人の気持ち(2)
***
翌日、僕は大学のキャンパスに足を運んでいた。
今日は、月に一回のサークルの集まりがある日なのである。そこでは、一カ月の活動の報告や、もしあればサークル運営や依頼などについての問題についても話し合われる。
しかし、もちろん僕はサークル活動に精を出そうと思ってきたわけではない。昨日の件で、泉さんと本郷に話を聞くためである。
ある古びた建物に入り、階段を上がってすぐのところにある部屋が、目的の貸し会議室である。何やら盛り上がっているのか、中で話している誰かの声が廊下まで漏れている。
扉の前まで来たが、中には入らずに廊下の端に等間隔に配置されている小さな丸机の中の一つに荷物を置き、机とセットで置いてある鉄でできた簡素な椅子と腰を下ろす。
別にこのまま中に入ってもいいのだが、ケータイを確認すると時刻は正午前を指しているので、そろそろ昼休憩として一度休憩を挟むはずである。
そのタイミングでまずは泉さんに声をかけ、昼食をとりながら話を聞こうという算段なのだが、客観的にその姿を想像してみると、サークル活動に参加せず、先輩と飯を食うために顔を出した奴のように映ってしまい、若干ばつが悪い。実際、『ように』というよりそのものであるが。
しかし、僕だって最初からそんなつもりでいたわけではなかった。
昨日の夜に西島から連絡があり、本郷と泉さんが翌日にある集まりに参加するらしい、という情報を得た。
その時点から、開始時刻の午前十時に間に合うように大学に向かおうという意思はあったのだ。
だが、二週間完全にだらけていた体には、午前十時はあまりにも早かったというだけである。
「先輩。入らないんですか?」
誰に対してというわけでもなく、しょうもない言い訳を考えていると、階段の方から声をかけられた。
声のする方を見ると、サークルの後輩、神田きららである。
「あとちょっとで、休憩だろ。」
「サークルへの参加意欲が足りませんねえ。」
「十時開始の会に正午ごろ来る奴には言われたくはない。」
それに、依頼の時もそうだが、ウチのサークルは基本的に活動への参加は自由で、強制ではない。そういうところの緩さが僕は結構好きだったりする。
それ先輩もでしょ、などと軽口をたたきつつ、結局神田も部屋には入らずに丸机を挟んで隣の椅子に座った。
「そういえば、先輩、西島さんと仲良かったですよね?」
「まあ。そこそこ。」
訳の分からない身辺調査に付き合うくらいには。
神田の口元には笑みが浮かんでいた。笑みといっても、擬音で表すと『ニタニタ』となるような種類のものである。
「西島さんのあれ、知ってます?」
「あれってどれだ。」
大体察しはつくが、こちらから口に出したら西島に悪い。
「あれ、知らないんですか? 実は、西島さんと泉さん、四月くらいから付き合ってるんですよ。あ、妹の方ですよ。休み期間に入ってからは、映画に謎解きイベントにロックフェスと、夏休みを満喫してたらしいんですけど、この前、西島さんが泉さんからのプレゼントをなくしちゃって、泉さんが怒っちゃって、今ヤバいらしいです。」
「…なんで、お前がそれを知ってるんだ。」
かなり詳しいし、簡潔だ。
「あ、やっぱり先輩も知ってたんじゃないですか! 私、泉さんと高校時代からの付き合いなんで、まあ、普段からいろいろ聞かされてるんですよ。」
「いろいろって、ノロケとかか? 愚痴の類をあまりクドクド言うタイプじゃなさそうだけどな。」
泉に対して持っている印象からの軽い発言だったのだが、神田は微妙な顔をした。
「まあ、誰だって愚痴を言いたいときはありますよ。二人が喧嘩した日、この前の月曜日もすっごく怒ってましたね。夕方くらいに突然連絡が来て、頭にきたからすぐ帰ってきたって。そこから一時間くらい愚痴の対応してました。 せっかく浴衣着て行ったのにもったいないですよね。」
「大変だなあ。」
他人事である。しかし、それはそれとして一つ気になったことを聞いてみる。
「泉は浴衣を着て行ったのか? 本人がそう言ってたのか?」
「えっと、別に直接聞いたわけじゃないですけど、その日は縁日に行く予定だったそうで、泉さん、そういうのには、ちゃんと必ず浴衣を着てくる人でしたから、たぶん浴衣だったと思いますけど。」
なるほど。と一人で納得していたら、何やら神田の表情がいぶかし気になっていく。
「それはどういう意図の質問なんですか? 泉さんの浴衣姿に興味があるんですか?」
「いや、そういうわけじゃないが…」
あらぬ誤解を受けてしまった。
「というか、私ばっかり泉さんの情報しゃべってて不公平です。西島さんの方はどうなんですか?」
幸運にも話題がそれた、と思ってしまい、つい口が軽くなる。
「ああ、西島も結構まいってるみたいだな。今、なくしたパスケースを一刻も早く見つけようと躍起になってる。」
さすがに犯人探しをしている、とまでは言えない。
「見つかりそうですか。」
「さあ、どうだろうな。今のところ見つかりそうな気配はなさそうだが。」
少なくとも、今の探し方じゃあ、最も可能性が高そうな『落とし物として見つかる』ことはないだろう。
「いっつもこうなんですよね。」
「…何がだ?」
脈絡のない言葉の意味が分からず、困惑する。
「泉さんが彼氏と別れるパターン、いっつも同じなんですよ。
彼氏さんが何か大事なものをなくしたり、大事な思い出を忘れてたりして泉さんが怒る。」
「それで毎回、愚痴を聞いてるわけか。」
神田が苦笑する。
「まあ、そうですね。でも別にすごく嫌なわけじゃないですよ。泉さんもめちゃくちゃなことを言うわけじゃないですし、話を聞くと、客観的に見ても悪いのは相手の方のことが多いですし。」
「へえ。じゃあ、なんで毎回そうなるんだろうな。」
調子を合わせていただけで、特に答えが返ってくることを期待していたわけではなかったし、答えが返ってくることもないだろうと思っていたが、その予想は裏切られた。
「泉さんが彼氏にする人ってパターンというか人柄に偏りがあるんですよ。」
「えっ?」
返答があったことに驚いて、神田の顔をまじまじと見てしまう。
神田はこちらを向くことなく、話を続けた。
先ほどまで浮かんでいた笑みは消え、表情から感情を読み取ることはできなかった。
「泉さんが彼氏にする人って、どことなく泉さんのお父さんに雰囲気が似てるんですよね。
直接は数回くらいしか会ったことないですけど、優しげなおじさんで、泉さんの話にもよく出てきます。泉さんによると、お母さんに完全服従で、よく忘れものとかして叱られて謝ってるらしいです。」
「つまり、彼氏と父親を重ねていると。」
「まあ、決めつけられるほど泉さんのことも、恋愛のことも、分かってるわけじゃないですけど。」
苦笑ではあるが、神田に笑みが戻っていた。
「もし、そうだとしたら、どうなんですかね?」
「まあ、人それぞれなんじゃないか。」
質問に対し、僕も苦笑を浮かべる。どちらのこともほとんど全く分かっていない僕は、この程度の答えしか持ち合わせていなかったのだ。
そのあと、神田と何気のない雑談を続けていると、不意に前の扉が開き、そこから人がぞろぞろ出てきた。見知った顔が並んでいる。
時刻を確認すると、正午を少し過ぎたくらいだった。見立ては正しかったようだ。
知り合いの挨拶を適当にかわしつつ、外へ出ていく連中と入れ違いに部屋の中に入る。
ほとんど誰もいなくなった部屋の中で、泉さんはまだ中で人と話をしていた。見ると、その相手はなんと本郷である。手には、どこで買ったのか、『大吟醸』と書かれた扇子を持って、顔を扇いでいる。
ターゲット二人が一緒にいるのは、いいのか悪いのか。いずれにせよ接触しなければ始まらない。
少し離れたところで話しかける機会をうかがっていると、本郷もこちらに気づき、泉さんとの会話を切り上げて声をかけてきた。
「おお。久しぶりだね。この前は代役ありがとう。」
いつものように爽やかな笑顔を浮かべている。
「四月以来だから、四か月ぶりくらいか。」
「午後出勤とは感心しないね。参加意欲が足りないんじゃない?」
神田と違って、実際に最初から参加しているこいつに言われると言い訳しづらい。
「来てるだけ意欲はある方だろ。」
