人の気持ち(3)ー 終
***
翌日、昨日を報告するために西島を呼び出した。場所はおとといの喫茶店である。
「お待たせ。」
「おう。」
この前とは反対に西島を僕が迎える。前と同じく西島はアイスコーヒーを頼んだ。
「それで、なんか分かった?」
コーヒーが運ばれてきて早々本題を聞いてくる。
「ああ、まあ色々と。」
「どっちが怪しかった?」
「その話の前に、確認したいことがあるんだが、泉さんと飯を食った時、支払いはどうした?」
「なんか泉さんが払ってくれたよ。『最近奢りたい気分』とか言って。」
「本郷の時は?」
「普通に個別会計したけど。それが?」
「パスケースと同じ場所に小銭入れが入っているだろう。もし、パスケースを盗ったとしても、その後の会計で小銭入れを使う可能性がある。」
「つまり、俺に会計方法を任せた本郷より、奢ろうとした泉さんの方が怪しいってことか。」
「ああ。それに泉さんは、プレゼントのことを知らないと言っていた。」
「えっ。でも俺話したよ。」
「お前の記憶違いということもある。でも、泉さんは、プレゼントのパスケースがなくなった、と言われて『実害がなさそうでよかった』と言った。
確かにパスケースだけを盗まれても実害はないが、基本的にパスケースには IC カードなど生活に必要なものが入っていることが多い。『実害がない』と言ったのは」
「俺が実際にそのパスケースをパスケースとして使っていないことを知っていたから、か。」
頷く。
「つまり、泉さんが結構怪しいってことだな。」
「そうだな。妹がお前と別れても良いとかいう趣旨のことも言ってたし。」
「動機も十分だな。」
「つまり、お前と泉さんと本郷の話をまとめると、泉さんはお前と泉を別れさせるために、プレゼントであるパスケースを盗んだ可能性が高い、と。」
「よし。これで泉さんと直接話して証言が得られたら、それを彼女に話して許してもらってこの件は解決だな!」
西島の顔が晴れやかになる。
まるで、この前見たサスペンスドラマ、いや、それを言ったらドラマに悪い。
「そういえば、カノジョと行くはずだったのは、縁日だったらしいな。カノジョ、浴衣だったりしたのか?」
「いや、普通の洋服だったけど、なんだよ突然。」
はあ。不愉快だ。
「これ、お前の考えた筋書きか?」
「えっ?」
今度は西島の顔が曇る。
「この話には、いくつも、おかしな点がある。まず西島、お前はおととい、やけに『盗まれた』ってことに執着してたよな。」
「まあ、それしか考えられないからな。」
「それなのに、肝心の、盗まれたと思われる状況についての話は、ほとんど情報量なし。
僕と話したあの日も小銭入れを実際に使っていたのに、会計の話が全く出なかった。」
「詳しく覚えていなかったんだ。仕方がないだろう。」
大きな違和感は持ったが、僕もあの日はそう思っていた。
「ほかにもある。不自然なくらいに、情報が集まりすぎなんだよ。
僕は、泉さんと本郷に対して、『西島の相談に乗った』という程度のことしか話題に出していないのに、『会計の話』とか『内容の矛盾』とかの手掛かりになりそうなことや、動機まで、あっちから率先して話してきた。」
「それは、たまたま運がよかったんだろう。」
「まだある。本郷がお前と飯を食べたという話を聞いて、僕は『晩飯』と決めつけて話をしたが、特に本郷が変に思ったような反応はなかった。実際僕は、お前と本郷が飯を食ったのが晩だということを知っているわけだが、本郷は、僕がそれを知っているということを知る理由がない。例えばお前が本郷に情報を流したりしなければ。」
「お前が会話の流れから判断したんだと思ったんだろ。なんだよ。結局何が言いたいんだよ。」
西島の顔は引きつり、声は大きくなっていっている。
「お前と泉さんと本郷で、泉さんを犯人に仕立て上げて、本当に盗んだ犯人をかばっているんだろ。」
「なんで」
声が大きくなりすぎて、喫茶店の他の客がこちらを見始めた。西島はそれに気づき、少し声を落とす。
「なんで、そんなことしなくちゃいけないんだよ。」
一見すると無茶苦茶なことを言っているのは、僕の方に思えてくる。おとといとは立場が逆になったような状況だ。
僕は、西島の質問に答えた。
「犯人が泉だからだ。」
西島が目を見開いた。
「昨日、神田に会って、少し泉のことを聞いた。泉は、縁日なんかに行くときは絶対に浴衣で行くようなタイプらしい。でも、お前、『洋服で来た』って言ったよな。」
おとといは、『尻を蹴られた』というようなことを言っていた。浴衣では中々尻の位置まで足を上げて蹴ることは難しいだろう。
