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目覚めても雨は止んでいなかった。
どの天気予報のサイトを開けてみても、テレビのチャンネルを変えてみても、朝のうち雨は残り昼前には晴れる、そうお天気レポーターは主張した。
もうひと眠りを決め込んでみたものの、眠りは下りてこなかった。
シャワーを浴びて起立したものをどう鎮めようかと思ってみたが、そのうちに萎んでいった。
複数の地図とPCで今後の予定を模索した。
タイヤ交換のために帯広に戻る時に、白糠町、浦幌町、豊頃町、池田町、本別町のカントリーサインを撮りに行ってディーラーのある帯広へ。一泊してそこから先は、足寄町を通ってまた道東へ。今のところ天気は大丈夫そうだ。
そうやって計画を立てていると、雨は知らぬ間に止んでいた。眼下の歩道を行く人々も畳んだ傘を手にして歩いていた。
昨日意気投合したグループに教えてもらった『まるひら』へ朝ラーを食いに出かけることにした。
幣舞橋から先にある高台は未知の領域で、それでも予習のお陰で三十分前に店に着いた。
店が開くまで、雲が消えていく北海道の青空をぼうっと見ていた。どうやら空が俺の知っている大阪の空とは違うらしい。誰かにそれを話すと、空は空で一緒だと笑われるのかもしれないが、どう見ても俺にはまったく違う別物に見えるのだ。昔は空なんて、じっと見上げることなどなかったなぁ、と、自分自身の変化をしみじみと感じた。
馬鹿みたいに口を半開きにしていると、店の人が出てきて暖簾をあげた。
「どうぞ」
そう声をかけてくれた。
俺はガラ携で時刻を確認すると、まだ開店十五分以上前だった。
「まだ時間が……」
「準備は出来ましたから」
急かしてしまったのだろうか?そう俺がカウンターの隅に座って気に病んでいると、一分も経たぬうちに、「いつもの」と明るい声を発しながらおじさんが平然と店に入ってきた。おじさんは俺を見つけると少し不機嫌な顔をした。
これは、どういうことだろうか?俺は、横目でおじさんを観察していて気がついた。俺か数えて三番目に入ってきた事務服のおばさんを見て、おじさんがニヤリと笑ったのだ、
は、はぁ~ん。これはこの店の口開けを狙っていたのだが、俺が先にカウンターに座っていたので、先を越されたと少しムッとしたということなのだろう。キャッチフレーズを付けるとすれば、『一番乗りが好き過ぎるジジイ』というところか。
そのあとも次々と常連客が入ってきて、店員が「いつもので?」と言い、客は頷くだけのことが多かった。そして、満席近い客の半分は女性だった。
運ばれてきた醤油ラーメンは、教えてもらったとおりの熱々だった。レンゲですくうと鼻に力強くたなびく魚節の風味。脂身のないチャーシューと綺麗な色のメンマと刻みネギに正方形のノリ。レンゲでスープを啜ると、コクがあるのにスッキリとしていて、優しさが五臓六腑に染み渡っていくのが体感出来た。麺は細身だがコシがあり少し縮れていた。噛んだ食感といいスッと通る喉ごしといい、鼻から抜ける香りといい、旨かった。スープを全部飲み干したくなったが、まだもう一杯食べると決めていたので、ここはグッと我慢した。
そろそろ塩ラーメンを注文しようと鉢から顔を上げた時、周りの客がラーメンと引き換えにお金を払っていることに気がついた。
到着時に俺も二杯分の料金を払って、今度は澄んだスープの塩ラーメンと対峙した。食うものと食われるもの、いや、食われるものの奥にいるこの一杯を作り上げた人間との真剣勝負だ。
醤油とは違ってガツンと舌に乗っかかってくる味が強い感じがした。醤油も塩も、どちらも仕事の丁寧さを感じることが出来る旨さだった。
元々俺は、塩ラーメンというものを理解していなかった。「これが塩ラーメンだ」とサッポロ一番の袋麺を、子供の頃の俺の意識に植え付けられて以来、それ以外の旨い塩ラーメン、俺を好きにさせるような塩ラーメンに出会えていなかったのだ。見た感じが頼りないのも一因だった。それが北海道に来て『翠龍』で旨い塩ラーメンに巡り合い、そしてここ『まるひら』が、俺の中に塩ラーメンという選択肢を新たに解放させた。
最後はスープまで飲み干すつもりでいたのだが、残念ながら俺の胃がそうはさせてくれなかった。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」と、俺はカウンターの奥に声をかけた。気持ちの良い「ありがとうございました」が帰ってきた。とても良い印象が残る店だった。
表に出ると、空はすっかりと晴れ渡っていて、相棒を何処までも走らせたい気分にさせた。
高台の町並みを当てもなく走らせて、何路線なのかわからない単線の踏切を渡って弁天ケ浜へ。地図にあった名前に釣られて行ったのだが、突き当りにあったロケーションは良くなかった。昔は何か謂れがあるほどの浜辺だったのだろう。ただ海がキラキラとしていただけだった。
もっと東へ走ろうか。そう考えて高台から線路際の道で下っていたら、少し先の海へ突き出ているように見える丘の緩やかな斜面に、平尾台や秋吉台のカルスト台地のように岩が並んでいるのが見えた。そして、その向こうにある遠くの景色には、空にあるはずの白がホリゾントのようにそこにあった。
霧だ。霧の中を走っても何も楽しくない。手前の千代ノ浦マリンパークへ折れて、相棒を停めて、俺は北海道・釧路らしい景色の一つに見入った。
よおく見てみると、丘に並ぶ岩だと思ったものは墓標で、地図では確認出来なかったので、高岡ちゃんから借りているスマホを取り出して調べてみると、そこには霊園と表示があった。
俺は墓標の丘に白い霧が少しずつかかり、徐々に見えなくなっていくさまをじっと眺めていた。初めて見る光景だった。青く広がる空の下で、あるものすべてを飲み込んで俺の視界から消していく。それが海面を這うように徐々に俺の方へ迫ってきだした。まるで俺が決めた“死への期限”のように思えた。
うすら寒くなって俺は、急いで岸壁を離れ相棒に跨った。
ゆっくりと全てを飲み込み追ってくるものから逃げるように、高台の住宅街を抜けて幣舞橋へ向かう坂を下りた。ロータリーの少し手前、坂道の途中にある横断歩道の赤信号に引っ掛かった。待てど誰も渡らないどころか、横断歩道の左右の近くには人っ子一人いなかった。バックミラーには全てを飲み込んだ濃い白が坂の上まで迫っていた。
信号の先の空を見上げながら、こんなに晴れ渡っているのに?と、俺は不思議に思った。そして、何故だかそれに包み込まれると、もう旅が終わってしまうような気になった。だから、青信号に変わると急ぎ気味にスロットルを開けて幣舞橋を渡り切った。
信号をいくつか越えてバックミラーを見ると、濃霧は幣舞橋の対岸を飲み込んでそこに留まっていた。
今まで見たことのない現実で、俺の中に“死”というものを今まで以上にハッキリと実感させるほど圧迫感のある情景だった。
しかし、この街では当たり前のことなのだろう。街を行く誰も振り返ることも見ることもなく平然と歩いていた。
単なる自然現象に妄想を無理やり盛り込んで、勝手にビビっている自分に、俺は笑いが込み上げてきた。この世で一番怖いものは生きている人間だということを、俺は嫌というほど知り尽くしているのだから。
その日は釧路駅の北側の街を走って回ったが、目的もなく住宅街を走り回るのは楽しみがなかったので昼過ぎで走るのをやめた。釧路はとても広い街だ。俺に探せないだけで、この広い住宅街の中にはきっと、釧路らしい何かがあるはずだ。次に来る時までに何かいい情報を拾うことにした。
つぶ焼きかど屋横のセコマで今夜の寝酒を少し買って帰り、眠れそうだったので夕方までホテルで眠った。
ガラ携のアラームがピッピピ、ピッピピと五月蠅く鳴いた。
俺は何か夢を見ていたはずだったが、ほとんど覚えていなかった。ただ、誰だかわからないが遠くに立つ女性が俺に手を振りながら微笑みかけていた。それはハッキリと覚えていた。
シャワーを浴びて夜の街に出かけていった。今夜は釧路発祥の炉端焼きを堪能しようと思っている。
相変わらず徒歩では遠かった。滋賀に住所を移した場所には八幡堀やヴォ―リス建築が多数あって、一週間に最低二回は一時間程散歩をしているのだが、こういう街中を歩くのはとても疲労感が増すのだった。
十五分ほど歩いてやっと炉端の店に辿り着いた。
店に入ってから、失敗したと感じた。何人かのグループでワイワイやりながら自分達で食材を焼くBBQシステムで、一人で行く店ではなかった。
朝食べた二杯のラーメン以外食べていないにもかかわらず食欲も沸かず、殻付き帆立を二枚とエビスを頼んだ。普段から料理をしない俺には、ホタテの焼き加減など知る由もなく、焼き過ぎた帆立にげんなりしながらすぐに退散した。
闇雲に末広町を歩き回って、年季の入った店構えの炉端の店を見つけた。俺は導かれた気になってそこに飛び込んだ。
店内は、炉端を囲むようなカウンターとテーブル席が三卓あるだけの小さな店だった。先客はカウンターに三人組の老年の男性グループだけ。女将らしき着物を着込んだ年配の女性が差し出した箸袋には、カタカナで『ピリカヌタイ』と書かれてあった。
サッポロクラシックで喉を潤しながら、メニューをじっくり吟味してから八角とつぶ貝の刺身に決めて注文すると、最初の一杯があとひとくち残るところで、この店の名物らしい先付の牡蠣豆腐が運ばれてきた。厚岸の牡蠣だという。出汁の香りも芳醇だった。すぐに牡蠣を一粒口に運んだ。旨い。旨かった。火の入れ方が抜群だった。
俺は一息にビールを胃に流し込んで、お勧めの日本酒を燗にしてもらった。これは当たりだ。大当たりだ。ビールよりもポン酒がいいと舌が言っている。
豆腐にもしっかりと味が沁みていた。燗酒ととても相性が良かった。
アルコールが入って食欲が増大してきた俺は、「シシャモと何か腹に溜まりそうなものを」と注文すると、「シカがあるけど食べられますか?」そう女将さんが言った。俺はそれほどジビエ料理は得意としない。野性味とやらが俺には邪魔だった。が、とても北海道らしい食材だと思いそれを頼んだ。
刺身が運ばれてきた。八角はボリュームがあったし、つぶ貝も真つぶらしく大振りだった。
俺は堪らず醤油もつけずに真つぶを口に入れた。コリコリとした歯ごたえにじんわりとくる甘さが堪らない。一度燗酒で口の中を洗ってから八角を食べた。舌に触れただけでも活きの良さがわかるほど弾力が強かった。歯が身に入って行く感触までもが旨かった。
しっとり飲もうと思っていたのに、杯が進み過ぎだった。
ふと昼間見た霧を思い出すのと同時にさっき見た夢が蘇ってきた。彼女が立っていたのは橋の向こう岸で、昼間の濃霧のような灰色の得体の知れないものが、俺に向かって笑顔で手を振っているその女性を飲み込んでいったのだった。
やはり俺は死にぞこないである以上、まだ経験していない“死”というものに恐れをなしているのだ。
まったくなんてことだ。こうやって楽しく飲み食いしながら旅をしているだけで、俺の寿命はチャリンチャリンと音を立てて減っていっているというのに、誰もが経験する“死”というものに対して、怖さを抱いてしまったのだろうか?弾かれる前は、いつ死んでもいいように生きていた。一度心臓を止めたせいだろうか?まったく無様に落ちたものだと、あの頃の俺は笑うだろう。
燗酒が食道を通る時に思った。残る金額分だけ生きられるとは、何とも痛快、愉快なことじゃないかと。もしかしたら、何処かで増えるかも。
“生きたくても生きられない人もいるのに”などと、ほざく奴らはいっぱいいる。けれど俺の命は俺のものだ。今は小銭以外何も持っていない俺が、昔のように生きようにも生きられない。身体を張って頑張ろうにも頑張り切れない。すぐに腹の大動脈が膨らんでジ・エンドだろう。それに身体の根底にある目に見えない、何かで計測することも出来ない何かが、身体からスッポリと抜け出てしまっているのだ。白い部屋の中で目を覚まし事実を聞かされた時、俺には狂うほどの怒りを吐き出す力が無くなっていた。そして、抜け殻になった俺に、世界はもう変えようのない現実を見せつけた。それ以降、朝井に撃たれたあの時に死んでいれば良かったと何度思ったことか。それでもどう生きようか悩みに悩んだ結果の話だ。それに俺が死んでも誰も困らない。徳永と高岡ちゃんがちょっとばかり悲しむぐらいだ。今の俺にはこの旅を完遂すること以外、大切なものはないのだ。自分の身勝手な考えを俺に押し付けてもらっちゃあ困るんだ。こうやって生きていれば何か思いつくかもしれないが、この国で生きている以上、金の切れ目が“生”の切れ目なのだ。
そんなことを考えながら八角とつぶ貝の刺身はなくなっていった。俺はもったいなかったと悔いた。
「お待たせ」
焼き場にいたもう一人の中年女性によって、俺の目の前に鹿のステーキが運ばれた。箸で食べられるようカットされている。
