ロング・ロング・ロング・ロード Ⅱ 道東の霧 編

神舞ひろし

プロローグ ~空知で祈る~編


 薄曇りの下、まだ残雪の残る日高山脈を眺めながら、しばし十勝とはお別れだ。そう胸の奥で呟いた。


 まだ、179市町村中、22の市町村を走ったに過ぎない。まだまだこの旅は終わらない。


 もう、あんなことに巻き込まれることもないだろう、これからはスムーズに進んで行けるはずだ。そう思うと、解放感と酔いに任せて夜中にクリックしたトマムのリゾートホテルの代金は、帯広で泊ったホテルの倍近い金額だったが、自分へのご褒美としては高くなかった。


 部屋は最上階に近くて見晴らしが良かった。一人しか泊まらないのに無駄に広い部屋にはベッドが四つもあった。シーズンオフのなせる業なのだろうか?


 敷地内を走るバスに乗り、温泉と温水プールの併設された施設まで行って温泉にのんびりと浸かった。


 夜はまたバスに乗り『水の教会』を巡った。ここも目的の一つだった。死にぞこないの俺は、神を崇めていたりはしない。ただ、安藤忠雄というおっさんに興味と不思議な縁を感じていたからだ。


 大昔、ミナミの飲み屋で豪快に話すオヤジがいた。店の人間に訊くと、店の店主は、安藤忠雄という有名な建築家だと言った。打ちっ放しコンクリートの作品の奴か。何とも豪快に話す奴だ。それが俺の感想だ。ただそれだけ。


 その夜、自分の家に帰っても気になっていたのでネットで調べてみた。安藤忠雄設計の色んな建物が並ぶ中に教会は六つあって、その中の二つの教会に俺は足を踏み入れていた。


 風の教会は神戸・六甲山の上にあって、元々ホテルの敷地内に建っていた。


 ホテルの解体工事の作業員に紛れ込んでいた債務者を追い込みに行った時に、チラリと見たことがあった。フェンスの切れ目から中に入った。勿論無断でだ。今までも他の教会には何度か足を踏み入れたことがあったが、ここは何故か落ち着いたのを覚えている。


 大阪の茨木市にある光の教会の方は、朝井の仕事について行った時だった。


 俺は一般人を装って教会の入口で見ていただけだったが、朝井達は、ひっそりと行われている結婚式の真っ最中の新郎を掻っ攫った。


 俺とは違う、どの組にも関わりのない半グレグループ(今主流のハシリだ)の関西一流大学卒という高学歴を持つ幹部の一人だった。


 それを知らずに娘を嫁に出そうとしていた府議会議員からは、沢木に内々に礼が入ったそうだ。その時、結婚しそこなった娘も今では国会議員の妻に収まっている。


 勿論、情報は俺が仕入れてきて、沢木が朝井に命令し実行させたものだった。


 だから、俺が真面目に安藤忠雄設計の建物を見学するのは、水の教会が初めてといってよかった。


 シーズンオフだというのに夜の教会見学は大盛況。日本人よりも海外からの旅行者の方が圧倒的だった。


 すべてがショーアップされていた。音楽とナレーションの中、ライトアップされた十字架が闇夜に浮かぶ、人工池に面した可動式の十字に区切られたガラスの嵌め込まれた壁が開いた。


 悪くはないが、少し滑稽に俺は思えた。余りにもだった。


 けれど、貸し切り状態で落ち着いて見ることは出来なかったが、事件に巻き込まれた心労が少しは癒される気分だった。


 晩飯のないプランで予約したので、晩飯は敷地内の居酒屋でサッポロラガーの瓶ビールに、アイナメとマツカワの刺身、アスパラガスのソテーに北海道野菜とキノコの天ぷらを平らげた。


 アスパラが思ったほど太くなかったのが残念だったが、総体的に美味かった。


 その次の日から三日間、快晴の下、脳味噌が蕩けて穴という穴から流れ出すのじゃないかと感じるほど“丘馬鹿”になりながら、俺は憧れの地、富良野・美瑛を堪能した。観光客や車が多かったが、道という道を踏破して、他の観光客が訪れないような風景もカメラに収めてまわった。


