第5話 どうせ、偽物の夏なのに
「……」
なぜ彼女に協力しているのか。その問いはあまりにも簡単なものだった。
「彼女が羽田雫だからですよ。サトリ」
「……理解できません。あなたはNPCです。であれば、これがどれだけ無駄なことかおわかりでしょう?」
「もちろんですよ」
「なら、どうして」
「簡単なことです。この行為が無駄だということと、僕が彼女を手伝うのは、まったくもって別の問題だからです」
確かにこの行為は無駄だ。これはゲームの世界だから。NPCはそれを一番わかっている。プレイヤーは何を求めているのか知らないが、よくこの世界にやって来る。羽田雫もその一人だ。
プレイヤーがいるという事実は、僕らにとって「この世界は偽物だ」ということに等しい。否応なく、NPCはその事実を受け止めることになる。
偽物の世界で、何をしたって無駄だろう。それが僕の考えだ。いや、NPCすべて、あるいはこの世界のシステムですら、そんなことを思っているかもしれない。
でも、僕は彼女に協力しないわけにはいかない。なぜなら僕は、逆巻健司の生き写しだから。彼の人格がコピーされている以上、僕が逆巻健司であるためには、彼女に協力しなければならない。
端的に言ってしまえば、逆巻健司は羽田雫に好意を抱いていた。彼女のためなら、嫌なことも嫌々ながらしてしまうのだ。彼はそういう人間らしい。だから、僕もそうありたいと思う。
「やはり理解できません。私とあなたは、同じのはずなのに」
「ええ、同じでしょう。でもサトリ、あなたは僕じゃない」
サトリは黙っていた。僕の言葉の意味を理解しようとしているのだろうか。職員室に静寂が満ちる。しかしそれは、一瞬にして破られた。
「ごめんね! サトリ!」
雫がいつの間にかサトリのすぐそばまで接近していた。勢いのまま、サトリに打撃を加える。無茶だ。僕らでは上位存在であるサトリにダメージは……。
「き、効いてる?」
「えっへん!」
雫は僕に向かって何かをヒラヒラさせている。よく見ると、それはグローブだった。ペラペラで黄色く光っているが、しばらくしてデータの破片となって消えてしまう。
「さっきもらっておいたんだ」
どうやら管理システムを使って手に入れていたらしい。
「一回しか使えないけど君もやっちゃってね?」
ん? 手元を見ると、彼女が持っていたのと同じグローブが握られていた。雫が距離を取る際に何か押し付けてきたと思ったが、これか。
「どうすれば良いの?」
「それを手に付けて、一発殴れば良いよ!」
「わかった」
とは言っても、どうするか。サトリは雫による一撃で体勢は崩したものの、今はすでに起き上がっている。
「わわ!」
雫にも反撃をしたようだ。さすがに上位存在。一筋縄ではいかない。
そんなことを考えているうちに、サトリの攻撃が僕にまで向かい出した。
「うわっ」
体勢が崩れる。慌てて持ち直そうとしたがうまくいかず、こけてしまった。
ズドン! という重い音と共に遠慮なくサトリの拳が振るわれる。身体をひねり紙一重でかわすことができたが、当たっていたらお陀仏だ。サトリの拳でへこんだ床は、すでに情報消失が始まっている。
「あはは、やばいね。これは」
警備プログラムはある程度の指示、規則、手順がなければ情報を消失させるほどの行為はできない。データ抹消ビームが打てたのも恐らくサトリが指示したからだと思われる。
サトリには自身の意思で情報を消失させるほどの行為を振るうことが許されている、というわけだ。
「サトリ、やっぱり話し合いを」
ズドン! 再び拳が地面をえぐる。
サトリはすでに対話による解決を捨てたらしく、僕に向かって純粋な殺意を向けていた。いや、この場合殺意と呼ぶのは不適切だろうか。
サトリの攻撃は周囲を次々に破壊する。破壊が破壊を呼ぶ。さすがに、まずい。
そろそろ自分から攻勢に出るべきだろう。早速グローブを手にはめて……あれ?
グローブがない。
しまった! 見ると先程サトリに襲われた箇所にグローブが落ちてある。サトリはそれにあまり興味を示していないのが幸いだが、どうにかしてあれを手にしなければこっちに勝ち目はない。
ど、どうしよう!
