とある『上京者』の悲嘆

 三万棟の高層ビルと、果てしなく広大な地下迷宮を内包する人類史上最大の混沌巨大都市、スーパー・新都。

 ありとあらゆるものが集まるこの都市には、数え切れないほどの騒乱の種が眠っている。


●――青年――●


「最悪の一日だあああああああ!!!!」


 スーパー新都独自暦二一七年十月十日、午後八時。

 新都郊外にある寂れた喫茶店『イチマルシェ』で、俺は心からの絶叫を上げた。


「最悪だ、さいっていの不運だ! いくらなんでも不運が重なりすぎっていうか、何もかも意味が分かんねえ!」


 俺の右手には水の入ったジョッキ。傍らには食べきったハンバーグプレートの空き皿。

 目の前では初老のマスターが、グラスを拭きながらこちらの様子を見守っている。

 マスターと俺の他に、店内には誰もいなかった。


「マスター、俺にとって今日という一日は、希望と栄光に満ちた躍進の日だったはずなんです。少なくとも昨日までは、そうなるものだと期待していました。楽しみにしていたんです」


 ジョッキをカウンターに叩きつけて、俺は疲れ切った息を吐いた。

 内々に留めておこうと思っていたが、考えれば考えるほど我慢ならなかった。

 この理不尽、誰かに吐き出さなければ到底我慢などできるはずがない。


「なのに蓋を開けてみたら最悪の一日だった! 聞いてくださいマスター、最悪を煮詰めて固めたような、俺の地獄のような一日を!」


 マスターは着ている燕尾服を整えながら、俺の近くに迫ってきた。


「その口ぶり……どうやらお兄さん、最近この都市まちにやってきましたね」

「そう! まさにドンピシャ!」


 慣れているのか、マスターはどうやら俺の身の上もお見通しらしい。

 上手く乗せられて、俺の口が滑り出す。


「ついこの間新都での就職が決まりまして。給料も高いし待遇もいい。田舎の地味な生活とはおさらばだ。そう思っていたのに……」

「ああ、まあ確かにこの都市まちの暮らしは地味とはほど遠いでしょうなあ」


 マスタ-は俺の顔を覗き込みながら、楽しそうに笑った。

 やっぱり本来、この都市まちでの生活は華やかであるはずなんだ。

 今日の俺が味わったような地獄は、本来あるべきじゃないんだ!


「なのによりによって初日にこんな不運が連続するとか、ガン萎えにもほどがある! 折角良い気分だったのに、全部台無しなんですよ!」

「そうですかそうですか、それは災難でしたね」


 マスターは割とどうでも良さそうに頷いた。

 気にくわない反応だ。だが俺の話を聞けばきっと腰を抜かすことになるだろう。

 だって今日俺の身に起こった色々は、一人の人間が一生生きていても回収しきれないほどの理不尽と荒唐無稽に満ちた珍事ばかりだったのだから!


「では、お聞かせ願えますか。貴方の晴れやかな一日に、一体何があったのか」

「ええ、話させていただきますよ」


 俺はジョッキの水を全て飲み干してから、今日起きた全ての事件についてマスターに話した。


●――回想――●


 俺の出身は西の田舎で、年齢は二十二歳。名前をくろがね竜吾りゅうごという。

 スーパー・新都の新聞社に就職が決まった俺は、この日初めて新都このまちにやってきた。

 人の少ない田舎から、世界最大の発展を遂げた巨大都市『スーパー・新都』への引っ越し。

 これから新しい生活が始まるのだと心躍らせ胸振るわせて、俺は、駅のホームから足を踏み出した。

 その日は観光をしてから、明日からの新生活に備える予定だった。

 のだが!


