第4話 さあ電車に飛び込もう

 二ヶ月目に緊張の糸がプツリと切れてしまいました。

 ゆうちゃんに電話をしたのです。

 彼女はママ友ができたのだと明るく言いました。前向きになった彼女に愚痴をこぼす事は良くないのかも知れません。けれど誰かに話したかった私は無遠慮にも滔々と語りました。

 先輩は自分の不出来を私に押し付けて如何にも私は頑張っているというポーズをとるのだ、ポーズを上手くとれる人が評価を得られるのは納得がいかないという自分本位の不満をぶちまけたのでした。

 ゆうちゃんは「頑張れば評価はしてもらえるよ」と明るく言いました。それはまるで私の努力が足りないと言われている様で苦しくなりました。私の頑張りは他人から見れば不十分なのでしょう。

 誰かに相談してもきっと否定されるーーそう思うと不満なんて言えなくなりました。

 それからでしょうか。

 人と目を合わす事ができなくなりました。誰かと話すのが恐ろしく、上手く言葉が出なくなりました。他人の発言が全て私を責めている様に感じてしまうのです。

 卑小な私を認めてくれる人などこの世の中には存在しないのです。

 他人の視線が私を監視しているのです。

 失敗をしてはいけない。正しい事以外はしてはいけないのだと常におどおどとしていました。何が正しいのか分からないまま闇雲に怯えていたのです。

 それは私が一番なりたくない姿でした。理想の私というものはどこか遠くへ旅立ってしまったのだと知りました。

 通勤中ふと思いました。

 このまま電車に飛び込んでしまえばきっと怪我をするでしょう。そうすれば会社に行かなくて済むのではないでしょうか。

 電車が近づいてくる告知があると私はホームの端に立ちました。さあ飛び込むのだと頭の中でもう一人の私が囁くのを反芻しました。だというのに飛び込む勇気さえありませんでした。

 到着した電車の扉が開き私を招きます。

 お腹の痛みを感じ乍ら電車に乗り込んで座席に座りました。

 どうしてだか涙が溢れました。ぼろぼろと情けなく溢れるのです。俯いた私が泣いているなんて、きっと誰も興味を抱きません。それでも欠伸のふりをして目を擦りました。涙は止まりませんでしたが、誰も私を見る人はいませんでした。

 その日の休憩時間も私は職場を離れました。スタッフルームに残れば誰かとその場を共有しなければならず休まる事ができません。近くのファミリーレストランでいつもの様にパスタを頼みましたが、半分も食べられませんでした。ドリンクバーで珈琲だけお代わりしてお腹を膨らませました。

 戻らなければいけない時間です。何だか吐きそうになりました。

 職場に戻ってすぐ気分が悪くなりトイレで嘔吐しました。きっと疲れているのでしょう。今日は六連勤目の十二時間拘束の日でした。

 スタッフルームに戻ると同僚に顔色が悪いと指摘されました。愛想笑いを浮かべて急いで化粧直しをして休憩を終えました。顔色が悪いというのは表面上の心配だったのでしょう、彼女はその後大量の仕事を残して帰ってしまいました。その業務を終えた時には終電は既に発車している時間でした。

 同僚から「大丈夫?」と心配されましたが「大丈夫です」と答えてタクシーを拾いました。本当は金欠で大丈夫なんかじゃありません。けれど「どうしましょう」とは言えませんでした。

 タクシーの中で私は疲れ果てて眠りこけました。家に着くと化粧落としシートを顔に擦り付けてパジャマに着替える事もなくベッドに倒れこみました。

 教室にいました。

 小学生の頃の友達、中高時代のクラスメイト、部活の友人、会社の同期、職場の同僚、東京の店舗の同僚達がそこにいます。誰なのか分かっているのですが、皆顔がのっぺらぼうなのです。親しげに私は話しかけるのですが誰も私を見ようともしません。同じ空間にいるのに、私は一人ぼっちなのです。

 階段の一番上に立っています。下に行かなければいけません。下りようと足を踏み出したのですが体が宙を舞いました。足を踏み外してしまったのです。しかしいつまで立っても私の足は床に付きません。ジェットコースターが転げ落ちる時の様な浮遊感に体がびくりと震えて、上体を起こしました。

 灯りが点いていました。

 コートを着たまま私はベッドの上で無様に倒れていたのです。

 時計を見ると二時すぎでした。

 パジャマに着替えて電気を消してもう一度私は瞼を閉じました。 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る