第2話
コンビニで温かいココアとコーヒーを買って、車内に戻る。
東瀬はやっと気持ちが落ち着いてきたのか、テレビに映る自分を真剣に見ていた。
「はい、ココアこれしかなかったけど」
「ありがとうございます」
プルタブを開けると、可愛らしく両手でこくこくとココアを飲み始める。
しばらくお互い、ちびちびと缶の中身を減らしつつカーナビの小さな画面を見ていた。
改めて、不思議な光景だ。現実味がないと言うか、実感が湧かない。けれど目の前の子がそっくりさんなわけないだろうし、どっちにしろあの状況を蔑ろにするほど性根の腐った大人じゃない。
「……テレビの私って、貴方にはどう見えますか?」
沈黙を破ったのは、以外にも東瀬のほうだった。
先生に授業の質問をするような気軽い感じで、一視聴者の俺に意見を求めてきている。
「え? うーんそうだなあ」
否定しても悪いし、かといって安直に褒めるのもどうだろうか。
そもそも彼女のことをあんまり知らないし、アイドルのはずだから曲も出していると思うけど心当たりがない。
「時代劇好きなの?」
さきほどの疑問をぶつけてみた。
「……? ああ、もしかしてこのクイズ番組の解答ですか? あれ、やれって言われたんですよ。だから授業で習った単語を使っただけです。おかしな子ですみません……」
闇、めっちゃ深いじゃん……自分でおかしな子とか言わせちゃったよ……。
「ああ、そうなんだ」
「ええ、そうなんです……」
再び沈黙。
すっっっごい気まずい。
そもそも何でコンビニ寄ったんだ俺は。さっさと警察署行くべきだろうし何か忘れてる気がするしこれって誘拐みたいにならないのかな怖いよ目隠しされた証明写真が全国ネットにデビューしたくないよ。
「さ、さあてそろそろ行こうか(裏声)近くの警察署は……」
「警察はやめてください!」
車をバックギアに入れた瞬間、東瀬は鬼気迫る顔で俺に言う。
「今大切な時期なんです! これで変にニュースになったら……」
「大丈夫じゃない? だって東瀬は何も――」
「SNSはあることないこと書き込まれます。売名だの自作自演だのブスだのあのAV女優に似てるだの……」
「後半は妬みだから気にしなくていいんじゃないかな?」
「お願いします」
彼女は深く頭を下げた。艶やかな黒い髪が視界に強調される。
困ったことになった。俺は頭を掻く。
「じゃあ、どうすればいい? 家にご両親は」
「両親は、いません。一人で暮らしています」
俺は驚愕に目を見開く。
「別で暮らしてる、とかじゃなく?」
「はい。母子家庭だったのですが、去年病気で」
「それは、ごめん……」
嘘は言っているようには見えないけれど、信じたくはなかった。
俺にも両親がいない。
俺が高校を卒業する直前のことだった。買い物に出た先のデパートで無差別殺人が起こったのは。
だから俺は一年間だけ妹と親戚の家に厄介になり、死に物狂いで仕事を探した。
東瀬が今の職業に就いているのも、そういう事情があるのだろうか。
深く詮索できないが、それなら尚更、そのまま帰していいものではないだろう。頼れる者がいない中、こんな目に遭った彼女を家に連れてサヨナラなんてのは、あまりにも残酷だ。
ましてや俺には妹がいる。それがどんなに辛い状況に置かれても、エネルギーをくれる原動力になってくれた。
独りきりの東瀬は、どうなのだろう。
俺が悩んでいたとき、東瀬の携帯が鳴った。
「あ、マネージャーです。出ても平気ですか?」
スマホの画面には、確かにそう表示されている。
「もちろん、いいよ」
「失礼します……はい、文乃です。はい……はい」
東瀬はきっと電話の相手にも伝えていたのだろう、ストーカーされていたこと、今はもう大丈夫なこと、現在地などを細かく報告していた。先ほどまでの力ない顔は一瞬で凛々しいものに変わっていて、プロというのはすごいものだと感心する。
最後に「失礼します」とだけ告げて、東瀬は電話を切った。
「ふう――」
空気の抜けた風船みたいに、口から空気が一気に漏れ出ている。
「マネージャーは何だって?」
「今日はその人に泊めてもらえって」
「何て?」
いや、何で?
「もう一回マネージャーさんと連絡できる? 少し俺が話したいんだけど」
「わかりました」
東瀬は慣れた手つきで、今度はこちらから通話を試みる。
相手にはすぐつながった。俺が話したがっていることを伝え、一度頷いた後彼女の手から俺にスマホが手渡される。
『もしもし、マネージャーの須永と申します。今回はウチの東瀬がご迷惑をおかけいたしました』
相手は野太い声をした男性だった。
ドスの効いた声からでは年齢がわからないが、通話越しからでも威圧感が伝わってくる感じがしてすぐに切りたくなってしまう。
「初めまして。私は一宮と申します。今東瀬さんから、我が家に一泊したいと言う提案があったのですが」
東瀬の話の中に、俺の話はあくまで“助けていただいた人”としか出てきていなかった。きっと電話口の向こうから困惑した反応が返ってくるであろう。
『泊めてあげてください……お願いします……明日、私が迎えに行きますので……』
いきなり萎れた声で懇願された。
何で断らないの? そっちの携帯には変声期でも付けてあるの?
すごい嫌な予感がするけれど、一応自分の年齢が二十三であること、わかりきっているが男性であることを言う。
『いやあ、大丈夫ですよ』
いやだ、この人すごい軽いじゃん……。
『もちろん節度は守っていただきますが、ずいぶん東瀬が信用しているみたいですし、それに』
相手は小さく息を飲み込む。
『東瀬にそんなことをする暇、ないと思いますので』
不穏で意味深な言葉を残しつつ、夜に再度ご連絡差し上げますと言って、電話は切られた。
俺は真っ白なケースのスマホを返して、東瀬に顔だけ向き直る。
「…………泊まるの?」
「お願いします」
真剣な顔つきで、冗談で言っているわけではないと察する。
須永さんの残した言葉も気になるが、それ以上に一人で帰すことの方がまずいというのは明白だった。
腹を括るしかない。それに女性なら妹がいるし――
ん? 妹…………?
「あっ」
素っ頓狂な声を上げると、東瀬は小さく身体を強張らせた。
「ど、どうしましたか?」
「駅に、妹置いてきた…………」
俺が美少女アイドルのお世話をすることになった理由 @nikaidoukai
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