 まずホームを出たなりに、俺は二人組のタンクトップ野郎に囲まれる。

 男たちは二人とも日本刀を携えていて、俺に試し斬りをさせろとか言い出した。

 なんでも彼らが持っている日本刀は、どちらも彼ら自身が鍛えた刀らしい。

 まず試し斬りをさせろという提案が意味不明だったので詳しく問いただしたら、どうやら生身の人間を斬ってみたいから俺に実験台になって欲しいということだった。

 とんでもない話だ。俺は即座に逃げ出した。


 逃げた先の路地裏で俺が出会ったのは、女の形をしたアンドロイド客引きマシーン。

 下着みたいな軽装で往来をうろつくその女性アンドロイドは、何故か道行く人々の中から俺に目をつけ、自分の店に引き込もうと執拗に追ってくる。

 追い払おうとした俺だったが、手を払った瞬間に女の顔が二つに割れて、中から催眠ガスが噴射された。

 俺は意識を失って、気付いたらぼったくりバーの中に連れ込まれていた。

 目の前には飲んだ覚えのない空っぽのペットボトルの山に、積み重なったグラス。

 周りには強面のお兄さんが一杯。その中でも一番怖い顔をした、傷だらけの金髪が俺に言った。

 飲んだ分だけ金を払えと。レモンスカッシュ二十杯、しめて三百万円のお支払いだと。

 何のことを言っているのか分からず口元をぬぐうと、身に覚えのない酸っぱい匂い。

 心なしかお腹がタプタプする気もする。なるほど、さては眠っている間に無理やり飲まされたな。

 そんなぼったくりバーがあってたまるか。俺はまたしても逃げ出した。

 バーの店員が総出で俺を追い回してきたので、さっきよりは撒ききるのに難儀した。


 逃げているうちにさらに入り組んだところに来てしまった俺は、薄暗くて汚い匂いが漂う貧民街で、小さな老人と背広の中年が白い粉の取引している現場に遭遇してしまう。

 見なかったことにして立ち去ろうとしたのだが、うっかり空き缶を蹴飛ばしてしまい、気付かれてしまう。

 俺の姿を認めた途端、二人は示し合わせたように頷いて手元の薬を飲み込んだ。

 え? それドラッグでしょ? 今飲んじゃうの? そう思ったもつかの間、二人の姿はぐんぐんと変化していき、老人の方は五メートルはありそうなトロールに、中年の方は毛むくじゃらの狼男に変身した。