自分がどうしようもなく慌てやすいというのは自覚している。それは逆巻健司も同じであった。しかし自覚していても、それがどうにかなるという話でもない。
例に漏れず慌てた僕はサトリに不覚を取られてしまった。
サトリの規格外のボディが眼先にある。もうサトリの顔すら見れはしない。ああ、終わった。これが万事休すというものだろう。僕は自身の慌てやすさと同様に、諦めの速さも自覚している。
ごめんね、と心の中で呟いて静かに眼を閉じた。
……。
……。
……。
……?
いつまで経っても、僕の意識は消失しなかった。サトリの慈悲? いや、あれがそんなものを獲得しているわけがない。僕が眼を開けた瞬間にブチッとつぶす気だろうか? いや、これも同様に、サトリがそんな嗜虐心を有しているわけがない。
なら?
僕は閉じた目を半ば強引に開けた。そこに映っていたのは。
「シズマ?」
「羽田雫ノ命ニヨリ、オ守リシマス」
サトリが暴れたせいで物が散乱し、僕のいる場所は半ば隔離されていた。しかしその隙間から見ることが叶った雫の顔は、ずいぶんと物憂げだった。心配しているのだろうか? NPCの僕を?
ずっと疑問だった。雫は、僕をどう思っているのだろうか?
「『頼ミ』ガ、アリマス」
「何?」
すでにシズマのボディはボロボロだった。ギシ、と軋む音がする。
「『アンロック』ヲ」
シズマの言っていることはすぐに分かった。NPCの僕は知っている。シズマのような特別なNPCには緊急時のオーバーワークを可能にする機構がある。普段は勿論ロックが掛けられている。シズマはそれを、僕に解除しろと言っているのだ。
「でも」
「時間ガ、アリマセン。……背中ノ『パッチ』ヲ開ケテ」
「……わかった」
言われた通りにパッチを開く。わかりやすく大きなボタンがある。アンロック以外の作業でこのパッチを開くことはないのだろう。
……指が震えていた。
「ごめん」
その瞬間、僕の身体は壁に押し付けられる。それだけの衝撃が発生していた。シズマは彼のボディよりもはるかに大きなサトリの巨体を持ち上げ、それを向かい側の壁に押し付けた。
シズマのおかげで僕を取り囲んでいた物々は方々へ散り、視界が広がる。慌てて、静止しているシズマとサトリの方へ走った。
「シズマ?」
返事はない。
「ごめんなさい、シズマ」
駆け寄って来た雫がシズマの機体を見てそう呟く。今にも涙を流しそうなその顔が、すべてを物語っていた。
「そんな」
「でもこれで、サトリは一時停止になった」
そう。サトリもシズマと同様に、動きはしなかった。しかしそれはあくまで、一時停止だ。しばらくしたらまた動き出すだろう。シズマが二度と動かない状態になっていても、サトリに与えられたのはそれだけのダメージだったのだ。
「十分だよ。ありがとう」
雫は一度しゃがんで音を拾わないシズマに告げ、サトリの裏に回る。
「サトリも、本当にごめんね」
そう言ってから何やら作業をはじめた。
「何してるの?」
「すぐ終わる。待ってて」
その言葉通り、雫の作業はすぐに終わった。
「……何それ?」
「ネックレス」
雫が持っていたのは、彼女が身に付けているのと同じネックレスだった。
「それが、目的なの?」
「うん」
「それ、だけ?」
「ううん。だけ、じゃないの。これはとても大切なものなの」
雫が愛おしいようにネックレスを見つめる。
「でも、そのネックレスのためにシズマは」
「それは……。うん。でも彼は、それも承知で協力してくれたの」
「え?」
「私みたいな一プレイヤーが、勝手に権限を譲り受けられるわけないでしょ?」
それって、シズマは……。
「もう時間だね」
そう言って雫は持っていたネックレスを僕に放り投げた。
「プレゼント!」
「は、はあ?」
「それさあ、誕生日に『あっち』で健司君に渡そうとしたのと同じのなんだ。付き合って最初の、健司君の誕生日に」
遠回りな表現だったが、何を言いたいのかはよく分かった。現実世界のことだ。
「何で、それを?」
「だって死んじゃうんだもん。渡せなかったよ」
この世界は記憶を基に構築される。だから僕も知っている。逆巻健司が死んだことを知っている。
