Ⅱ
『初恋は レモンの味』
端末から著作権切れの楽曲をランダムに聴いていたら、そんなフレーズが悲しげなメロディーと共に聞こえてきた。
私ははっとして、息を呑んだ。そのまま、曲を止める。
座っている位置から左手側を見れば、真っ赤な夕暮れに街が飲み込まれている瞬間だった。
バスで揺られているだけなのに、心臓の音がだんだんと大きく、早くなっていくことを意識してしまう。
レモンと夕日、それで思い出すのは、地球行シャトルのパイロットだった父のことだ。
父は私が六歳になる前に、シャトルの事故で亡くなった。見つかったブラックボックスの会話から、父が夕暮れを見ながらレモン水を飲んでいたことが分かっていた。
ビルの向こうに隠されていて、太陽は見えていないが、街は隅々まで赤色に染められている。
遠い遠い地球の上で、父もこれくらい赤い夕陽を見ていたのだろうか。
鼻の奥がつんとした。泣き出す前兆だと分かる。
父が亡くなってから十一年、何度も夕暮れを繰り返しても、私はこの瞬間に湧き上がる感情に慣れることができない。
鞄を開けて、本を一冊取り出した。適当にページを開いて、そこに顔を近づけてから深呼吸する。
古い紙の匂いは、いつも私を落ち着かせてくれる。少し冷静になって、改めて父のことを考え始めていた。
父の死因は事故だった。要人用のプライベートシャトルだったので、テロの可能性も調べられたが、機体のトラブルが原因だったらしい。
事故の状態は酷いもので、乗っていた人は全員死亡。一名、遺体が見つからない人もいた。
私のひいおばあちゃんは百歳超えても一緒に散歩できるくらい元気で、おじいちゃんとおばあちゃんは体の悪いところを機械で補って生活している。
それでも、人が死ぬということは起こりえるし、生き返ることもできない。
だからこそお母さんは、お父さんが死ぬ前に何を見て、どんな言葉を残していたのかを知りたかったのかなと、まだ星の影すら見えない赤い空を見て思う。
ブラックボックスの中の会話の一部は、許可をもらってコピーしてもらい、お母さんが大事に残していた。父の命日が近くなると、よくそれを聞いている。
でも私は、その会話を聞いたことがない。お母さんも無理に聞かせようとはしない。
はっきりとした理由は自分でも分からなかった。単純に、父は最期を迎える前に、どんなことを考えていたのかを知るのが怖いからだろう。
……レモンと言えば、初恋よりも別の詩を思い出す。詩人の奥さんが病床で、レモンをがりりと齧るという内容だった。
私も、すごく小さい頃にレモネードを飲んだことがあったけれど、その時の味はもう覚えていなかった。もう、私の中では、死とレモンが強く結びついているから、これからも食べることはない気がする。
分厚いガラスの窓の外は、時が止まってしまったかのような夕暮れだ。本を開いたまま、怖くても目が離せない。
私は、父をも飲み込んでしまった、紅色の夕暮れが嫌いだった。
夕紅とレモン味 夢月七海 @yumetuki-773
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
箇条書き日記最新/夢月七海
★34 エッセイ・ノンフィクション 連載中 1,637話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます