第31話「雨」

 朝、日が昇ると共に目を覚ました。まだ気持ちよさそうに寝ているレグナや双子を横目に、あくびをして凝り固まった筋肉を伸ばす。


 頭の中で今日の予定を確認しながら、天気はどうだろうと思い、空を見ると、朝から雲が多い。


 もしかしたら雨が降るかもな。


 モーリーには昼過ぎには着く予定だが、雨が降るとそれだけで遅れが出る。雨で体力も消耗するし、気も滅入る。そうなると、休憩も多めに入れることになるし、モーリーにつくのは夕方以降になるかも……。


 夜になればモーリーの門は閉まってしまうだろうし、そうなると町の近くで野宿することになる。ヒルサの話を聞く限りだと、モーリーは人の集まる町だし、何より奴隷売買の盛んな町だ。悪巧みをする連中もたくさんいるだろう。小さい子供もいる以上、危険は冒せない。


 少し早めに皆を起こして出発するか。


「レグナ、起きてくれ」


 自分の寝袋を丸めながら声をかけると、レグナはすぐに目を擦りながら体を起こしてくれた。


 くぁっと大きな口を開けてあくびをしたあと、細い両手を高く上げてぐぐっと伸びをするのを見ていると、レグナの尻尾がぷるぷると震えた。


「おはようレグナ」


「セト、おはよう! 早いね?」


「うん、起こしてごめんな。天気が悪くなりそうだから、少し早めに出発しようかと思って」


 すると、レグナは顔を上げて鼻から数回息を吸った。


 何か変な匂いでもするのだろうか。


 俺もその場で匂ってみるが、特に変な匂いはなく、朝の湿った匂いしかしない。


「何か匂うのか?」


 聞いてみると、レグナは目を瞑って深呼吸したあと、小さく呟いた。


「雨の匂いを探してる」


「雨の匂い? でも、まだ降ってないけど……」


 空を見上げて、少し早い雲の流れを見つめる。まだ一応晴れてる。今すぐ降りそうには見えなかった。


「あのね、雨は、降る前と、降った後、で違う匂い、するから」


「へぇ、そうなのか。知らなかったよ。……匂いはする?」


「うん、降る前の匂いがする。だから、セトは、正解、だね」


 レグナはにっと笑ったかと思うと勢いよく立ち上がり、優しげな声で言った。


「ちゃんと気にしてみて。匂いするよ、リトナでも」


 レグナはすぐそばで寝ていた双子の近くまで這って移動すると、驚かせないようにか控えめに声をかけながら軽く体を揺すっていた。


 それを見ながらまた空を見る。


 気にしてみて、か……。


 雨が降った時の匂いはなんとなく分かるけど、降る前の匂いってどんなのだろう。降った時と同じ匂いがするのだろうか。


 もう一度、鼻から大きく息を吸い込んでみると、微かにだが確かに、香ばしいような、埃っぽいような、でも少し青臭いような、独特で不思議な香りがする……気がした。


 慣れ親しんだ、朝の湿っていて、鼻が少しツンとする澄みきった匂い。そこに僅かに混じっているこの匂いがそうなんだろうか。


「おはよーセトくん」


「……おはよ」


 カイコとミツバチの声を聞いて視線を下げる。すっかり目が覚めた様子のカイコと、まだ寝ぼけている様子のミツバチがすぐ横に立っていた。


「おはよう、二人共。雨が降りそうだから、急いで準備しよう」


「セトくん! ヒルサ起こす?」


「あ、うん。そうだな……」


 カイコの言葉に背後を振り返ると、そこにヒルサの姿はなかった。


 辺りを見渡してみると、拘束中の四人組の姿も消えていた。


「セトくん、ヒルサは?」


 カイコが不思議そうに俺を見上げる。


「ちょ、ちょっと待って。昨日……」


 昨日の夜。実戦訓練の後、俺らは一緒にここまで戻ってきて、再び眠りについた。それでその後……。


 俺は必死に記憶を探った。


 そうだ、昨日の夜、物音がして、一度目を覚ました。目を開けるとヒルサが立っていて、どうしたのか、と聞くと「小便してくる」と言っていたので、特に気にもせず再度眠った。


「セト? ヒルサ、どうしたの? なんでいない?」


 レグナが不安そうに俺の顔を覗き込む。


「俺にも何が何だか……。いや、待ってくれ、そういえば昨日……」


 俺はハッとして全員の荷物に慌てて駆け寄った。


「セト?」


「レグナ、持ち物が全部あるか確認してくれ」


「あ! う、うん……!」


 昨日、ヒルサに声をかけた後、ヒルサの足音が離れていくのを聞きながら眠りに落ちた。だが、その後戻ってくる音では起きていない。疲れて熟睡してしまい、戻ってくる物音に気が付かなかっただけかも知れないが、どちらにしろ、いなくなったとしたらこの時だ。


