第3話 アラサーの就職
その年の夏に私は就職を決めました。
専門学校に通いエンジニアの勉強をしましたが書類で全て落ちてしまいました。しかし意気消沈している暇などありません。どこでもいいから社員になろうと決めて手当たり次第に履歴書を送りました。唯一引っかかった会社の面接はトントン拍子に進み、翌月から正社員となる事が決まったのです。
あまりにも急な展開は正常な判断を奪いました。本当にこの会社でいいのかと深く考えませんでした。
アラサーにして初めての社員という立場を得ました。役者をしていた頃は自由に日程を空けられなければいけなかったので、ずっとアルバイトをしていました。
ゆうちゃんに仕事が決まったと連絡をすると「おめでとう」と返信が来ました。存在を認めてもらえた様な錯覚をしました。おめでとう以外の返答の選択肢などない事を理解しながらも私は嬉しく感じたのです。
東京に行く前に食事に行こうと両親が誘ってくれました。実家に行く前にあの秘密基地に行こうと寄り道をしました。
夏場の小径には虫もいて如何にも気味が悪くやはり厭な径でした。棘が刺さらない様に慎重に柵を押して敷地内に忍びこみます。
木の幹の目線の下辺りに蝉がいました。ここには美味しい蜜でも詰まっているのでしょうか。あの夏の日の蝉も同じ場所にいた様な気がします。網を持っていなかったとしたらあの日の私は手掴みで蝉を捕獲しようとしたでしょう。けれど大人になった私は中腰になって蝉を眺めるだけです。捕まえたところで蝉の短い寿命を更に短くさせるだけなのです。砂糖水で作った簡易的な餌を与えても彼らが長生きする事はないのです。暫くすると蝉は私に気付いたのでしょうか、逃げる様に飛んでいきました。
縁側に腰掛けて晴れ渡った空を仰ぎました。小さな空です。このお屋敷から見上げる空はとても窮屈でした。
ぼんやりと座っていました。
何も考えず何も行動せず、唯ここに居座りました。
鞄が震えました。それは母からの着信で早く来いという催促でした。
来た時は昼過ぎだった筈なのにもう約束の五時を過ぎていました。
新しい仕事へ向けての準備が目まぐるしい日々を作っていました。疲れていたのかもしれません。無為な時間を過ごす事は大事な事なのかも知れません。
立ち上がると屋敷に体を向けました。
「いってきます」
無人の屋敷に私は言いました。
「また来るな」
誰にともなく呟いて母の待つ木造アパートへと足早に向かいました。
研修の為に三ヶ月間東京に住む事になりました。一週間の合宿研修の後、会社の用意した寮で同期と暮らすのです。
役者を辞めると決めてからというもの、未来に明るさを見出せずにおりました。しかし新大阪で新幹線に乗る私の目に映る色は暖かく輝いていました。
未知への挑戦が堕落した私を元の世界に引き戻してくれたのです。
二十歳の時に女優になるのだと大阪を飛び出した時と同様に、理想の私になれるという希望で満ち溢れているのです。
大きなキャリーバックと手提げ鞄を片手に、私は再び東京の街へと降り立ちました。
私の故郷は大阪だというのに望郷の念が押し寄せます。
東京で過ごしたのは人生の約三分の一です。けれど私にとって無我夢中で駆け抜けた十年はとても大きく存在感があるものなのでした。遅く来てしまった青春でした。
寮があるのは王子駅から徒歩十分の住宅街です。インターネットに接続して独り言を呟き乍ら歩きました。日差しが強く体力はただ外にいるというだけで奪われていきます。
時間ギリギリに集合場所に到着すると、同期となる仲間達が既に十人は集まっていました。しれっとその一団に紛れて話に花を咲かせているその中で愛想笑いを浮かべて如何にも和に入れているかの様な演出をしました。私は人見知りが激しくコミュニケーションを取る事が苦手なのです。
寮へ到着すると自己紹介を全員で一つの小さな部屋で済ませ荷物が届くのを待ちました。荷物整理が終わると近くで食べに行かないかと誘われたので快諾しました。
一人は好きですが孤独は嫌なのです。
その日は数人で焼肉を食べて寝ました。翌日から一週間の合宿が始まるのです。休むに越したことはないと判断したのでした。思っていた以上に疲れていた様で、硬く慣れないベッドでしたが直ぐに眠りにつきました。
翌日の目覚めは上々でした。隣の部屋の同期から一緒に青山にある本社まで行こうと誘われました。道に迷う事を恐れていた為、その誘いを嬉しく思いました。寮の全員で集団出社をしました。
本社では朝礼だけ参加しました。二十分ほど暇を潰してからバスに乗り込みました。目的地は九十九里にある合宿所です。
到着すると割り振られた部屋に先ず荷物を置きました。直ぐに最初の講義が始まります。会社の理念や行事についての話の後に根性論の講義がありました。
初日にして私はげんなりしました。根性でとにかくやれと言われるのには抵抗がありました。無駄に自己啓発本を読んでしまった後遺症でしょう。
二日目は幸せになる為にはどうするべきかという講義でした。宗教的な香りを感じ取ってしまったのです。
この会社は合わないなと感じました。
