第28話「喧嘩」

 朝、誰かに体を揺すられて意識を戻した俺は、まだ重たい瞼をゆっくりと持ち上げた。


「セトくん! おはよ!」


「……カイコか。おはよう……ってカイコか!?」


 俺が飛び起きるとカイコは尻餅をついたのか、後ろに両手をつき、あんぐりと口を開けて俺を見ていた。


「良かった!! 目が覚めたんだな!!」


 俺が抱きしめようと両手を拡げると、カイコはなぜか身を翻して逃げようとしたので、その服を鷲掴みにした。


「わー!!」


 カイコがなぜか悲鳴のような声を出したが、俺はどうしても近くでお礼が言いたくて、構わず引き寄せて抱きしめた。


「ありがとな! 本当に助かったよ!!」


 暴れるカイコの後頭部に頬ずりをして満足した俺は、カイコを解放してやる。すると、カイコは服の乱れを直しながら、頬を膨らませて言った。


「もー、びっくりしたでしょお!!」


「ごめんごめん、心配だったから嬉しくてつい」


「全然平気だよ」


 カイコが少し恥ずかしそうに体をもじもじさせて微笑む。


「なら良かった」


 カイコは両手で口を押さえながら小さく笑うと、あぐらをかいていた俺の足の間に背中からどかっと座り、体を前後にゆらゆらと揺らして鼻歌を歌い出した。


 カイコの頭を撫でながら辺りを見渡すと、レグナとミツバチは身支度の最中のようで、歯を磨きながら荷物をまとめていた。忙しそうに動き回りながらも、俺の視線に気が付くと二人共軽く手を振ってくれた。ヒルサは、大の字でまだ寝ている。


「俺も準備するか」


「カイコもう終わったー」


「さっすがカイコちゃん。その調子でヒルサも起こしてきてくれるか?」


 俺がガシガシ頭を撫でると、カイコはきゃあきゃあ言いながら足をバタバタ動かした。その後、俺を見上げてニッと歯を見せて笑うと勢いよく立ち上がって、ヒルサの方に駆け寄っていった。


「うぐっ!!」


 カイコに腹の上で小躍りをされたヒルサが呻くのを見たあと、立ち上がってレグナの元に向かう。


「ごめん、準備やらせちゃって。寝過ぎた」


「んーん、らいぞぶ」


 レグナは口に木の切れ端を咥えたまま、こちらに親指を立てて尻尾を振ってくれた。


「助かるよ。ミツバチもありがとな」


「ん」


 ミツバチも木の切れ端をくわえたまま、俺に親指を立てて応えてくれる。


「いてぇなぁ、少しは遠慮とかねぇのかよ……」


 ヒルサが脇腹の辺りをボリボリ掻きながら、まだ眠そうな顔でこちらに歩いて来たのを見て、声をかけた。


「おはようございます」


 ヒルサは大きなあくびをしたかと思うと、耳も尻尾をピンと張ってブルッと身震いした。


「おー。……ったくよぉ、あんな起こされ方したのは生まれて初めてだぜ」


「もう怖がってないみたいですね」


「急に慣れすぎだろ」


「それで、カイコは?」


 ヒルサは拳を握ると自分の肩まで上げ、親指を立てて後ろを指した。


「あそこだ」


 ヒルサの肩越しに見てみると、カイコはあろうことか捕まえた奴隷商四人と何か話しているようだった。


「ちょっと! 止めてくださいよ!!」


 慌てて走り出そうとすると、ヒルサに肩を掴まれて引き止められた。


「近付きすぎんなよって言っといたから大丈夫だって。あいつらだって、いくら子供とはいえ自分を殺しかけた魔法使い相手に下手なことはしないって」


「いや、だからって!」


「話したいんだと。ちょっと見守ってやれよ」


「……カイコが話したいって?」


「そうそう、何事も経験すんのが大事だからな」


「でも、変なこと言われて傷つくかも」


「その時はちゃんと慰めてやればいいだろ」


「でっ、でも」


「ああもう、でもでもうるせぇんだお前は!」


 ヒルサが俺の頭を平手で叩く。俺は思わずヒルサを睨んだ。昨日からボカスカ頭を叩かれているのもいくらか関係しているとは思うが、何より話している途中で頭を叩かれた事が不愉快で苛立ちを隠せなかった。