 まだ花も咲かぬ、茶色や黄土色が多い風景にも、旅情感は高まるばかりだった。それに丘や森だけでなく、富良野岳や噴煙を上げる十勝岳も見事で、山岳路を抜けた先に待っていた開けた景色は絶景で、北海道の醍醐味を存分に感じられた。


 美瑛では、忘れることなく徳永への贈り物、『拓真館』で前田真三のポストカード全種類をその場から送った。送ったあとで館内を見てまわり、麦秋鮮烈の前で俺は動けなくなった。余りにも斬新な色遣いを自然は見せるものだと衝撃を受けたからだった。


 前田真三の作品に影響されたのか、俺の撮る写真も何処か今までとは違う気がした。


 カントリーサインも、占冠村、南富良野町、新得町、富良野市、中富良野町、上富良野町、美瑛町、東神楽町、東川町、旭川市と出逢い進んだ。


 残り147市町村。道の駅のスタンプも忘れずに収集出来ている。


 旭川の街に着いたのは夜の帳が降りる頃だった。帯広の街と比べると、旭川の街は途轍もなく大きかった。


 丘馬鹿になっていた三日間、美味いものは上富良野駅近くの多田精肉店内にある『ラベンダーの里 駅前弁当』のサガリ弁当と、四季彩の丘の売店で食べたアスパラガスの素揚げぐらいだったので(アスパラガスがあまりにもジューシーだったのでお代わりした)、宿からは少し離れていたが『とりせん』でから揚げや焼き鳥で生ビールを堪能した。空腹を忘れるほど風景にどっぷりと浸かっていたからだろうか、いや、そうでなくともここのから揚げは、俺が今まで食ったから揚げの中で、三本の指に入るほどに旨かった。ザンギではなくから揚げだった。


 次の日は札幌へ向かう。旭川の道の駅のオープン時間に合わせて出発になる。


 酒は入るが、食欲が減っているのが俺はつまらなかった。もっと食えないと北海道の旅は楽しめない。


 旭川でスタンプを押してから国道12号線を走った。街が消え山に入って行く。石狩川に沿って山中を走っている途中、俺は“神居古潭”の表示がやけに気になった。右折して国道を外れ、まだ細いが流々と流れる石狩川沿いを進んだ。


 カムイ・コタン(Kamuy-Kotan)は、神・村という意味だとアイヌ語地名表示板に書いてあった。


 相棒を停めて、パラ・モイの上に架かる白い木製の橋を渡ると、臙脂色の屋根、緑色に塗られた旧・神居古潭駅舎が、新緑の静けさの中に建っていた。


 俺の頭の中で、島根県津和野の乙女峠マリア聖堂がオーバーラップした。


 これも導かれたというのだろうか?導かれなければ出逢えなかった。そう思える風景がそこにもあった。


 三十分ほど散策した。足が動いた。線路址に並んだ機関車たち。残された古いホームの駅名標。疲れるどころか、俺の奥底からじんわりと、力が湧いてくるようだった。そして腹が鳴った。


 俺は神も仏も信じはしないが、北の大地の神様だけはこの旅の間だけでも敬おうと決めた。俺の旅が安全に終えられますようにと心の中で祈った。


 旭川市の外れに来ると、信号待ちで大型トラックの列が並ぶようになってきた。


 灰色の雲が空を覆ってきて、冷たく吹く風が身体を冷やしていく。


 その中を、深川市、秩父別町、北竜町、雨竜町、妹背牛町、滝川市、新十津川町、月形町、浦臼町、当別町、江別市、札幌市と走った。


 深川の道の駅で寒さと空腹を温かい蕎麦を食って処理した。


 秩父別の道の駅にある温泉で温まろうかとも考えたが、道の駅が国道から住宅地に入り込んだ所にあって少し迷ったのと、ブーツを脱いでまた履くことに面倒を感じ、それを理由に逆に風邪をひいては堪らんと諦めた。


 北竜町の道の駅『サンフラワー北竜』には、ドラゴンクエストに出てくるような城門があって、そこには『北竜門』と看板がかかっていた。


 雨竜町に向かう途中で、向日葵畑の看板が立っていた。


 今まで見たことのある向日葵畑の中でも、兵庫県佐用町の向日葵畑が頭に浮かんだ。夏になればここに来ようと俺は決めた。


 雨竜の道を雨竜川の流れと同じのんびりと気分良く走ってはいたが、寒さと街中を走ることで気持ち良いまでには至らなかった。


 それにしても、この空模様は解せない。もう少しで新十津川町というところで俺は、景色よりもカントリーサイン撮影と道の駅スタンプを優先に走ることに決めた。


 Uターンして、国道275号線を雨竜町15区の交差点まで引き返し、道道47号線へと右折した。住居が途切れると一気に灰色の空が迫って来た。もっと青かったら……。


 深川市の稲田交差点から国道12号線へ戻り、道の駅たきかわでグルメパスポートに載っていた福龍飯店の『骨まで愛して ザンギ弁当』を昼飯にと立ち寄ったところ、道の駅の建物の隣でモクモクと煙を上げている小さな建物に、小さな行列があった。


 何屋だろうと気になりながらスタンプを押してから出てみると、行列は途切れていて、最後の主婦らしき人が両手に商品の入ったビニール袋をぶら下げて、札幌ナンバーの車に乗り込んだ。モクモクは『やきとり上条』だった。


 ザンギ弁当を頼もうとしているのに俺は止まらなかった。


 張り紙には注文を受けてから焼くとあったので、俺はやきとり1本と豚串1本とつくね1本を注文した。それからザンギ弁当を売っている移動販売車に行ってパスポートを見せた。


 一体、俺は何をしているのだろうとわからなくなっていた。疲れの蓄積度がかなりピークに近いのだろうか?相棒に腰かけながら、ボーッと、二つの鶏を待っていた。


 焼鳥は俺の疲れた体に丁度良い塩梅で美味かった、すぐに胃に収まった。豚串も臭みがなく美味かった。間の玉葱が良かった。


 たった三串で腹が一杯になってしまったので、揚げたてのザンギ弁当は晩飯に持ち帰ることになった。


 国道12号線をまっすぐ進み、29・2キロの直線国道の始まる新町には向かわずに、逆の国道451号線に右折した。


 今日は何度、橋を渡るのだろうかと思いながら石狩川を渡った。


 新十津川町に渡ると、「金滴」の古く立派な看板が目に飛び込んできた。金滴酒造だった。元気があれば、誰かが運転する車だったらと、歯を喰いしばって直進した。


 日本一終電が早いJR新十津川駅は、とても小さく古臭い駅舎だったが、とっても清潔感のある素敵な駅だった。


 駅舎内の時刻表には、「9時40分 石狩当別」と、それだけが書かれてあった。


 ホームは砂利で、線路が右に延びた先には、終着駅らしく車両止めがあって、その先には二階建ての白いアパートが建っていたが、下徳富方向にはスーッと伸びた線路が森に消えていた。


 俺の人生もここの線路のように終わりを迎えているのだ。


 ふと我に返ると、駅舎の周りには多彩な花が咲き乱れていた。


 駅舎横に作られた花壇では、小さな女の子とそのお母さんが、仲良く手入れをしていた。


 俺はもう結婚などすることはないが、生まれ変わったらこういう二人のいる風景を笑顔で見ていられる、優しく素敵な男になろうと思ってみた。やはり、もう一人の俺が嘲り笑った。


 愛情をたっぷりと注がれた小さな終点の駅は、バックミラー越しに輝いていた。


 国道275号線を、俺はひたすら南下した。もう石狩川の対岸へ渡る気力がなかった。


 当別町に入る前から寒さが身に染みていた。疲れているから余計に感じたのかもしれない。


 「うどん」の看板を見つけた俺は、暖をとるためと少しの空腹を満たすために店の駐車場に乗り入れた。


 北海道で初めて目にしたうどん屋。急いで相棒を停めると、引き戸を開けて店に入った。左手にグラグラと沸く釜の中で、白いうどんが踊り狂っていた。


 注文する頃には空腹が襲っていたが、かけで一玉と、当別産のアスパラ、ヨモギ、茄子の天ぷらを注文した。


 待っている間、身体の芯まで沁み込んだ寒さが震えとして、俺の全身を揺さぶった。そして、熱々のうどんと揚げたての天ぷら、そしてそこから立ち昇るいい出汁の香りが俺を落ち着かせた。急いで箸を割り、手を合わせてから吸い上げた。


 旨い、旨かった。


 出汁も麺も天ぷらも、すべてが旨かった。


 あっという間に汁まで飲み干して、食器を返した。


 店主らしい男が俺に声をかけた。


 「滋賀からですか?寒かったでしょう」


 震えていたのを見られていたらしい。


 「ええ。寒かったです。でも美味しいうどんで生き返りました。ご馳走様でした」


 「ありがとうございます。お気をつけて」


 旨いうえに、気持ちの良い店だった。駐車場を出る時に店の看板と外観をはっきりと見た。『かばと製麺所』俺の行きたいリストに載っている店だった。ここもアイヌの神が導いてくれたのだろう。


 生き返った俺は気持ち良く相棒を走らせた。札幌市内に入ると都会そのものの喧騒が待ち受けていた。嫌になる。


 とりあえず札幌駅まで行って、赤煉瓦の旧道庁や時計台、ススキノの街を流した。大通公園のテレビ塔の時計が思っていたよりも遅い時間を光らせていた。


 今夜から四泊で予約をとった宿は、札幌の街の中心地から南に離れた藻岩山の麓、藻岩高校の横にあった。


 街の中心地にある宿の方が雨の降る間、時間を潰すのには良かったのだが、バイクが安全に停められるのと、温泉があることが決め手になった。それに宿代が少しだけ安かった。


 温泉は、疲れ果てていた俺をゆっくりと癒してくれた。


 風呂上がりに買い込んでおいたサッポロクラシックでザンギ弁当を食べた。冷めているのにもかかわらず、とても旨かった。これが熱々だったらと思うと残念な気持ちが頭を擡げた。


 またこの旅の途中で食べれるだろうと、その時は思っていた。


 次の日はまるで身体が動かなかった。トイレに行くついでにドアの外ノブに“起こさないでください”プレートをかけて、冷蔵庫の中に冷やしていたスクリューキャップの安ワインに口をつけて三分の一ほど腹に流し込み、俺はひたすら眠った。


 次に目覚めたのは夜の九時だった。窓の外は雨が降っていた。


 身体が動いたのでとりあえずシャワーを浴びて、昨日酒を買い込んだコンビニまでホテルで借りたビニール傘を刺して買い出しに出かけた。


 弁当やツマミ、そして減った分の酒を買い込んでホテルに戻り、俺はまた、ゆっくりと温泉に浸かった。そして酒を飲み弁当を食ってまた眠りについた。


 次の日は、朝六時にスッキリと目が覚めた。


 雨雲は進む道筋を忘れたのか、北海道に梅雨を持ち込んでいた。


 ホテルから地下鉄真駒内駅までのシャトルバスに乗って、地下鉄の乗り放題のチケットを買って札幌駅まで行った。


 駅構内の観光案内所で教えてもらった『おにぎりのありんこ』で、サーモンチーズのおにぎりと豚汁を腹に入れた。どちらも美味かったのであっという間だった。


 YOSAKOIソーランが開催中だからなのか、普段からそうなのかわからないが、札幌駅構内はとても人が多かった


 気分良く食べ終えたはずなのに、久し振りの人込みは俺を苛立させた。


 駅舎を出ると空には青空が広がっていた。 


 閉じた傘を手に、俺は街をブラついた。


 赤煉瓦の旧道庁に行って中を見学し、内も外も通りからも写真を撮り、雪印パーラーでスノーロイヤルと水出しコーヒーで小休止。時計台は、もっとつまらないものかと思っていたが、実に北海道らしい建物だった。YOSAKOIソーランで賑わう大通公園は、俺にとっては地獄だった。唯一の救いは生ビールが飲めたことだけだった。


