第8話 妹の民

 「皆様、本当にありがとうございました。なんとか辿り着けましたけど、ここに来るまでに、迷惑をかけてばかりで…」

 登山道の門まで下りてくるなり、珠はそう頭を下げた。いいのよ、と鹿乃子が首を振る。

 「報酬なんですが、実は私の実家に置いてきているんです。すぐ近くにあるので、取ってきます」

 珠の駆け出す背中を、紋三郎は複雑な思いで見ていた。

 結局彼女は何なのだろう。姿も声も由良によく似ているのに、由良ではないと言う。もし本当に由良でないなら、由良が故人であることを知っている理由が分からないし、由良だとしても何故正体を隠すのかは謎だ。…それに、由良は亡くなったんだ。死んだ人間は人間として復活などしない。

 そんな考え事をしていたからか、それとも単に相手が手練れだったのか。

 紋三郎の頭に突然衝撃が走り、がくりと上体が倒れる。電灯がふっと消えるように前が見えなくなる。なんだ。なんだこれは。何が起こっているんだ。

 彼の記憶は、一度そこで途切れている。



 目を覚ます。木の香りがする。少し床が湿っている。ここはどこだろう。…なんで、ここにいるんだろう。

 背中で両手を縛られた紋三郎は、ぼんやりとした頭のまま身体を起こした。太い木で組まれた小屋の外からは何も聞こえない。自分の刀や荷物もみあたらない。周囲に人がいない空間に、閉じ込められてしまったようだ。

 小屋の中全体を見渡しても、鹿乃子や幸人、円は見当たらない。きっと別の場所へ連れていかれたのだろう。…何のために?と紋三郎は呟く。

 「術を使うためよ。妹の民の術には生け贄がいるの」

 「うわっ!…由良、じゃなくて珠さん」

 「しっ、静かに!」

 珠の鋭い声が紋三郎を貫いた。そのあまりの剣幕に、彼はひっ、と小さく叫び声をあげる。

 「妹の民の使う術は本当に万能よ。死人を生き返らせることだってできる。…でもそれには代償がいるの。…人間の命が」

 「…そんな」

 「残念だけど、本当よ。あなたの仲間…最初はあの男だったかしら…も、もう助からない」

 「…だめだよ。僕…僕、見捨てるなんて…人を救う為に努力してきたのに、人を見殺しにするなんて」

 「ここで逃げないなんて自殺するのと変わりないわ」

 珠はそう言いながら、紋三郎を支えて立たせた。

 「あなたが術を止めに言っても無駄。しのぶ様もお許しにならないし、仲間を贄にして殺されるだけよ。お願い、逃げて」

 珠は立ち上がり、紋三郎の手を引っ張り小屋の戸を開ける。ちょっと、と制止する声も、その耳には聞こえていない。

 彼女は嘘をついている。珠は妹の民に救われてから与えられた仮の名で、本当の名は由良なのに。…しかし、それを伝えたら、紋三郎は自分を妹の民から連れだそうとするだろう。民に代々伝えられてきた贄術にえのすべが使える私を、しのぶ様が逃がすはずがない。間違いなく殺される。ならせめて、せめて紋三郎だけでも。

 強い願いを込めて開いた扉の先に立っていたのは、すらりと背の高い冬のような女性だった。

 「…しのぶ様」

 「…珠よ、裏切ると言うか」

 冷たい声が珠を襲う。吹き荒ぶ北風のように、荒れ狂う吹雪のように。

 「いえ、これは」

 「言い訳は無用よ」

 す、と珠の首筋に当てられたのは、きらりと滑らかに光る刀の先だった。

 「そなたを拾ってからしばらくたったな。我からすれば短き間であったが、そなたからすれば大きな恩であったろうに…地獄で恥を知るといい」

 びゅう、と刃が唸り声を上げる。やめろ、と叫びながら縄をほどこうともがく紋三郎の声も、もうすぐ止まるなんて知らないように動く心臓の鼓動も、どんどん遠くなっていく。

 私、また死ぬのか。炎の中で一度死んで、もうあんな思いしたくなかったのに。したくなかったのに。

 珠、いや、由良は目を瞑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

だんだん過去になっていくから、 モブようじょさん @aypataypat

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