第九十三話 最後の夜
「おーっし、今日の予定消化したっす……!」
「私も、これで……よし、終わり! 恵は!?」
「私も……ええと……これで良し!」
疲労を滲ませた声を出しながらも、今日の分の仕事を終わらせたために明るくなった顔を後輩達が揃って大樹へ向けてくる。
「……俺も今片付いたとこだ」
大樹がニヤリと笑って返すと、工藤、夏木、綾瀬はそれぞれ顔を見合わせて、歓声を上げる。
「おおおお! マジで今日までで!!」
「うん、よくやった、私達」
「本当にね。一時期はどうなることかと……大体あのクソ社長のせいだけど」
顔中に達成感と安堵の色を浮かべる後輩達と大樹も同じ心境だった。
「ああ。本当によくやってくれた……これなら明日の昼過ぎには全て片付くだろう」
その言葉に後輩達は揃って破顔する。
「途中は本当に無理かと思ったっすけど」
「本当それ。先輩があの無駄としか言えないミーティング無くしてくれたおかげ」
「ねえ。今日にここまで終わらせることが出来たんだもの。だから――」
最後を言いきらず、代わりに綾瀬が目を向けてきたのに対して大樹は頷いて答えた。
「――ああ。明日でこの会社とおさらばするぞ」
言うと、大樹は後輩達と共に感慨深いように息を吐いた。
そう、明日は大樹と綾瀬が最終出社日と見込んだ日であり、同時に年末で――一般的には明日が過ぎれば年末年始の休暇が始まる日でもある。
四人は明日までに予定していた仕事を全て片付けるために、今日まで休日返上して頑張っていたのである。
それもようやく目処がたったのが、ついさっきというところである。
「あ、でも日付的にはもう今日っすね」
椅子の背もたれにもたれながら何となしに時計を見上げた工藤が気づいたように言った。
「あちゃあ、本当だ……って、終電もう間に合わないじゃん」
夏木の言う通りな時間だから――という訳ではなく、たまたま今日この室内にまだ残って残業していたのはこの四人だけだった。
「……今日も泊まりかあ……ネカフェ行こうかな?」
諦めるようにぼやいた綾瀬に、大樹は相槌を打つ。
「そうだな。明日が明日だし、シャワーぐらいはしたいとこだ……いや、今日か」
大樹は先の工藤の言葉を思い出して苦笑しながら訂正する。
社長が代替わりしてからこの会社に対しては悪感情ばかり募る日々であったが、最後はやはり身綺麗にして迎えたいという思いが出てくる。
「そっか、本当に明日――いえ、あと一日で最後なんですね、この会社も……」
綾瀬が再び感慨深い顔になって物憂げに言う。
整った美貌を持つ彼女がそうしていると一層目を惹く。
「……そっか、本当にもう終わりなんだ……」
今ようやく実感が湧いてきたような夏木の呟きに、工藤が頷く。
「ああ、そうなんっすよね……そう考えると案外寂しくも……寂しく…………?」
煮え切らないような納得いかないような工藤の言葉に、夏木が首を捻った。
「ううん、寧ろ――」
その後に続く言葉は四人の声が綺麗に揃った。
「――清々する」
そこで四人は顔を見合わせて、それぞれ噴き出した。
「いや、無理だって! この会社に対してそんなこと思えないって!!」
「っはは、そうっすよ! 会えなくて寂しくなるのなんてこの面子ぐらいだし!」
「本当よ! 寧ろ顔合わせたくない人の方が多いんだし!」
後輩三人は口にした通り会社自体に対しては本当に寂寥感など抱いていないようで、大樹は口端に苦笑を滲ませながら彼らの言葉に耳を傾けていた。
(……俺も清々することは清々するが……そこまで割り切れんな、やはり……)
何と言ってもこの会社は大樹に社会人のいろはを教えてくれた場所なのだ。
先代がいた頃は上司にも先輩にも仕事にも恵まれて居心地のよかった会社だったのだ。
(……もう、どれだけ思ったところで仕方ないが、な……)
代替わりした二代目がボンクラを通り越したような無能としか言えないような男だった。
それだけならまだマシだったかもしれない。
彼は無駄に自信過剰な男で、動けば動くほど状況を悪化させ、その癖それを省みることのない、何もしない方がいいと思われている存在だった。
大樹が軌道修正を願って口を挟んでもプライドを刺激するだけで何も受け入れてもらえず、大樹は冷遇され続けていた。
諸行無常、そんな言葉が大樹の脳裏に浮かんだ。
そこで自分が思っていた以上に感慨深くなっていることに気づいて、口端にあった苦笑を深める。
そうしている大樹に気づいたのだろう、工藤が少し言い難そうに口を開く。
