第18話 魔法

 カウンターの向こうで、傭兵ギルドの職員がぱらぱらと書類をめくっている。しばらくそうやっていたが、やがて中年の彼は諦めたように首を振った。



「ないね。ハルクメニアのロルフ領は、十年前にはもう代替わりしているようだ。ここには十年分の記録しかないから、見つからない」


「そうですか……」



 傭兵ギルドは、武力そのものを輸出するという国政の元、アリアネス帝国が大陸中に支部を置く軍事組織だ。


 国境を越えて仕事をする傭兵が多いため、ギルドには様々な国の情報が集まりやすい。


 けれど、アゲリに教えてもらった情報は、やはり古すぎて記録が残っていないようだった。


 ハルクメニア王国ロルフ領。その領主の名が、シャイラの父親の名前と似ていると。


 ただし、アゲリ本人も言っていた通り、その情報は二十年も前のもの。帝都にある傭兵ギルドの本山ならばともかく、一支部であるシーレシアのギルドに情報が残っていないのは仕方が無かった。


 シーレシアは城壁に囲まれた街だ。広いとはいえ、使える土地は限られている。資料を大量に保管しておくための場所がないのも、事実であった。


 シャイラは職員に礼を言って、傭兵ギルドから出た。今日も観光客で賑わう中央広場は活気に満ちている。


 傭兵ギルドでの当てが外れてしまったので、次はどうしようかと考える。警備隊も同じ理由で資料が残っていなかった。まずは情報を集めろとコーニは言っていたが、あとはいつも通り、旅人に聞いて回るくらいしか思いつかなかった。


 風で乱れた髪を手櫛で整える。小さなため息が漏れて、これでは駄目だと小さく首を振った。


 フィスクに聞いてみようかとも、思ったのだ。彼がこの地に落ちたのは百年前、それ以来彼はこの地上で暮らしている。


 彼ならば二十年前にハルクメニアを訪れていたかもしれない。けれど、あの人嫌いの精霊が、個人の名前を憶えているとも思えなかった。


 この中央広場には、フィスクが部屋を借りることになったパン屋がある。今日もあの店は盛況だ。多くの人が出入りをするのを眺めていると、ふと、見知った顔がその傍を通り過ぎていくのが見えた。


