ママ・メッセージ

松藤かるり

ママ・メッセージ

ミサト:こんにちは

ミサト:私は、あなたを産まなかった未来のおかあさんです


 スマートフォンのアラームをセットしようとして、そのメッセージに気づいた。

 通知マークがついたのは、クラスの誰でも知っている定番のSNSアプリだった。メッセージの送受信やタイムラインへのつぶやき投稿、インターネット通話ができるもので、僕もスマートフォンを手に入れるなりすぐそのアプリを導入した。

 しかし変なメッセージだ。既読をつける前にもう一度通知画面で確認した。どうせ、変なURLが載っていて、そのページで個人情報を入力しろという流れだろう。もしくは『私はあなたのお母さんだから、コンビニで電子マネーを買ってきて』と要求するか。僕よりもスマートフォンを使いこなせない母が電子マネーを要求するなんて笑ってしまいそうだ。

 確かに僕の母は『美里みさと』だ。偶然にも同じ名前だが、母もそのアプリを使っていて登録名は『美里』だ。僕がリビングを出て自室の布団に入るまでの間に、登録名を変更したとは考え難い。その操作もうまくできず僕に聞いたぐらいだから。


 僕はスマートフォンを置いて布団にもぐった。どうせ宣伝や詐欺だろうから気にしなくていいと結論を出したのだ。明日、母に聞いてもいいだろうし。そうしてメッセージのことを頭から追い払って、目を閉じた。



 いつも通りの朝がきて、学校へ行って。あのメッセージのことを思い出したのは昼休みのことだった。

 雨が降っていたのでほとんどの生徒が教室で過ごしていて、読書をしているクラスメイトもいた。どういうわけか同じ本を読んでいる人が多かったので、「何を読んでいるんだ」と教えてもらったのである。


「お前、知らないんだ。流行っているんだよ『もしもシリーズ』って本」


 そう言って表紙を見せてもらった。それは『もしも〇〇だったら』というテーマのもとに書かれた短編集で、ひとつの話が朝の読書時間で読み切れることもあり、クラスで人気だった。

 その本でも特に話題になっていたのが『ママ・メッセージ』という話である。


「ちょっと読んでみるか? 昼休みの間に読めるだろ」


 漫画は好きだが小説はあまり好きじゃない。気乗りしなかったが、クラスメイトに押し切られて借りてしまった。

 ささっと流して読む。どうやらこの話は『〇〇をした未来』『〇〇をしなかった未来』のどちらかを選ぶものらしい。主人公は二つの未来を見て、どちらが幸せな未来か比較し、選択する。

 僕はというと、結果を見てから選ぶなんてずるいよなあと思ってしまったので、クラスメイトたちのようにハマりきることはできなかった。


 本を返すとまもなく予鈴が鳴り、皆が席に戻って授業の準備をする。僕も教科書を机に並べ、それからスマートフォンを取り出した。この学校では授業中のスマートフォン使用は禁止されている。通知の音ひとつ鳴れば没収だ。音量設定は大丈夫かと確認して、昨日のメッセージを思い出した。

『ミサト:私は、あなたを産まなかった未来のおかあさんです』

 昼休みに読んだ本は架空のものだとわかっている。けれど、気になって仕方ない。



 学校が終わると僕はスマートフォンを取り出し、例のメッセージ画面を開いた。既読通知をつけてもいいと諦め、開く。

 昨晩見たメッセージ以外はない。変なURLも電子マネー購入を促す文も。となると間違いで送ってきたのか。

 画面上部に『ミサトさんをともだち登録しますか?』と表示されていたので、少し悩んだがともだち登録をした。知らない人という怖さよりこのメッセージの意図が知りたい好奇心が勝ったのだ。

 すぐにメッセージが届いた。


ミサト:ともだち登録ありがとう

ミサト:あなたと話したかったので助かります

ミサト:このこと、あなたを産んだ未来のおかあさんには内緒にしてね


 どうも怪しい。ともだち登録してまもなくメッセージがくるところはまるでSNSアプリを監視していたようだし、母に内緒というのも気味が悪い。僕はとてもよくないものに片足をつっこんでしまったのではないかと怖くなった。


ミサト:あなたにいくつかの質問があります


 ほらみろ。やっぱりこれはよくないものだ。ここから個人情報を抜き出していくんだろう。

 詐欺や犯罪に関わるアカウントは運営に通報することができる。その通報ボタンを押そうとしたところで、もう一度スマートフォンが光った。


ミサト:お母さんの手料理で 一番好きなものはなあに?