 大通公園や地下街の人混みに疲れを感じた俺は、地下鉄に乗って北海道神宮に向かった。


 ここは静かで人混みもなく良かった。


 俺はもう心底、人間に嫌気がさしているのではないだろうか。


 のんびり走った十勝の空が、もう随分昔のことのように思えた。


 ススキノから発車するシャトルバスまでは、まだ三時間以上あった。


 西11丁目で地下鉄を下りて、コンビニで買ったサッポロクラシックを片手に、狸小路を端から端まで歩き、ほとんどのシャッターが下りていた二条市場をウロチョロして時間を潰し、ススキノに戻ってすみれで味噌ラーメンを食った。


 ホテルに戻ると温泉に浸かり、酒をかっ喰らって眠った。


 次の朝もスッキリと目が覚めた。温泉効果だ。


 昨日と同じようにシャトルバスで真駒内まで行って、今日は切符を買って札幌駅まで行き、JRで余市まで行ってニッカウィスキーの工場見学をした。


 雨が強過ぎて、工場見学には気持ちが入らなかった。そのくせ、有料試飲のカウンターでは、今の俺にはここでしか飲めないであろうシングルカスクやシングルモルトをスイスイといってしまい、万札が飛んだ。


 気持ちの良いまま札幌の市電に揺られようと思い余市まで戻ると、大雨の影響で電車が止まっていて、バスで小樽まで行き、そこからJRに乗り換え札幌に戻った。


 徳永がくれた旅の友は、札幌~余市間の移動で重宝したが、あまりにも檸檬が短編過ぎた。雨はパラつく程度だった。


 地下街を歩きすすきのまで行って市電に乗り換えた。ふと思った。檸檬のわたしは、のちに出てくる瀬山極なのか?


 車内で一日券を買って、一先ずクルリと一周回った。車窓は俺にとって映画のスクリーンと同じだった。見るものすべてが新鮮で、多くのストーリーと情報が俺に訴え続けていた。


 すすきので下りて今度は逆方向の車両に乗った。また違ったものを見せてくれた。


 途中、看板の文字が目に留まっていた『潤焚』で、こってりとしたドロドロ味噌ラーメンとカレーライスのハーフを平らげた。すみれとは違うインパクトがあって旨かった。腹一杯。


 腹ごなしにまた市電に乗って、気が向いた駅で降りてはブラブラした。


 腹もそこそこ空いてきて、呑み屋の開く時間になってきたので、すすきので降りて、ススキノで安く厚岸の牡蠣を食わす『五坪』に向かった。あと二、三軒ははしご出来るかと考えながら、国稀に牡蠣や帆立で大満足。酒が入ると疲れている自分に気がついた。帰りのことを考えると憂鬱になった。調子に乗ることを諦め、早めに切り上げホテルに帰った。


 あれだけ盛り場やネオンの景色が好きだったはずなのに、やはりあれ以来俺は変ってしまったようだ。帰りのシャトルバスの中で、檸檬の一節が蘇った。


 “以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も辛抱がならなくなった。蓄音器を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私を居堪らずさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた”


 文学など俺にはわかるはずもないのだが、何故か梶井基次郎の檸檬は、音もなく静かに俺に染み入ってきた。徳永はなんというものを、俺に送り付けたのだろう。


 早めに床に就いたのがラッキーを呼んだのか、次の日は雨の予報が外れて目覚めから晴天だった。


 今日の宿泊をキャンセルするか迷ったが、今日は札幌の街を走ろうと決めて相棒に火を入れた。


 藻岩山観光自動車道を走り山頂まで行き、下りて円山動物園と円山球場の間を抜けて大蔵ジャンプ競技場へ。


 初めて間近で見るジャンプ台の角度が急なことと、ジャンプ台の低さに驚いた。


 リフトに乗って上から札幌を見渡し札幌ドームや競馬場など、大体の位置関係を頭に入れた。


 俺は、ソフトクリームで一息入れてから下界に下りると、腹の減り具合からはしごが出来そうだと睨んで手稲まで行き、『やま桜』で摩周産の蕎麦を引いた、麺と汁のバランスの良い、旨い蕎麦を食い、『三八飯店』で北海道の海の幸がドッサリのった浜ちゃんぽんで〆た。あっさりスッキリだがコクもあって大満足だった。腹も一杯になった。