それでも折角手に入れた正社員という立場を守らなければいけません。仕事が決まったと報告した時の両親の嬉しそうな顔が頭を過ぎります。それを裏切る事はしたくないのです。私立の中学高校に通わせてもらったのにも拘らず大学受験に失敗し、好き勝手東京で芝居をしてきました。両親をこれ以上失望させるのは心苦しいのです。
講義の際は一番前を陣取って講師の方が質問をすれば大きく手を挙げて、やる気だけは人一倍に見せていました。
けれど私は完全に空回りしていました。
三日目はリーダを決める選挙式のイベントがありました。これにも挙手して参加しましたが誰一人私に票を入れる事なく呆気なく落選しました。その結果は私のやる気を無くさせるのには充分でした。
あまりの不甲斐ない結果に私は過呼吸を起こしました。苦しくて母に思わず電話しました。心配し乍も暖かく応援してくれる母の声を聞くと、頑張ろうと奮起できました。
それ以降も皆がウィンウィンになる為にはどう行動すべきかという様な講義が日々続きました。
私はウィンウィンという言葉を毛嫌いしていました。上から目線であなたもこうすれば幸せでしょう、という押し付けがましい考えが透けて見えるのです。他者がどう思うかなんてどうやって判断するというのでしょう。
しかしこの密閉された空間では、私の考えは悪でしかありません。間違ってもその悪を空間に出してはいけません。居場所がなくなってしまうに違いないのです。
段々人といる事が苦痛に感じる様になりました。
合宿が終わる頃には私という人間は器が小さく酷く矮小な考えを持った見窄らしい益体なしの様な気になっていました。
会社が求めるものが正しいのだとすれば私は間違いです。変わらなければなりません。
合宿が終わると仕事の流れを学ぶセミナーが一週間ありました。通常業務のマニュアルを頭に叩き込んでから店舗勤務が始まります。事前に学んでいた為、業務自体は何の問題もなくこなす事ができました。
店長は男性でした。女性が八割を占めるこの会社で上司が異性というのはとても珍しいのだそうです。同期の中で上司が男性というのは私だけでした。それどころか勤務する店舗に男性がいるというのも私だけでした。
店長の作る雰囲気は居心地が良く何とかやっていけると思えました。
どうすれば店舗が良くなるのか、働きやすくなるのか、その事が頭を占領していて仕事にやり甲斐を感じていました。
一方で寮での私は完全に孤立していました。
同期の多くは早番だったのですが私は遅番でした。まず時間が合わないのです。その上他人と共に行動する事が苦手な私は、同期全員が集まるセミナーの日ですら時間をずらして寮を出ていました。お昼ご飯もグループに分かれて楽しそうに取っている同期を尻目に、一人でカフェに入ってのんびり過ごす事を選択していました。その時間は私には癒しの時間なのでした。
学生時代もお昼休みには教室を飛び出して部活の友人の教室で食事を取っていました。何処へ行くのにも一緒に行こうという様なお誘いが私は苦手でした。
そういった性質というのはなかなか変わるものではありません。
休みの日も寮にいる事が苦痛で、東京に住んでいた頃一人で飲みに行っていたバーに顔を出したり、新規開拓をするべく街に繰り出していました。仕事とは全く関係のない場所で仕事中の私という人間を知らない人達とお喋りをしたかったのです。
東京勤務最後の月には店舗の従業員とも仲が深まっていました。仕事後に終電迄の僅かな時間ではありますが居酒屋で一杯引っ掛けて帰る事もありました。
それでも私は大阪に早く帰りたくて仕方がありませんでした。
個室ではありますがキッチンや洗濯機などは共有です。そして寮は禁煙です。私はヘビースモーカーなのでした。
三ヶ月という月日を何とか耐え忍び、大阪勤務になりました。
新しい店舗の店長は女性でした。男性社員は一人もいない店舗です。
東京の店舗は顧客満足度を上げる事を重視していました。月契約の顧客に継続して貰う事を重視していた為私はやりやすかったのです。しかし大阪の店舗は何をおいても売り上げというスタイルでした。
会社の商品が嫌いだという訳ではありませんでした。やれと言われた事は何とかこなしてはいましたし、売り上げ成績が悪いという訳ではありませんでした。
商品を勧めた結果いらないと言われればあっさり引いてしまう私を店舗の人達が快く思っていない事は、何も言われずとも感じ取っていました。それでも私はそのスタンスを崩しませんでした。
大阪に戻ってから眠る事が困難になりました。
遅番ばかりだった勤務時間は早番、中番、遅番とバラバラになり、元来夜型だった私の生活リズムは狂っていきました。
きっとそれが眠れない理由だと嘯いて一ヶ月を乗り切りました。
常に忙しい店舗でしたので一日にやるべき業務を必死にこなしていました。
コミュニケーションを上手く取れない為でしょう。膨大な自分に与えられた仕事をこなナスと、先輩方は当たり前の様に彼女達の仕事を押し付けてきました。そんな余裕はないと断る事ができず、残業をする事が増えました。終電にギリギリ駆け込む事も何度もありました。
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