第30話「性分」

 俺を真っ二つにするべく頭上から振ってきた刃を、俺は後ろに跳ねて避けた。だが、ジルバードはそれを予想していたのか、今度は喉でも裂くかのように、すぐに下から剣を振り上げた。


 体勢を崩して尻餅をついてしまうと、ジルバードは容赦なく剣を逆手に持ち替えて俺にとどめを刺そうとしてくる。


 その時、死ぬかも、と、思った。胸を一突きにされて殺される。だが、いや、そんなわけにはいかない。


 俺は、咄嗟に身を捩る。


 すると、ジルバードの剣が俺の脇腹を掠って、地面に深々と突き刺さった。


 一度は覚悟を決めたはずだったが、切り裂かれた服を見た途端、殺されそうな恐怖と、こんな志半ばで殺されてはたまらない、という怒りとがごちゃごちゃになり堪らず叫んでしまった。


「しっ、死んだらどうすんだ!! ふざけんなよヒルサ!!」


「だから! ちょっとでも強くなりたいんだったら実戦に勝るものなんかねぇだろが!!」


 ヒルサが怒鳴る。言いたいことは分かる。だが。


「それで死んだら意味ないだろ!!」


「そんなんで死ぬような奴は強くなれねぇよ!!」


「死んだら強くなるもクソもないだろ!!」


 俺がジルバードから逃げながら抗議すると、ヒルサは立ち上がって更に声を荒げた。


「ごちゃごちゃ言ってねぇで、剣を構えろ、この役立たず!!」 


「やっ、役立たずって!」


 ヒルサに言い返そうとしたものの、ジルバードはお構いなしに襲いかかってくる。


 俺は立ち止まってジルバードの方に向き直ると剣を構えた。


 やり方に多少の不満はあるものの、言われっぱなしは悔しい。


「クソッ……! ちょこまか、しやがって!!」


 ジルバードが息を切らしながら吐き捨てる。


 それを見て、体力は俺に分があるようだと分かる。


 ならばこのまま逃げ回って、後半に叩くか? 根比べ、持久戦、先に足がもつれた方の負け。今、生き残る確率を考えたら、恐らくこれが最善だろう。


 だが、この戦闘は少なからず明日の移動に響く。正直、それは困る。


 明日、野盗に襲われないとも限らないと思えば、ここで体力を使い切るのは怖いと思った。


 明日も明後日も生きていたい、そう思うのなら、やるしかない。


 俺はいざとなったら朝まで逃げ回る選択肢を頭に残しつつも、なるべくその場でジルバードの攻撃を避けながら、動きを見た。


 ジルバードは苛ついているのか、だんだんと大振りな攻撃ばかりになってきている。


 そうなれば、ヒルサの動きとは比べ物にならない位に『遅い』と分かった。


 単調で、雑で、無駄が多くて。


「このっ!! いい加減に……!!」


「あっ」


 俺はジルバードが剣を振り上げた瞬間、咄嗟に彼の手首を掴んでしまった。


 心臓がぎゅうっと縮んで、体の奥底から急激に体温が上がり、汗がぶわっと吹き出した。自分の行動に自分で驚いていたが、今しかない、とも思った俺は右手の剣を強く握り、彼の首を目がけて薙いだ。