少し苦しいが、事実、実質的にサークル運営の中心となっている大学二年を過ぎると、他の部分が忙しくなることもあって、活動への参加率は急激に下がる。
今日も、先ほどすれ違った感じ三年生以上で参加しているのは僕ら三人を除くと数名程度であろう。ちなみに、泉・西島は来ていない。
確かにね、と本郷は笑った。まあ元々がほとんど笑顔だったが。
「泉さんもお久しぶりです。」
「ああ、久しぶり。」
本郷の隣にいる泉さんにも声をかける。僕としちゃ、最初の目的としてはこちらが本命だ。
「とりあえず、三人で飯でも行きますか。」
本当は一人ずつ話をしたかったが、まあ、今日この後いくらでも機会はあるだろう。
「いやいや、私も連れてってくださいよ!」
いきなり会話に割り込んできた声に振り向くと、部屋の入口近くに神田が立っていた。
部屋から出てきたやつらと話し込んでいたので、そのまま一緒に適当に飯を食いに行ったと思っていたが、なぜか待っていたらしい。
しかし、僕にも、他の二人からも異論は出なかった。
大学近くのカレー屋に入ると、テーブルの四人席に通された。
会話は主に神田と本郷を中心として、個々人の近況など雑多な話題が続く。僕も西島の話はせず、それに加わって話を聞いていた。
まず、神田が最近のサークル事情のことを話題にあげた。
先ほども挙がったことだが、あまり三年生以上が活動に参加してくれない、という。
特に、活動に支障をきたしているというわけではないが、先輩たちと一緒に活動する機会が減っていくのは悲しい、と二年生みんなが思っていると主張した。ちょっとだけ心が痛む。
次に、本郷が近況を聞かれ、カノジョとの惚気を話し出した。前の話題との落差が激しい。
なんでも、本郷たち所属する建築学科は先週の金曜日にやっと定期考査等が終わって夏休みに入ったらしく、最近やっと時間ができて遊べるようになったとか。
泉さんが直近の出来事として挙げた卒業論文の中間発表の話は、来年同じ学科で同じ立場となる僕としては大いに有益な情報であった。聞けば、泉さんもこの前の月曜日に発表を終えたばかりだという。
発表練習や内容の確認など最近は土日まで費やして準備したが、教授などから鋭い指摘がいくつも入り、『少しばかり』荒れたらしい。すえ恐ろしい話である。
「お前は? 最近なんかあった?」
順番的に僕が自身の近況について話す番となった。
だが、思い返しても特別話題にあげるべき事柄もない。代わりに別の人間の近況について話すことにした。
「そうだな。最近の出来事といったら、西島の相談に乗ったことくらいか。」
向かいに座っていた本郷と泉さんは大きく表情を変化させることはなく、隣に座っていた神田はちょっと目を見開いて驚きを示す。その驚きは内容に対してではなく、その内容をこの場で言ったことについてであろう。
三人の反応が確認できたので、話を続ける。
「内容は『最近、カノジョを怒らせてしまったんだけど、どうすればいいか』っていうどこかで聞いたことあるような内容なんですが、」
本郷が苦笑する。
「まあ、誰かの場合と違って怒らせた理由ははっきりしていたから、僕が役に立てることはほとんどなかったんですけど、西島にカノジョがいるってこと自体その日に初めて知ったので、結構驚きましたね。」
「小田は、その相手のことは聞いたのか?」
本郷からの問いに、慎重に答える。
「いや、相手がどういう人かとか誰かとかは、聞いていないが。」
隣の神田が息をのんだ気がした。
「そうか。いや…」
本郷がちらちらと隣を見る。それは、もう言っているも同然なのではないだろうか。
「実は、その相手というのは、僕の妹なんだ。」
泉さんが微笑みながら答える。
「…そうなんですか。知りませんでした。なんかすみません。」
少しだけ頭を下げた。
「いやいや、別に隠しているわけでもないから。」
泉さんのいつも以上に明るいふるまいによって、一時的に四人に走っていた緊張が弛緩していく。
「実は、俺も知ってたんだ。以前から西島の相談に乗ったりしててさ。」
「私も知ってました。」
「神田さんは高校時代から妹と仲良くしてくれてたからね。」
「なんだ。じゃあ、知らなかったのは僕だけだったのか。」