「あー、でも先輩はやっぱり、寂しかったりするっすか……?」
綾瀬と夏木がハッとしてからこちらをジッと見てくる。
「……いや。寂しい、というのは違うな。あのクソ社長以前のこの会社を知っているだけに……少しやり切れんって思ってしまうだけだ。だからといって辞めることに対して一切の悔いはないし、お前達と同じく清々しているのも本当だ」
それを聞いてホッとしたようになる三人。
「そういえば、先輩」
「なんだ、夏木?」
「聞いてもいいですか?」
「何をだ?」
問い返すと、夏木は躊躇いがちに大樹を見上げる。
「……その、先代の社長ってどんな人だったんですか?」
夏木の態度から何を聞かれるのかと一瞬身構えてしまった大樹は苦笑する。
「なんだ、そんなことか」
「そんなことってことないですよー。なんか前の社長の話題になると、先輩ちょっと寂しそうな感じ出してましたし」
まるで覚えの無かった大樹はパチパチと目を瞬かせた。
「……そう、だったか?」
「そうですよー」
「確かにそうっすね」
「そうでしたね」
三者三様に頷かれて、大樹は思わず唸った。
「ううむ……そんなつもりは無かったんだがな……知らずの内に出てたか」
「……無意識に先輩をそんな風にさせてしまうような人だったんっすね」
「んー、そう聞くとちょっとジェラシー?」
「……確かに」
ワザとらしいほど重々しげに綾瀬が頷くと、三人は揃って「で、どんな人だったんですか?」と言いたげな目を大樹へ向けてくる。
「どんな人か……そうだな、まあ、楽しい人っていうのが的確……か?」
大樹の首を捻りながらの言葉に、三人は揃って首を傾げる。
「楽しい人、っすか……」
「ああ。あと、良い意味でガキ大将みたいな人でもあったな」
「良い意味でガキ大将……」
「うむ。自然と人を集める――いや、惹きつけるような人だった」
「ああ……なんとなくわかるような」
大樹をジッと見ながらの綾瀬のその言葉に、工藤と夏木がピンと来たような顔をして揃って大樹へ目を向けてから頷いた。
「なるほど」
「あー、なるほど」
そんな彼らの視線に大樹は内心首を傾げながら続けた。
「まあそんな社長なんだがな、仕事が終わったらよく飲みに行きたがって、俺達社員をよく誘って奢ってくれたもんだ」
「ふむふむ」
「それで最初の頃、少し困ったのが、仕事が終わった時間になると『堅苦しいから社長なんて呼ばずおやっさんと呼べ』と言われてな」
「あー、先輩がそう零してるの聞いたことある」
「うむ、まあ、あるだろうな。で、会社にいる時は社長呼びしてるのに、夜になると『おやっさん』だからな。呼び分けるのに最初は苦労したもんだ」
「……おやっさん呼びに慣れると昼でもポロっと出てしまいそうっすね」
「それだ。うっかり仕事中に言おうものなら、『馬鹿野郎、仕事中は社長と呼べ!』と怒鳴られるんだ……まあ、いつも本気で怒ってはいなかったが」
「……なんかちょっと理不尽な」
「うむ……それで飲みに行っている時に社長と呼ぶと今度は『馬鹿野郎、仕事終わってまで社長と呼んでんじゃねえ、おやっさんでいいって言ってんだろ!』とまた怒鳴られる」
「……」
「そんな調子だからな、誰かしらうっかりして、二日に一回は対象が自分であれ他人であれ、そんな怒鳴り声を耳にするのが日常になる」
「……それはやっちゃいますよ……」
「うむ。だが、ある日の会議中のことだ。仕事の時間だぞ? 俺が『社長』と呼びかけると、社長から『馬鹿野郎、仕事中に社長って呼んでんじゃねえ、おやっさんと呼べ!』と怒鳴られた」
「?……え、あれ?」
綾瀬が混乱したように首を傾げているのを見て大樹は噴き出し気味に続ける。
「そうだ、おかしいだろ。仕事中に社長に『社長』と呼んで怒られたんだ、俺は」
「あっはは、つまり、今度は社長がうっかりしたんですね?」
「そうだ。そのことに気づいた俺だったが、社長がそう言うのなら仕方ない。俺は会議中に『おやっさん』と呼んだ」
「……先輩ならそうしますよね」
「うむ。そしたら社長は『馬鹿野郎! 仕事中にっ……――』と、尻つぼみに声が小さくなっていって、自分のうっかりに気づいたようでな。一瞬だけハッとしてから何食わぬ顔を繕って『――おやっさんと呼んでもいい日だったな、今日は。確かそうだったな、がっはっは。よし、大樹、続けろ』なんて超適当な感じで誤魔化しやがった」
ぶはっと噴き出す後輩達。
「そ、それはずるい!」