「生姜醤油で食べてね」
嫌なことは忘れてジビエに舌鼓を打つのだ。
キッチリと火の通った感じだったが、噛むと柔らかかった。臭みもなく美味しかった。今まで食べたことのある中で一番かもしれなかった。
「どう?臭みないっしょ」
「ええ、とても美味しいです」
「良かった口にあって。変わった髪型してるね。どっから来たの?」
「大阪です」
「ほー、大阪。仕事じゃないっぺ?観光で来たの?」
この女性はなかなかの話好きだった。
「はい、観光です。バイクでぐるっと」
「あれっ、バイクで。まだ寒いっしょ」
「十勝が暑かったから気持ちが良いですよ釧路は。僕の求めていた北の大地っぽくて」
「そうかい。まぁゆっくり飲んでいってね」
そういうと中年女性は三人組の様子を見に移っていった。
半分ほど夢中で食べたところで店のドアが開いた。外にある冷気が俺の足元を流れていった。
長髪を後ろで束ねた髭面の男が入ってきた。
まるで絵から抜け出たアイヌの人みたいだった。何処で見た絵だったのだろう?俺は知っているはずなのに思い出せなかった。
男は席に着くことなく店の奥に行って、女将さんに持ってきた紙袋を手渡し談笑しだした。
俺の席では三人男と一婦女のたからかな会話に消されて、二人の会話は聞き取れなかった。
女将さんはカウンターの中で袋の中身を確認すると、背中にある器を並べている飾り棚の引き出しから茶封筒を取り出して、中身を確認してから何枚か紙幣を入れた。
その封筒を軽く頭を下げながら受け取った男は、その場で中身を確認すると、思ったよりも多く入っていたのだろう、封筒から何枚かの札を抜こうとした。それを女将さんに手で制されて、押し問答の末、男は深く一礼した。
そのあと、女将と何やら話していたが、最後に深々と一礼したあと男は店を出て行った。
俺はそれを見送っても、何処で見た絵なのかは思い出せなかった。
女将さんが俺の前に立つと俺が彼を見ていたことに気がついていたようで、
「あの人、あなたが今食べてる、鹿を獲っているのよ。猟師なのさ」
そう言った。
「へーそうなんですか」
「いつもは呑んでいくんだけど、今日は阿寒に帰るって。死んだ旦那の甥っ子なの」
「甥っ子さんですか。いやぁ、何処かで見た絵から飛び出してきたみたいだなぁって思ったんで」
「絵から。へぇーっ。ウチの旦那もあんな風体で衣装を着てここに立っていたの。アイヌなのさ。ショウちゃんはアイヌの文化を守るんだって猟師を続けているの」
「猟師一本で?それは凄いなぁ」
「それが違うのさ。ショウちゃんの奥さんが阿寒湖でカフェをやっているのね。それが大繁盛で。だからショウちゃん猟師をやっていけているのさ。猟師だけじゃ、ねぇ」
「そういうものなんですか……」
「そういうものよぉ」
アイヌや猟師など、俺の人生でかかわることのなかった名前が並んで、頭の中はちんぷんかんぷんだった。アイヌなど全国チェーンのラーメン屋の絵か北海道に来てから時々飾ってある写真や絵でしか見たことがなかった。それに同じリョウシでも、漁師の方の揉め事に介入したことがあったが、猟師の方とは縁がなかった。それにチャカなら弾いたことはあったが猟銃には触れたこともなかった。
俺は明日の移動を考えて早めに切り上げ腰を上げた。
「ご馳走様でした」と店を出る時に最後に言うと、「なんも、なんも。また待ってるから」「バイク気をつけてね」と、二人の淑女から言われた。
かど屋で〆ラーメンも考えたが、ホテルに買い置きしている冷蔵庫の中を片付けることにした。
空は快晴だった。
七時三十分の開店に合わせて車通りの少ない港の通りを進んだ。
『鮭番屋』で朝から豪勢にうに丼でもと思ったが、オロロンラインでのうに丼を期待していたのと、寿命がチャリンチャリンと減っていくのを思い出して鮭の親子丼とさんまの開きを注文した。
BBQ小屋のようなテントの中にテーブルがいくつも並んでいて、炭火が準備されるとテーブルを一つ一つ回っていたおじいさんがやって来て、色々と説明しながらさんまの開きを旨い具合に焼いてくれた。そのうちに鮭の親子丼が運ばれてきた。
やはり本場で喰う鮭やイクラは旨かった。それにおじいさんが焼いてくれたさんまの開きも申し分なかった。
腹八分目で満足した俺は、道の駅しらぬかへ向かった。
