眠れない日々
第27話「奴隷商」
俺は今、レグナ達に見守られながら、モーリーへと向かう途中の草原で、木の棒を持ったヒルサに追いかけ回されている。
「ほらほら、走れ走れ!」
ヒルサが楽しげに後ろで煽ってくる。少し考えただけでも異常な状態ではある。
「ガキの頃を思い出すなぁ! よくこうやって獲物を追いかけ回した!!」
「獲物!?」
その獲物というのは、今は俺だろう。
「追いついたぞ!!」
ヒルサの声と共に木の棒が俺の頭に振り下ろされる。
「いっ! てぇー……」
痛みに思わず立ち止まってその場にしゃがこんだ。頭を押さえて呻いていると、ヒルサはお構いなしに俺の手ごと再び頭を叩いた。
「いって!!」
「さっさと立て! 立たないとこのまま殴り続けるぞ!」
「うう、これ……! なんのためにやってるんですか……!?」
俺はすぐに立ち上がると、再び走り出した。
少しでもいいから戦う力が欲しい。
ヒルサにそう伝えた時は、まさかこんな事になるとは思っていなかった。せいぜい剣の扱い方を教わったり、護身術のようなものを教えてもらえるのだとばかり思っていた。
だが。
「おらぁ!」
ヒルサの木の棒が尻を引っぱたく。あまりの痛さにまた立ち止まりそうになったが、容赦なく木の棒を振りかぶるヒルサを見て、慌ててスピードを上げた。
「おい!! いつまで逃げ回ってるつもりだ!?」
「そんなこと言ったって……!!」
スキがあれば反撃しろ、とこんなことを始める前に、言われてはいたものの。
「スキなんかない!!」
「こっちも見ねぇで、スキなんか見つかるか!!」
ヒルサの言葉を聞いて、眉間にシワを寄せる。
「そっち見ろって!? 簡単に言うなよな……!」
こっちは逃げ回るだけで精一杯なのに、と叫びたくなった気持ちを抑えて、なんとか言われたとおりに、走りながらも振り返ってみた。
だが。
「見ても分かるか!」
分かるわけがなかった。
「分かんなきゃ死ぬだけだ!」
ヒルサは俺にあっという間に追いついて、笑いながらまた木の棒を振りかぶる。
「大体! 魔導石ありの身体能力はずるいですよ!!」
「生きるか死ぬかの時にずるいもくそもあるか! 何したって死んだ方の負けだ!!」
「俺、初心者ですよ!? そんな急に言われても……!」
「お前が初心者だからって敵が配慮してくれんのか!? こうやって木の棒を使ってくれんのか!? くれねぇだろ!! 分かったら甘えたこと言ってねぇで、ちゃんと頭を使って考えろ!! 生きる努力を怠るんじゃねぇ!! お前今、何回死んでると思ってんだ!?」
言い返す言葉もなくて、歯を食いしばる。実際、あれが木の棒じゃなければ、俺はもう十回は死んでいるのだ。文句だけ言っていても事態は好転しない。それは分かっているつもりだ。
「でも……!」
心に体がついていかない。それがもどかしくて、惨めで、腹立たしい。
こういう経験は、前世の記憶にも何度かあった。やりたい事とやれる事のギャップが大きければ大きいほど、こういった感情を抱く。
「でも、だぁ? そうやってできねぇ理由ばっか考えて対策もしねぇから、できることが見つかんねぇんだろ」
ヒルサの言葉に迷いはない。ああやって自分をしっかり持っている人物の言うことはいつだって正しいかそうじゃないかに関わらず、まっすぐに感じる。
俺もまっすぐに……。
その時なぜか、ふつふつと怒りが沸き起こってくるのを感じた。
頭の中が一瞬、混乱してごちゃごちゃになった気がした。
……おかしいだろ。なんでそんなこと言われなきゃならないんだよ。
なんだって?