 ゴミゴミしている街中を避けるように盤渓を通って真駒内滝野霊園に向かった。


 入口のモアイ像に出迎えられて奥に進むと、安藤忠雄が設計した『頭大仏殿』がある。


 水と打ちっ放しコンクリートはトマムにあった水の教会と通じるが、頂上にポッコリと頭大仏と呼ばれる由縁になったと思われる、大仏の頭が見えている外側のこんもりと山のようになっている部分には、淡路島の夢舞台の展望テラスのようにまだ咲いていないが、グルリグルリとラベンダーが植わってあった。


 参道の両側にもラベンダーが植えられていて、先に進んで行くとこの世とあの世の境目、三途の川を思わせる水庭があって、対岸にはドーム中央に続くトンネルがあった。そして中央には、空からの光に照らされた13・5メートルの大仏の組んだ脚と台座だけが見えていた。


 トンネルを抜けて仰ぎ見ると、流れる雲をバックに大仏が俺を見下ろしていた。


 良いものを見せてもらったと思い、蝋燭を一本だけ納めさせてもらった。


 走り易く気持ちの良い道、道道341号線で真栄まで走り、羊ケ丘通を左折して札幌ドームに向かった。


 ドームの傍まで行けるかと思ったが、バリケードが張られていて行けなかった。つまらんと思い、道道82号線を左折して『さっぽろ羊ケ丘展望台』に向かった。料金を取られるとは思っていなかったので少しびっくりしたが、もっとびっくりしたのは、料金所にいた中年女性があまりにも美人だったことだった。