 拍子抜けする内容だった。質問って、僕の好きな料理を聞くだけなのか。生年月日とかどこの高校に通っているとか、そういう質問が飛んでくると思っていたのだ。

 僕は考えてメッセージを送る。


のぼる:カップラーメン


 思い浮かぶものはあったが、母の名前に似ているこの人に、母を褒めるような内容を書くのは気が引けた。このアカウントは詐欺ではなく、母と誰かが仕組んだいたずらという可能性がある。だとすればここで母を褒めるとそれが母の耳に入ってしまうわけで。それは少し恥ずかしかった。


ミサト:そう

ミサト:私は ろくに家事もできないのね


 ちくりと、心が傷んだ。自分に呆れているような物言いが、頭の中で母の声になる。悲しそうな顔をして言うのかもしれない。気まずくなって本当は違うと書こうとしたが、僕が書くよりも先に相手からメッセージが届いた。


ミサト:ねえ

ミサト:私のこと、おかあさんには言わないでね


 となると相手は、このアカウントや質問内容を母に知られたくないのだろう。誰なのだろう。思い当たる人物はいないし、母に知られずに情報を聞き出そうとする理由もわからない。

 もしかすると本当に、僕を産まなかった未来の母ではないか。


ミサト:質問です

ミサト:生まれてきてよかった?


 その質問は僕を悩ませると同時に、相手が別の未来の母なのだと思い込ませた。

 そうなれば――僕はこの質問にどう答えたらいいのだろう。『はい』か『いいえ』か。先ほどの料理の質問で後悔したので素直に答えたいところだが、素直になるのなら自分と向き合わなければならず。いったん既読をつけた後、ポケットにスマートフォンをしまう。帰り道歩きながら考えるとして返信は家に帰ってからでいいと思っていた。




 家に帰ると母はいなかった。いつも通りだ。リビングのテーブルには、ラップのかかった冷めたオムライスがある。前は手書きのメモが添えてあったが、言われなくたってレンジで温めて食べると怒った時から夕ご飯のみが置かれるようになった。

 カバンを置いて制服を脱ぐ。着替え終わって一息つこうとしたところで、スマートフォンのことを思い出した。制服のポケットから取り出せば、メッセージが届いている。


ミサト:ごめんなさい

ミサト:さっきの質問はなかったことにして

ミサト:あなたは多感な年ごろでしょう 難しいことを聞いてしまったわね


 僕は帰宅途中のため返信が遅れたことを話した。しかし、返ってきたのはそれに対するものではなく新たな質問だった。それらに僕は答えていく。


ミサト:お父さんは いまなにしてる?

のぼる:いないよ

のぼる:女の人を作って出て行ったよ

ミサト:そう

ミサト:おばあちゃんは なにしてる?

のぼる:母さんの方のばあちゃんは亡くなったよ

のぼる:働きすぎで 病気に気づいた時には手遅れだった

のぼる:父さんの方はわからない

のぼる:母さんに聞いてみる?


 するとすぐさまメッセージが飛んできた。


ミサト:言わないで

ミサト:おかあさんには聞かないで


 どうやら相手は、スマートフォンで文字を打つのに慣れているらしい。二つのメッセージは間髪入れずに飛んできて、予測変換を使ったとしてもこんな速さができるのだろうかと思うほどだ。


ミサト:コロは?

のぼる:なにそれ

ミサト:犬

ミサト:飼っていないの?