 何がなんだか分からないが、ともかくヤバい状況なのは間違いない。俺はダッシュで逃げ出した。

 大急ぎで走って逃げたが、向こうは俺より数段速い。追いつかれる、殺される、喰われる。

 すんでのところで目の前に見えたどぶ川。俺は決死の覚悟で飛び込み、なんとか恐ろしい化け物から身を守ることに成功した。

 流石の化け物どもも、どぶ川にまで追ってくる気にはなれなかったようだ。


 しかし川に流されながら距離を取り、流れ着いた頃には体は汚泥まみれ。

 新都に行くんだしと田舎のファッションセンターで奮発して買った私服が台無しだ。

 せめて歩き回れる服を確保しようと思って手近な服屋に寄った俺だったが、これがまた間違いだった。

 泥だらけになった服は洗濯してくれると店の人が言うので、安心して託して試着室に向かう。

 そして適当に新しい服に着替えていると、なにやら外で銃声が聞こえる。

 カーテンの隙間から外の様子を窺うと、何故かショップ店員と黒服のマフィアが銃撃戦を繰り広げていた。

 見ると、さっき衣服を洗濯に持っていってくれた店員さんもRPGを抱えて戦闘に参加していた。

 店員さんが大砲をぶっ放す。店内が爆風に包まれる。マフィアの腕がちぎれてこっちに飛んでくる。

 もう限界だと思った。

 俺は試着室の中に今着ている服の代金だけを置いて、裏口から這々の体で逃げ出した。


 へとへとになった俺が次に巻き込まれたのは痴話喧嘩だ。

 と言ってもただの痴話喧嘩じゃない。

 そのとき数百メートル級の大きな橋を渡っていた俺は、向かう先に罵声を浴びせあうペアルックの男女の姿を認めた。

 巻き込まれないようにさっさと去ろうと横切った直後、背後で大きな音がした。

 恐怖を感じながらも後ろを振り向くと、橋が真っ二つに割れていた。

 どうやら女が放った全力のかかと落としが、橋を軽々と割ってしまったらしい。

 そこから先は酷いものだった。男と女が殴る蹴るを繰り返すたび、周りの橋が豆腐のように削られプレッツェルのようにへし折られていった。

 逃げようとした俺だったが、いつの間にか陸へ繋がる方の道まで破壊されて、川の上に取り残されているという事実に気付いた。

 覚悟を決め、俺は再び川に飛び込んだ。


 結論から言うと逃げ延びることはできたのだが、誤算があったとすればその落差である。

 どぶ川の時と比べて高い位置から落ちたせいで、落下の瞬間に強い衝撃が走り、一時的にではあるが俺は前後不覚に陥った。

 そして色々もがきながらなんとか陸にたどり着いたのだが、水を絞った後ある致命的な事実に気付く。

 財布を落としたという最悪の事実に。

 当面の生活費もあの中に入っていたのに。あれがないと今日の宿すら確保できないのに。

 手元に残った有り金は、靴の裏に仕込んでおいたほんの僅かなへそくりだけだ。

 俺はびしょ濡れの服を絞りながら、就職先のオフィスがあるというビルを目指し、なけなしの残金をはたいて電車に乗った。

 俺を雇ってくれたその会社にいけば、何らかの形で助けてくれるかもしれない。藁にもすがる思いだった。


 就職先である『ミナト出版社』があるオフィス街にたどり着いた頃には、既に空が赤く染まっていた。

 たった一日の出来事なのに、疲れで一歩も動きたくない気分だ。

 それにしてもでかいビルが沢山あるな。この中からオフィスがあるビルを探すのは、それだけで一つの重労働だぞ。

 気分は重いが、進まねばなるまい。そう思ってビル街をふらふら歩き回り、一時間の死闘の末にようやく俺は目標のビルを見つけ出した。

 そうか、ここが俺がこれから働く会社なんだな。天を突くように高いそのビルの偉容さを眺めていると、まるで自分まで偉くなったような誇らしい気持ちになれる。

 ……まあ、どうやらこの都市まちではこのくらいのビルは珍しくもなんともないようだけど。

 だが、テンションが少しばかり回復したのも本当だ。この高揚感に身を任せれば、情けない金の無心も滞りなく行えるだろう。

 そのときだった。

 突如、閑静なオフィス街に人々の叫び声が響き渡る。

 空を見上げると、そこには周囲に林立する百メートル越えの高層ビルに匹敵するほど大きな鉄の巨人――――人型巨大ロボットが立っていた。

 ロボットは法律違反がどうたらこうたら正義の鉄槌がどうたらこうたら電子音声でがなった後、口から熱線を吐いた。

 その標的は俺が今たった今入ろうとしていた高層ビルだった。

 熱線が衝突した途端、とんでもない爆発音と閃光が走り、俺は咄嗟に目と耳を閉じた。

 しばらくしてから目を開けると、俺の勤務先があったはずのビルは、跡形もなく消滅していた。

 呆然とする俺を尻目に、巨大ロボットはずんずんと足音を響かせながら地平線の向こうへ去って行った。

 一瞬にして空き地に変わってしまったビルの亡骸を眺めながら、俺はしばらくその場に無力に立ち尽くしていた。


 数十分後なんとか立ち上がる程度の気力を絞り出した俺は、この後どうしようかととぼとぼ歩いた。

 ビル街を抜け、住宅地を通り過ぎ、商店街をくぐって、いつの間にやら閑散とした郊外にたどり着いていた。

 そして何気なく周囲を見渡すと、視界に『イチマルシェ』の看板が映った。

 朝から何も食べていなくてお腹が空いていたのもあって、俺は吸い寄せられるように入り口のドアをノックした。

 こうして、この店にたどり着いたという顛末である。


●――鉄――●


「……というのが俺の身に起こった今日一日の災難です! 無茶苦茶です! 何もかも意味不明ですよ!」


 思い出すほど頭が混乱していく。未だに現実を受け止めきれていない。

 スーパー・新都には他の地域に全く流出していない超高等科学技術が根付いているとは聞いていたし、他の地域で見られない独特の種族がいるという話も聞いていた。

 だがいくらなんでもこれは想像を絶していた。

 刀鍛冶に襲われ、催眠ロボットにぼったくられそうになり、ジャンキーの怪物に追い回されて川に落ち、アパレルとマフィアのドンパチに巻き込まれ、痴話喧嘩の余波で財布をなくし、しまいには巨大ロボットに勤務先を消し飛ばされる。幸運の女神は人の心がないのだろうか。

 そもそも相当の割合で、存在からして意味不明なものが混じっていた。

 なんだよ人間そっくりのアンドロイドって。狼男って。なんだよ橋を脚力でへし折るアベックって。なんだよ巨大ロボットって!


「いくらこの都市まちが発展しているからと言って、こんなこと普通ありえませんよね! おかしいですよね、マスター!?」


 マスターはいつの間にか俺のプレートを片付け、慣れた手つきで綺麗に磨き上げていた。

 反応が薄い! おかしいな、まさか俺の身に何があったのか伝わっていないのか!?


「マスター!? 俺の話、聞いてますか?」

「ん、まあ、そうですね……」


 綺麗に磨き上げた皿を壁沿いのスタンドに丁寧に並べながら、マスターはにこやかに微笑んだ。


「全部を一日に経験される方は中々まれですけど、この都市まちではどれも珍しいことではありませんね」

「は、はあ――――っ!?」


 俺は言葉を失った。珍しいことではない……?

 俺の身に起こった、この一日の地獄のような出来事たちが……?


「そ、それだと……この都市まちでは試し斬りの実験台にされそうになることがよくあると……?」

「ああ、治安の悪いところだとよくありますね。夜のスラム街とか、たまになますにされてる浮浪者が転がっていたりしますよ」

「ヒッ……!?」


 なんてことだ。もう二度とあのエリアには近づかないことにしよう。


「し、しかし、催眠ロボットがぼったくりのマッチポンプをかましてくるのは……」

「ぼったくりバーはともかくとして、犯罪のためのプログラムが組み込まれたアンドロイドが市井に紛れ込んでいるのはよくあることです。人と対面するときは、顔面が二つに割れないか注視しておくことをお勧めしますよ」

「どういうお勧めなんですかそれ!? ……か、仮にそうだったとして、薬を飲んだら化け物に変身するというのは……」

「多分それ、覚醒剤でしょうね。文字通り『覚醒』するための薬。アウトローに生きる人々にとっては必需品だったりしますよ」

「必需品……? じゃあなんです、チンピラやヤクザはみんなあんな風に化け物に変身できるってことですか……?」

「結構お高い薬ですから、そうそう濫用されるものでもないですけどね」

「濫用しない程度には使われるってことですか……」


 この都市まちでは、チンピラ一つとっても外とはひと味違うってか。

 そんな歯ごたえ要らねえ。


「でもアパレル店員とマフィアがドンパチ始めるのは早々ないでしょう!?」

「独自戦力を持つ武装ブティックは珍しくもなんともありませんからねーそれがたまたまマフィアと何らかの利権争いになったとすれば」

「待って下さい。武装ブティックとかいう訳の分からないものを当たり前のようにお出ししないで下さい」

「痴話喧嘩の余波で橋が壊れるのも、まあ一ヶ月に一回くらいはあることですよ。この都市まち、腕っ節の強い人が男女問わず多いですからね」

「強いの範疇を越えてますよ! 俺の常識では、多少強い程度じゃ素手では木製の吊り橋だって壊せません!」

「では、その常識はこの都市まちで生きる上で不要ですので捨てた方がよろしいかと」


 なんじゃそりゃ……無茶苦茶すぎるだろ、この都市まち……。


「で、ですがですよ! 他のことが仮に……仮に、百歩譲ってこの都市まちではよくあることだとして、巨大ロボットに勤務先を消し飛ばされるのだけは、どう考えてもおかしいでしょ! これから素敵な新生活が始まるはずだったのに、一瞬にして俺無職になったんですよ!?」

「……まあ、確かにそれは少々珍しくはありますが……」


 マスターは空っぽになった俺のジョッキに、とくとく水を注ぎながら微笑んだ。


「それでも一年に一度くらいはよくあることですから、まあちょっとだけ不運が重なってしまいましたね」

「ちょっとだけ……!? この絶望と恐怖に満ちた俺の一日が、ちょっと不運なだけのありふれた一日だというんですか!?」

「そういう都市まちです。この都市まちは。早いこと慣れるか離れるかした方が身のためですよ」


 カルチャーショックなんてレベルじゃない。

 世界最大の科学都市とも言われるこの都市まちが、こんなに恐ろしいところだとは思っていなかった。

 いやまあ確かに、外にいた頃は噂とか曖昧な情報ばっかりで、まともにスーパー・新都の情報なんて入ってこなかったけど……何らかの形で情報統制が敷かれていたってことなのか?

 意味分からねえ。ついていけねえ。

 俺が呆然とうなだれていると、マスターは俺の前に一杯のカクテルを差し出してきた。


「これは……?」

「この店には沢山の『上京者』がやってくると言いましたよね。実は、その殆どがこの都市の真相を知って心を折られ、次の日には故郷に帰る決断をしています」

「? は、はあ」


 ……カクテルがなんなのかは答えてくれないのか……。

 そもそも俺今お金ないから、飲んでいいものなのかどうかも分からないんだけど。


「貴方ほど徹底的にやられる方は、流石にその中でも稀ですがね。ですがともかく、スーパー・新都の混沌に馴染めずに『逃げ』の選択をする人は、決して珍しくはないのですよ」

「……」

「だから、別に恥じる必要はありません。この都市まちで生きるのが無理だと思ったら、投げ出して逃げ出してもいいんです。貴方がそういう道を選んだとして、誰も貴方のことを情けないとか思ったりしませんから」