「いつも浴衣で縁日に行く人間が、浴衣を着てこなかった理由は、最初から縁日に行く気がなかったから。お前から紛失を聞いて、激怒してすぐに帰る算段がついていたからじゃないのか。」
傍から見ていても、浴衣というのは扱いが面倒くさそうだ。すぐに帰ることが分かっているのに、わざわざ着て行く気が起きなかったというのは、ありそうな話である。
まあ、この話だって、先ほどの『情報が集まりすぎている』ということで言うと、神田も西島の仲間である可能性も考えたが、神田の発言は泉を怪しくさせるものであり、他の三人が手を組んでいるとすると筋書きの方向性が異なっている。神田と話せたのは偶然だと判断した。
そして、ここまでの考えが的を射ていたとして、なぜ浴衣のことを西島が特別隠さなかったかと言えば、泉と縁日に行くようなイベントが初めてで、浴衣を着ることを知らなかったからであろう。
ともかく、僕が明確におかしな話に巻き込まれている、と感じ始めたのは、この辺りからである。
なおも西島の反論は続く。
「それは…浴衣を着ていなかったことは、何か理由があるかもしれないし…」
「泉が盗んで、お前たち三人でそれをかばっているとすると、他にも納得できることがある。
なぜ、本郷と泉さんが先週の土曜日にお前と飯を食ったか、だ。」
「普通に空いてたんでしょ。」
続ける。
「泉さんは、この前の月曜日に卒業論文の中間発表があって、最近は休日返上で作業していたらしい。そんな中、飯に誘われて行くか? 本郷だって不自然だ。あいつは先週の金曜日まで大学の試験があってカノジョとしばらく遊べてなかったとか。カノジョと遊ぶ、という理由でサークルの活動を直前でキャンセルする奴が、久しぶりにカノジョと遊べるっていうタイミングで、お前とその場のノリと勢いで晩飯を食ったりするか?」
もし三人が協力していたのなら口裏を合わせていただけで、実際は飯なんか食っていなかった、ということも考えられるが、それなら虚構の食事会の設定をもっと練って、流す情報も違和感がないように注意するだろう。
今回のように、話に違和感が生じてしまったのは、飯を食って話をしたことだけは事実であり、それをベースに話を作ったからだと予想した。では、二人がその日、自分の都合を差し置いて西島に会おうと思えたのだとしたら、その理由は何か?
「お前、この前のロックフェスに行った後にパスケースがなくなったことに気づいて、すぐに泉さんと本郷に相談しようとしたんだろ。関係が危うくなるくらいの深刻な相談事なら二人とも自分の都合を無視して会いに行ってもおかしくはない。」
毎年夏恒例の大規模ロックフェスは先週金曜日で、縁日がこの前の月曜日。ロックフェスの後、紛失に気付いて先週の土曜日に相談したとなれば辻褄が合う。
ここまで、物的な証拠は何もない。だが、なぜだか僕は、自分の考えが正しいと確信を持っていた。
「泉さんとの会話も、大体でいいなら想像できる。パスケースがなくなったことを相談したら、過去にも似たようなことが何回かあって、それも全部泉が自分でやったことだってことを泉さんは知っていた。だけど、今回は自分が盗んだことにして関係を続けてほしいと持ち掛けられて」
「もういいよ。わかったよ。」
西島の声に遮られて、僕は話を中断する。
「大体、お前の言ってることは正しいよ。」
西島は、諦めたような様子で話始めた。
泣きながらではないにしろ、どうやら、罪を暴かれて自白することはあるらしいな。と僕は場違いながら思った。
「ロックフェスから帰ってきて確認したら、パスケースがなくなってて、すぐさま泉さんと本郷に相談したんだ。最初は盗まれたなんて思ってなくて、『大事なものをなくした時の謝り方を相談したい』って伝えてた。
そしたら、次の日泉さんに会って聞かされた話に驚いたよ。彼女が、今まで自分で破局の原因作って別れることが何回かあったってね。」
「正直、僕もその理由までは想像がつかなかった。」
結局、今回もである。しかし、その後の西島の返答は意外であった。
「そりゃそうかもね。俺にも未だによく分からないんだもん。
泉さん曰く、『理不尽な怒りも含めて許すのが本当、だと思っている』とかなんとか。だから、理不尽に別れを切り出されても耐えられる人がいいんだって。」
神田が言っていた『父親と重ねている』とも少しは関係する気がしないでもない。しかし聞いたところで、その理由に対して共感も理解しがたかった。
しかし、西島もそうであるという。そうなると、新たな疑問がわく。