「これで、俺の勝ち……ですよね?」


 ヒルサの方に視線をやる。


「まぁな」


 ヒルサの言葉を聞いて、俺は血の気が引いた顔で俺を見ているジルバードを見つめながら、すんでのところで止めた剣をゆっくりと引っ込めた。


 すると、ジルバードは舌打ちをして俺に言った。


「殺し合いだって言わなかったか?」


 俺は剣を鞘に納めると、ジルバードの持っている剣を奪い取り、少し距離を取った。


「……殺すのは嫌です」


「嫌だぁ?」


「殺さなくていいなら、その方が良いです」


「……甘ったれてんなぁ、こいつはよぉ」


 ジルバードが俺を指差して、呆れた様子でヒルサに視線をやる。


「そ、その、無駄な殺しはしたくなくて……」


「殺しに無駄だとか、ねぇだろ」


 ジルバードが肩を竦めて上目に俺を睨む。


「殺しなんていつだって自分の都合なんだからよ」


 確かに食欲を満たすために、身を守るために、快楽のために。命を奪う理由なんて、大体は自分勝手なものだ。


 気に入らないからとか、逆らったからとか、その程度で虫けらみたいに人は人を殺せるんだろうし、実際に、笑いながら人を殺す人を見たことがある。


「……それでも、殺す以外にも方法があるなら、なるべくそっちを選びたいです。俺は」


「くだらねぇえ、じゃあ殺す以外方法がなかったら殺すんだな? 結局はそれもてめえの都合じゃねぇか。善人面で語る事かよ」


 ジルバードが舌打ちをする。


「……俺は別に、善人じゃありません」


「そうだろうな」


 弱者には選択の余地などないのが常だ。それでも屈せず、例え自分が死ぬとしても、自分の意志を貫き通せる人間は、多分そう多くない。


 俺は少なくともできない。できていたら、今頃ここにはいない。


 やりたくなくても、やらなければならない場面が必ずある。こんな世界ならなおさら。


 でも、強さを手に入れれば、少しぐらい、選択する余地が生まれるかもしれない。それまでは、自分の弱さを受け入れて、やりたくない事をやるしかないように思う。


 ジルバードはまだ何か言いたそうに俺を睨んでいたが、間にヒルサが入ったことで、俺から目を逸らした。


「殺す殺さないの話はともかくだ。良かったな、勝てて。中々良い動きだった」


 ヒルサの言葉に、返事にならない呻き声を返して、足元を見た。


「それじゃあ、ジルバードさんよ、さっきした約束どーり、俺を奴隷商組合に加入させてくれるんだよな?」


「えっ」


 奴隷商組合に加入する? ヒルサが? どういう意味だ? 訳が分からない。


「なっ、なんでそんなことを? まさか、奴隷商になるつもりですか!?」 


 ヒルサはニヤリとすると、俺がジルバードから奪い取って投げ捨てた剣を拾い上げ、鞘に納めると言った。


「落ち着けよ。これはお前らの為なんだぜ。まっ、半分、俺の都合も入ってるがな」


「俺らの為?」


「いいか? こいつは奴隷商組合の組合員だ。つまり、奴隷としては売れない」


 ヒルサは、不機嫌そうに腕を組んでいるジルバードの肩に手をかけると、得意気に言った。


「お前やレグナちゃんが元奴隷である以上、こいつを自由にすれば組合にお前らの事を報告されちまう。それじゃあ困るだろ?」


 俺が頷くと、ヒルサが話そうとするのを遮ってジルバードが口を開いた。いかにも気に入らないというような顔をして、吐き捨てる。


「こいつは俺の見張り役さ。それに組合員の知り合いは売買しないってのが暗黙の決まりだからな」


「つまり俺が組合に入れば、例えお前らが捕まってたとしても解放してやれるってわけさ」


「い、いや、そんな……嬉しいですけど、そこまでしてもらわなくても……」


「いやいや、半分は俺のためでもあるって言ったろ? 言っちまえば、お前らはついで。俺の目当ては、組合員の特権さ。奴隷にされないって事がこの世界でどれだけ動きやすいか、詳しく説明せんでも分かるだろ」