 マスターの声音は優しくて、心から俺のことを気遣ってくれているのが伝わってきた。

 そうだよな。常識的に考えたらこんな町さっさとおさらばした方がいい。

 こんな町で暮らしていたら、命がいくつあっても足りないだろう。

 まして俺は今、失職した身。明日の生活にも困るような有様だ。

 はっきり言って、この都市に留まる理由は何一つないと言っていい。のだが……


「……ありがとうございます、マスター。仰っていることはすごくよく分かります。理性的に考えるなら、マスタ-の言うことが正解だということも。だけど……俺は頭が固いから、そう簡単に割り切れないんですよね」

「割り切れない? もしかして、新都に何か大きな目標を抱いてやってきたんですか? それとも何か、この都市に残してきた人がいるとか……」

「違います。単純に、やられっぱなしが性に合わないだけです」

「……はい?」


 マスターが呆れ顔になった。そりゃそうだ。誰だってそんな反応になる。

 俺だって、俺以外がこんなこと言ってたら馬鹿じゃねえのってなるし。


「いや、自分でも馬鹿なこと言ってるのは分かってますよ。ですけど、今日一日で俺はこの都市まちにそれはそれはもう酷い目に遭わされたんです。何度も死ぬかと思いましたし、どぶ水浴びたり、レモンスカッシュ飲まされたり、財布落としたり、もう本当、理不尽すぎる仕打ちに腹が立って仕方ない」


 俺の性分は、賢い人間のそれとは違う。だけどこればっかりは生まれ持ったもので、自分ではどうすることもできないのだ。


「だから、やられた分だけはこの都市まちからぶんどってやるつもりです。少なくとも財布に入っていたキャッシュ十二万円と、今日という一日に対する慰謝料、そして交通費ぐらい分の『何か』をこの都市まちから取り立てる。俺がスーパー・新都を去るとすれば、まずその辺の借りをキッチリ返してからにするつもりですよ」


 俺が妙に自信ありげにそう言うと、マスターは深々とため息をついた。その反応も致し方なしだ。

 でもこいつ本物の馬鹿だって目線を直に浴びせられると、それはそれで結構クるものがあるな。


「……お客さんがそのつもりなら、私は何も言いませんよ。この町の理不尽に立ち向かって、それで上手く身を立てられた人もいます。どうにもならなくなって、地下を這いずるドブネズミの同類に堕した方もいます。何も成せないまま、無意味に死んだ人もいます。私はその全てを何度も目にしてきました」

「……」

「それでも貴方がこの都市まちのあり方と戦おうというのなら、私はそれを影ながら応援していますよ。してあげられることは、特にありませんが」

「やっぱちょっと怖くなってきた。田舎に帰ろうかな」

「もう心が折れたんですか? ついさっき啖呵切ったばっかりなのに、よくそんな弱音を吐けますね……?」


 マスターの視線が痛い。


「い、いやほら、そこはだって仕方ないじゃないですか! 色々理屈をこねくり回しても、結局俺ってただの人間ですから! 現実的にこの後も同じように生き残れるかというと、それはかなり怪しいわけで……」