自然に話せているか不安であったが、特に指摘されることはない。泉さんと本郷が話を続ける。
「でも、喧嘩中なのは僕も知らなかったなあ。どうりでここ数日機嫌が悪いわけだ。」
「それは、俺も知りませんでした。実際に何があったかは聞いてもいいのかな?」
「西島さんが泉さんからもらったプレゼントを失くしたらしいです。」
僕の代わりに神田が答えた。ああ、と本郷は得心した様子だが、泉さんは首をかしげている。
「プレゼントって具体的になんなの?」
「パスケースらしいですが、西島から聞いてないですか。」
「いや、初めて聞いたと思う。まあ、そんなに実害がなさそうなのは良かったけど、彩には過去にも似たようなことがあったし、その時と同じように、これで二人が別れる可能性もあるかもしれないね。」
「えー何ですかー。泉さん、妹さんに別れてほしいんですか?」
発言を聞いて、神田が食い気味に茶化す。
「まあ、妹はかわいいものでしょ。」
泉さんはさも当然のように微笑しながら答えた。そのあと、しばらく息を切ったように『ウチの妹はかわいい』という妹自慢が続いた。隣で聞いていた本郷も、質問した神田も愛想笑いが引きつっていた。
会計は何と泉さんが大方持ってくれることになった。
どうしたんですか、この前は違ったのに。と直球で尋ねる神田に対して、泉さんは
「最近やっと、先輩として奢らなきゃいけないという気持ちが芽生えてきたんだ。」
と笑いながら答えた。
泉さんが会計を引き受けてくれるということで、僕と神田は先に店の外に出ることにした。本郷は店を出る前に手洗いを借りに行った。
店を出るや否や、神田が僕に話しかけてきた。
「先輩なんで嘘ついたんですか?」
「本郷に西島のカノジョの詳細を隠そうと思ったんだよ。あいつが知ってるのを知らなかったんだ。話を合わせてくれて助かった。」
店を出るまで考えていた言い訳である。
「まあ、別にいいですけどね。それにしても、泉さんがあんなに…なんというか、シスコンだったなんて、知らなかったです。」
「ああ。驚きだな。」
言葉に詰まったくせに、結局選んだ表現は直球である。
「でも、その発言でうやむやになっちゃいましたけど、そのちょっと前言ってたこと、少しおかしくなかったですか?」
「えっと、どこら辺がだ?」
それは…、と神田が説明しようとしたところで、泉さんと本郷が店から出てくる。
神田は口を閉ざし、四人で午後の活動に参加するため、先ほどの貸し会議室に向けて出発した。
午後の活動は滞りなく終わった。予想していた通り、自らに関係があると思える議題はなく、ただ話を聞いているだけであった。
まだまだサークル活動に熱心に参加している大学一、二年生の面々は、集まりが終わった後も新しく受理した依頼の準備などで大学に残るので、集まりが終わってすぐ帰る人間は少ない。
そのため、帰りは本郷と一緒になった。話を聞くには好都合であった。
泉さんの姿は、ふと気づいたころにはいなくなっていた。
大学の最寄り駅で電車を待っている間、適当に話題を変える。
「そういえば、西島が小銭を小さなポーチなんかに入れて分けていたんだが、あれって便利なのか?」
「うーん。持ってるのは知ってるけど、使ってるところはあんまり見たことないね。この前、一緒にご飯食べたときも、結局大きい方の財布出して払ってたし。」
「便利かどうかは人によりそうだな。ちなみに、その晩飯はどこで食ったんだ?」
「大学の近くで見つけたイタリアンだよ。カノジョと一緒に行ったとき美味しかったから。」
自分が乗るのとは反対側のホームに電車が入ってきた。逆に本郷が乗るのはそちら側だ。
「カノジョとはうまくいってるみたいでよかったな。」
本郷は、会話を切り上げようと少し早口で答える。
「おかげさまで、最近は毎日一緒に楽しく過ごしてるよ。」
そのまま、じゃ、と短く挨拶をして本郷は電車に乗り込んでいった。
僕は、本郷がいなくなった後、ため息をつき、一人でつぶやいた。
「なんだこれは。」
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