「でも、その人を信じていいんですか? 嘘をついてるかも……」


 俺の言葉にヒルサが目を細めて口角を上げる。


「こっちには人質がいるからな」


「人質? ……あ、残りの三人の事ですか?」


 俺は思わず拠点を振り返った。


「でも、人質になりますか?」


 細身の男、ジルバードと共に捕まえた奴らを人質にして、言う事をきかせる、ということだろうが、あの三人がジルバードにとって大切な存在でなければ成立しないはずだ。


「髭面の奴がいただろ? あいつはこいつの身内らしくてな」


 ヒルサがジルバードの肩をバンバンと叩く。すると、ジルバードは顔を歪めて呻くと、横目でヒルサを睨んだ。ヒルサは鼻で笑うと、続ける。


「残り二人は、行き先が同じだったから一緒に行動してただけなんだっけか?」


「ああ、そうだ」


 じゃあ、あの二人は奴隷商ではないのか。


 確か、組合員になるには、バンカトラに奴隷一人を献上しなければならないはずだ。恐らく、ヒルサはあの二人を利用するのだろう。


 正直、そんな事をしたら余計な恨みを買うのではないかと思うが、野放しにしても、また襲われないとも限らない。結局、殺さない限りは安心できない、というのが現実的な答えなのだ。


 だが、だからってこんな事してもいいのだろうか。自分の利益のために人さらいするような奴に同情したって仕方ない、というのも分かる。やり返したい、という気持ちもないわけじゃない。


「どうした? 不満そうだな?」


 ヒルサがニヤニヤしながら顔を覗き込んでくる。


「不満、というか……、複雑なんですよ。俺自身奴隷だったってのもあって……」


「俺が売りたいって言ったのに、なんでお前が悩むんだよ?」


 ヒルサはジルバードを再びロープで拘束しながら、小さく笑った。


「止めない方にも責任があるでしょ」


「じゃあ、無駄だな。お前がいくら止めたって、あいつらは奴隷行きだ。俺が私利私欲のために利用する。……これで少しは気が楽か?」


「……嫌な言い方しますね」


 ヒルサは吹き出して笑ったかと思うと、ジルバードの背中をグイグイ押して歩きだし、俺を手招いた。


「自分のやりたいようにやって、何が悪いんだよ。俺はそれでどうなろうと他人様を恨んだりしねぇし、恨まれても構わねぇ」


 こう聞くと、やはりヒルサは自分とは真逆の人間だと痛感する。


「そんな風に生きられる人はあんまり多くないと思いますよ」


「そうか?」


「……俺はどうしても他人の顔色をうかがってしまって……」


「まぁ、俺みたいなのがいれば、お前みたいのもいるだろうよ。好き勝手やられる方からすりゃあ、お前みたいな奴の方がよっぽどいいと思うぜ」


「でも、俺はヒルサが羨ましいと思いますよ」


「俺だってお前みたいな奴を羨ましいと思うことがある。でも、だからって人間そんなに急には変われんし、頑張ったって無理って事もあるだろ」


「……まあ、ですね」


 ヒルサの言葉に頷く。


「お前が俺みたいのだったら、あの三人はついてこなかったかもしれねぇぞ」


 少し気恥ずかしくて、腕を組み、唸ると、ヒルサは小さく笑っていた。 


「優しい奴は、根っから優しいもんで、自分勝手な奴は根っからそうなんだ。だから、そもそも、それが性分なのさ、俺もお前も」


「……じゃあ、人は変われないってことですか?」


「根っこの部分は変わらねぇと俺は思ってる。ただまぁ、自分の生まれ持ったもんとちゃんと向き合えば、意識ぐらいは変わるだろ」


「……自分の性分と上手く向き合っていく方法を探す方が、建設的、ですかね」


「その方が疲れねぇとは思うな。まぁでも……」


「くだらねぇな、本当にくだらねぇ」


 突然、ジルバードが話を遮るように声を出した。俺はやっぱりその声の調子が苦手で、思わず驚いて背中を丸めてしまった。


「何がそんなに気に入らないんだよ」


 ヒルサがため息混じりに呟くと、ジルバードは舌打ちをした。


「何もかもさ。俺は自分の周りの何もかもが気に入らねぇ。特に偽善野郎の青くせぇ言い訳や、高慢ちきのケダモノ野郎が垂れる説教とかは特にな」


 それに対して、俺もヒルサも返事はしなかった。


 そう見えることもあるだろう、と思ったし、何より、なんとなくではあるが、ジルバードの言葉に、不快感はあまり覚えなかった。


 横目にヒルサを見た時、彼は不敵に笑っていたので、俺とは違う事を考えていたのかもしれない。

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