「本当に分からないんだが、なんでそんなわけの分からない理由で、理不尽に別れそうな状況にさせられた、ってことを知った後も、関係を戻そうと思えたんだ?」
「それ、泉さんにも言われたなあ。彼女の一人芝居だって言われた後に、それでも寄りを戻したいって言ったら、『本当にいいのか』って。」
「結局、なんでなんだよ。」
答えをせかす。その中に何かのヒントがある気がした。
「うーん。 自分でもよく分からないんだけど、まあ、彼女と一緒にいて楽しかったことは事実だし、彼女のことが分からないのは今に始まったことじゃなかったから? かな?」
その回答は、直前の質問に対する答えと言えるのかは、甚だ疑問ではあった。が、僕の中で、ある問いに対する、一つの解の種を与えた。
「それで、結局泉さんを犯人にして彼女に納得してもらうっていう、なるべく話を小さい規模で完結させて素早く関係を修復させる筋書きを二人で考えたんだ。その後、本郷にも会って協力してもらうよう頼んだ。」
「それで、僕はお前らが考えた筋書きが筋の通ったものか判断するために呼ばれたわけだ。」
西島がうなずく。
直接それを言わずにクイズ形式にしたことに対する文句が浮かんできたが、口には出さない。
「まあ、さっき僕が言ったような点に注意して、泉さんの口から自白の言葉が出れば、その目的を達成するには問題ないだろう。別に泉さんとお前と泉が形式上納得できる話にすればいいわけだし。」
「…小田、怒ってる?」
西島がおずおずと聞いてきた。僕は答える。
「いや、全然。」
本当である。実際、先ほどまでは、人を訳の分からない話に巻き込み、かつ間違いチェッカーとして使われていたことに怒りや不愉快さを感じていないわけではなかった。
しかし、むしろ今は、久々なくらい、機嫌が良いといっても過言ではない。
***
僕は、ぐつぐつと煮られている赤い汁が入った鍋の前に立っていた。キムチ鍋である。
しかし、今は八月初旬、夏真っ盛りである。そして、ここは僕の家ではない。本郷の家である。
僕は四月ぶりに本郷の家に呼ばれていた。家にいる面々も、本郷・西島・桜井と四月のときと同じ。
しかし、今回は僕がキムチ鍋を食いたいといったわけではない。キムチ鍋が食いたいと強く推してきたのは本郷だ。
しかし、なぜだか僕が作ることになった。声がかかった時は、西島と本郷から、この前騙すようなことをしてしまったことに対する埋め合わせの意味もあると聞いたような気がするのだが。
まあ、キムチ鍋も市販のだしに適当に切った野菜を入れて煮るだけでいいので、特に大変ではないし、誰が作るかで揉めるのに労力を割く方が無駄であろう。
後ろでは、西島の近況で盛り上がっているらしかった。話半分に聞いていると、どうやら西島はあの日の後、きちんと泉と寄りを戻したらしい。
その代償として、泉さんが若干シスコンの汚名を被ったらしいが、必要な犠牲であろう。
あの日のことを少し思い返してみる。
あのとき、やたら自分の考えに自信があったが、今思い返してみると、その一番底にあったものは知人たちの言動の不自然さであったと、今になって思う。
流された情報をそのまま信じるには、彼らの言動に違和感がありすぎたのだろう。
そう考えると、僕は存外、人のことを見ているのかもしれない。
そして、あの日、僕の中で長く引っかかっていた問いに、一つの暫定的な答えを見つけることができた。
と言っても何のことはない。小学生でも知っていることである。
結局のところ、他人の本当の気持ちを全部丸々理解することなんてできないのだろう。
恋人同士だって分かり合えないことはあるし、親子の間にだってあるのだ。
同じような境遇を経験した人間同士でも感じ方は人によって違う。
極論、自分の心情だって自分で分かっているか怪しいこともある。
心情というもののメカニズムは人によって違っていて、大体のところブラックボックスである。
そのブラックボックスを理解しようとする努力は大切なのかもしれないが、やはり前提を置き間違えてはいけないのだ。
「…おい小田」
考え事をしていて、桜井から呼びかけられていることに気づかなかった。今の思考を桜井に読まれたら絶対馬鹿にされる。
「なんだ。」
「最近、西島がカノジョと寄り戻したらしいぞ。その気持ちが分かるか?」
桜井が意地の悪い笑みで問いかけてくる。
僕は胸を張って答えた。
「知らねえよ。」
世の中の黒い箱 和歌山亮 @theta
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます