異世界スケッチ

鹿島さくら

女魔導士の幼な妻

 春のミージャオは「花まつり」と称して、花咲乱れる木々の下で宴会をする。この時期、ミージャオの人々は羽振りが良い。そのため、各地に散らばるキャラバンの多くが春はこのミージャオに集まる。ちなみに、この大陸では気前のよい人の事を「春のミージャオのごとし!」と言って褒め称える。かつてはこの国を一人の皇帝が支配していたが、それがやめになってからは共和制を採用している国である。

 このミージャオがまだ皇国だった頃の王宮は今もその当時の面影を残している。そして、当時の様子を後世に残す大博物館として機能し、ミージャオの財源確保に一役買っているという具合だ。

 この博物館、つまり旧ミージャオ皇国王宮の傍には深い森がたたずんでいる。この森は大昔から存在するらしく、古い文献にも現れる。ミージャオが皇国であったころは儀式としての主猟場でもあった。伝説によればこの森にはかつて生命の神が住まっていたという。生命の神はこの世を作った2人の神のうちの1人であり、基本的には2神を同時に祀るのであるが、時と場合によっては片方しか祀らないこともある。ミージャオが皇国であったころは生命の神のみを祀る社があり、狩りの儀式を行う際には篤く奉られたという。

 ここ200年ほど、この森には2つの話があった。そもそも、これが「噂」ではなく「話」と表現するのはそれが事実だからである。1つ目は、この深い森から女の子が出てくる、というもの。年は10歳になるかならないかといったほどで、男の子が出てくることは決してない。そして彼女たちは名を尋ねられるとミージャオの古い文字で「華」と付く名前を答える。2つ目は森に入った人間のうち、男は戻って来らず、女は気を失った状態で森の入り口に倒れているというものだ。近くに住む者たちはこの事を恐れて我が子には森に決して近づかないように言い含めた。何らかの理由で性別が曖昧な者は自我を失ったような状態でおぼつかない足取りで戻ってくる。そのころから今日までの約200年、この深い森の中がどのようになっているか知る者はいないのである。

 



「セイランさん、こんにちは。今年も絹を買い付けに来ましたよ」

 シャプール商会のキャラバンは他の商会の例に漏れず、毎年春はミージャオに来るのが習慣になっていた。セイランは例の森の近くの巨大な洞窟におかれた蚕棚の管理をしている。この国が皇国であったころから養蚕はこの国の花形産業だ。セイランは母親である先代から引き継いだ仕事らしい。彼女の夫であるリャンは大陸商人同盟の南方部隊に所属している、単身赴任者だ。

 セイランの管理する蚕棚は200程で、大規模に分類される。この棚の収められている洞窟は「天虫母洞てんちゅうぼどう」と名付けられている。これも伝説であるのだが、この洞窟にも生命の神にまつわる話がある。生命の神はある日、白い芋虫を見つけたという。白い芋虫は兄弟が皆緑の身体をしている中、自分だけは白く、様々な動物に狙われ、兄弟姉妹にも除け者にされるとさめざめ泣いた。生命の神は、この白い芋虫がこの世で最も弱い生き物であることを知っていた。生命の神がこの芋虫を不憫に思っていたところに、親と家を持たぬ子供が現れた。天涯孤独の子供と白い芋虫は一緒に暮らすことになり、この芋虫は今際の際に生命の神に祈りをささげて人のこのため、その身を誰も見たことの無い美しい糸に変えたという。それがこの世界における絹の誕生だ。それはともかくとして――……。



「シャプールキャラバンの女性に頼みごとがあるんだけれど、良いかしら」 

 取引が終わってから、セイランは商会の面々を呼び止めた。

「実は、うちで働いてる子が大切な髪飾りをなくしたとかで。それが、なんでも動物があの奥深い森の中に持って行ってしまったみたいなの。できれば、で良いから探してきてくれないかしら。あの森にはいろいろといわくもあるし無理に、絶対にとは言わないわ」

 隊商を組んで旅をしていれば、道中では様々な困難に出くわす。商品を狙う盗賊や家畜を狙う獰猛な獣などだ。それらを防ぐために、地域によっては隊商が幾つも合わさって果てしなく長い列で危険地域を超すこともあるし、そのような事に見舞われた際の応急処置をいち早くおこなうために相互扶助組織である「大陸商人同盟」は発足した。しかし、いつも都合良くいくわけではない。そのような万が一の危険に備えるべく隊商は用心棒を借りるか、あるいは雇う。用心棒でなくとも最低限の武術や護身術を身に着けている者は多い。彼らは道中の危険から隊商を守る以外に、商売先で仕事を依頼されることがある。セイランからの依頼はそういう類のものだ。

「どうなるかは分かりませんが、行くだけ行ってみる価値はあると思います。団長と副団長はどう思いますか?」

 弾む声で言ったのは女魔導士・ネプテラである。この森には興味があったのだという。  

「うん、良いのではないかな。これも何かの縁というやつだ。しかしそうなると念のために女の子だけで行ったほうが良いかな」

 副団長であるメナが首をかしげると、太陽を溶かしたような瞳をきらめかせる褐色の肌に白銀の髪の美しい女が真っ先に答えた。『太陽の民』出身のリリンだ。背中に生えた輝きを放つ翼が美しい。

「何があるか分かりませんから、それでよろしいと思いますわ。ただし、団長は同行をお控えになってください」

 その言葉に面々は頷く。何か大事があってこの団長を失うわけにはいかないという意思は全員に共通している。50代も半ばに手は届くだろう団長のシャプールはため息をついた。

「何だい、あの森の中に何があるのか私も興味があったんだがね。だが、皆がとめるのなら仕方ない。頼んだよ」 

 

 今や森の探索部隊として分け入った者の内、無事なのはネプテラただ1人であった。異常は最初からあった。まず、ラミア種の特殊能力である千里眼が使用できなかった。通常であれば発動できるこの「千里眼」が全く使えず、偵察ができないまま一行は進むことになった。当てもなく歩を進めていくうちに、ネプテラを除く者たちの足取りが危うくなっていった。皆、眠そうなのだ。真っ先に倒れたのはハーピー種の少女。魔力をどれだけ消費しても飛べないと言って大人しく歩いていたのだが、抗いようのない睡魔に襲われて倒れてしまった、という雰囲気だった。他の者たちも能力が使えないと言っていたが、ネプテラだけは別であった。いつも通りに魔術を使用することができる。倒れてしまったミネンカをケンタウロス種の女・エルンストの背中に乗せていたのだが、そのエルンストも倒れ込んで眠ってしまう、そうこうしているうちに一人、また一人と倒れてしまった。その果てに残ったのはネプテラただ一人、というわけだ。そのネプテラも、地面に倒れて寝てしまっている仲間たちを前にして呆然としている。このまま進むにしても、戻るにしても、彼女たちをどうするべきか、という問題である。そうやってしばらく頭を抱えていたネプテラは、不意に花の香りに気付いて顔を上げた。空中、地面を無視してあちこちで魔法陣が展開し、そこから花の咲きこぼれる枝が伸びている。

「花の魔法? 私と同じだ……しかし、この奥に術者がいるという事?」

 枝は眠ってしまった仲間たちを抱えて自分たちが歩いてきた方角へ連れて行く。なるほど、と合点がいった。森に入った女性が気を失って気が付いたら森の入り口に倒れている理由はここにあるわけだ。

 すると、2つの疑問が生まれてくる。なぜネプテラは倒れてしまわないのか。もしもここに男がいた場合に彼らはどうなってしまうのか。

「彼女らが倒れたのがあの花の魔法のせいだとすれば同じくもうずっと花の魔法ばかり使っている私が無事なのも納得できる」

 ネプテラは魔法学校に入学し、基礎の魔法を習得して以来、『花の導き』という魔導書をずっと使用してきた。この魔導書に書かれる花の魔法を使用し続けていたせいで香りや花粉への耐性が付いていたとすれば……? 

「まあとにかく、あの子らの安全は保障されたわけだし、先へ急ぐか」

 呼吸を整えたところで、ネプテラは背後で動物の鳴き声がしていることに気が付いた。幸いにも肉食獣ではなく、草食動物のそれだ。振り返ったネプテラは小さな羊が走ってきていることに気が付いた。メェメェといまにも泣き出してしまいそうな弱い声でなく羊の傍まで行き、抱きしめてやる。首に巻かれた鮮やかな色の紐はキャラバンの面々が手の空いた時に編んだもので、シャプール商会の羊であることを示している。ネプテラは生えかけた角に結ばれた紙に気付いてそれを外す。

『皆が倒れて戻って来た。そちらの状況を報告せよ  シャプール』

 彼女は裏面に素早く以下の様な文章を書き、先ほどと同じように角に括り付けて羊をもと来た場所へ走って帰らせた。

『我は無事。単独で調査を進める ネプテラ』

「さて、行きますか」

 歩きながら、彼女は花の魔法の基礎となる魔法陣を展開する。何かあるだろう、と思っての事だった。すると、すぐに魔法陣から何本もの蔦が現れて道しるべのようにして一つの方角を向いた。

「うん、あっちだね」

 そちらへ進んでいけばいくほど、花の香りが強く漂ってくる。ついでに、空気中の魔力濃度が高くなっている。こういう場所でなら魔力切れを気にせずに思う存分魔法が使える、などと考える。どれほど歩いたか、足元に見たこともないような美しい花が咲いていることに彼女は気が付いた。