のぼる:飼っていないよ

のぼる:うちにそんな余裕ないから


 そこでいったんミサトからの返事が止まった。既読はついているから、僕のメッセージは確認しているらしい。

 その後はテレビを見たり、勉強をしようとしてゲームをしたり、オムライスを食べたり――と普段通りに過ごしていた。何度もスマートフォンを確認したが、新しいメッセージは届いていなかった。



 翌日の授業でちょっとした騒ぎが起きた。授業中、教室に響くスマートフォンの音。それがSNSアプリのメッセージ受信音だったので、僕はとっさにポケットに手を入れたし、周りもみな自分のスマートフォンではないかと焦った顔をしていた。


「お前!」


 特に数学の授業だったのがよくない。この先生はスマートフォンの没収にためらいがないと生徒の間で話題だった。

 先生は机と机の間をぶつからず器用に歩いていく。恐ろしいことにたった一度の通知音で、どこから鳴ったのか検討をつけていたらしい。先生が通り過ぎた先から安堵の息が聞こえる。僕も先生が通り過ぎるまでひやひやとした。


「授業中のスマートフォンは禁止だって言っただろう!」


 振り返ってすぐにわかった。顔色の悪い男子生徒。タクミのスマートフォンが鳴ったのだ。

 どこか抜けたやつだから音量を切るのを忘れていたのかもしれない。白を切ればまだ切り抜けられるかもしれないのに、タクミは慌てて立ち上がった。手も体も、ここから見てわかるほどに震えていた。


「ちがうんです、これ大事なんです」

「学校のルールだ。没収する」

「い、いやです。お願いです。今日だけは」


 先生はタクミからスマートフォンを奪い、スーツのポケットに入れた。うなだれるタクミを残して教卓へと戻り、いまだ怒りの残った顔で「みんなも気を付けるように。没収だからな」と忠告した。



 授業が終わるなり、後ろの席から聞こえてきたのは泣き声だった。タクミは机につっぷし、声をあげて泣いている。たかだがスマートフォンの没収でそこまで泣くものかと思いながら、僕はタクミの席へ向かった。


「そう落ち込むなって。返してもらえばいいだろ」


 あの先生はスマートフォンを没収しても一週間後に返してくれる。当然怒られるが。

 それよりも早く返してもらう方法もある。親と一緒に職員室へ行って、一週間待たずに返してもらうための理由を話し、原稿用紙一枚分の反省文を渡せばいいだけだ。簡単なことだろうと思っていた。しかしタクミはめそめそと泣いている。


「だめなんだよ。俺、すぐに返事を送らなきゃいけないんだ」

「じゃあ親に頼んで学校に来ればいいだろ」

「できないよ。それだけは絶対にできない」


 そこでタクミが顔をあげた。


「お母さんには言えないんだ」


 最近よく聞いた言葉だと思った。とっさにスマートフォンを入れたポケットに手をつっこんだのは、ミサトのメッセージが思い浮かんだから。


「俺、死ぬかもしれない」

「は? 没収ぐらいで何言って――」

「選ばれなくて、俺は死ぬかもしれない」


 冗談と思えないほどタクミの顔色が悪い。死ぬってどういうことだ。選ばれないってそれは――。

 詳しく聞こうとしたところで、スマートフォンが震えた。音量を消していたので振動だけになっている。取り出してみると画面にはミサトの名前が表示されていた。


ミサト:ねえ

ミサト:私のこと、おかあさんには言わないでね


 は、と息を呑んだ。昨日からぱたりと止まっていたメッセージが、なんてタイミングで届くのだろう。そして内容も、タクミが語るものと似ていて肌が粟立つ。

 僕がスマートフォンを見ているうちにタクミは「職員室に行ってくる」と立ち上がった。あの先生に何とか返してもらえないか掛け合うのだろう。

 結局、タクミが戻ってきたのは次の授業がはじまる直前で。後ろの席からすすり泣く声が聞こえていたのでスマートフォンを返してもらえなかったのだろう。

 授業中も泣いている様子に驚いた化学の先生は、タクミに対し保健室に行くよう告げた。そのまま放課後まで戻ってこなかったので早退したのかもしれない。



 タクミのことがあったからか、ミサトからのメッセージがきていても読む気になれなかった。既読もつけずに放置し、家に戻ってからようやく向き合う。何件も質問が届いていた。


ミサト:おかあさんと仲いい?

