3


 走り慣れた国道241号線を北上し、上士幌町から先は未知の領域だった。


 バックミラーに街並みが遠ざかっていくと、また十勝らしい風景に俺は包まれた。


 2メートルを超えるというラワン葺とピンク色のキャラクターが描かれた足寄町のカントリーサインに出逢う頃には、すっぽりと山の中を走っていた。


 足寄湖の道の駅でスタンプを押して先に進む。道は本別町を走るのだがカントリーサインには出逢えずじまいで、足寄の町に入って国道241号線が241・242号線となって左折する丁字路の交差点を右折して、国道242・274号線を進んで本別町のカントリーサインを探しに走った。


 日本一の豆の町の文字と豆のキャラクターが描かれたカントリーサインは、利別川に架かる橋の手前にあった。


 同じ十勝でも、大樹町から上士幌町までの風景とは違って、両側の山が近くて『はてぇ~しぃない~』という感じはしなかった。


 橋の向こう岸でUターンして足寄の道の駅へ。


 建物へ入る前に、松山千春の歌碑を見つけて手形に手を置くと、『はてぇ~しぃない~』と流れ出しました。終わりまで青空を見上げて俺は聞き入った。


 途中、このボリュームで周りに住む人達は人達は辟易していないだろうかしていないだろうか?と疑問を持ったが、単なる観光客としては嬉しかった。


 スタンプを押して中へ進むと、建物内にも松山千春のコーナーが作られていた。


 歌碑のあった出入り口と反対側のドアから外に出ると、昔の駅舎と線路がバスターミナルの建物として保存されてあった。


 国鉄が民営化してから、北海道でも随分の数の路線が廃止されたと、カウンターで呑んでいる途中に俺の耳に入ってきていた。その上、最近はガソリンスタンドも減ってきているらしい。


 襟裳から広尾へ移動している時に、ノロノロ、ユラユラとまともには走行出来ていない老人が運転する軽トラックに出くわした時にも思ったが、都市を結ぶ以外のすべての移動が車に限定されていくこの先、この大地はどう変化していくのだろうか?ただ何もなかった頃の過去に戻るだけなのか?それとも……。


 先行きを案じたところで、今の俺の無力さを身に染みて知ることになるだけだった。ただ、観光して金を落とす。死にぞこないの俺に出来ることはしているつもりだった。


 国道242号線で陸別町を目指した。


 都会では感じることの少ない、ゆったりと流れていると感じる時間は、どこからくるものなのだろうか?のんびりと走っていると、安全運転のために使う脳の領域以外のところで、色々と物事を考える暇が出来た。


 もちろん、鹿の飛び出しにも気をつけている。


 地震だって、台風だって、事故だって、事件だって、病気だって、いつ誰の目の前に“災難”や“死”を運んでくるのかはわからない。


 俺だってそうだ。代議士への収賄事件の関連企業として形だけのガサ入れが入るという朝、その場にいる予定ではなかった朝井が何故だか現れて、ガサと同時に俺を弾いた。検察と一緒に来ていた組織犯罪対策課のデカのいる前でだ。


 朝井が右も左もわからない十代の頃から俺が育て可愛がっていた。その弟分に俺は撃たれたのだ。死にぞこなった俺の大動脈は人工物と、残りは裂けたまんまになっている。


 百メートルほど前を走る乗用車はピッタリと俺のスピードと同調している。後ろには車影はなかった。信号のない道を快調に進んで行ける。


 今まで順調に広げていた事業も俺が病室に伏せている間に、親だと認めた沢木によって綺麗さっぱりと処分され、その上、拠り所だった沢木組自体が消滅した。


 といっても朝井は杯を受けたのだが、俺はもらえなかった。沢木の考えで俺は、表の顔を持ったまま裏稼業に浸かっていった。


 荒事は朝井の領分で、俺は直接手を汚さないで済むと言えば聞こえはいいが、心がどんどんと黒くくすんでいくのは同じだった。


 そんな感情と記憶、僅かな金だけが残って、それ以外全部俺の前からなくなった。


 どう生きていけばいいのかわからなくなって、抜け殻のまま三年を過ごした。どうして人は生きるのだろうか?このまま自死することは悪いことなのだろうか?いつも頭の中に“死”だけが存在していた。