 コーニが、やや人目を気にするようにしながら、パン屋の裏手に消えていく。あまりにも不審な様子に、シャイラの悪戯心が刺激された。


 そっと足音を潜ませて、コーニの後を追いかける。きょろきょろと周囲を見渡しながら、コーニが立ち止まったのはパン屋の裏口だった。


 扉をノックしようと手を上げては下ろし、落ち着きなく足踏みをしているコーニをしばらく眺めて、項垂うなだれた辺りで後ろから肩を叩いた。



「コーニ」


「ひょえわああああ!?」



 ひっくり返った声をあげて飛び上がるコーニ。そのまま涙目でうずくまってしまい、面白いやら申し訳ないやらで、シャイラは両手で口を覆った。



「ご、ごめ……、ふふふっ……」


「酷いよシャイラ! なんでそういうことするの!」


「いやだって、コーニが、……っふふ」


「もう! 笑うのやめてよっ」



 ぽこぽこと怒っていたコーニも、シャイラにつられるようにして笑い始めた。二人して笑っていると、扉が向こう側から開く。



「何やってるんだ」



 いつものマントを脱ぎ、白いシャツというラフな格好のフィスクが顔を出した。見慣れない服を着ているだけで、少しドキリとしてしまう。



「フィスク、こんにちは」


「こ、こんにちは!」



 ノックをすることはあんなに躊躇ためらっていたくせに、フィスク本人と相対した途端にコーニの目が輝いた。



「あ、あの! 昨日の話の、続きを聞きたいんだ!」


「続き?」


「聞きそびれちゃったことがあって」



 確かに昨日、コーニが何かを言いかけたところで、話を中断していたのだった。フィスクもそれを思い出したのか、「ああ……」と考えている風情だ。


 そしてコーニの顔を見て、何かを納得したように頷いた。



「魔法がどうの、言ってたな」



 半分ほど開いていた扉を大きく開けて、フィスクは中へ二人を引き入れた。



「私も聞いて行っていい?」


「好きにしろ」


「ていうか、勝手に入っていいの?」


「パン屋には許可をもらっている。話が途中だっただろうと」



 ウィンスは、コーニが来ることを予想していらしい。手回しの良さに素直に感心する。


 裏口の向こうは、小さな調理場と簡素なテーブルだけの小部屋だった。店の正面にあたる方角には扉があり、その向こうから店の喧騒が漏れ聞こえてくる。けれどフィスクはそちらに向かわず、二階へと続く階段に足をかけた。シャイラとコーニもそれに続く。



「こう言っちゃあれなんだけど、断るかと思った」


「僕も……」



 階段を昇りながら言うと、フィスクが少し嫌そうな顔でコーニをちらりと見た。



「ここで断っても、また来るだろ……」


「なんかごめん……」



 しょぼん、と萎れてしまったコーニだが、フィスクの言い分はきっと正しい。コーニならば毎日のように通い詰める。


 通されたのは大きな窓のついた部屋だった。通りには面していないが、日の光は十分に入ってくる。物置として使われていたらしく、使い古されたベッドとタンスのほかに、小さな木箱や袋がいくつか壁際に寄せられていた。


 木箱の中を確認し、そのうちの二つを部屋の中央に引っ張って来たフィスクは、ベッドに浅く腰かけた。どうやら椅子の代わりらしい木箱に、コーニと二人で礼を言って腰を下ろす。



「……それで?」



 腕を組んだフィスクが、コーニを見た。ぱあっと顔を輝かせたコーニは、身を乗り出してぐっと拳を握る。



「フィスクの家に独自の情報が伝わってるなら、魔法についても違うのかなって。僕らは……、というか教会は、精霊が魔物から身を守るために授けてくれた力だって、言っているけど」



 ワクワクしているコーニを前に、フィスクは言葉を選んでいるようだった。



「まず、あの神話だが。この世界を女神が創り、そして精霊が生まれた。それは正しい。そして現在、精霊は後から創られた精霊界で暮らしている」


「うん。そこは合ってるんだね」


「ここが合ってるんだから、少し考えれば分かるだろう。この地上では今も、精霊は生まれ続けている」



 あっ、と声を上げる。そうだ、どうして気づかなかったのだろう。



「教会の説明も、大きく間違っている訳ではないんだ。魔法を使えるのは、精霊と魔物だけ。人間が使う魔法は、この生まれたばかりの精霊に力を借りてるんだ」



 それは、精霊が人間を守っているのと、何が違うのだろうか。シャイラのその疑問は、口に出す前にフィスクが解決した。



「守護じゃなく、契約だ。ずっと昔、本当に昔。魔法の力を欲した人間と、精霊は契約を交わしたらしい。人間が願えば、精霊はそれに答えるという契約。魔法の詠唱は精霊に願いを伝えるもので、特定の言葉さえ入っていればなんでもいい」


「それじゃあ、教会に教えてもらう詠唱は?」


「意味がない。鍵の言葉さえ知っていれば」



 ただ、とフィスクは目を細めた。



「地上にいる精霊は、要するに赤子だ。知能も低いし、本能のままに生きている。その姿さえ、固定されていないほどだ。だから目には見えない」



 思わず周囲を見渡した。シャイラの目には映らない精霊が、ここにもいるのだろうか。



「それくらい幼いし情緒も育ってないから、しっかり詠唱しても精霊の気分次第で弱くも強くもなる。あと、その人間が精霊に嫌われていれば、やはり魔法の効果は弱くなるな」


「かなり不安定なんだね……」


「丁寧にお願いすれば、大抵は気分が良くなって手を貸してくれる。礼儀を忘れなければいいだけだ」



 街から出ることもないシャイラは、魔法の効果など気にしたこともなかった。日常的な魔法は魔道具を使えば事足りる。傭兵や警備隊の持つ攻撃用の魔道具と違って、家で使うようなものはそこまで高価でもない。