ミサト:返事がないのは考えているの?

ミサト:多感な年ごろだもんね この質問はなかったことにして

ミサト:次の質問です

ミサト:おかあさんの好きなところは?


 ぞっとした。僕から返事がこないのは、返答に悩んでいるからだと解釈しているらしい。授業中までメッセージのやりとりがでっきるわけないだろう。

 僕は慌てて授業中だったことと、その間はメッセージを送れないことを話した。しかしミサトはそれに対して返事をしない。


ミサト:おかあさんの好きなところは?


 急かすように同じ質問が届く。僕の話を聞かずに進めるそれは人間味がなく、ロボットと話している気分がした。

 まさかタクミも、僕と同じような状況になっているのだろうか。わけのわからないアカウントが母のことを聞きだし、すぐに答えなければ勝手な解釈をされて次の質問がくる。だからタクミが焦っていたのだとしたら――僕はミサトにメッセージを送った。それは質問の答えではなく、僕からミサトへの質問だ。


のぼる:あなたはどこにいるの?


 すぐに既読がついて、返事が届いた。


ミサト:私は、あなたを産まなかった未来にいる

のぼる:意味がわからない

ミサト:あなたは多感な年ごろでしょう

ミサト:理解できないのは仕方のないことです

のぼる:やっぱり意味がわからない

のぼる:どうして僕に連絡したの?

ミサト:いま、選んでいるから


 選ぶ、それはつまり。タクミも『選ばれなかったら』ということを話していた。

 この人と母の違いは僕を産んだか産まなかったかということである。となればこれから選ばれるのは、僕を産む未来か、産まない未来のどちらかではないか。

 それはミサトが選ぶのだろうか。ミサトは今の状況と産んでいたらの未来を比較しているのかもしれない。となれば、僕を産めばよかったと後悔するような幸せな未来であればいいわけだ。


 そこで思いついた。このSNSアプリではともだちのタイムラインを見ることができる。ミサトのつぶやきを見れば何かわかるんじゃないか。さっそくミサトのタイムラインを表示した。


ミサト のタイムライン:

今日は友達と旅行にでかけ髢イ隕ァ遖∵ュ「隕九k縺ェ髢イ隕ァ遖∵ュ「隕九k縺ェ

髢イ隕ァ遖∵ュ「隕九k縺ェ髢イ隕ァ遖∵ュ「隕九k縺ェ髢イ隕ァ遖∵ュ「隕九k縺ェ髢イ

隕ァ遖∵ュ「隕九k縺ェ髢イ隕ァ遖∵ュ「隕九k縺ェ髢イ隕ァ遖∵ュ「隕九k縺ェ髢イ隕ァ

遖∵ュ「隕九k縺ェ髢イ隕ァ遖∵ュ「隕九k縺ェ髢イ隕ァ遖∵ュ「隕九k縺ェ


 こんな画面を見たことはなかった。表示されかけた文字も一瞬で謎の言葉へと変わり、タイムライン表示画面が埋め尽くされていく。怖くなってスマートフォンをソファに放り投げると、通知音と共に画面が光った。

 おそるおそる、覗きこむ。


ミサト:タイムライン

ミサト:見たね


 僕は怖くなってスマートフォンの電源を切り、引き出しの中に隠した。

 夕飯も風呂も勉強も、何もする気になれなかった。布団の中に潜り込んで逃げる。唯一困ったのは朝のアラームだったが、使っていない目覚まし時計を持ってきてアラーム代わりにし、とにかくスマートフォンから離れたかった。


