第29話「実戦」

 モーリーを目指して四日目の夕方。俺は木の棒を持ってヒルサと向き合っていた。


 先程まで真っ青だった空は夕日ですっかりオレンジ色に染まり切っており、俺らの影を長く長く伸ばしていた。緩やかな風が吹いており、レグナ達が焚き火で作ってくれているスープの良い香りを辺りに漂わせている。


 ヒルサが鼻を高く上げて、辺りの匂いを嗅ぐ。


「んー、いい匂いだ。今日のスープはキノコ、それにジャガイモだな?」


 俺も少し顔を上げて、深く息を吸い込む。


「ですね」


 ヒルサは木の棒(三代目)を片手でぐるりと回して肩に担ぐと、ため息混じりに言った。


「それで? 明日にはモーリーにつく予定だが、この数日振り返ってみてどうだ?」


「どう……ですかね。あまり実感は湧きませんが……」


 背後の気配を探れと言われたあの日、前半はまるで駄目で、木の棒が折れるまで殴られた。だが、後半はコツを掴んできて、そこそこの成果を出すことができたように思う。まぐれ当たりもいくつかはあったが、及第点を貰ったので、とりあえず良いだろう。問題はこの後だ。


「とりあえず、朝から晩まで誰かに狙われて過ごすのは、きつかったですね」


 そう、それからというものの、今度は時と場合も弁えずにヒルサに不意打ちを狙われるようになった。寝ている時も、食事中も、用を足している時さえ安心できず、いつ襲われるのか怯えながら二日間過ごした。


 しかも、それだけではない。いつの間にか、カイコとミツバチまでもが木の棒で俺を襲ってくるようになったのだ。どうやら俺を三回叩くのに成功したら飴を一つ貰えるシステムらしく、二人は十数個の飴を手にご満悦だった。


「でも、ちょっとの物音でも気になるようにはなりました。以前より、人の歩く音とか気配に敏感になってる気がします」


 ヒルサが木の棒を構えたのを見て、息を呑む。あの日からもう一つ加わったのが、これ。いわゆる手合わせというやつだ。


 ヒルサが木の棒を振りかぶってこちらに踏み込んでくる。それを見て、少し後ろに下がると棒を避けた。


「大分逃げ回るのはうまくなった、な!!」


 ヒルサが槍のように棒を突き出すのをみて、俺は慌てて持っていた棒を振り上げると、その棒の先端を弾いた。すると、ヒルサの木の棒は、僅かに軌道が逸れ、俺の脇腹を掠めていく。


 格好良く「手合わせ」などといったが、実際はかなり一方的で、俺はこうしてヒルサからの攻撃をひたすら避けるばかりで、ほとんど攻撃できないでいた。


 ヒルサは今はそれで十分だと言うが、俺としてはやはり、攻撃もできるようになりたい。


 そう思ってたまにヒルサに飛びかかっては見るものの、軽々と避けられ、大体手痛い一発を体のどこかしらに食らうのがお約束だった。


 だけど、それでもやめようとは思わなかった。手探りではあるが、こうやって方法を探るのは楽しかったからだ。


 ヒルサは初日、やり方に文句を言う俺に対して『できない理由ばかり考えているからできることが見つからない』と言ったが、思えば、この旅路で俺は、自分のできることを精一杯やってきたはずだ。


 それが正しいかはともかく、最善を尽くしてきた。だから、この辛い特訓だってできると思えた。


 俺は、体を低くして深く踏み込んできたヒルサを見て、すぐに思考を巡らせた。


 低い姿勢。あの状態ならすぐに後ろには引けない。万が一、避けられたとしても攻撃はされにくいはず。


 木の棒をしっかりと右手に握り、ヒルサの頭上から殴りかかる。だが、ヒルサは避ける動作をせず、左手で俺の右手首を掴んだかと思うと、そのまま肩でタックルをしてきた。


 掴まれている手首を起点に、ぐるんと体が宙に浮き、背中から地面に落ちる。


「うう……」


 背中を打って息が詰まり、苦しさと痛みに呻いていると、ヒルサが横にしゃがみ込んで、顔を覗き込んできた。


「残念だったな。でも、悪くない動きだったぞ」


「げほっ……そりゃあ、どうも……」


「それにしても、ほとんど寝てないくせに、よく体が動くよな。そこは素直に凄いと思うぜ」


 やっとまともに呼吸できるようになったので、上半身を起こした。


「一応、これでもこまめに寝てますよ。座ったままとか、立ったままとかですけど……」


「器用な奴だなぁ」


 ヒルサが含み笑いをする。手を差し伸べられたので、その手を借りて立ち上がった。


「んじゃあ、もう一戦するか?」


 服についた土を払いながら、深呼吸をした。

    

「よしっ、しましょう。お願いします」


 その後、三戦して、見事に三敗したものの、最後の一戦ではヒルサの手から武器である木の棒を叩き落とす事に成功したので、おおむね納得のいく手合わせだった。


*****


「スープもうまいんだけど、やっぱ肉が食いたくなるよな。あー、肉食いてぇなぁ」


 俺の横でスープを完食したヒルサが夜空を仰ぎ、呟く。


「干し肉ならありますけど」


「そういうのじゃないんだよなぁ、こう……かぶりつきたくなるようなさ」


「森かどっかで獲ってくればいいじゃないですか」


「獲りにいく?」


 向かいでレグナが食器をまとめながら小さく笑う。


「いや、明日の夕方にはモーリーにつくことだし、この物足りなさはそこで食う飯までとっとく」


 ヒルサが舌なめずりをして、ニヤリとする。


 どうやら、モーリーによほど楽しみな料理があるようだ。


「……モーリーはどんなところなんですか?」


 聞くと、ヒルサは腕を組んで得意げに言った。


「食いモンがうめぇ」


「えー! あとは? あとは?」


 と、カイコが目を輝かせる。


「あと……? そうだなぁ……あっ! 美人が多いぞ!」


「……へー」


 カイコがあまり興味もなさそうに返事をするのを見て、ヒルサは咳払いすると、ミツバチの肩を突いて言った。


「顔の良い女の子がいない町なんてつまんないよな、な?」


 ミツバチ位の年の子に、そんな質問をしても困らせるだけだと思うが、どう答えるのか気になって何も言わずに見ていると、ミツバチは少し首を傾げて考え込むような仕草をしたあと、ヒルサを見て言った。


「女の子には、かわいい子と美人な子のどっちかしかいない」


「えっ」


 思いもよらぬ返答に驚いて声が漏れた。ヒルサも驚いたのか、笑顔のまま口元を引きつらせて固まっている。


 ミツバチは俺とヒルサの顔を交互に見ると、訝しげに眉間にシワを寄せて付け加えた。


「って、ヘビが言ってた」


「誰だよ!」


 ヒルサが膝をスパーンと叩いて悔しそうに歯を食いしばる。


「この子らの知り合いの人です……」


「くそぅ、どんな奴か知らねぇが、とりあえずそいつには男として負けた気がするぜ」


「何を張り合ってるんですか」


 しかし、確かに、あの人ならば恥ずかしげもなくそんなセリフを言いそうではある。


「ヒルサのそういうとこ、キライ」


 レグナが冷ややかな目でヒルサを見る。すると、ヒルサは不機嫌そうにそっぽを向いて、ラコ語で何かボソッと呟いた。


 それを聞いてか、レグナもラコ語で何か吐き捨てると、二人は睨み合い、唸り声をあげた。


「何言ったか知らないですけど、喧嘩しないでくださいよ」


 ヒルサに視線をやると、ヒルサとレグナはほとんど同時にお互いに顔を背けた。


「……なーんかモヤモヤすんな。セト、もう一戦しようぜ」


「えっ、嫌ですよ。貴重な睡眠時間なのに……」


「いいから! ほら行くぞ!」


 半ば引きずられるようにして、焚き火のそばから離れる。


「なんでレグナと喧嘩するんですか」


「別に喧嘩してるわけじゃねぇよ。ちょっとした意見の食い違いってやつだ」


 ヒルサが木の棒をぶんぶん振り回しながら、こちらも見ずに言う。


 あの二人は普段、何もなければ普通に話しているのだが、ちょっとした事でああいった言い争いになることがあった。


「……そうだ、ラコ語って難しいですか?」


「なんだよ、急に」


「いや、レグナと話す時にたまにですけど、困るというか」


 本音をいえば、レグナとヒルサ、二人の会話が気になっているからだが、嘘をついたわけじゃない。レグナとの会話で困ることがあるのは本当だ。


 話すのは無理でも、聞いて理解するぐらいなら何とかなるのでは、と思った。


「あいつにリトナ語教えてやれば? お前がラコ語を一から覚えるより、そっちのがはえーだろ」


「いや、それはそうなんですけど……」


 木の棒を手の平でくるくる転がしながら、レグナを盗み見る。


「……まぁ、暇な時に教えてやるよ」


 ヒルサが片手で木の棒を構える。


「何から何まですいません」


「いいって、忘れてるかもしんねぇが、これは助けてもらった礼なんだからな」


*****


 その夜、俺は誰かが動く気配を感じて目を覚ました。叩かれないように慌てて体を起こすと、すぐ横にヒルサが立っていた。


「おっ、起きた」


「……おかげさまで起きられるようになったんですよ……」


 僅かに嫌味を込めたが、ヒルサは全く気にしていない様子で言った。


「それじゃあ、最後の仕上げといこう」 


 首を傾げる。こんな夜中になんの用かと思ったが、どうやら新しい特訓でもするらしい。


「今度は何するんですか?」


「何するって……実戦だ、実戦!」


「実戦? 手合わせとは違うんですか?」


「いいから来い!」


 ヒルサに引きずられるようにして、みんなが寝ている場所から離れた。


「ヒルサと戦うんですか?」


「違う違う」


「狩りとかはできないですよ?」


「それは実戦とは言わん」


「じゃあ、誰と戦うんですか」


「行けば分かる」


「行けば分かるなら今教えてもいいと思うんですけど……」


 ヒルサはそれ以上は何も言わなかった。その様子から、少し嫌な予感がして振り返ると、レグナ達が寝ている場所からもう大分離れていた。


 今すぐ教えると不都合、ということはつまり、後戻りできなくなるまでは黙っている、ということだろう。


「どこまで行くんですか?」


「ああ、あそこにぽつんと木が立ってるだろ。あそこだよ」


 月明かりしかない暗がりで前の方に目を凝らすと、確かに木が一本立っているのが見えた。もう一度後ろを振り返り、レグナ達がいる場所との距離を見る。


「結構離れますね?」


「まぁ、ちょっと色々あってな」


 距離を取るということは、誰かに見られたり、知られたりするとまずい事だから、と言っているようなものではないだろうか。


「そうですか……」


 ヒルサの行動を不審に思ったが、口に出さなかった。


 実戦。後戻りできない。ヒルサとは戦わない。……いや、まさか、実戦ってことは本物の。


「ほら、剣」


 ヒルサがカバーのついたくの字型の剣を俺に投げ渡す。俺がいつも寝る時以外、腰にくくりつけている剣だ。これは木の棒などではない、正真正銘の真剣だ。


「えっ、ヒルサ、それってつまり」


「お前にはこいつと戦ってもらう」


 ヒルサは自身の剣を抜くと、木の陰に歩いていき、誰かに差し出した。すると、木の陰から誰かが出てきて、その剣を受け取った。


 姿を現した人物を見て驚愕する。


 「ちょっと待ってください……! これ! 本気で!?」


 木の陰から出てきたのは、あの捕まえた奴隷商の一人、俺を元奴隷だと見破った細身の男だった。


「冗談でこんなことするかよ!」


 意味が分からず、思わず後ずさった。どうしてヒルサはこんな事をするのか。なぜあの男の拘束を解き、剣を渡すのか。


「死にたくなきゃ、さっさと構えろ! 俺は助けねぇぞ!」


 ヒルサの言葉を聞いて、慌てて柄を強く握る。この場面でそうできたのは、この数日の特訓の成果だといえるだろう。生き残る努力をする。そのためには考えなきゃならない。


 今この状況から判断できるのは、ヒルサがあの男と何らかの取引をした事。あの男がヒルサではなく、俺を狙ってくる事。恐らく、俺をどうにかすればあの男の利益につながる事が何かあるのだろう。


 つまり、生き残りたければ構えろと言われたら、構えるしかない。


 大丈夫だ。逃げ道はたくさんあるし、視界が悪いのは相手も同じ。


 剣はさすがに木の棒よりはずっと握りやすいと感じたが、柄のすぐ上では薄い金属でできた刃が鈍く月明かりを反射させている。殴っても痛いだけで済んだ木の棒とは違い、これは少しでも掠れば怪我は免れない。


 剣はやたら重く感じた。ただ単に刃先が大きく重心が前にあるせいだろうか。


「お前、名前はなんていったっけか」


 男の声に背筋がぞわりとする。嫌な威圧感。あの時も感じたこの感覚が嫌で、ずっと関わらないようにしていた。視界に入らないように努め、いつでも距離を置いていた。


「……セト、です」


 口を利きたくないと思っていたし、話しかけられて無視できるほど心が強くないから、返事をしてしまうと分かっていたからだ。


 眼前の男は背筋をすっと伸ばすとゆらりと剣を構えた。そして、鼻で笑うと言った。


「地味な名前だな」


 名前が地味か派手かなんて、どうだっていいことだったが、その男のペースに乗せられるのが嫌で、負けじと聞き返した。


「あ、あんたは」


「今から自分を殺す相手の名前なんか知りたいか?」


 細身の男がニヤリと笑う。言葉に詰まっていると、男は笑みをたたえたまま、突然、何かを諦めたかのように小さい声で答えた。


「……ジルバードだ」


「ジルバード、その、よろしくお願いします……」


 ジルバードはくくっと小さく笑ったかと思うと、剣を振って襲いかかってきた。

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