 ヒルサは一瞬目を見開いたかと思うと、すぐにニヤリとして小馬鹿にしたような声色で言った。


「なんだよ。文句があるなら言えばいいだろ? それとも怖くて言えねぇのか?」


 ヒルサが、とどめとばかりに鼻で笑ってみせる。あまりに憎々しい態度で挑発してくるので、悔しくて口を開いた。


「じゃ、じゃあ言いますけど、そうやって簡単に人の頭を叩かないでくださいよ!」


「だったらやり返してみろよ、ほらほら」


「うっ……!」


 俺は慌てて片手を振り上げたが、不敵な笑みをたたえたまま、腰に手を当ててどっしりと構えるヒルサを前に、気圧されていた。


「言われっぱなしで悔しくねぇのか? そんなんだから奴隷なんかにされるのさ」


 俺が奴隷にされたのは、両親を殺されて、非力な子供の頃に捕まったからだ。俺が悪いわけじゃない。何も知らないくせに、知ったような口を利かれたくなかった。

 

「そんな事を言われる筋合いはない! 大体、あんたに関係ないだろ!?」


「じゃあ、ほら、悔しかったらかかってこいよ」


 ヒルサは右手の平を上に向けてこちらに差し出すと呼び寄せるように指をクイクイと曲げた。


 拳を握って構える。ヒルサはなんでもないような余裕そうな表情で、尻尾をゆっくり振りながら、拳を構えた。


 それを見た途端、急に冷静になってしまい、勝てるわけがないと思った。怒りで拳を握ってしまったものの、体格差がありすぎて、正に子供と大人の喧嘩だ。その戸惑いは、しだいに恐怖に変わった。心臓の動きが激しくなり、額に冷や汗が滲む。


 喧嘩が始まる前に、レグナが止めに入ってくれないだろうか。そしたら、俺もやめやすいのに。


 ……謝るか? いや、でも、俺は何も悪い事を言ってない。むしろ、言われた方だ。なのになんで俺が? そんなの格好悪過ぎるだろ。


 なけなしのプライドを見捨てられず、睨み合ったまま動けずにいると。 


「来ないならこっちから行くぞ」


 ヒルサが歯を見せて笑う。かと思うとすぐに距離を詰めてきて、俺の懐に入り込んできた。


「うっ……!」


 突然の出来事に驚いたものの、すぐに後ろに飛び退く。昨日散々飛びかかられていたので、ヒルサの動きには大分慣れていた。だが咄嗟だったので、背後にいたレグナの事を忘れて思い切りぶつかってしまった。