 そこで、コーニの顔が曇っていることに気づいた。視線を落としている親友の肩を、指先でつつく。



「コーニ、どうしたの?」


「……あのね。教会で言われたことがあって……。僕の魔法、〈精霊の子〉なのに普通の人より弱いんだって」



 紺色の髪が不安げに揺れる。



「僕の……、僕の両親は、どちらも〈精霊の子〉だったんだ。その……、小さいときに、死んでしまったけど。だから僕は、普通よりも精霊の血が濃いはずで……。だけど、魔法を使うと弱い。最近は、教会の人たちも僕のところに来なくなって……」



 フィスクに話をねだっている時とは、まるで別人だった。コーニはいつもこうだ。自分に自信が無くて、誰かの陰に隠れている。


 気が弱いことが、悪いとは思わない。彼の慎重さは美徳だとすら思う。頭が良くて、博識で。シャイラだってコーニを頼りにしている。


 それなのに、どうしてコーニだけが、自分を信じようとしないのだろう。


 言うべき言葉が見つからず、シャイラはぎゅっと眉を寄せた。どうしたらコーニを、励ますことができるのだろうか。


 そんなシャイラの葛藤をよそに、フィスクが呆れたように言い放った。



「当然だろう」


「ちょっとフィスク」



 シャイラの制止も構わず、フィスクは続ける。



「お前は〈精霊の子〉だろう。確かに〈民〉の血が流れている。そんな相手に、懇切丁寧にお願いされたところで、精霊たちも困惑する」


「え……」


「……それ、だけ?」



 目を瞬くコーニに、大きく頷くフィスク。



「それだけだ。生まれたての精霊が、お前の扱いに困ってるだけだ。もっと堂々と、命令すればいい。喜んで応えてくれるぞ」



 教会の連中の前では、使わない方がいいが。と付け足したフィスクを、コーニは呆然と見ていた。



「本当に、それだけなの……?」


「ああ。……命令で応えてくれるのは〈精霊の子〉だけだ。案内役は教会の詠唱を使え。人の目もある」



 シャイラにも忠告してくれるのは、親切心か精霊を思うが故か。判断がつかないなあ、と内心で苦笑しながら、コーニを見た。


 信じられない、という顔で自分の手を眺めていたコーニは、それじゃあ、と細い声を出した。



「僕、ちゃんと魔法が使えるの?」


「むしろなぜ使えないと思ったんだ」



 首を捻っているフィスクは、呆れよりも疑問が上回ったらしい。


 ぐす、と一度だけ鼻を鳴らして、コーニは勢いよく顔を上げた。怪訝そうな顔をしていたフィスクが、びくりと身を引く。



「お願いがあるんだ!」



 潤んだままの灰色の瞳。〈精霊の子〉の証であるその瞳を、コーニは今までになく輝かせている。幼い頃から一緒にいたシャイラも初めて見る、希望に満ちた光だった。



「僕に、魔法を教えて欲しい!」



 何を言い出すのかと、口を挟むことを憚られるくらい、コーニは真剣だった。フィスクもそれを感じ取ったのか、開きかけた口を閉ざす。



「僕……、僕ができることなんて、何もないから。せめて、魔法くらいは! 〈精霊の子〉なんだから、ちゃんと使いこなせるようになりたいんだ!」


「コーニ……」



 コーニの持つ髪と瞳の色。年月と共に変化する、〈風の民〉の血を引き継ぐその色を、彼が重荷と感じているのは知っていた。


 世代をるにつれ、精霊の血は薄くなっていく。教会が〈精霊の子〉をどれだけ保護しようとも、この地上に〈神と精霊の民〉がいないのだからどうしようもない。


 そんな中で、教会が確認している〈精霊の子〉に期待が寄せられるのは、仕方のないことなのだろう。


 だけどそれは、コーニにとってはただの鎖でしかないのではないか。



「……」



 フィスクはじっとコーニを見つめていた。その視線が、コーニの髪をなぞったように見えた。



「……分かった」


「ほんと!?」


「条件がある」