俺だって、努力しなかったわけじゃない。学校でも、仕事でも、俺は努力してきた、それを……。
「何ぼーっとしてんだ!」
目の前で飛び上がったヒルサに、ハッとした時にはもう遅かった。咄嗟に木の棒を避けようとしたが間に合わず、頭の横辺りにぶつかった。その当たりどころが悪かったのか、目の前がくらっとしたかと思うと、すぐに空も地面も分からなくなって、俺は意識を失った。
*****
「セト!」
突然聞こえたレグナの声に驚いて、俺は飛び起きる。辺りを見渡すと、もうすっかり暗くなっていた。
「大丈夫か?」
レグナの隣にはヒルサもいて、心配そうに俺を見ている。
「……え、あれ? どう、したんだっけ……」
その時、頭痛がして思わず頭を押さえると、コブができているのに気がついた。
「そうだ、追いかけ回されて……それで、えーと……」
両手で顔を覆う。汗をかいていたのか、顔がじっとりと濡れている。意識を失うまでの、後半の記憶があやふやだ。覚えているところと、覚えていないところがある。
「セト、倒れた」
手についた汗を眺めてぼんやりしていると、レグナはタオルを水で濡らして、俺の顔を軽く拭いてくれた。
「あぁ、そうだ……倒れたんだ」
と、俺が呟くと、レグナはラコ語でヒルサに何か言った。何か苦言を呈したようで、眉間にシワを寄せていた。
ヒルサはバツが悪そうに後頭部を撫でると、軽く頭を下げた。
「悪い悪い、ちょっと驚いて手元が狂ったんだ」
「……驚いた? どうしてですか?」
「お前があんまり怖い顔で睨むから、ぎょっとしてな」
「す、すいません……、そんなつもりは」
そんな驚かせるような顔をしていただろうか。よく覚えていない。
「それで、調子はどうだ?」
ヒルサが腕を組んで控えめに笑う。そこにレグナが割り込むようにして俺の顔を覗き込んだ。
「うなされてた。大丈夫?」
「えっ? いや、全然平気だよ。なんだろう、変な夢でも見たかな……」
うなされていた? たしか、夢は見ていなかったと思う。気がついたらレグナの声で目が覚めたという感じだ。
「まあ、平気ならいいんだ」
ヒルサの言葉に頷くと、ヒルサの背後から声がした。
「そんな奴、いくら鍛えたって強くなんかなるわけねぇだろ」
声を出したのは捕まえた奴隷商の一人だった。俺を元奴隷だと見破った細身の男だ。
今は魔導石も武器も取り上げており、手足を拘束した状態だ。拘束した時から、彼らはずっと黙り込んでいた。なので、細身の男が声をかけてきたのは少々意外だった。
「やらないよりマシだろ。なあ?」
ヒルサが肩をすくめて笑って言う。俺は少し戸惑ったものの、小さく頷いた。やらないよりマシ、そうであってほしいとは思う。
細身の男はこちらをじっと見たあと、鼻で笑ってから、首を左右に振って俯いた。
「そうそう、言おうと思って忘れてたけどよ。あいつらの処分は俺に任せてくれねぇか?」
「処分……って、その殺すんですか?」
「いや、奴隷屋に売り飛ばそうと思ってんだよな」
「モーリーの奴隷屋にですか?」
「ああ、さっき喋った男は奴隷商組合の奴だから、売れねぇだろうが、残りの三人は組合員じゃねえから売れるだろ」
あまり気持ちの良い話ではないと思い、俺は辺りを見渡してカイコとミツバチの姿を探した。すると、焚き火のそばで、二人でくっついて寝ていたので、そのまま話を続けた。
「奴隷商組合は俺が奴隷として働いていたサンドラにもありました。そこではたしかに組合員は奴隷にならないと聞きましたが、モーリーでもそうなんですね」
ヒルサはニヤリとして腕を組むと得意げに言った。
「ははぁ、セトお前、知らないでモーリーに行くつもりだったのか。いいか? モーリーはバヤシナ領の主要都市だ。そんで、そのバヤシナ領はバンカトラの同盟領地なんだぞ」
「……同盟領地? じゃあ、仲間ってことですか?」
「まあ、そんなとこだ。つまり、モーリーの奴隷商組合はバンカトラの息がかかってるっつーことだな」
そうか、ということは、サンドラの奴隷商組合とモーリーの奴隷商組合はほぼ同じものとみていいのだろう。
「じゃあ、俺らはモーリーを避けた方が良さそうですね。食料を買いたかったんですが……」
「ああ、心配すんな! そこは俺が上手くやってやるよ、モーリーには知り合いも多いからな」
「あ、ありがとうございます。助かります」
ちょうどモーリーにつくあたりで食料がなくなる計算なので、ヒルサの言葉は本当にありがたかった。
「いいって、気にすんなよ」
「でも、バンカトラが同盟を組むなんて……バヤシナ領は相当手強いんですね」
ヒルサが首を横に振る。
「いや、バヤシナ領はモーリーを中心にいくつかの村があるだけの小さい領地だよ。バンカトラが本気を出せばすぐに奪い取れるだろうな」
「……でも、同盟を組むってことは、対等な立場になるってことじゃないんですか?」