 四年目に入って少し体力が回復してくると俺は、今までは体力がなさ過ぎて拒絶することすら出来なかった、この死にぞこないの俺から、まだ何かを掠め取ろうとする者達の排除を始めた。そして、大阪を離れ一人になった。


 陸別町のカントリーサインは、完全防寒姿の人が温度計を持って震えていた。


 周りに誰もいなくなってやっと見つけたこの旅で、俺はどう変化していくのかが少し怖くなっていた。広大な大地、何処までも広がる空、緩やかな時の流れ、俺のような偏奇のものに対する人々の優しさ、それらに包まれて旅を続けていると、黒も白みを帯びてくる。


 陸別の道の駅には「日本一寒い町」「オーロラが見える町」と書かれてあった。そして、ここでは廃止されたふるさと銀河線の線路を使って気動車の運転体験が出来るとあった。


 ホームに行ってみると、制服を着込んだ駅員らしき人と普段着姿の男が、遠くの方に停まっている気動車に向かって行き運転席に乗り込んだ。彼が体験するらしい。


 しばらくすると何度も汽笛が鳴った。楽しそうだ。


 かなり興味を引いたが、それよりも先に待っている青空の下の景色の方を優先した。ここから先は道道51号線を走る。途中にラリー開催中の看板もあったが先に進むのだ。


 ここは走りやすく気持ちの良い道だった。のんびりと快調に進むと、道道なのに津別町のカントリーサインに出逢えた。


 国道240号線に突き当たった丁字路を右折して、道の駅あいおいへ向かう。


 黄色い「元祖 クマヤキ」が気になりながら、スタンプを押したあと、喉が渇いていたのでオーガニック牛乳で作ったソフトクリームと牛乳を食べて飲んだ。空きっ腹だったのでソフトクリームは夢中になってすぐに食べ終えた。旨かった。そのあとに牛乳を。鼻に抜ける香りが爽やかで旨かった。


 腹にはまだ余裕があったので併設されているクマヤキハウスで、生クリームとつぶあんの入った「なまくま」を食べた。ヒグマを模ったたい焼きみたいだと見た目は思ったが、食べるとフワフワしていてとても美味しかった。休日には行列が出来るらしいのも納得がいった。