 そう言って立てられた指は三本。



「ひとつ、期限は俺がシーレシアを出るまで。ふたつ、誰にも見られない練習場所を用意すること。みっつ、教会には秘密にすること」



 それでいいなら、と言いかけたフィスクを遮って、コーニが叫ぶ。



「それでいい! いいから、教えてください!」



 そして頭を下げるなり、座っていた木箱を蹴倒すように立ち上がった。



「誰にも見られない練習場所だよね!? 心当たりがあるから行ってくる! 準備できたらまた来るよっ。今日はありがとう、フィスク!」



 昨日と同じように騒がしく出て行ったコーニを、フィスクはぽかんと口を開けて見送った。初めて見るその表情がおかしくて、ついくすくすと声を立てて笑ってしまう。


 フィスクは嫌がるだろうと慌てて口を押さえたが、気難しい精霊はため息をつくだけで見逃してくれた。


 どうやら機嫌は悪くないようだ。珍しいなと思ったが、そういえば昨日も、コーニにあれこれ聞かれても気にしていなかったと思い出す。


 もしかして、と疑問を口に出した。



「フィスクって、コーニに甘い?」



 今日までの様子を見ていると、コーニの勢いに押されていたのを差し引いても、対応が優しい気がする。ちゃんと話を聞くし、魔法を教える約束なんてするとは思わなかった。


 シャイラの問いかけに、フィスクはゆっくりと瞬きをする。



「あいつは〈精霊の子〉だろ」


「精霊の血を引いてるから?」


「それも〈風の民〉だ」



 同族の末裔だから、というのは、納得できる答えだった。コーニや精霊に甘いというより、本来のフィスクが面倒見のいい性格をしているのだろう。


 ふうん、と呟いて、膝の上で頬杖をつく。



「……下宿はどう?」


「悪くない」



 そう答えるフィスクの顔に曇りはない。


 昨日の今日ではあるが、フィスクとウィンスはうまくいっている様子だ。マカロンとクッキーに釣られていたが後悔していないだろうかという、シャイラの心配は杞憂だったようだ。



「紹介代金はいくらだ」



 ほっとしていれば、思わぬ言葉が耳に飛び込んできた。フィスクがじっとこちらを見ている。その手は彼の簡素なリュックを掴んでいた。



「えっ」


「いくらだ」



 財布を出そうとするフィスクの手を、慌てて上から押さえる。



「仕事として受けてないよ!」


「俺はそのつもりだった」



 昨日はなし崩しに別れてしまったが、と真剣な顔をするフィスク。もしかして、宿探しを頼むときに依頼のことを気にしていたのはそのためか。


 命の恩人から金をもらうわけにいかない、と断ろうとしたが、それを予想していたかのようにフィスクの言葉が割り込んできた。



「仕事の伝手を使っただろう。自分の仕事を安売りするんじゃない」



 予想外の言葉に、目を丸くする。恩を売るつもりはないとか、金銭の貸し借りをしたくないとか、そういう理由だとばかり思っていた。


 雲の色をした鋭い瞳。意外と雄弁な彼の瞳が、語りかけてくる気がした。誇りがあるのだろう、と。



「……分かった」



 紹介料を提示すると、手の平に硬貨が数枚落とされる。それを握りしめて、小さく小さく声を落とした。



「ありがと」



 顔を背けるフィスクに、気づかれないように微笑む。


 何かお礼をしたい。命を救ってくれたばかりか、シャイラの心まで思いやってくれる、人嫌いで不器用な彼に。


 どうすれば喜んでもらえるだろうかと、美しい横顔を見ながらそっと思いを巡らせた。

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クッキーは世界を救う! 神野咲音 @yuiranato

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