縁切り神社

金糸雀

縁切り神社

 俺は、険しい山道を登っていた。前日に雨でも降ったのか、足元はぬかるんでいる。濡れた落ち葉に滑って転びそうになるのを、すんでのところでこらえる。毎日ひたすら家と会社を往復するだけの生活で、運動をする機会もない俺は、息を切らしながら頂上を目指していた。明日は筋肉痛確定だな。俺は内心、独り言ちる。


 俺には、2週間ぶり、しかもたった1日の貴重な休みを丸ごと消費してでも、やりたいことがあって、こうして山道を登っている。この山の頂上には、知る人ぞ知る有名な縁切り神社があるのだ。


 なんでも、何かと縁を切りたいという者の願いを、かなり強引な形で、でも、確実に叶えてくれるのだそうだ。ネットでは、『職場の嫌いな人と離れたい』と願ったところ、願った本人が労災事故に遭って入院し、怪我の程度が重かったためにその職場を退職せざるを得なくなり、結果的に「自分が退職する」という形で確かに「職場の嫌いな人と離れる」という願いは叶ったが、叶え方が怖すぎる――などという体験談が書かれていたりする。


 なるほど、願いを叶える手段には大いに問題があるとしても、確実に叶えてはもらえるというわけだ。俺には、たとえどんな強引なやり方ででも構わないから、絶対に叶えてほしい「縁切り」にまつわる願い事がある。だからこそ、こうして山登りをしているのだ。


 へとへとになりながらその神社に辿り着いた俺は、小さな賽銭箱の前に立ち、神社に参拝する時って拍手とお辞儀は何回ずつするんだっけか、と記憶を辿った。――そうだ、確か「二拝二拍手一拝にはいにはくしゅいっぱい」だ。


 俺は2回お辞儀をした後、2回手を叩き、そして最後にもう1度お辞儀をした。これで合っているはずだ。


 そして、願った。


 『俺はもう、ブラック企業では働きたくありません。

  神様、何卒なにとぞお願い致します』


 翌日、筋肉痛にきしむ身体で、いつも通り早朝から深夜におよぶ激務に耐え抜いた俺は、人もまばらな終電に乗り、うまい具合に空いていたロングシートの端の席に座った。そして、スマホを手に取り、ニュースチェックを始めた。話題のニュースについては押さえておく方が、取引先との会話がしやすい。だから、どんなに疲れていても、俺は、毎日のニュースチェックを欠かさず行っていた。


 ある見出しが俺の目に入った。なになに、「『ブラック企業』使いません」――どういうことだろうか。俺は、画面をスクロールして本文を読み始めた。


 ≪厚生労働省は今日、「ブラック企業」という表現について「俗語的表現であり、実態が伝わりにくいため、用いないように」と求める通知を省内に出した。「ブラック企業」に代わり明日から用いる表現として――≫


 俺は、1ヶ月あたり3日休みがあればよい方、過労死ラインを余裕で上回るほどの膨大な時間外労働をしているのに残業代ゼロ、課せられるノルマは到底実現不可能なほど厳しいもので、上司は何かと当たり散らしてくるし、取引先は無理難題ばかり吹っ掛けてくる――そういう会社で働いている。ブラック企業の典型といって差し支えないだろう。


 しかし、このニュースによると、俺の働く会社は「ブラック企業」ではないことになるようだ。それも、明日から。随分と急な話だ。しかし俺はただ、「もっと人間らしい暮らしができるような働き方をしたい」そう願っただけのつもりだった。たとえば週1日は休みで、残業をしたらきちんと残業代が支払われる。理不尽な上司に暴言を吐かれたりすることもない。その程度でよかったのだ。それなのに。


 俺は明日からも、「ブラック企業」とは呼ばれなくなるだけで、実態は何も変わらないあの会社で、働くことになるのだ。つまりあの神社の神は、そういう「かたち」で、俺の願いを叶えたのだろう。


 確かに俺は疲れていた。だから、願い事の内容が少々曖昧で、雑だったかもしれない。それは認めよう。だが。

 俺はスマホを右手に持ったまま、顔を膝に埋めた。絶望感と脱力感に襲われる。


 そうじゃない。そういうことじゃないんだよ。神様。




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縁切り神社 金糸雀 @canary16_sing

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