西港大橋からの港沿いの道には本当に開放的な空が広がっていた。低い建物があってもそれより上には360度高い山など一つもなく、ただ青い空と少しの雲があるだけだった。
それで感動していてはもったいないほどの景色が、国道38号線のバイパスにぶつかって、左折したあとに待っていた。
走っているトラックを除けば空しかない景色だった。
建物がなくなった海沿いに来ると、俺は前後の車列をやり過ごして、相棒一台きりになって空しかない道をのんびりと堪能した。後ろから車が来ると左にウインカーを焚いて何度もやり過ごした。そうしたいほどの壮大な景色がそこにはあって、その景色の中で白糠町のカントリーサインと出逢った。カントリーサインのバックは青空と電信柱だった。これなのにだ。Uターンして釧路市のカントリーサインもゲットした。
そんな壮大な景色が道の駅まで続き、ちょうどオープン仕立てに飛び込んでスタンプを押した。
敷地内にある恋の問い展望台に上って壮大さを満喫した。これで自走ドローンでもあれば美しい旅行記でもアップ出来て、金儲けに繋がるのだろうと思ったが、俺は、俺のこの肉眼で見た実物を信用するタイプで、もう金儲けには興味がなかった。
馬主来沼に架かる橋の袂に釧路市のカントリーサインが急に現れた。日高町のことがあったので、すぐに飛び地なのだとわかった。次の浦幌町のカントリーサインまでは15キロほど距離があった。
国道38号線の道東らしい景色も、浦幌町を進むにつれて薄れていき、山間部を抜ける頃には、徐々に、切る風の体感温度が上がっていった。
浦幌の道の駅でスタンプを押したあと、黒千石きなこソフトクリームを食べた。
少し涼んだところで浦幌神社にお参りをして旅の安全祈願をし、金色の交通安全鐵馬御守を頂いた。
豊頃町に入ってカントリーサインの図柄にもなっているハルニレの木を見に行ったのだが、堤防の上から見ると木が二本あって、どちらがハルニレの木だかわからなかったが、形から奥に立つ木がハルニレの木だと見当をつけた。
それから十勝川を渡って……。そういえば、殺された松村の会社はどうなったのだろうか?多喜川は上手く立ち回れているのだろうか?そんな俺にとってはどうでもいいことが頭に浮かんできた。
近頃感じるのだが、どうも捨てたと思っていた優しさのようなものが俺の中で大きくなってきている。北の大地がもたらすものなのか?それとも普通の人々との何気ないふれあいがそうさせているのか?はたまた俺自身が弱気になったからなのだろうか?俺にはわからなかった。
朝日堂でアメリカンドーナッツを食べて小腹を満たした。甘さがちょうど良かった。
引き返して、豊頃南町の交差点を道道73号線へ左折した。
池田町に入るがカントリーサインには出逢えなかった。
池田ワイン城で中を足早に見学し、久し振りに牛肉が食べたくなったのでレストランでステーキランチを食べた。隣のテーブルでここのワインを美味そうに飲んでいるグループが座っていた。
見学中も呑みたくなって我慢するのに歩く速度を速めたのに、隣でやられるとはどういうことだ。そう思いながらランチをあっという間に平らげた。お代わり自由のカレーライスもあったが、今夜は呑む前にインデアンカレーを食べる予定にしていたので手を出さなかった。
下に降りて、ワイン売り場で地元産の清見種で造った「清見」を一本、堪らずに買った。これで今夜は部屋呑みに決まった。
腹ごなしにワインの入った袋を片手に、DREAMS COME TRUEのブドウ畑があるというので見に歩いたが、看板があるだけのブドウ畑だったが、歌姫の地元だけあると思った。
荷物にワインを括り付けて、ドリカムの資料館に向かった。
ワイン城は外国人観光客ばかりだったからか、まだシーズンオフだからか、偶然にもDCTgardenIKEDAは俺の貸し切り状態だった。
ゆっくりと吉田美和のステージ衣装や小道具などを見て回った。
残念なことに、俺はこの旅のためにベスト盤を買った初心者で、CDを手に入れて聴くまでは、飲み屋のオネエチャンがカラオケで歌う歌しか聴いたことがなかったし、ステージも観たことがなかったが、充分に楽しむことが出来た。
国道242号線で十勝川を渡る手前で、やっと池田町のカントリーサインを収集出来た。