 何も言わずに立ち去る理由なんてそう多くはない。大概は良くない理由だ。


 俺は自分の荷物の中身をひっくり返すと、真っ先に硬貨を入れるために購入した巾着型の袋を探した。全財産がそこに入っている。


「あった……!」


 巾着袋を見つけて、すぐに手を伸ばし、中身を確認しようとしたが、一瞬ためらってしまった。確かめるのが怖い。裏切られたと知るのが。


 息を呑み、少し震える手で袋を掴もうとすると、真横からミツバチが袋を掻っ攫っていった。


「あっ!! おい……」


 ミツバチはしかめ面で巾着袋の口紐を緩めると中を覗く。


「ミツバチ? 中身は……」


 恐る恐る聞いてみると、ミツバチはなぜかきょとんとした顔でこちらを見て。


「あるよ、中身」


 と、呟いた。


「あるのか!?」


 ミツバチは俺にも中を覗かせてくれた。確かに金貨も銀貨もきちんとある。そして、もう一つ、二つ折りの小さな紙切れが入っていた。


「なんだこれ……」


 入れた覚えのない紙切れだ。取り出して紙を開いてみると、リトナ文字で文章が書かれていた。


『個人的な用事があるから先にモーリーに行く ヒルサ』


 と、書かれていた。


「個人的な、用事……」


 それなら仕方がない。とは、思えなかった。それがどんな用事かは知らないが、俺らと行動している時では都合の悪い用事、ということになる。


 わざわざ俺に嘘までついて、夜中に抜け出し、済ませなければならない用事ってなんなんだ。


「先に行ってるの?」


 持ち物を確認していたレグナがその手を止めて、俺の手元を覗き込む。


「そうみたいだ」


「……変なの」


「まぁ、変だよな」


 せっかくバレないように抜け出したのに、書き置きで居場所を教えてどうするんだ。


「これから……どうすればいいと思う?」


 俺は皆の顔を見渡した。


「変、だから行きたくない。けど、食料は買いたい……」


 と、困った顔でレグナ。


「そうなんだよなぁ」


「罠かもよ」


 先程から慌てている様子もないミツバチの言葉に、俺はつい顔をしかめた。


「それは俺も思うんだけど……」


「ヒルサは悪い人じゃないよぉ」


 と、カイコが不安そうな顔で言う。


「俺もそう思いたいよ。でも……」


 俺は頭を抱えて唸り声を上げた。


「どういうつもりかは分からないけど、少なくとも、俺らとまた会うつもりではあるんだよ、ヒルサは。じゃなきゃこんな書き置きしない」


「だから、罠だって」


 ミツバチがため息をつく。


「罠なんか張って、俺らをどうするつもりなんだよ」


「そりゃあ、奴隷にするんじゃないの?」


「それは……なくは、ないか。俺もレグナも逃亡奴隷だし」


「でも、最初、ヒルサも捕まってた」


 レグナはカイコを抱き寄せると、不安そうなカイコの頭を撫でながら続けた。


「それに、ヒルサなら、待ち伏せなんかしなくても、私達捕まえるの簡単」


 レグナの言葉に頷く。


「そうだよな。レグナの言うとおり、俺らを捕まえる隙はこの5日間でいくらでもあったはずだ」


 だとすれば、気になるのはヒルサがジルバードとした取引だ。奴隷商組合に入りたい、などと言っていたがそれだけじゃない可能性もある。


 俺は皆に、昨日の晩のやり取りを、かいつまんでだが話した。


「そんな危ないことしたの!?」


 レグナが少し声を荒げる。


「ご、ごめん。もうしないよ」


 俺が謝ると、レグナは不機嫌そうに俺を睨みつけた。


「生きてんだからいいだろ」


「セトくん、勝ったのすごいねぇ」


 レグナに睨まれている手前、ミツバチとカイコの言葉には苦笑で返すしかない。


「でも、どうする? これから……」


 レグナはやっと俺を睨むのをやめると、俺が散らかした持ち物を丁寧にリュックへと詰め込んでいく。


「……歩きながら考えようか。モーリーに寄るにしろ寄らないにしろ、近くを通らなきゃいけないんだ。モーリーに近づけば何か他にも分かる事があるかもしれない」


 俺らは手早く準備を終え、その場から離れた。


***** 


 その後、あれこれ話し合いながらモーリーまで歩いていたが。


「結局、俺らを待ち伏せして捕まえる。以外は思いつかなかったな」


「やっぱりモーリーに行くのやめる?」


「いやでも食料が」


 先程から俺とレグナの話が堂々巡りしている。あまりにも進展しない話し合いについてこれずにミツバチはレグナの、カイコは俺の腕の中で、すっかり寝息を立てていた。朝も早かったので、仕方がないだろう。


「モーリーに、バレずに入る方法、ある?」


「考えてるけど、思いつかない」


「じゃあ、やっぱりやめようよ」


「それは………。あーダメだ、不毛だ。いい加減どっちかにしないと……」


「顔隠して入るは?」


「ニットラーの双子の子供とラコの女の子と組み合わせなんてそうそういないよ。すぐバレる」


「そっかー……」


 と、そこまで言ってから俺は閃いた。


「そうだ。俺だけ顔を隠してモーリーに入るよ。それなら目立たない」


「えっ! ダメ!」


 レグナが耳を伏せて俺を睨む。


「なんでだよ。いい案だと思うんだけどな……」


「危ないことしない、言ってたでしょ!?」


「そうだけど、でも」


 その時、ポツポツと肌に何か冷たいものが当たった。


 空を見ると、すっかり曇り空に変わっていて、小雨が降り始めた。


「降ってきたな」


 外套のボタンを外して、外套と体の隙間にカイコを入れると、雨に濡れないようにボタンを閉めた。そうして外套越しに抱える。レグナも同じようにミツバチを抱え込む。俺よりもずっと体の小さいレグナは少し手こずっていた。


「ミツバチも俺が抱こうか?」


 起きたら文句を言われるだろうが、もう慣れた。


「ううん、大丈夫。両手、塞がるの危ないから。ありがと」


 レグナが服の隙間にミツバチを押し込むと、胸の辺りが大きなボールを入れたみたいに膨らむ。


 レグナが片手でフードを被るのに苦戦しているのを見て、少し手を貸す。レグナのフードには耳の部分に穴が空いてる。と、いっても、俺がナイフで切り込みを入れただけだ。いつか専用の、せめて女物の衣服を買ってやれたら。


 穴に耳を通してやってから、俺もすぐにフードを被った。


 少し雨足が強まる。埃っぽい、カビのような匂いが足元からむわっと立ち上ってきていた。


 乾いた地面に落ちた雨粒が、ポツポツと地面を窪ませていくのを見つめながら歩く。


 モーリーを避ければ、食料の確保はもちろん現地調達をしながらになる。その分、食料確保の時間を別に取らなければならない。急ぐ旅ではないが、同じ場所をウロウロしていると危険が増える。


 と、モーリーに入るための正当な理由をあれこれ考えてはいるけれど、本音は確かめたいのだ。ヒルサの真意を。


「なぁ、やっぱり俺一人でモーリーに入るよ」


「……ダメ」


 レグナがこちらも見ずに言う。フードを深くかぶって俯いているので表情は分からない。


「危ないことはしない。約束するよ。ちゃんと戻ってくるから」


「セトがそんなのしなくてもいい。私達のために死んでほしくない」


「俺だって死にたくないよ。でもほら、思い過ごしかもしれないだろ? ヒルサには本当に用事があって、本当に先に行って待ってるだけかも」


 なんの根拠もない楽観は得意じゃない。できないわけじゃないけど、いつも心のどこかでは最悪を予想している。


「……少し様子を見るだけ。本当に少し様子を見たら戻ってくるから。俺が確認したいんだよ。ヒルサと一緒に行動するって決めたのは俺だから、俺がこの目で確かめたいんだ。わがまま言って悪いんだけど……」


 レグナは何も言わなかった。その時、いつもしっかりと俺の目を見てニコニコしている彼女が一切こちらを見なかった。もしや怒っているのかと不安で、その沈黙が了承したということなのかどうかすぐに聞けなかった。


 俺が再度レグナの同意を得ようと決めたのは、地平線の手前、灰白色の霧の中に、モーリーらしき町がぼんやりと見えた時だった。このタイミングを逃すと、もっと聞きにくくなると思った。


「あの、さっきの話だけど……」


 立ち止まって、レグナが数歩前に出るのを見ながら、恐る恐る声をかける


「待ってるよ。……仕方ないから」


 レグナはこちらを振り向かずにそう言うと、耳を少し伏せた。


「ごめん。ありがとう」


「いいよ。セトがやりたいことをするのがいいと思う」


 その言葉にホッとしてレグナの隣にもう一度並ぶと、レグナは申し訳なさそうに俺を上目に見た。


「約束、守ってね。絶対だよ」


「守るよ」


「待ってるって忘れないでね」


「うん」


「……雨、少し弱くなった」


 レグナが空を見る。俺もつられて空を見た。雲が薄くなり、ところどころ日が入ってきている。


「俺がモーリーに入る頃には晴れるかな」


「晴れそうだよ」


 レグナが嬉しそうに微笑むのを見たら顔が緩んだ。やっぱりレグナは笑ってる顔がよく似合う、と思う。


 裏切られたかも、と落ち込んでいたが、そんな気持ちも少し晴れたような気がした。結果がどうなろうと、きちんと受け止めよう、とそう思った。

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俺の思ってた異世界と違う 夜野 @yanoogata

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