「い、いくらなんでもそれは……」
綾瀬のその言葉に大樹は同意しながら頷いた。
「本当にそれはいくらなんでも、というやつでな。会議に参加していた面子から『そりゃねえっすよ、おやっさん』『それはないでしょ、社長』と総突込みだ。それに対して社長がニヤリと笑って一言――『馬鹿野郎、今日はおやっさんと呼べ』だ。全員呆れてからすぐに爆笑したもんだ」
話を聞いた後輩達も同じように呆れの表情になってからすぐに笑い声を上げる。
「――とまあ、そんな調子の良い人でもあった」
大樹が肩を竦めて締めくくると、後輩達がますます笑い声を上げる。
「あー、なるほど、なんとなくわかったっす」
「うんうん、なんかすごく覚えのある感じ」
「確かに……お会いしてみたかった」
笑いを抑えながら口々に言うのを聞いて、大樹は訝しく眉を寄せた。
「覚えがある……? 誰か似てる人がいるのか?」
そんな大樹の問いに、後輩達は揃って「何言ってんだ、この人」という表情を浮かべる。
その様子に大樹が更に怪訝になると、後輩達は顔を見合わせる。
「もしかしてマジで言ってんっすかね……?」
「もしかしたらそうなんじゃ……?」
「無意識なんですね……」
などと言ってはわかったような顔をして頷き合っている。
「? 一体、なんだというんだ、お前達……」
そう言って首を捻る大樹に、後輩達が再び噴き出す。
「いや、なんでもねえっす」
「そうそう、何でもないですよーだ」
「ええ、気にしないでください」
口々にそう返され、当然大樹は釈然としないものを覚えながら追及を諦めた。
「先輩、他にも何か聞かせてくださいよ、先代のこと!」
「そうっすね、聞きたいっす」
「良ければ、是非。先輩」
再び話をせがまれ、大樹は苦笑した。
「構わんが……まずはネカフェかどこか向かわないか? 話は歩きながらでも出来るしな」
そうして大樹が立ち上がるのに合わせて、後輩達も席を立ち大樹の後に続く。
――そんな風に、四人は会社で明かす最後の夜を過ごしたのであった。
◇◆◇◆◇◆◇
「――よし、工藤、夏木も綾瀬のも……オッケーだ」
「うっし」
「いやー、今日は余裕だったね」
「昼過ぎには終わる予定の作業だったしね」
大樹のOKサインに対し、ご満悦な顔を浮かべる後輩達。
「さて、これで作業の……この会社ですべき事は全て終了した――」
言いながら大樹は労いと本日のメインイベントへの誘いを込めた視線を後輩達へ巡らせる。
その意味することを違うことなく受け取った工藤、夏木、綾瀬がしっかりと頷いて返す。
「アレは持ってるな、三人とも?」
大樹は自分の胸ポケットの裏にあるものを意識しながら問うた。
「はい」
三人の揃った返事を聞いて大樹は席を立つと、ニヒルに肩頬を吊り上げた。
「それじゃ――まとめて突き出してやろうじゃねえか」
そんな少し乱暴な誘い文句に後輩達は大樹と同じような笑みを浮かべて立ち上がった。
「はい――!」
◇◆◇◆◇◆◇ ◇◆◇◆◇◆◇ ◇◆◇◆◇◆◇
遅くなり申し訳ありません……(何回目だこれ
年明けぐらいから色々環境変わって時間が思う通りにとれなかったりで更新滞っておりました。
更新ペースもうちょっとなんとかなるようしますね、本当すみませんでした。
さておき、Twitter等確認されてる方は知ってると思われますが――
社畜男はB人お姉さんに助けられて――
の書籍第三巻が発売されます!!
それも発売日は今日(4/28)です!!(遅い
いや、なんとか今日更新できてよかった……(マジ遅い
内容としては面接編は全部収録しております。
そして書き下ろしは番外編『新入社員・綾瀬恵』です!
書き下ろしのページ数けっこうあるのでね、楽しめると思います。
是非是非手に取って読んでいただけると嬉しいです。
にしても……一巻の発売日はちょうど一年前で三巻が今日……
わかります? 両方とも緊急事態宣言真っただ中なんですよね……いや、本当なんてこったいというやつです。
でも今回の緊急事態宣言ですが、本屋は制限は特に無いとニュースで見ましてね、なのでね……(チラ
書き下ろしの感想なんかもこっちでネタバレにならない範囲で受け付けますので
はい、本当どうぞよろしくお願いいたします!
社畜男はB人お姉さんに助けられて―― 櫻井 春輝 @sakuharu03
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