「だから、ここで渡すの?」
「いや、違うよ。君に渡したかった。今まで散々わがままに付き合ってもらったお礼」
「別に僕だって、協力したいからしたんだし」
「ううん。今日だけじゃなくて、ずっと。ほら? 健司君が死んでから、私は毎日ここにログインしてたじゃない?」
「そうだね」
「ずっと引きずってさ。みっともないよね? ホント。でもさ」
「でも?」
「やっと気づいたの。君は、やっぱり健司君じゃない」
少しだけ、胸が痛くなる。
「そうなのかな?」
「勘違いしないでね。何て言うのかな。君は健司君じゃなくて、ちゃんと人格のある一人の人間だって、そう思ったの」
「……? どういうこと?」
「えっと……。例えばね、健司君って床に寝ころんだりしないタイプなの。でも君、屋上で寝ころんでたじゃない? まあ、そういうことかな」
「……そっか」
正直、あまり意味は分からなかった。
「それに気付いて、ようやく吹っ切れたの。彼が死んだって、理解できた」
「うん」
「だからそれはお礼。付き合ってくれたお詫び。せめてもの、私ができる君への贈り物」
「一つだけ、聞いても良いかな?」
「何?」
ずっと、言えなかったことだ。でも今なら言える。最初から、制限なんてかかっていなかったのだから。
「この世界は所詮ゲームだ。どうして雫は、こんなことをしたの? 無意味だとは思わない?」
「無意味?」
僕の長年の疑問に、雫はわけがわからないとでも言いたげな顔を示す。
「なんで?」
「だって、ここでの出来事は現実じゃない」
「現実でなくても良いんじゃない?」
「は?」
「だって、この世界があったから私は少しだけ傷をいやせた。彼が死んだって、きちんと理解できた。前を向けたよ。この世界が無かったら、そうはならなかった」
「それ、は」
「それに君は、この世界で生きてるじゃん。だったら、この狭い箱の中が君のすべてだ。別にそれでよくない? 私だって自分の住んでる範囲からは出れないよ」
「でもここは偽物で」
「偽物? 自分が偽物か本物かなんて、問題? 私は私。そして君は、逆巻健司とは違う、君自身だ」
「……そう、なのかな」
「納得できない? まあそれでもいいよ。じゃあ、私はこの辺で退場だ。きっと今回の件でアクセス権とかも剥奪されるだろうから、君とは二度と会えないと思う」
「うん」
「……じゃあね」
雫がログアウト作業に入る。その瞬間だった。サトリが再起動した。それに雫は気付いていない。
再起動したもののまだ身体はうまく動かないらしく、サトリは雫に向けて腕を構えている。腕の先から光が点滅し、それがやがて大きくなる。
見たことがあった。データ抹消ビームだ。
「危ない!」
勝手に身体が動いていた。僕はサトリの腕に体当たりして、ビームを彼女から逸らす。
はあ、はあ。
なぜか息が上がっていた。
サトリは僕の方に顔を向けて、心底不思議そうに首をかしげる。
「君、は。どうして……? 理解、できない」
「ホントだよ。どうしたの? ケンジ君」
雫が僕を見て笑っていた。
「このデータが消えても消えなくても、どうせもう二度とログインなんてできないよ」
「そんなこと言ったら、サトリだって」
「バグを消そうとするのはシステムの本能でしょ」
……。何も言えないでいると、彼女はまた笑う。綺麗だと、また脈絡もなく、そう思った。
「でも、ありがとう」
「雫、僕は」
何をしたかったんだろう。答えが返ってこないと分かっていても、彼女に訊きたかった。
「ごめん、時間だ。……バイバイ」
「待っ――」
そして雫はこの世界から消えた。
蝉の、鳴き声が聞こえる。遠くに聞こえた声が、今は近くに聞こえる。
割れた窓から射し込む日差しが熱い。
湿った空気が鬱陶しい。
運動部の声がわずらわしい。
蝉が、うるさい。
どうせ、偽物の世界なのに。どうせ、偽物の夏なのに。
――私と一緒に、世界をぶっ壊そう
彼女のセリフがリフレインする。
ああ、そうか。僕の世界は、壊されたのか。
どうせ、偽物の夏だから 本木蝙蝠 @motoki_kohmori
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