 体勢を崩して尻餅をつくと、レグナもすぐ横で同じように、尻餅をつく。そして、耳を伏せて痛そうに腰を擦っていた。


「わ、悪い! 大丈夫か?」


「平気。セトは、大丈夫?」


 レグナはすぐに立ち上がると、手を差し出してくれた。


「ごめん……」


 それを掴んで立ち上がり、ヒルサを見ると、もう構えておらず、腕を組んでこちらを見ていた。


「うん、動きは悪くないな。やっぱ血の気が足りない感じがすっけど、まあ、怒りに我を忘れるよかいいって事にしとくか」


「……え、あの、ちょっと意味が」


「いや、お前の強みってのがなんなのか昨日からずっと考えてたのさ」


「俺の、強み?」


「誰にだって得手不得手はある。この短期間で苦手な部分をなくそうとするより、得意な部分を伸ばす方が有益だと思ってな」


「でも、そんなのないですけど……」


「いやいや、昨日、半日追いかけ回してみて思ったが、根性もそこそこあるし、持久力に至っては人並み以上にあるぞ。それに体も丈夫だな」


「根性、持久力……」


「あれだけ追いかけ回されながら殴られても、もうやめたいと言わなかっただろ」


「心の中ではちょっと思ってましたけどね」


「いいんだよ、口にしなきゃ」


 ヒルサは咳払いをすると、片足に体重をかけ、体を傾けた。


「それに休憩を挟みながらとはいえ、足が動かなくなるってこともないみたいだった」


「……動かないと殴られるのは奴隷時代でも変わりませんでしたから」


 元々、スキあらば仮眠を取る生活をしていた。寝付きも寝起きも良い方だったし、空き時間が数分でもあれば、仮眠を取って体力を回復していた。


 奴隷でなくなってからは、嫌でも長時間労働しなければならない状況、というのがなかったので、意識して行うこともなかったが……。


「粘り強さを生かして持久戦に持ち込めばお前にも分があるかもしれねぇ」


「そんな上手くいきますかね」


「まあ、ダメで元々。そうだろ?」


 ヒルサが笑いながら俺の肩を強く叩く。


「セトくん。仲直りした?」


 肩をさすって苦笑していると、気付かぬ内に戻ってきていたのか、足元でカイコの声がした。足元を見ると、心配そうに俺を見上げているカイコと目が合う。


「仲直りって?」


 そう俺が聞き返すと、ミツバチが足元に寄ってきて、カイコと同じように俺を見上げた。


「ヒルサと喧嘩してなかった?」


 その言葉を聞いて、そういえば、と思い、ヒルサに視線を移した。


「あの、なんで急に喧嘩ふっかけてきたんですか?」


 俺が聞くと、ヒルサは目を丸くして少し首を傾げた。


「怒ったらどうなんのかなぁと思ってな」


 思ったよりも単純な理由に拍子抜けしてしまった。


「……そんな事知ってどうすんですか」


 呆れて聞き返すと、ヒルサは腕を組んで得意げに答えた。


「人間怒った時ってのは本性がでるもんだろ? お前がどんな奴か知るいい機会だと思ったんだ。でも、悪かったな、色々言って」


 ヒルサが大きな口を開けて豪快に笑う。謝罪もしてもらったし、彼なりの理由があったというのなら、これ以上やいやい言ったりはしない。しないが、ただ一つだけ、不満な事がある。


「……でも、話してる途中で頭を叩くのはどうかと思いますよ」


 これだけは、本当に失礼極まりないと思う。


「怒らせたかったんだ。許せよ」


 ヒルサはまた豪快に笑ったかと思うと、俺の肩をバンバン叩いた。相変わらずの力強さで、アザになるんじゃないかと、少し心配だ。


*****


 俺達はその後、モーリーに向かって歩きだした。


 索敵ができるレグナを先頭にして、奴隷商四人。その四人を見張るために後ろに俺がついた。俺の後ろにはレグナと同じく索敵ができるヒルサがいる。


 カイコとミツバチは俺とヒルサが抱きかかえて歩く事にした。俺はカイコで、ヒルサがミツバチだ。


「ちゃんと後ろも警戒しとけよ」


 ヒルサの言葉を聞いて思わずうなだれた。


「……気配を察しろってことですか?」


「まぁ、そんなとこだな」


「うぅん……」


 ため息をついて、首を横に振る。その瞬間、思い切り頭を叩かれた。俺は頭を押さえてヒルサを睨んだ。


「そんないきなりやんなくても!」


 ヒルサは昨日から愛用している木の棒を顔の前で振りながらニヤリとした。


「攻撃するぞって言ってくれる敵がいるかよ」


「それは、そうですけど……」


 なんというか、あまりにも雑な修行というか……。本当にこんな方法で戦えるようになるのだろうか。


「ほら、さっさと前向いて歩け」


「難しいんですけど」


「耳をすまして、背中に意識を向けておくんだよ」


「ラコと違って耳そんなよくないですよ」


「関係ねぇって」


「背中に意識を……いって!!」


 俺が背を向けるやいなや、頭頂部に衝撃を受ける。涙目になりながら頭を抑えて振り返った。


「話してる途中は嫌だってさっき言ったじゃないですか!」


「今は特訓中だから別」


 ヒルサが楽しそうに笑う。俺は少しムカムカしながらも、さっきと今じゃ状況が違うと分かってはいたので、それ以上は言い返さなかった。


「大体、話してる途中だからってなぁ」


 言い返さなかった、にも関わらずさらに言われそうなのが嫌で、慌てて先に自分で答える。


「話してる途中だからって攻撃してこない敵なんかいない、でしょ!? 分かってますよ、もうぅ」


「分かってんなら集中!」


「助けなきゃよかったかな、いっそ」


 前を見つめたまま思わずぼやく。すると、ヒルサが楽しげに笑う声が聞こえた。


「言うねぇ。これはお前が頼んできた事じゃねぇか」


「そうですけど、もっとこう……剣の扱い方とか……体術とか……」


「無理無理、たかが五日かそこらで身につくような技術で強くなれると思ったら大間違いだ」


 ヒルサがまるで咎めるみたいに、俺の背中を木の棒で軽く叩く。


「……分かってますよ、そんなの」


 俯くと、カイコと目が合う。カイコは口元に手を当てると、小さな声で俺に言った。


「頭、痛い? やめてって言ってあげようか?」


 思わず乾いた笑いが出そうになった。もちろん、カイコに対してじゃない。そんな事までしてあげなきゃ、と思わせた自分の情けなさにだ。


「いや、大丈夫だよ。ありがとう」


 自分自身にうんざりだ。


「きっとセトくんならできるよ。頑張って」


 だが、諦めようとは思っていない。


「うん、頑張るよ」


「どんな時でも生き残ってりゃなんとかなる。……焦ることないさ」


 慰めてくれているのだろうと思い、お礼を言おうと振り返ろうとした瞬間、まるでそれを阻止するかの如く木の棒が振り下ろされた。


「ぐっ!!」


 痛みを和らげようと、叩かれた場所を擦ると、またコブができているのに気づいてしまった。


 これは、もしかしたら、五日後には、頭の形が変わっているかもしれない……。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る