 満足の腹七分目で南下し、国道241号線に右折して足寄方向へ進むと、オンネトー左の標識が現れた。


 森の中の直線道路の先にある青空が、雌阿寒岳と阿寒富士を望むオンネトーが俺を待っているような気にさせた。


 右カーブが終わり次の左カーブに入る手前から、道は急激に狭くなった。対向車に気をつけるため速度を落とした。路面の荒れ方もひどくなった。


 直線の先、左側が少し広くなったところに乗用車が何台か停まっていた。あの辺りがもうオンネトーかとあたりがついた。


 俺も看板の近くに相棒を停めて、オンネトーと対面した。


 木々の間から見るエメラルドグリーンの湖面には、さざ波が立っていた。吹く風が心地好かった。雌阿寒岳と阿寒富士が並んでいたが、こんなものかという感想だった。


 何枚か写真を撮って阿寒湖へ向かおうと相棒のところに戻ってタンクバックの地図を見ていると、皮の上下を着たまだ二十代に見えるライダーが近寄ってきた。


 「奥には行きました?」


 「いえ」


 「したら、もっと奥に行くと綺麗に見えますよ」


 「そうなんですか」


 「デッキがあって感動出来ますよ」


 「ありがとうございます。知らずに阿寒湖に向かうところでした」


 「多分、そうだと思ったから」


 「地元の方ですか?」


 「はい。何処から来られたんですか?」


 「滋賀県から来ました」


 滋賀ナンバーが付いていて大阪からだとは言えない。


 彼の言葉にはあまり北海道訛りがなかった。


 札幌でも若い人達はあまり訛りがない人が多かった気がする。大阪でも大阪弁を喋れない若者が少なくない数がいるという。変な話だ。


 「走ってですか?船ですか?」


 「福井の敦賀から船で苫小牧まで」


 「へーっ、いいなぁ。僕は道内から出たことがないんで。琵琶湖の周り走ってみたいんですよね」


 「是非来て下さい。でも私は、初めてだけど北海道の方が好きですよ。関西とは別世界です」


 「そうなんですか。道北へ行くと確かにそうかもしれませんけど。それで今日はどこまで行くんですか?」


 「阿寒湖や摩周湖を巡って、屈斜路湖から美幌峠を通って北見辺りで泊ろうかと思ってます」


 「北見か……。あまり行ったことがないなぁ」


 「そうですか。じゃあ、阿寒湖の近くで人気のカフェってありませんか?」


 「カフェ?あ、ああ。消防署のところを曲がった奥にある店でしょう。名前はわからないけど、人は良く並んでますよ。関西でも有名になっているんですか?」


 「いえ、一昨日釧路でちょこっと耳に入れたもんで」


 彼のポケットでスマホが鳴った。SNSのメッセージのようだ。


 「そろそろ行かないと」


 「じゃあ奥の方へ行ってみます。教えて頂いて本当にありがとうございました」


 「なんもなんも。国道でたまにネズミ捕りやってるから気をつけて」


 彼と別れて俺がタンクバックからお茶を取り出して飲んでいると、KAWASAKIに乗った彼が片手を挙げて爽やかに去っていった。


 彼の言うとおり、その奥には開けた美しい風景が待っていた。


 勇気を出した彼に声をかけられていなかったら、この美しさには出逢えていなかった訳だ。彼の地元を愛する気持ちがそうさせたのかもしれない。また少し俺に、他人の優しさが沁み込んでいった。


 俺は写真を何枚か撮ったあと、デッキの柵にもたれながら、頭の中が空っぽになってボーッと目の前の風景を見ていた。


 賑やかな外国人観光客の一団が現れて、俺はオンネトーを離れることにした。


 来た道を戻って国道240・241号線に出て左折した。のんびりと走っていても阿寒湖はすぐだった。


 観光船乗り場の横から阿寒湖を眺めた。天然のマリモは湖の北側に生息している。と、どこかで聞いた。


 桟橋越しに雄阿寒岳を望み、俺は満足した。


 羽を大きく広げた梟の彫刻が出迎える阿寒アイヌコタン。その小さなテーマパークのような中を俺は歩いて見て回った。


 インターロッキングブロックが敷き詰められた坂道の両側にアイヌ語の名前の店が並び、道を進んだ中ほどの真ん中には、梟やヒグマが彫刻されたトーテムポールのような物が何本も立っていて、道の一番奥には社のような建物があった。並んでいる店は民芸品の土産物屋がほとんどで、その中に食べ物屋が点在していた。アイヌの人は梟を守り神にしていると、立ち寄った店のおじさんが教えてくれた。シマフクロウという名で、羽を広げると180センチにもなるという。俺のタッパと変わらないデカさだ。しかし、開発が進んで個体数が激減したそうだ。「アイヌみたいだ」おじさんは最後にボソッと呟いた。


 阿寒湖畔の温泉街もまだ賑わう前で、あっという間に通り過ぎた。


 少し道を戻って、KAWASAKI乗りの彼から聞いた人気のカフェに向かった。


 『ピリカヌタイ』の女将さんが言っていたショウちゃんの嫁がやっているというカフェは『Beau lac』という名で、何と読めばいいのかわからなかったが、木々と花に囲まれた古い倉庫付き家屋をリノベーションした趣のある建物だった。


 舗装されていない小さな砕石を敷き詰めただけの駐車場には車がいっぱい停まっていた。


 そして残念なことに、入り口ドア横には十人ほど女性グループやカップルが並んでいて、すぐに入店出来るようには感じられなかった。


 中を覗いてみたがアイヌらしいものなど何もなく、洗練された北欧風の山小屋って感じだった。そして猟師のショウちゃんはいない様子だった。


 俺はまだ、何処で見た絵だったのか思い出せないでいた。


 時折木々の間から阿寒湖が姿を見せる直線路を快適に走っていると、何台かのバイクに追い抜かれた。全部道外ナンバーで荷物を満載していた。


 日程が決まっていると、それなりに急がなければならない時がある。俺には関係のないことだった。すべてを捨てて挑んでいるのだ。俺がいたいだけここに、北の大地に居座るつもりだった。


 アイヌの文化を守るとはどういうことを指しているのだろう?


