第7話

 翌日、目を覚ました私は、鏡を見て思わず笑ってしまった。

 泣きすぎて腫れた目が、嫌でも昨日の出来事を思い出させてくれる。

 昨日、私は……失恋したのだ。そのせいで、大好きな人から職まで失わせて……。

 本当は学校にも行きたくない。でも、藤堂先生が自分のクビと引き換えに残してくれたんだと思うと、休むわけにもいかなかった。それぐらいしか、私にできることはないから……。

 何とか準備をすると、重い身体を引きずって学校に行こうと玄関のドアを開けた。今日も太陽はまぶしいし空は青い。

 でも、もう藤堂先生はいない。学校にも、そしてこの街にも。


「っ……」


 油断するとまたこみ上げてくる涙を必死に拭うと、ポストの中に小さな封筒が入っているのが見えた。


「なに、これ?」


 取り出したそれには几帳面な字で私の名前が書いてあった。


「これって……」


 それは、何度も見た、大好きなあの人の文字だった。


「っ……!」


 封筒の中には、小さな紙に一言だけ。


「幸せになれよ」


 そう、書かれていた。


「とう、ど……せんせ……」


 大粒の涙が、頬を濡らす。


 幸せになってじゃなくて

 幸せになりたかった。


 違う誰かとじゃなくて……。


「先生と、幸せになりたかったのに……!!」


 私は走り出した。学校とは正反対の、駅の方に向かって。

 朝、新聞を取りに行ったお父さんが何も言ってなかったってことは、この手紙は本当についさっき、ポストに入れられたことになる。それなら、もしかしたらまだこの街にいるかもしれない。

 藤堂先生は車を持っていないって言ってたから、国際空港に行くとなると電車かバスしかない!


「っ……くっ……」


 こんなに走ったのはいつぶりだろう。心臓が、張り裂けそうに苦しい。

 でも、それでも、もう一度だけ藤堂先生に会いたかった。こんな紙切れ一枚じゃなくて、ちゃんと藤堂先生の口から、先生の想いを聞きたかった。


「藤堂先生……!」

「……奥村」


 駅のバス停で、大きなスーツケースを持ってベンチに座る藤堂先生の姿があった。

 私の顔を見て、一瞬驚いたような表情を浮かべた。


「どうして来たんだよ」

「せん、せ……」


 その言葉に、思わず足がすくむ。来ては、いけなかったのか。やっぱり迷惑だったのだろうか。

 そう思った、そのとき――藤堂先生は、顔をくしゃくしゃにして泣きそうな顔で笑った。


「――なんて、な。本当は、奥村が来てくれるんじゃないかって、ここから動けなかった」

「え……?」


 言われた言葉の意味がわからず、思わず聞き返した。

 藤堂先生はベンチから立ち上がると、そんな私の方へ向かって歩いてくる。

 けれど私は、目の前に立つ藤堂先生の顔を見ることができずに俯いてしまう。そんな私に、藤堂先生は優しく言った。


「奥村、二年だ。二年待てるか?」

「二、年……?」

「そうだ、二年。お前が二十歳になったら必ず迎えに来るから、それまで待っててくれるか?」


 藤堂先生の言葉に、涙が溢れてくる。待っていても、いいのだろうか。私は、私は……。


「そんなこと、言ったら……本気にしちゃいますよ……?」

「本気だよ。……待っててくれるか?」

「待つ! 待つよ! 何年でも待ちます! だって、私は! 私が幸せになりたいのは……誰かとじゃなくて、藤堂先生! あなたとなんだから!」


 その瞬間、藤堂先生の腕の中にギュッと抱きしめられていた。先生の腕の中はあたたかくて、抱きしめられた腕の強さが、これが夢じゃないのだと教えてくれているようだった。


「――いつの間に、こんなに好きになっちまったんだろうな」

「わかんない。わかんないけど……でも」

「でも?」

「今の私が、藤堂先生を大好きだっていうのはわかるよ」


 私の言葉に、藤堂先生はもう一度笑うと――優しく私の頬にキスをした。


「っ……」

「その先は、帰ってきてからな」


 藤堂先生はそう言って、ちょうど来たバスに乗り込んだ。


「私、待ってるからね! ずっと待ってるから!」

「ああ。……俺も、必ず帰ってくるよ」


 ドアが閉まり、バスが動き出す。

 そのバスを見送ると私は歩き出した。


「学校、行かなきゃ」


 頬を伝う涙を拭うと、顔を上げた。

 昨日、失恋した私の、今日歩く道は――きっと、いつかの未来に繋がっている。

 いつか、あなたと一緒に歩く未来に。

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「あなたと……」 望月くらげ @kurage0827

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