そのまま国道38号線に出て、帯広の定宿と化している駅前のホテルに荷物を降ろしに行った。
車体を軽くして帯広競馬場前のディーラーに向かった。もう中央部分は見事なツルツルだった。
タイヤ交換の間、初めてのばんえい競馬を体験した。
俺は若い頃ノミ屋を任されていて、馬の目利きには自信があったのだが、ばんえい競馬で重いそりを引く巨体のばん馬には通用しない。ここはカンで勝負だった。
ひとレースは見にして、外ラチ近くで純粋にばんえい競馬を楽しんだ。
次のレースとその次のレースは馬券を買ってスタンドに陣取り、最初のレースでタイヤ交換代+今夜の宿代以上を稼いだので、次のレースは外ラチ沿いで声を出すこともなく写真を撮りまくった。見事にハズレた。
タイヤ交換終了の予定時間が近づいてきたので、ソフトクリームを食ってから相棒を取りに行った。
あちこちガタがきていると言われたが、そりゃそうだと思った。この旅の前にも整備点検を受けたが、エンジン内は二十年間ほぼオイル交換だけで済んでいたのだ。
気分が良かったのでタイヤの皮むきがてら清水町の円山展望台まで相棒を走らせた。今日も誰もいなかった。
一人でしばらく十勝を眺めながら、不意に流れ始めた涙を拭くこともなく、俺はそれが止むのをただ待った。
心の中でもっと楽しもうと思った。こんな気持でも感動を与えてくれる北海道を余すことなく貪ろうと思った。
インデアンで野菜ルーのカツカレーを腹に収めてから、高橋まんじゅう屋であんとチーズの大判焼きを一つずつと肉まんを一つ買って、タンカースジャケットの中に入れて宿へ戻った。
俺は、旅はこれが初めてといって良かった。
もっとも、仕事であちらこちらを移動したり、たまに相棒で観光ツーリングはしたことがあったが、本当の旅と胸を張って言えるものはしたことがなかった。死ぬ前に、今までのものも旅と仮定して、北海道と東北六県、それに沖縄へ行って47都道府県制覇。そんな目的で始めた旅なのだ。
つくづく北海道に来て良かったと思っている。
だが、この地を最後にすれば良かったのではないかと、そういう思いが頭を擡げてきたりしている。
回転焼チーズを齧り「清見」を喉に。これが俺にとってのベストだったのだと思っている。旅立ってからの日々が、とても心地が良かったのだ。
こんな日々を過ごすとは想像もしなかった。
東京にいた頃、エストレアに乗っていた俺は、徳永の練った旅程に従って、休日に関東一円を走っていただけだった。
あんな事件を起こし沢木が引き取るような形で大阪へ戻り、今は亡き木村に勧められて相棒を手に入れてからも、温泉好きの木村の行きたい所へついて行くだけの旅だった。全裸になると綺麗な柄のスウェットスーツを着ているのかと思うほどの木村は、いつも宿を貸し切りにして、たった数人のための宴を開いた。
抗争で木村が死んで、木村の本名が韓国名だったことを知った。
朝井はまったくバイクに興味を示さなかった。仕方なく俺のうしろに乗ってやっているという感じだった。しかしそれは怖さを誤魔化すためのものだった。朝井は気持ち悪いほど俺に密着して、ワー、キャーとヘルメットの中で声を上げていた。あんなに無慈悲に人を壊す癖に、乗り物に乗った時のスピードは極度に怖がった。
そのうちに相棒に乗る機会もめっきり減って、天気が良すぎる時の、車に代わる足代わりに都会を走り回る程度だった。そして遠出をする時には、部下に車で相棒をトランスポートさせて、俺は飛行機で目的地の空港に降り立ち、走りたいところを走って、時間が来たらそこから俺は相棒を部下に任せて大阪に戻る。時間が無いから近場の四国や九州を走る、そんな旅だった。
俺が病院から退院しても、沢木の言葉に従う他なかった。
相棒に再会したのは、半年ほど過ぎた頃、知らないショップの倉庫だった。タクシーで中崎町の外れにあるショップに向かった。波島組の金融屋に絡められている奴が開いている店だった。
誰がそこへ相棒を動かしたのかわからなかったし、それを知ろうとも俺は考えなかった。それは、自分が何故ここにいて生きているのかを理解しきれていなかったからで、相棒がそこにいること以外の情報を必要としなかったからだった。
呑みながら、そんな昔を思い出していた。
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