品の電源の切り忘れの確認等々、家から暫く離れるための一連の行為を済ませ、玄関に乱雑に脱ぎ捨てられた革靴を履き、背広の襟を正して、意気揚々と会社へ向かうのだった。
腹の虫 氷見 実非 @Himi-miHi
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