 やはり美人は俺の心をウキウキとさせる。ここは前の俺も今の俺も変わらないところか。


 クラーク博士と相棒の記念写真を撮って、こんなものかという感想のまま展望台をあとにした。


 まだまだ陽は高い。羊ケ丘通に戻って途中で飽きて左に曲がり、住宅街をウロウロと彷徨った。


 何となく見覚えのある建物に出会い、すぐ近くに一部では有名な『平岸高台公園』があるのではないかと探し見つけ出した。


 それでもまだ陽は傾かなかった。


 モエレ沼公園まで行きガラスのピラミッドを見に行ったりして、腹が空くのと時が過ぎるのを待った。


 やっと胃に余裕が出来たので月寒中央通を走り、『カリー軒』という名のハンバーグの美味いカレー屋に向かった。


 明日、小樽に向かう前にスープカレー屋に行くつもりでいた。その前にもう一度、比較する対象としてドロッとしたカレーライスを食べておきたいと俺は思ったのだ。


 ハンバーグもカレーも難なく胃に収まった。体調が良いだけでなく、ハンバーグもカレーも旨かったからだった。


 やっと夕暮れになった。


 カントリーサインのように、札幌の各区にもサインがあった。しかし、そこまで収集するつもりは俺には無かった。


 帰り道に環状通を走っているとすみれ本店を見つけたが、もうこれ以上は俺の胃に入らなかった。


 その夜は、冷蔵庫の酒を綺麗に消化して眠りについた。


 朝目が覚めると嫌なことに小雨が降っていた。昨日の晴れと入れ替わってくれてよかったのにと思う。


 仕方なくこの旅初めてのカッパを着込んで、白石区南郷にある『マジックスパイス本店』へ向かった。昨日ウロチョロと走っていたお蔭で、スムーズに店に着いた。


 流石、元祖スープカレーの店だ。そう素直に思えるほどに旨かった。


 食べ終えて店を出ると、空には青に白が浮かんでいた。


 無駄とは思ったが、道が乾くまで前を走る車の跳ね上げに気をつけながら、俺は相棒を走らせた。


 白い恋人パークを過ぎると、道は国道5号線になった。


 手稲区のやま桜の前を通る頃には、路面が随分乾いてきていた。これだけ焼けるようにお天道様に照らされていれば当然のことだった。


 この頃、俺の中で、よく目にするラーメンの「山岡家」が気になってきていた。東北や関東にもあるらしいが、関西では見ないチェーン店だった。


 星置川に架かる星置橋を渡ると、運河にガス灯という小樽のカントリーサインがあった。


 そして、喉の渇きを覚えていた俺の目に、手作りアイスクリーム『パスコロ』の看板と、白い屋根にクリーム色のボディーをした可愛らしい建物に並ぶ人々が飛び込んできた。


 ウインカーを焚いて駐車場に乗り入れた。


 俺はヘルメットも脱がずに、並んでいた女性客に美味いかどうかを尋ねてみると、その女性客は美味しいと答えてくれた。


 その一言で並ぶ決心をした俺は、暑くて脱ぎたくなっていたヘルメットを相棒のいつもの場所に引っ掛けて、さっき話を訊いた女性客のうしろに並んだ。もうキャップは被らない。これが俺なのだ。そう思っていると、女性客の表情が少し変わるのを感じた。


 イタリアンジェラートの店らしい。列はすぐに進んでいき、俺のうしろにも人が並んでいった。よほど人気の味らしいと思ったが、先入観は良くないと思い直した。


 俺は無難にイチゴミルクとバニラのダブルにした。


 喉の渇きと甘さに飢えていたせいかもしれないが、どちらもミルクを感じられて非常に旨かった。溶けるスピードに負けないように急いで食べ終えた。


 小樽までの途中、高台から見えた石狩湾はキラキラと光り輝いていて、今朝の小雨の曇り空が嘘のだったかのように美しかった。


 予約した小樽築港駅近くのホテルは料金からは想像出来なかったほど立派だった。荷物だけを先に預けて、身軽になった相棒で小樽・運河の街を流しながら観光した。


 俺の感想は、写真やテレビで見るよりも……って感じだった。それよりなにより観光客の多さが、相棒を停めて徒歩で観光するのを躊躇わせた。唯一、『ルタオ』本店には相棒を停めて店に入った。俺は、どうしてもサンフロマージュという名のソフトクリームを食べたかったからだ。


 濃厚なチーズが、今の俺の口には美味いのだが違った。ジャージーミルクのソフトクリームで口の中をさっぱりとさせた。旨かった。


 満足したあとは次々と、小樽に建つ魅力ある建物を急ぎ早にカメラに収めていった。そして、堺町本通りをルタオ本店のところまで戻って来ると、スーベニールオタルカンの前のベンチに、急な暑さにばてたのか夕張のメロン熊がデンと座っていた。


 レトロな街らしい小樽駅の駅舎に並んだランプは綺麗だった。ここも観光客で賑わっていて、売店でツマミ代わりの駅弁をと思ったら残りは僅かで、中でもまだ美味そうな一つを買って駅を出た。


 今日はなると本店へ行くのはよそうと思っていたのだが、小振りな駅弁一つでは心許ない。スムーズに滑り込めたので、若どりの半身揚げがメインの若鶏定食を平らげた。噂に違わず満足のいく一品だった。


 酒屋で白ワインを仕入れてホテルに戻った。


 広々とした贅沢な空間で、侘しく駅弁と白ワインを飲んで食って眠った。


 小樽の地理はだいたい頭に入った。ここは次回、オロロンラインを稚内に向けて走る時の出発点だ。その時には余裕を持って小樽を探索しよう……。と、思ってはいるが、7月に入ればもっと観光客も増えるだろう。それに一日や二日では、この街を堪能しきれないだろう。


 それにこっちは天気任せの旅なのだ。今日だってこれから小樽の天気は崩れていく。そのために東へ向かうのだ。


 道道1号線で定山渓に出て、国道230号線で中山峠へ向かう。


 晴れ渡る小樽の街が、名残惜しくもバックミラーの中で遠ざかっていく。


 ループ橋が目の前に現れた。迫力ある姿だった。


 定山渓あたりまで快晴の元、快適なスピードで快調に進んで行く。


 国道230号線に右折してからは、中山峠までは車列の中で進むこととなった。道の駅・望羊中山に着いた時には、ホッと息が漏れた。トラックが連なる後ろでは、快適には程遠かったのだ。