「これは……」

 しばし唖然として、あたりを見回す。

「ああ、お客さんなんていつ振りかしら」

 どうしたものかと戸惑っているネプテラの耳を透き通った女の声が打った。すぐに身構える。

「どこから!」

 影さえ見えぬ声の主に、ネプテラは警戒を強めた。

「足元の花。それがスピーカーのような役割を果たしているのよ。さあ、そのまま、蔦の示す方向へまっすぐ。さて、私たちに何かご用事かしら?」

「私はシャプール商会所属の用心棒、ネプテラ。森の外の子が落とした髪飾りを持って、動物がこの森の奥へ入ってしまったとのことで、それを探しに来ました」

「あら、まあ、それならうちの娘が持っていたわ」

「それなら良かった」

 

 一歩足を踏み入れると、そこには沢山の美しいいきものがいた。どれもが女の姿をしており、その下半身は植物になっている。

「あなた方は、アルラウネ……」

「そうなの? 外ではそのように呼ばれているのね。ずっとここいらではヒトクイテンニョと呼ばれているものだから」

「なるほど。人食い天女ね。ここに迷い込んだ男性はどうなったんです? そこらの原因はあなた方にあるに違いない」

「夫にしたわ。でも、すぐに死んでしまうの」

 緑がかった、ほっそりとした指が森の奥を指した。そこにいびつな形をした石が20ほど連なっている。石を囲むようにして一層多く花が咲いているのがどことなく不気味でもある。

「魔性の花、というのが正しいか」

 ネプテラは大きくため息をついた。そして、話題を変える。

「それで、例の髪飾りですが」

「ええ。良いわ」

一番奥に控えていた一等美しい天女が声を上げた。

「天華!」

 透き通った声に誘われて、まだ幼い少女がおずおずと姿を現した。彼女は天華というらしかった。年は二桁になるかならないか、というところだ。

「天華、例の髪飾りを。小鳥にもらったといっていたけれど、あれは元々外の人の物だそうだから。返して差し上げなさい」

「はぁい」

 少女は、一見普通の人の子に見えた。だが、それは目が眩んでいたのだと気づいたネプテラはハッとする。少女の下半身は人間と同じ形をしてるが、その頭には動物の角のように花の咲く枝が生えている。さらには人間と同じような髪の毛に交じって、蔦が生えている。

 天女の娘はネプテラの前に近寄ったものの、しかし大人しく手の中の髪飾りを渡そうとはしない。薄い肩が緊張している。

「ねえ、外って、どんな風なの?」

 思ってもみない言葉だった。

「ううん、言葉で応えるのは何とも難しいなぁ」

 ネプテラは言葉に詰まって髪をかき乱す。

「じゃあ、私を外に連れて行ってちょうだい。私に外を見せて。そしたら、この髪飾りも返すわ」

 困りきって魔導士は保護者たちを仰ぎ見る。キャラバンには子供もいるから迎えるのは良いが、しかし自分の独断と言うのは頂けない。

 保護者らは腕を組んでしばし黙り込んでしまった。沈黙を破ったのは最奥にいる、この場で最も力を持つらしいアルラウネだった。

「そうね、動くための足が生えているのだもの。そうしたら、それを使ってどこまでも行きたいと思うのが生き物として当然のことかもしれないわね」

 唖然としたのはネプテラだ。話の流れとして、こうなるとシャプール商会で預かって、ネプテラが具体的に面倒を見ることになる。

「あの、私はキャラバンの者なんですが、彼女はどういうことが出来ますか。働かざる者食うべからずの世界なので……」

「少なくとも、植物の見分けは得意よ。薬の材料を探すには彼女はきっと力になるはず」

 それは、悪くない条件だった。旅をしていればいくつもの危険に見舞われる。ならば、薬の入手がしやすいというのだ重要なことだ。ネプテラがあれこれ思案していると、とんでもない言葉が飛び込んできた。

「良いこと? 困ったことがあったらこの人を頼るのよ。お母さまたちと同じ香りがするでしょう?」

「はい。きっとそうします」


 かくして、森から出てきたのは花の魔導士ネプテラと、彼女と手を繋いだ花の娘「天華」。キャラバンの面々は突然の新加入者に驚いたものの、彼女を受け入れることにした。決め手は副団長であるメナの「キャラバンをやっていればそういうこともあるだろう」というどこまでも呑気なコメントだった。一方、このことに対して、話の発端であるセイランは意地の悪いニヤニヤ笑いを浮かべていた。髪飾りを受け取って彼女が答えるには「あの森から出てきた花の娘を引き取ることは、嫁にするのと同じことよ」ということだった。

「え、いやいや、10歳近く年下ですよ?」

 焦ってネプテラは弁解するが、セイランは笑ったままだった。

「良いのではないかしら? 花の魔術師に花の娘。きっと良いことがあるはずよ」

 

 5 年後、シャプール商会の隊商にネプテラを「我が夫」と呼ぶ少女が見られるのは、また別の話。


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