「まさか、バンカトラもバヤシナも対等なつもりはないだろうよ。表向きは同盟だが、実際は戦争なしの領地の引き渡しだからな」
「それってバンカトラが得してるだけじゃ……それにどんな意味が……」
「バヤシナ領の隣にある領地については知ってるか?」
少し考えてから、昔、兵士が話していたことを思い出した。
「えっと……たしか女性の領主が仕切ってる領地があるとか。テラキグ山脈がちょうど領境になっていて、バンカトラは一度、そこを越えて、領地を奪おうとしたけど、たくさんの死者を出して失敗した……」
「俺達は山脈戦争って呼んでるがな。まあ、どっちかってーと、虐殺に近かったらしいが」
「そんなに一方的だったんですか?」
「マウテンドリア領の兵士はほとんど死ななかったらしいからな。そもそもだ、条件が違い過ぎんだよ。マウテンドリア領の兵士はそこらの兵士と訳が違う。過酷な環境で育ち、耐え忍ぶことに慣れてる。山で育った連中ばかりだから地形にも明るいしな」
「でも、それになんの関係が? マウテンドリア領と同盟を組んでも良さそうなものですが……」
「マウテンドリア領領主は奴隷反対派でな。そんな奴が出しゃばってくると困る連中がバヤシナにはたくさんいるのさ」
ヒルサはそう言って奴隷商四人の方を見た。
「いずれこのバヤシナ領はどちらかの領地から攻撃を受けることになる。そうなれば、もちろん敵うわけがない。ならいっそ、領地という形だけでも残して、危なくなったら守ってもらおうというのがバヤシナの考えだろう」
「全然分かんない」
俺の横でずっとおとなしかったレグナが不満そうに唇を尖らせる。
「ヒルサにラコ語でもう一度説明してもらえば分かるんじゃないか?」
「そうだなー、可愛くおねだりできたらラコ語使って説明してやってもいいぜ」
と、ヒルサが意地の悪そうな顔で笑う。それを聞いたレグナは耳を伏せるとぷいっと顔を背けて俺を見た。
「セトに聞くからいい!」
「そんな可愛くないこと言ってるとモテないぞー」
「うぅー……」
レグナがヒルサを睨んで悔しそうに歯を食いしばる。
「モテなくたっていいよ!」
レグナが叫ぶのを聞いてヒルサがケラケラと笑う。それを見て、さすがに目に余ると思い、声を出した。
「あんまりからかわないでくださいよ」
「反応が面白くてな、つい」
と、ヒルサが口元をニヤつかせながらレグナと俺の方を交互に見る。
「面白くない……」
悲しげな声を聞いてレグナを見ると、今にも泣きそうな顔で俯いていた。俺は慌ててレグナの背中を擦りながら、元気づけようと思い、俺ならこんな場面でどう言ってほしいか考えて言ってみた。
「そんなに気にするなよ。俺はレグナのこと、可愛いって思ってるからさ」
その瞬間、レグナが驚いた顔でこちらを振り向いた。
「えっと……?」
俺も少し驚いて固まっていると、レグナは勢いよく立ち上がった。そして。
「おやすみ!」
と、叫んだかと思うとカイコとミツバチの隣に寝転んで毛布を頭から被ってしまった。
「……あ、あれ?」
「お前ら、ホント面白いな」
ヒルサが口元を押さえて小さく笑う。
「なっ、慰めようと思っただけで、悪気は……」
「そうだな。慰めようと思ったんだよな。うんうん」
「えっ、俺っ、何か、わ……!」
俺はつい大きな声を出しそうになったが、レグナに聞こえるのはまずいと思い、声を潜めるとヒルサに聞いた。
「俺、何か、その、悪いこと言いましたか?」
「いや?」
ヒルサがニヤニヤしながら答える。
「まあ、でも、あれだろ。恥ずかしかったんだろ」
「そ、そうか……。いや、たしかに俺もカッコいいとか急に言われたら恥ずかしいかもしれないですけど……」
でも、俺だったら、嬉しい気持ちもあるんだけどな。
いや、やっぱり、人それぞれ感じ方には個人差があるんだから、俺なら、と考えるのは軽率だったかもしれない。そもそも人前で言われたのが嫌だったのかも。同情のように受け取った可能性もある。後でこっそり伝えた方が、素直に受け取ってもらえたのかもしれない。
「まあ、なんだ。頑張れよ」
ヒルサが俺の肩を叩く。
「あっ、えっ、はい。頑張ります……?」
「じゃ、明日は朝からまた訓練だから、しっかり休めよ」
ヒルサはそう言うと俺に背を向けて横になってしまった。
「朝から、訓練……?」
言われた事がすぐに理解できず、つい繰り返して呟く。
ヒルサはもう寝たのか、小さくいびきをかいていた。
「明日もあんなことすんのか……?」
俺はゆっくりとその場に横になり、空を見上げた。星の瞬きを見つめながら、頭のコブを擦って、例えようのない不安を内側に押し込めるように、目を閉じた。
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