 そう考えていると、こっちに来てから国道でも時々出会う舗装のギャップがあって、後輪のショックがフルボトムしてしまった。急な突き上げに俺の思考はどこか別のものに変わる。どうしてこうも舗装が悪い所が多いのだろうか?と。


 国道240・241号線は阿寒川を渡り少し進むと、左折が国道241号線、直進が国道240号線と二手にわかれる。


 弟子屈、摩周湖方向に左折する。


 幅広い車線に気持ちのいいカーブが適度に在って、時折展望が開けるのが気持ちが良かった。


 山間部の山並みを見ていると、またアイヌのことが頭を過った。


 この山々でもアイヌの人々は狩りをし生活していたのだろうか?


 神居古潭に赴いてから、妙にアイヌという俺の知らないものに縁を感じた。


 地名が複雑な読み方からもわかるのだが、北海道で見るものの下地にはアイヌ先住民の文化があるのだということを忘れずに旅をしていけば、何か感じ取れるものがあるのかもしれないと思った。


 それからすぐに、そんなことを感じ学んだところで、それを何かに生かせることなどないだろうとも思った。全部、俺の自己満足だけなのだ。


 危うく双湖台を通り過ぎる所だった。


 ペンケ・トー(アイヌ語で、上の・湖)が北海道の形のように綺麗に見えた。その先にあるのはパンケ・トー(下の・湖)だ。


 そして双岳台からは雌雄の阿寒岳が綺麗に並んでいた。


 所々舗装が悪いところを除けば、国道241号線・阿寒横断道路は高低差もあって気持ちの良い道だった。


 下り坂に入る手前に弟子屈町のカントリーサインはあった。


 山間の道も下りになると片側の視界が開けた。下界に近づくにつれてまた木々の間を抜けていく。そして山道を下り終えると一気に視界が開けた。


 道東はいろんな顔を持っていると感じ、これからももっと素敵な顔を見せてくれるだろうと、俺は期待に胸が膨らんだ。


 釧路川を渡ると道の駅・摩周温泉だった。久し振りにグルメパスポートが役に立った。「チーズがとろーり・キーマカレーサンド」とコーヒーのセットが半額の五百円だった。とても旨かった。儲けものだった。


 デザートに食べた桜餅アイスも旨かった。


 満足したところで国道241号線から国道391号線へ入り、すぐに道道52号線・屈斜路摩周湖畔道路へ右折した。


 見通しの良い気分高まる道が続き、道の両側を木々が覆い始めると、一気に坂道を駆け上がる。


 やはり見える景色すべてがダイナミックだ。このままずっと旅を続けていたい。そんな叶うはずのない願いが漏れ出るほど俺は惚けていった。


 第三展望台から霧のない摩周湖を半時ほど眺めていた。小さく湖面にあるのがカムイッシュ島か。


 これだけ雄大な自然の中にいると、自分がもっとちっぽけに思えてきた。ちっぽけなくせに、ちっぽけなことを考え、ちっぽけなことを悩み苦しんでいる。ただ今は楽しもうそう思うしかなかった。


 気持ちの良いつづら折りの道を下りていく。


 しかし疲れが感動を薄めているようだ。


 下まで下り切って、川湯温泉駅の近くで相棒を停めて、今日と明日、二晩の宿を北見で取った。もしかしたら明日は動けなくなるかもしれないと思った。


 国道391号線を少し北へ進み、すぐにまた道道52号線へ左折。木漏れ日が輝く森の中を進むと、硫黄の匂いが風に乗って鼻に流れ込んだ。左手に硫黄山の看板が。木々の目隠しがなくなるとすぐに煙を噴き上げている白い斜面を見せていた。現実から突然異様な世界に飛ばされたような感覚だった。


 広い駐車場には何台も観光バスが停まっていて、俺は何か引っ張られるように駐車料金を払って中に入った。


 疲れているのに何故こんな場所に立ち寄ることになったのか、俺自身わからなかった。


 歩いて硫黄山に近づいていくと、バスガイドの説明が耳に入ってきた。


 「――で、ここで採掘された硫黄を運ぶための線路を通し、機関車の燃料である石炭を釧路春採炭鉱で採掘し、そして、北海道から船で運び出すために釧路の港が整備されたんですね。ですから、もしこの硫黄山がなければ、釧路の町もこれほど発展しなかったかもしれませんね」


 俺は「へー」と口から洩れていた。謎だったあの海沿いに在った単線の線路は、釧路春採炭鉱から石炭を運んでいる線路ではないか?線路に草が少なかったから今も現役だろうか?今度行った時に走る姿が見れるといいなぁと思った。


 もっとバスガイドの話を聞きたかったのだが、お年寄りの団体は湯気が出ている方へ元気良くドンドンと歩いて行った。


 疲れが足を重くしているので俺は諦めて、相棒の元に戻ってタンクバッグの中のお茶を飲んだ。空になった。


 地図で北見までのルートをもう一度見返した。まだ百キロ近くあるみたいだ。


 雲一つ浮かんでいない青の下の屈斜路湖も綺麗だった。


 綺麗だと感じた景色は、頑張って全部カメラに収めた。疲れが出なければもっと感動出来ていただろうと振り返って思うのだろう。


 国道243号線で美幌峠を上がっていく。


 峠にある道の駅でスタンプを押して、あげいもを食べながら展望台までは行けなかったが途中の眺望の良い場所から眼下の屈斜路湖、そしてまた違う道東の姿を眺めた。


 美幌町のカントリーサインは標高493mの標識と並んで、道内各地のナンバーをつけたバイクがずらり並んだ道の駅の駐車場の端で立っていた。


 美幌の町まで国道243号線で行って、そこから先は道道122号線で北見まで。途中で北見のカントリーサインと出逢えた。


 宿で荷物を降ろすと最後の力を振り絞り、ヴォ―リス建築の「ピアソン記念館」へ向かったのだが、残念ながら十五分前に閉館していた。緑の屋根と縁取りの可愛い色使いが俺の知っているヴォ―リス建築にはないものだった。


 ガラ携を取り出して曜日を確認した。明日月曜日は休館日だった。


 道理で今日はどの道も乗用車やバイクが多かったはずだと、その時今日が日曜日だということに気がついた。俺は術後目覚めて以降、曜日の感覚が希薄になっている。


 今夜泊るホテルには温泉があったが、湯に浸かるともう外出するのが億劫になりそうで、俺は先に飯にすることにした。人気店だという近くのホルモン焼肉屋に予約もしていないのに上手いタイミングで滑り込み、ピッチャービールとお勧めの盛り合わせを頼んで、追加でピッチャーをお代わりして小一時間で店を出た。とても旨い肉だったが疲れ過ぎていてそれ以上腹に入っていかなかった。その代わりにビールは水のように入っていったのだが、何故かまったく酔えなかった。


 ホテルに戻って、ゆっくりと湯に浸かった。


 温泉が堪らなく心地好かった。


 部屋に戻ったあとの記憶はなかった。目が覚めると外は明るくなり始めていた。


 体の関節を一つ一つ動かして、ゆっくりとベッドの縁に座って、グラつかないか確認して俺は立ち上がった。


 歯磨きしながらテレビで天気予報をチェックする。


 北見の今日は、昨日ほどではないが晴れ模様だ。


 朝風呂に入ってから今日の予定を立てようと考えた。


 ひとっ風呂浴びて感じたのは、思った以上に体力が回復しているということだった。こうやって身体と会話しながらの毎日に、俺はかなり飽き飽きしていた。


 流石に昨日のようにはいかないだろう。安全策をとって、北見近辺にある道の駅とカントリーサイン集めで軽く走るだけにしようとホテルを出発した。


 国道39号線を西に走り、先ずは道の駅・おんねゆ温泉まで。大型トラックの列のうしろを四十分ほど走って到着。思っていたよりも雲が厚くて暗くて寒かった。


 ここも大きな駐車場にバスが何台も停まっていた。何か観光施設があるらしい。スタンプ帳を持って施設内に入ると、奥に水族館があった。どうりで。


 俺はそそくさと先を急いだ。


 少し来た道を戻って、足寄から陸別まで走った国道242号線の随分先にある留辺蘂から遠軽町に向かって北上する。


 すぐに願望岩の絵が描かれてある遠軽町のカントリーサインに出逢った。


 天気予報を信じて山間の道を進む。遠軽の町に入る手前にある国道333号線へ左折して、まるせっぷ、しらたきと道の駅スタンプをゲット。段々と空を覆っている雲が薄くなってきて、しらたきでスタンプを押して表に出てきた時には霞の先に青を見せるようになっていた。