 俺の到着を待っていたのか、アスパラガスのモニュメントの横で、まだ白を残した羊蹄山が雲から顔を突き出していた。


 あげいもで腹が一杯になった俺は、すぐに札幌方向へ踵を返した。


 国道230号線は車がいないと快適な道なのだが、流通の要になっているのだろうか、トラックが多過ぎた。


 国道から平岸通、そこから国道453号線に出た。


 真駒内霊園に向かう道の交差点を右に、真駒内川に架かる常盤新橋を渡ると、道は山へと入って行く。


 山中で恵庭市のカントリーサインに出会った。


 標識に恵庭の文字を見つけ、左折して道道117へ。この道は快適だった。路面状態も良く、程好いカーブもそこそこあって、満載の荷物でも走りを楽しめた。


 恵庭の街に出て国道36号線まで進み、道の駅でスタンプを押してすぐに千歳に向かう。


 サッポロビールの工場が出てきて、びーるていえんと名付けられたジンギスカンが楽しめる場所まで併設していた。


 流石に一人旅で楽しめる場所ではない。そう諦めて、俺は先に進んだ。


 道東自動車道の下で千歳市のカントリーサインがあった。


 腹が減ったので、初めての『みよしの』で餃子がのったカレーライスを食べた。なかなか美味だった。こういうチョイスもあるものかと感心した。


 国道337号線へ曲がって、まだ胃に余裕があったので、サーモンパーク千歳でグルメパスポートにある塩のマルゲリータピザを食べた。これが抜群に旨かった。走る活力になった。


 地図にはない道を右折して、道道226、462号線を通って安平町を進み、JR石勝線の上を渡ったところで由仁町のカントリーサインに出逢った。


 国道274号線に出てからすぐに栗山町に入った。蝶のカントリーサインだった。


 夕張川を何度か渡り、メロンがカントリーサインの夕張市へ入る。


 夕張市に入るとすぐに、昨日ベンチで休んでいたメロン熊、その頭部が大きく口を開けて建物からはみ出しているのを見つけた。大きく開けた口が、夕張市農協銘産センターの入口だった。面白いので相棒と記念撮影。


 新夕張駅近くの夕張メロードに立ち寄り、バニラとメロンのアイスクリームで一休み。この国道274号線、石勝樹海ロードも道内物流の大動脈、トラックが多かった。


 メロン味を食べながら、北海道にはアイスクリームやソフトクリームがよく似合うなぁと俺は思った。


 夕張メロードから、平取を挟んで飛び地の日高町の道の駅・樹海ロード日高まで一時間もかからずに着いた。それにしても、この距離の飛び地は初めての経験だった。行政は何を考えているのだろう?


 このまま日勝峠へ向かっても良かったが、道の駅スタンプラリーのために、少し戻って国道237号線を右折し、自然体感しむかっぷに行かなければならない。


 この南北の道もトラックが多かった。のんびりムードで走ってはいるが、ストレスは随分と溜まっていった。


 占冠インターから十勝清水インターまでは道東自動車道に乗った。


 十勝清水で降りて一番近いコンビニに相棒を停めたのは、もう夕方4時に近かった。


 急いで荷を解いてPCで今日の宿を探した。帯広のホテルはほぼ全滅。温泉のある十勝帯広ホテルは空いていたが、多喜川の情けない顔がチラついて予約出来なかった。音更町にある十勝川温泉に宿をとった。


 モール温泉という茶褐色の植物性有機物による少し匂いの強い、珍しい温泉だった。


 俺はゆっくりと浸かって疲れを癒した。匂いも最初だけで、すぐに気にならなくなった。誰に触らせる予定もないのに、肌がすべすべになった。


 明日は晴れ模様。十勝晴れの中、時計回りに十勝をぐるっと回って、明日の雨を避けるために釧路に向かう。


 道東はいったいどんなところなのだろうか?








 

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