「だったら素直に田舎に帰られては……?」

「でも、それはそれで悔しいし」

「面倒くさい人ですね、お客さんは」


 自分でもよく分かってます、ハイ。

 だが、簡単に割り切れないからこそ、人間というものは度し難いのである。

 でもほら、なんだかんだで今日という一日を無事に乗り切れたわけだから、案外俺の生存能力は平均より高かったりしないだろうか。

 普通の人より強く生きられるタイプだったりしないだろうか。

 そんな考えが頭をよぎったそのとき。


 からん、からん。

 『イチマルシェ』の扉についた鐘が鳴って、店の中に女が入ってきた。

 胸の大きな金髪の女だった。歳は俺より二、三歳ほど年下に見える。

 外で雨が降っているわけでもないのに着ている服はずぶ濡れで、衣服も乱れているように見える。

 まさか、彼女も俺と同じ上京者なのだろうか。

 そういえばこの喫茶店にはよく流れ着くとは聞いていたが……。


「……すみません、水を一杯もらってもいいですか?」


 女がか細い声で言う。可哀想に、よほど酷い目にあったと見える。

 マスターは黙って、カウンターに座った女の前に水がなみなみと注がれた

 あっ、よく見たらジョッキの底にはレモンが入っている。俺の時はなかったのに。ずるいぞ。

 女は一気に水を飲み干し、中に入ってるレモンまで噛みちぎったあと、顔を上げて俺とマスターの顔を見た。


「マスター、それからそこのお兄さん。私の話を聞いてくれませんか?」


 神妙な気配に押されて、俺は思わず頷いた。マスターもそれに続く。

 女は満足そうに儚げな笑みを浮かべるとぼそぼそと語り始めた。


「私、今日初めてこの都市まちにやってきたんですけど、朝から今までずっと酷い目に会い続けてきました。ようやく一息つけたんですが……」


 女の顔は次第にうつむいていって、肩も僅かに震えていた。

 そんな彼女の姿があまりにも儚く見えたので、その肩を支えようと無意識に体が動くが、すんでのところでこらえる俺。

 髪の隙間から僅かに見える彼女の口角は、僅かに持ち上がって……

 ……ん? なんかこの、笑ってね?

 マスターはカップを拭きながら、女に優しく問いかける。


「それでどう思いました? 一日この都市まちを歩き回ってみて、その感想は……」


 女は、バネ仕掛けのように勢いよく顔を上げて言った。


「――――最高でした!」


 今までの振る舞いはなんだったかと思うほど、元気と威勢がいい声で。


「!?」

「……詳しく、聞かせていただいても?」


 顔を上げた女の目は、まるで宝石のようにキラキラ輝いていた。

 どう見てもこの町の混沌と理不尽に心を折られた人間の目ではない。


「えっとね、えっとね。まず私がこの都市まちにきたのは今朝のことなんだけど、まず私、ホームを出たところで私をナンパしようとする柄の悪い男達に絡まれたんです。面倒だからあしらおうとしたらそいつら、変な薬を飲んで蛇頭に変身して! びっくりしてそいつらから逃げてると、うっかり変な新興宗教の神殿みたいなところに入っちゃって、危うく洗脳されそうになっちゃいまして!」

「……は、はあ?」

「その後、警察がその神殿に突入してきたので逃げられるかと思ったんですけど、私まで信徒の一つと間違えられてうっかり逮捕されそうになって、それで砲煙弾雨の中を必死に逃げてきたんです!」

「そ、それで……」

「そして警察から逃げる途中に川に飛び込んで気を失って、流れ着いた頃にはサイボーグ浮浪者に囲まれて犯されそうになってて、それを間一髪でくぐり抜けてから財布を落としてることに気付いて、さっとお金を手に入れられる方法がないか探したんです! そしたら一時間で百万円っていうバイトがあって! 会場に行ったら変なモンスターを顔に移植されそうになったのでそこからも逃げてきました!」

「……な、なるほど……」

「そしてこのままではご飯を食べることもできないので、なんとかお金を借りられないかと思って勤務先予定のビルを目指したんです!」


 おいおい、まさか。


「ところがそのビル、私の視界に入ったのと同時に巨大ロボットに消し飛ばされて! 頑張って内定勝ち取った会社が一瞬で塵にされるのを眺めていることしかできませんでしたよ! あっはっは!」

「あっはっはって、お前……」


 もしかして酷い目に遭いすぎて、笑わなければやってられないとかそういうレベルで精神を病んでしまったのか?


「でも思えばそもそも、安定した職に就こうって発想自体が私らしくなかったんですよね! そのことが分かったら、なんだか妙にすっきりして、気分が良くなって! その後しばらく歩いていたらこの店を見つけました!」


 ……いや、違うな。この女、マジでこの状況を楽しんでいるんだ。神経の図太さが、人間のそれを遥かに凌駕しているんだ。


「初日からこんなスリリングな経験できるなんて、スーパー・新都って素敵なところですね! ねえねえ、マスターさん。私が今日出会ったこういうイベントって、普通に生きていても出会えるものなんですか?」