 気分良く走れそうだ。そう思って発車させたのだが、クラッチを繋ぐ時にキュルという小さな異音がし始めていた。


 繋ぐ時だけ鳴るのでギアチェンジを最小限にして停めないように加減して走った。クラッチ操作の少ない北海道だからいいものの、都会で鳴り始めたら気が気でない音だった。


 国道333号線を戻って遠軽の町に向かった。白滝から遠軽までの五十キロ近くの距離を走って、音が鳴ったのはたった三回だけだった。


 クラッチが気になりながらも、遠軽の街の通りには趣のある建物がいくつもあって俺を魅了した。中でも特に気に入ったのは遠軽教会だった。茶と白のストライプが堪らず相棒を停めて写真を撮った。


 JR石北線がスイッチバックのようになっている遠軽駅で、やって来た記念だと朝食がわりに駅そばでスペシャルを食べた。昔から変わらないのであろうボソボソとした蕎麦だったが空腹には美味かった。卵、かきあげ、山菜は良かったが、合鴨だけはいらなかったかもしれないが。


 食べ終わって駅の向こう側にある俺の目的地、願望岩のことを店のおばさんに尋ねた。途中まで車で登れるらしく、歩いて登るのは少しだと教えてくれた。


 ご馳走様とお礼を言って俺は願望岩に向かった。


 「おお~」声が勝手に漏れていた。


 古い汽車が置かれた遠軽公園の中に、カントリーサインに描かれている絵と同じものがデンと聳え立っていた。これが願望岩かと感動した。


 ひとしきり感動を味わったあとで、俺はテッペンヘ登れる道を探した。


 しかし、歩いて探してみても、相棒に乗って探してみても見つけることが出来なかった。


 人影もなく一人探し疲れて、また道北を回る時までに調べようと次のポイントへ向かった。


 社名淵シャナフチ橋を渡ったところに湧別町のカントリーサインが立っていて、湧別川を渡ると国道242号線はオホーツク海まで直線が続いていた。


 晴れ渡った空の下、十勝と似た風景の中を走っているのだが、冷たい風がそう思わせるのか、十勝とはまったく違う感覚を俺は感じていた。


 道の駅・かみゆうべつまでキョロキョロしながら走った。何かが違う。それがなんなのか知りたかった。


 国道が終わり道は道道202号線に変った。湧別の街を進み道道656号線へ右折して、サロマ湖のオホーツク海側にある龍宮台展望台へ向かった。


 まだ先に道は続いていたが、ゲートが半分閉じられていた。


 展望台に上って初めてのオホーツク海と対面した。吹く風が冷たく強かった。


 左右にオホーツク海とサロマ湖の両方を観れるのも不思議な感じがした。


 そうか。やっと十勝との違いを発見した。


 空の色が違うのだ。どう違うかと言われても明確には言葉に出来ないが、空の色が違うんだ。十勝も大きくいえば道東なのに、根釧、オホーツクとは違った。


 そう納得した俺は、サロマ湖をぐるりと回るために出発した。


 湖の終わりで方向を左に変えて、格子状に走っている畑の中の道を走り、国道239号線に出て東へ。観覧車のある遊園地を併設してある道の駅・愛ランド湧別を過ぎると佐呂間町のカントリーサインに出逢った。


 琵琶湖のように湖を眺めながら走れるかと思ったのに、この道はそうではなかった。


 道の駅サロマ湖でスタンプ押したら、予定以上に時は過ぎていた。


 能取ノトロ湖に女満別の道の駅には明日、ウトロへ行く道で立ち寄ろうと明日の予定を変えた。


 そうとなれば、時間はたっぷりとあった。まだ少しサロマ湖を感じていたかった。


 ここなら湖を見ながら走れるかと思い、国道239号線からサロマ湖沿いに走っている道道442号線へ入って行った。


 防風林なのだろうか?湖畔には木が植えられていて、その隙間から湖面が見える程度だった。


 湖畔の魚港町の中を通って、地図で気になったワッカ原生花園へ向かう最後の橋の上から少しだけサロマ湖を眺めた。湖の遠くには、龍宮台から見た時にはなかった霞がかかっていた。