 同じ状況に陥っているかもしれないタクミのことが気になった。あのメッセージが来ているのならば、彼は僕よりもこの状況に詳しいはずだ。スマートフォンを家に置いて、学校へ向かった。

 しかしタクミは来ていなかった。いつも僕より早く来る生徒だ。昨日のことがあったから休むのかもしれない等と考えているうちに担任がやってきた。その顔はひどく沈んでいる。


「知っている人もいるかもしれないが、タクミが亡くなった」


 水を打ったように静かな教室は担任の声がよく響く。死因は突然死であることや、葬儀などの詳細が決まり次第連絡すること。クラスメイトが突然亡くなってつらいかもしれないが、等と話していた。後半の方はよく覚えていない。それよりも昨日のタクミの様子が、僕の頭を占めていた。

 スマートフォンを没収されたタクミは『すぐに返事を送らなきゃ』と慌てていた。そして『選ばれなかったら死ぬ』とも。僕とタクミの状況が同じならば、僕も選ばれなかったら死ぬんじゃないのか。

 ポケットに手を入れる。いつもスマートフォンを入れているそこは空っぽだった。まずい。ミサトから連絡がきているかもしれない。すぐに返事を送らなければ。




 具合が悪いと話して早退した。学校を出て走る、とにかく急いで帰らなければと焦った。

 家に入るなり僕は自室に向かって引き出しを開けた。そこには僕が置いた時のままスマートフォンがある。電源をつけるも、新着メッセージはなかった。ミサトとのメッセージ記録を何度も確かめたから間違いない。大丈夫だとわかったとたん、力が抜けてずるずると床に座り込んだ。


「のぼる、どうしたの?」


 そこで扉の開く音がし、振り返ると母がいた。


「な、なんで母さんいるんだよ」

「今日はお休みなの。それよりもあんた、学校はどうしたの?」


 スマートフォンが鳴った。母から隠すようにして確認する。


ミサト:言わないでね


「ねえ、聞いてるの。ちゃんと説明しなさい」


ミサト:言わないで 言わないで


「スマートフォンばっかりいじってないで」


ミサト:言わない 言わない 言わない


「話を聞きなさい。それ、取り上げるわよ」


ミサト:言うな言うな言うな言うな

ミサト:言うな言うな言うな言うな

ミサト:言うな言うな言うな言うな


 母が一言喋るたびに届くメッセージ。

 僕は怖くなって、スマートフォンを手にしたまま家を飛び出した。




 家を出ても母が追いかけてくる様子はなかった。制服姿で昼間の住宅街をうろつくのも嫌で、近くの公園に向かう。こんな時間ならば小さい子がいるのかとも思ったが、誰もいなかった。

 ブランコに乗って、もう一度スマートフォンを見る。ミサトからのメッセージは止まっていた。

 タイムラインを表示しても母と話してもメッセージが届くのだから、ミサトはどこかで僕を見ているのだろうか。何にせよ、怖くてたまらなかった。今すぐにスマートフォンを捨てて忘れてしまいたいのに、質問がきたらと思うと手放せない。


「あら。のぼるくんじゃない」


 俯く僕に声をかけたのは、どこかで見たことのあるおばさんだった。昼間に公園にいる僕を叱るのかと思いきや、その人は僕の制服を見て悲しそうにし、それから言った。


「タクミと仲良くしてくれてありがとうね」

「あ……タクミのお母さん……」


 スマートフォンに反応はないことから、他の人のお母さんと話すのは許されるらしい。タクミのお母さんは、僕の前に立って言った。


「今どきの子はみんなそうなのね。タクミもそんな風にスマートフォンばかりいじっていたわ」

「タクミも……ですか?」

「ええ。理由は教えてくれなかったけど――今も学校に行ってきたところなの、没収物を返してもらったのよ」


 ほら、と言ってタクミのお母さんが紙袋を掲げた。

 没収物ということは、そこにタクミのスマートフォンがあるのではないか。僕はとっさに手を伸ばしていた。


「すみません! それ見せてください!」

「え? 別にいいけど――」


 紙袋を借りれば、やはり中に入っている。少しの間だけ借りることを話して、タクミのスマートフォンの電源を入れた。

 まずはSNSアプリだ。ともだち一覧を見るとクラスメイトの名前たちに並んで『髢イ隕ァ遖∵ュ「隕九k縺ェ』というのがある。ミサトのタイムラインで見たものと同じ、不思議な言葉だ。やはりタクミも僕と同じ状況にあったのかもしれない。そのともだちとのメッセージ記録は消えていた。


