僕は絶対に騙されない

小石原淳

第1話 騙されたので騙してみる

 中学生の頃だったかな。詐欺のニュースを見る度によく感じてた。

 何でこんな手口に簡単に引っ掛かるんだろう?って。

 中学生の僕にだって分かる。ひょっとしたら、小学生でも高学年なら分かるんじゃないかな。その話、おかしいよ怪しいよ、どうして気付かないの、と。

 詐欺の被害に遭った人が悪いとは決して言わないけれども、きっと不注意や油断なんかがあったんじゃないかと思う。

 そういった詐欺の報道をいっぱい見聞きしてきたせいか、僕は絶対に騙されないぞと言う自信がある。クラスの他の子もだいたい同じような気でいるだろうし、実際、お喋りしていてたまに詐欺のニュースが話題になると、「あんなのに自分は絶対に騙されないよ」って皆、口々に言う。

 だから、僕はその内試してみたくなったんだ。本当にみんな、騙されないのかどうかを。

 もちろん、詐欺を仕掛けるつもりは全くない。お金や物を盗る気はないし、一時的に取ったとしてもその場で種明かしをして、返すんだ。


 まずは、僕がこれまでの人生で最後に騙されたときのネタにしてみた。

 あれは僕が小学三年生ぐらいのお正月だったと記憶している。親戚のおじさんの家に遊びに行ったとき、おじさんがお年玉をくれたあとに言ったんだ。

「そうだ、優一ゆういち君。例えばの話になるんだけどね。ここにガラスのコップがあるだろ」

 そう言っておじさんは、まだお酒を注ぐ前のコップを、テーブルに置いた。

「今あげた三千円を、ちょっと入れてみて」

「こう?」

 剥き出しのまま渡された千円札三枚を、僕はコップに挿し入れた。

「そうだ。おじさんも出そう。はい、三千円」

 おじさんも財布から三千円を取り出し、コップに入れた。

 そこからの話がちょっと長くて、部分的にしか覚えていないんだけれども、その覚えているというか、印象に残っているのはこれ。

「コップを使った心理テストというのがある。聞いたことないかい?」

「ない」

「このコップに、優一君の好きなジュースが入っているところを想像してごらん。ただし、なみなみと注がれてるんじゃないよ。半分だけだ」

「……想像した」

「その様子を思い浮かべて。優一君ならどう感じるんだろう? コップにジュースが半分は、多いと思うか少ないと思うか」

「……半分なら、まだ多いかな」

「そうか、まだ、か」

 おじさんは意味ありげに笑って、「優一君は楽観主義者だ」と言った。楽観主義という言葉をその頃はまだ知らなかったので説明してもらってから、

「『コップにジュースがまだ半分もある』と考えるのは楽観主義者で、『コップにジュースがもう半分しかない』と考えるのは悲観主義者だという、心理テストだよ」

 そういう感じの話が終わってから、おじさんはコップを指差した。

「長い話に付き合ってくれてありがとう。お礼に、ちょっとした取引のチャンスをあげよう。このコップ、中身ごと四千円で買い取るつもりはないかな」

 このときの僕は、え、六千円の入ったコップを四千円で? 二千円も得じゃん!て思ってしまった。一も二もなく、「買う」と返事した。

 すると近くで見ていたお父さんが「おいおい、本当にいいのか」とため息交じりに言った。

「六千円の内の三千円は、誰が出したのかをよく思い出せよ」

「あ」

 めっちゃ恥ずかしかった。いくらおじさんの長話が挟んであったからって、こんな分かり易い騙しに引っ掛かるなんて。

 あれ以来に違いない。僕が騙されないように強く警戒するようになったのは。

 さて、絶対に騙されない自信のある中学生に、小学生の僕が引っ掛かったネタをぶつけてみたら、当然全員騙されることはないだろう。軽いジャブみたいなもんだと思って、試してみた。金額を下げて、五百円ずつ出して七百円で買わないかと持ち掛けるのだ。