「……多少不運が重ならないと一日でここまで連発しませんが、まあ、珍しいことではありませんね」

「本当!? それってつまり、それってつまり……さいっこうってことじゃないですかぁ~~!!」


 開いた口がふさがらない俺を尻目に、女は心底楽しそうに目を細めながらその場でジタバタし始めた。


「くはぁ~~!! テンション上がってきました! マスター! ここってツケで注文できますか!?」

「トイチでよければ受け付けましょう」

「よろしい! じゃあ景気づけにこの店で頼める一番高いご飯を用意して下さい! それと美味しいコーヒーも!」

「いいでしょう。ではお作りしますのでしばらくお待ち下さい」


 フライパンを引き出しから持ち出し、野菜を切り始めるマスター。

 料理を作っていく課程を、ウキウキしながら眺める女。


 なるほど。こういう人間が、スーパー・新都で成功するタイプの人間なんだろうな。

 差を見せつけられて、心がぼっきりと折られた気がした。

 ……ああはなれないわ、俺。

 マジで田舎に帰ろうかな。


「それでマスター、結局このカクテルはなんなんです?」

「飲んだらトイチで請求しようと思ってました」


 どうやら飲まなくて正解だったようだ。


●――鉄――●


 『イチマルシェ』は午後九時で閉店ということで、俺と女は店から追い出された。

 中心部からは大分離れたとはいえ、スーパー・新都はどこに行っても人通りが絶えない。

 俺は行き交う人並みの流れを眺めながら、深々とため息をついた。

 本当にこれからどうしよう。


「お兄さんも最近こっちに来た人だったんですね。しかも私と同じように」


 考えていると、背後から女の声がした。ぱたぱた手を動かしながら、俺の目の前で楽しそうに飛び跳ねた。

 それにしても胸がでかいな。


「お仲間ですね! これから仲良くしましょう、お兄さん」

「……」

「あ、そういえば名前聞いてませんでしたね。私の名前は古市ふるいち山吹やまぶき。お兄さんは?」

くろがね竜吾りゅうご。よろしくとは言われたが、俺はすぐにスーパー・新都を離れるかもしれないぞ?」

「ええー!? なんでですか!? おんなじ不運仲間じゃないですかー!」


 そういう括りされると尚更仲良くしたくなくなってくるんだが。

 お互いの不運が相乗効果をもたらしておぞましい惨劇に繋がりそうだ。


「むしろお前の方がなんでなんだよ。なんで初日からそんな酷い目にあって、それでもスーパー・新都に居続けようと思えるんだよ」

「それは私がスリルを求めていたからです。危ないこと、怖いこと、酷い目に遭うこと。私、そーいうのが大好きでして! というかこの都市まちがそういうところだと分かった上で、私はここに来ましたし!」

「どうしようもなくヤバいやつじゃねえか。長生きできないぞ」


 だが、それくらい神経が図太い人間であって初めて、超・新都このまちに適合できるのかもしれない。

 少なくとも、今日訪れた苦難をあれだけ楽しそうに語る彼女の姿からは、そう簡単に死にそうにない何らかの生命力を感じずにはいられなかった。


「長生きできないならそれはそれです。最後の最後まで楽しくスリリングに暮らせたなら、私は自分の人生に思い残すところはありません」


 ……まあ、こんなこと言う奴は大抵早々死なないもんだ。


「俺はお前ほど図太くないからな。この都市まちにいたら、命がいくつあっても足りそうにない。明日には死んでるかもしれない。本当は一矢報いてから帰りたかったんだけど……そんなこと言ってたら命が持たなさそうでな」

「一矢! 一矢報いるですか! いいじゃないですか、一緒にやりましょう?」

「は?」


 耳を疑う古市の発言に、俺は思わずぎょっとする。


「いやあ、私としてもやられっぱなしっていうのは性に合わなかった所なんですよ! 一緒に世界に復讐しましょう!」

「お前さっきと全然違うこと言ってるぞ!? っていうか俺はやられた分取り返したいだけで、世界に復讐とかそんな大それたことは考えてねえよ!」

「えー、そうなんですか? でもあわよくば、

「ない、ないないない! 俺はそんな大人物じゃないの! 超がつくほどの小市民! せいぜい、落としたお金と失った職の分をなんとかしたいだけで……」

「でも、悔しいって気持ちはあるんですよね?」

「……それは……」


 ないと言えば嘘になる。そして、気持ちを押し殺して適当な嘘を上手につけるほど、人間ができた俺でもない。

 俺のそんな複雑な感情を見抜いたように、古市はいっそ気持ちいいくらいの満面の笑みを浮かべた。


「良かった! それじゃ、一緒に頑張りましょう! モヤモヤはちゃんと吐き出さないと体に毒ですよ!」

「……一緒に? 一緒にじゃないと駄目か?」

「だって私たち、『お互いに特殊なことなんて何もできない』でしょう? ロボットでもありませんし、何かに変身したり、常識を越えたパワーを発揮することもできません。そもそも武器すら持っていないんです。だったらせめて、弱い者同士助け合わないと危険じゃないですか!」

「……む、そういえば……」

「それに、私これでもサイボーグ浮浪者相手に捕まった状態から逃げ出したり、銃撃戦に思いっきり巻き込まれながら平気で生き残ったりと、それなりには腕が立つんですよ! 多分竜吾さんが一人でいるより、よっぽど生存率は高まると思います!」

「……な、なるほど」


 『なるほど』って、納得してどうする俺。

 だが俺の人生の中で、ここまで俺に対してグイグイくる奴は初めてだ。

 そのせいでなんだろう、調子が狂って仕方がない。


「それじゃ、まずは今日泊まる場所を探しに行きましょう! 新都で野宿するのは、いくらなんでも危険すぎますからね!」

「探すったって、オレたちどっちも一文無しだろ? どうやって宿を確保するんだ?」

「それは……歩きながら考えます!」

「……おいおい」

「大丈夫ですよ、ケ・セラ・セラ! やればやっただけ、なるようになります!」


 そう言って、古市は俺の手を引いた。

 俺は彼女に引かれるがままに、夜の喧噪を彼女と共に歩いて行く。

 流された部分もあるかもしれない。

 でも自分の頭で考えて、彼女についていくのも悪くはない……そう思ったのも確かだ。

 底抜けに明るい彼女の勢いに流されたら、俺自身にも運が巡ってくるんじゃないか。そう思わせるだけの不思議なカリスマを、俺は彼女から感じ取ったから。


 ところで、一つ気になっていることがある。

 古市は、川に落ちたのは浮浪者に襲われる前だと言った。

 その後彼女は浮浪者に襲われ、逃げて、ビルの近くまで移動し、さらに『イチマルシェ』まで歩いてやってきているのだ。

 それだけ時間をかけている割には、『イチマルシェ』に来たなりの彼女は随分と濡れていたような……

 ……いや、気にしすぎかな。


●――山吹――●


 ふふふ、うふふふふー。

 多分竜吾さんは本当に気付いていないんですね。

 私、ずっと見てましたよ。

 竜吾さんが私と同じ電車で一緒に新都ここにやってきて、行く先々でものすごい苦難に遭遇しまくるその姿を。

 ごめんなさい、私さっきちょっと嘘をつきました。

 実は私、竜吾さんのように不運に巻き込まれたりしてません。

 至って平和な一日でした。つまんない位の一日でした。

 ただ、竜吾さんが不幸に巻き込まれまくるのを影から見守っているのは結構楽しかったです。

 なんで知ってて助けてあげなかったのかって?

 別に私が冷たいからじゃないですよ。

 助ける必要がなかったからです。


 竜吾さんは全く気付いていないようですが、彼がピンチになるたび、彼の背後から『炎』が現れて、命の危険から彼を守っていたんですよ。

 まず最初に出現したのはぼったくりバーでの一件。

 人数で圧倒的に優勢なぼったくりバーの悪党たちが竜吾さんを捕まえられなかったのは、逃げる竜吾さんの背中から吹き出した『炎』が追っ手の邪魔をしていたからです。

 トロールと狼男を撒けたのは、竜吾さんがどぶ川に飛び込む前に『炎』が壁を作って、それ以上追わせないように働いていたから。

 銃撃戦に巻き込まれた竜吾さんは何度か頭に銃弾を受けそうになっていましたが、そのたびに『炎』が出現して、銃弾を跡形もなく消し去っていました。すごいですね、火力。それで竜吾さんは全く気付くそぶりもないんだから、不思議なものです。

 その後も橋の上で飛んできた瓦礫を溶かしたり、ビルの爆発で吹き飛んできたガラスの破片などを未然に防いだりと、『炎』は竜吾さんを守るために八面六臂の大活躍。

 常人なら五回くらい死んでてもおかしくない状況に追い込まれながら彼が生きているのは、決してただの運ではありません。

 本人すらよく分かっていないようですが、どうも竜吾さん自身、普通の人間ではないようです。


 私はそれに興味を持ちました。

 極大な不運と、無自覚で強大な異能力を持ったイケメン!

 この人にくっついていたら、きっと私が求める楽しいスリルが迫ってくるに違いありません。

 当面、竜吾さんにこのことを伝えるつもりはありません。伝えて一人で生きていけるとか言い出して、離ればなれになるのは嫌ですから。

 もちろん、頼って下さいと言った程度に骨を折るつもりはありますけどね。




 余談ですけど、私自身は完全完璧に普通の人です。

 スーパー・新都に来るに当たって、多少は鍛えてきましたけど。

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忍者警官は怪盗少女を捕まえたい イプシロン @oasis8000000

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