「……手がかり、なしか」


 打開策があればと期待するも空振りだ。諦めてスマートフォンを返そうとした時、そのともだち一覧に『■■■』という人がいるのに気付いた。名前もアイコンも真っ黒に塗りつぶされた異質なともだちだ。気になってメッセージ記録を開いた。


■■■:こちらは ひと さがし です

■■■:べつの みらい に すすんだ ひと を さがします

■■■:ともだちとうろく したい ひと の なまえ を にゅうりょく してください


 解決の糸口を掴んだ気がした。もしもこれが本物ならば、ここで探した誰かに協力を頼めるかもしれない。

 ■■■のともだち番号を記録して、スマートフォンを返す。最後までタクミのお母さんは不思議そうにしていたが、僕も理由を明かすことはできなかった。


 僕のスマートフォンから■■■をともだち登録する。あっさり■■■と繋がることができた。これならば、いける。

 しかし誰に協力してもらえばいいのだろうか。真っ先に浮かんだのは母だが、僕を産まなかった未来にいるのはミサトである。頼れるわけがない。父はとっくに家を出ているし――そこで思い浮かんだ人がいた。

 その人は僕に優しくしてくれた。きっと頼みを聞いてくれるだろう。■■■にその名前を打ち込んだ。


■■■:みつかりました

■■■:めっせーじ がめん を ひらきます


 僕は、助かる。

 僕を産んだ未来を選んでもらえばいい。これで僕は生きるはずだ。


***


 思惑通り、ミサトからのメッセージは止まった。

 ともだち一覧を開くとミサトがいたところに『髢イ隕ァ遖∵ュ「隕九k縺ェ』と表示されている。今までのメッセージ記録も綺麗に消えていた。


「助かった……のか」


 あとは母が喋ってミサトからメッセージがこないか確かめるだけだ。僕は家に戻った。


 家に戻ると母がリビングにいた。学校を早退した理由も明かさずに家を飛び出したのだから、怒っていることだろう。

 スマートフォンを手にしている母に声をかける。


「ただいま」

「のぼる! あんた――」


 母が喋っても、ミサトからのメッセージはこない。僕は解放された。これでもう大丈夫だ。

 そう思っていたのに、顔をあげた母はひどい顔をしていた。


「言わないでって、言ったのに」


 土気色した肌。黒い唇。そこにいる母が、母ではないもののように。

 母のスマートフォンがぴかぴかと光っていた。目をやれば、見慣れたSNSアプリの画面で、しかし赤い文字が書いてある。


『あなたのおかあさん は 産まない未来 を選びました』


 瞬間、母の首がかくんと落ちた。


 なんてことだ。僕は――祖母に協力を頼んだのに。母が僕を産む未来を選ぶよう協力してほしいと頼んだだけなのに。

 僕は素直に話した。僕と母の近況、父のこと祖母のこと、ぜんぶ。祖母は『わかったよ』と送っていたから、大丈夫だと信じていたのに。どうして。


 しかし祖母が母を産まない未来を選んだのなら、僕はどうなる。

 母が産まれていなかったら、僕は――産まれることは、ない。


 気づいた時にはもう体が動かなかった。かくんと落ちて、そのまま。それから視界は黒く染まって、ぜんぶわからなくなっていく。


 ぼくは えらばれなかったのだから しかたない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ママ・メッセージ 松藤かるり @karurin_fuji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