 橋を渡った先にはネイチャーセンターがあって、原生花園を馬車に乗って巡ることにした。


 馬車に揺られながら、緑の中に咲くハマナスの花が綺麗だった。


 旅気分が一段と膨らんだ。


 途中、馬の休憩があって、その間俺は黒い砂浜のオホーツク海を楽しんだ。


 空には雲一つなくなっていたが、やはり十勝の空とは違っていた。


 充分自然を感じた俺は、サロマ湖に別れを告げて道道7号線で北見に戻った。


 コンビニでサッポロクラシックの500の缶ビールを二本買って帰り、温泉にゆっくり浸かってから一本をグビッと飲み干した。


 まだ晩飯の時間には早かった。三十分だけ眠ろうと横になって気づいたら十八時を少し回っていた。


 歯を磨いて顔を洗ってから北見の夜の街に出た。


 適当に目についた居酒屋で酒と刺身と焼き鳥を胃に入れて、俺ははしご酒に向かった。


 まだ早い時間だったのか、Barは二軒とも貸し切り状態で、最後に入った街外れにポツンと看板が光っていたスナックの扉を開けると、カウンターには早々と突っ伏した酔客が鼾をかいて眠っていた。時間感覚がおかしくなりそうだった。


 「いらっしゃいませ」


 店の奥から顔を出した女は俺の成りを見ると一瞬ひるんだが、笑顔を浮かべて爆睡客のいるカウンターの奥に俺を誘導した。


 「ごめんなさいね。さっき呼んだから、もうタクシー来ると思うの。こっちに、奥の方でいいですか」


 薄っすらとした緊張感を漂わせて話す彼女は、安っぽいワンピースに化粧下手な水商売には向かない顔立ちの美人だった。まだ年齢は若そうなのに生活の疲れがあるのか、それが少し顔に出ていた。


 「初めてですか?」


 「はい。旅の途中です」


 「もしかしてバイクですか?」


 「ええ、わかりますか?」


 「何となく、髪型もお洒落だし……」


 その時ドアが開いてタクシーの運転手が顔を覗かせた。


 「これ、メニューです」


 そう言って俺の前にメニューを開いて置くと、女は急いでカウンターから店内に出て、爆睡している男の名前「セラさん」と「起きて」を繰り返し言いながら揺さぶって起こし、運転手には「またセラさんなんだけど」と言っていた。


 運転手に抱えられた千鳥足のセラさんを女が支えるようにして三人は店を出た。


 メニューを一見した俺はぐるりと店内を見渡したあと、飾り棚のキープボトルの数とタグの新しさを確認した。そこそこの数のキープボトルがあった。


 ふーッと息を吐きながら戻って来た女は、俺と視線が合うとニコッと笑った。すらりと伸びた先の足元はナイキのスニーカーを履いていた。


 「ごめんなさい。何にしましょう?」


 「このレモンハイにしようかな。良かったら君も何かどうぞ」


 「ありがとうございます。いただきますと言いたいところなんですけど、車で帰らなくっちゃなんで。すみません」


 「あっ、そう」


 珍しい。ホステスだろ?と思っていると、女は奥から小鉢を持ってきて俺の前に置くと、続いてレモンハイを置いた。


 「お待たせしました。いつもは九時にはママさん達来るんだけど、今日は地区の寄り合いがあるらしくて、十時になるそうなんです」


 「君はホステスさんじゃないの?」


 「ああ、どうでしょう?準備係みたいなもので、七時に来て、掃除と洗い物して、付き出しと煮物作って、八時に店を開けて、ママかヨウコさんが来たら私は帰るんです」


 「そうなんや」


 昼は小さな設計会社で事務をしているというカナという女と、随分と貫録のあるヨウコさんが来るまで一時間ほど会話した。商売気がないカナとの会話は、リラックス出来てとても楽しかった。千葉の行徳出身なのも意外性があった。


 ヨウコさんが来るとカナは帰り支度を始めた。それを待っていたかのように年配のサラリーマン三人組が入ってきたので、俺は会計を済ませて店を出た。


 店の前の道には赤い軽自動車が停まっていて、派手な上下のご婦人が開いた助手席側の窓越しに運転手と話していた。


 「また明日ね」と派手なご婦人が言って俺の方に向かってきた。俺を見つけると、「お帰りですの。またお待ちしています」と派手なご婦人は頭を下げてから店に入っていった。ママだ。


 俺はどうしてかホッと胸を撫で下ろしたあと、歩く人も疎らな北見の街でどうするかを考えながら歩いていた。


 すると、車道で短くクラクションが鳴った。


 俺が振り向くと、さっきのスナックの前に停まっていた赤い軽自動車だった。


 「誠さん」


 開いた助手席の窓から、俺の名前を呼ぶ女性の声が聞こえた。








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