 結果は意外にも、二割近くが引っ掛かった。十一人中二人とサンプルは少ないんだけど、これって結構高いんじゃないか。試したのは男子ばかりだったので、女子ならもしかすると引っ掛からないかもと、三人にやってみた。一人が引っ掛かった。恐らく、男女差はない気がする。

 僕は、最後まで騙されない人がいるのかどうかを知りたくなって、他の騙しのネタもどんどんやってみることに決めた。

 もちろん、そういったネタをたくさん知っていた訳じゃないので、学校の図書室や町の図書館に行って、詐欺を描いたフィクションや同じくテーマにしたノンフィクション、クイズ・パズル本にマジックの解説書なんかを読み漁った。途中で、ネットで検索すればごろごろ出て来ると分かって、徒労感を覚えたけれども。

 そうやって身に着けた物の中から、実際の詐欺に使えるようなのは外し(だってクラスメートが将来、詐欺を働いて捕まったら嫌だし)て、ちょっとした引っ掛けばかりを選んで、友達相手に試した。

 あと、書籍にしろネットにしろ、拾ってきたネタは相手が知っている可能性もあるから、できる限り僕なりのアレンジをした。中身は同じで看板を変えただけ、みたいなものでも気付かれることはなかったけどね。


 「あなたは一人では○○できない」シリーズとでも呼ぶべきネタがある。たとえば、ペットボトル飲料を買ってきて、「このキャップ、滅茶苦茶固い」と前振りする。その上で友達に、「これ、きみが一人で飲めたら、あげるよ。でも一人で飲めなかったら、代金をくれ」と持ち掛ける。たいていは受けるだろう。そして友達がキャップを簡単に開けて、飲み出したところで、僕は隠し持っていたもう一本のペットボトル飲料を取り出し、おもむろに飲み始める。で、「な、一人ではなく、二人で飲んだだろ?」とやる。相手を間違えると結構怒りを買う。

 これの応用で、あなたは一人では学生服を脱げない、というのもやった。大きめの輪ゴムで詰め襟のところをぐるっと一周巻いてから、「さあ、これで一人では学生服を脱げなくなった」と持って行くのだ。意外だったのは、さっきのペットボトルのやつに引っ掛かって、この制服のにも引っ掛かるのが数名出たこと。何で学習しないんだ。人の話聞けよって思う。


 ちょっぴり賢い奴がころころ引っ掛かったネタがあった。

「ここに四枚のカードがある。それぞれ表に○の図形、△の図形、赤一色、青一色になっている。“○の裏には必ず赤が描かれている”という命題の真偽を確かめるには、最大で何枚のカードの裏を見る必要があるだろう?」

 この設問に対し、直感的に答える人はだいたい○と赤のカードと答える。無論、間違いだ。

 少し考える人は、これに青を加えた三枚と答える場合が多い。残念、これも外れ。

 正解は、○、△、青の三枚。

 まず、○をめくらなければならないのは当然だ。○の裏が赤以外なら、命題に対する答はノーになる。

 青をめくる理由も分かりやすいだろう。青の裏が○なら、やはりノーだ。

 ちょっとした思い込みにはまっている人は、△をめくる意味が分からないだろう。図形の裏には色が描かれている、図形と色は必ず組になっているんだという思い込みだ。実際にはそんなルールはない。△の裏が○だったら、ノーである。

 では何故、赤をめくる必要がないのか。ここにまた別の思い込みが生まれ得る。赤の裏が何であろうと、命題には無関係。じっくり考えれば誰だって正解に辿り着けるに違いないから、なるべく急かすのがこつだ。


 このような問題を次から次に――と言っても日の間隔はだいぶ空けてたけど――出していき、一つも引っ掛からなかったのがクラスに一人いた。


 つづく

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僕は絶対に騙されない 小石原淳 @koIshiara-Jun

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