第26話「頼み事」
「こいつらの命が惜しければ、止まるんだ!」
ロープで縛られている男に切っ先を向けると、駆け寄ってきた二人はピタリと足を止めた。
「おお、仲間思いなのはいいコトだ!」
ヒルサが楽しげに笑う。
「んじゃあ、早速あいつらも縛りあげて……」
ヒルサがナイフを下ろして目の前の二人に近寄ろうとした、その時だった。足元から、何かがブツッと千切れるような鈍い音がした。音の方を見たのとほぼ同時に、剣を握っていた手が蹴り上げられる。
「いっ!?」
剣が手の中から弾け飛び、俺の頭上を超えていった。体勢を崩して、尻餅をつく。何が起こったのか分からなかったが、しっかりと縛ったはずの髭面の男が目の前に立っていた。男がニヤリと笑うのを見て血の気が引く。
「そんな……!」
「誰かを捕まえる時には魔導石を外して置かないとなぁ!」
髭面の男は、俺がそばを離れようと立ち上がる前に、腕を大きく振り上げて、俺の顔を殴るように鷲掴みにした。
「うぐっ……!」
そのまま地面に叩きつけられて背中を打ち、息が詰まる。
さらに胸の上に乗って膝で体重をかけられれば、身動きができなくなった。
「肉体強化なんかは、割と簡単なんだぜ?」
そう言った男の首には、ウィララ様の首飾りがついていた。
そうか、と納得する。どうして途中までは警戒していたのに、最後まで警戒していなかったのかと後悔の念が押し寄せてきた。
「セト!」
レグナが悲痛に叫ぶ。
完全に油断した。……クソ、クソッ、なんだよ、せっかく優位にいたのに! その立場に驕って危機を招いたら意味がないじゃないか……!
「さぁお前ら、こいつの顔を握りつぶされたくなかったら武器を下ろしな」
俺がなんとかこの最悪の状況を打開しようと男の手をどけようともがいていると、突然、緑色の光が目の端に見えた。それがなんの光かを確かめる間もなく、次の瞬間には、俺の上に乗っていた男の体を、透明な膜のようなものが包み込んだ。
男は俺から手を離すと、両手を激しく振り回しながら立ち上がった。かと思うと、すぐに体勢を崩して今度は地面を転げ回る。しゃぼん玉にも少し似たそれは、まるで生き物のようにグネグネと動き回って、男の体から、それも決して顔から離れようとしない。
引き剥がそうとしているのか、男は体にまとわりついている透明な膜のようなものを両手で掻きむしった。だがそれは膜ではないようで、男の手はそのままズプンと呑み込まれた。髭面は何度も同じことを繰り返したが、状況は変わらず、男がもがくたびに液体状の何かが地面に散らばるだけだった。
その飛沫は俺の方にも飛んできた。未知の液体だと思っていたので、それが手についた瞬間、驚いて振り払おうとした。だが、特に刺激があるわけでもなく、害を加えてくる様子もない。恐る恐る触ってみると、その感触には覚えがあった。
「なんだ……水……?」
じわじわと動きが鈍くなっている男を見る。
あの透明な液体、まさか、水の塊か?
そうと気づいてすぐにカイコの姿を探すと、俺の後方、少し離れた位置で片手を地面に置き、もう片方を髭面の男に向けているカイコの姿があった。その胸にはさっき貰ったばかりのペンダントが緑色に輝いている。
「いいぞお嬢ちゃん!!」
ヒルサは髭面に飛びかかると、臆することなく水の塊に腕を突っ込んだ。
「あぁっ! ヒルサさん待って!!」
殺すのかと思い慌てて声をかけた。緊急時とはいえさすがに、まだ幼いカイコやミツバチの目の前で人を殺す場面を見せたくないと思ってのことだったが、ヒルサは男の首飾りを引きちぎっただけだった。
「ああ!? なんだよ!?」
ヒルサが眉間にシワを寄せて俺を睨む。
「い、いえ、なんでも……」
ホッと胸を撫で下ろしていると、水の塊は髭面の男から離れて、駆け寄ってきた二人組へと飛んでいく。その二人を抑止するためか、弓を構えたままだったレグナの横を水の塊が通ると、レグナは小さく悲鳴をあげて体を縮めた。
男二人は水の塊を見るなり悲鳴をあげて逃げだしたが、水の塊は二つに分かれると、あっという間に二人の顔を覆ってしまった。
「おいセトっつったか!? そっちは頼んだぜ!!」
ヒルサの声にハッとする。突然のことで少し面食らってしまったが、これはカイコが作ってくれたせっかくのチャンスだ。無駄にするわけにはいかない。
体にダメージが残っていたのか、少し足がもたついたが、すぐに弾かれた剣を拾うと、息ができずにもがく二人へと走り出すことができた。走りながら、レグナの方を振り返って声をかける。
「レグナ! ロープ持ってきてくれ!」
レグナは地面の上で溺れる二人を呆然と見つめていて、声をかけた瞬間、ビクッと体を震わせて俺を見た。
二人の男はもうほとんど身動きしておらず、指先をピクピクとひくつかせながら、もはや虫の息、という感じだった。
「カイコ! もういい!! これ以上やると……!!」
止めさせようと声をかけると、カイコはふらっと足元をもたつかせて、そのまま地面に倒れ込んでしまった。ぎょっとしていると男二人を襲っていた水の塊も途端に音を立てて形を失い、土に染み込んでいった。
「ミツバチ! カイコが!」
レグナと同じように呆然としていたミツバチに呼びかけると、ミツバチはすぐにカイコを抱き起こしてくれた。
「セト。カイコ、見てきて」
ロープを持ってきたレグナの言葉に頷いて、俺は急いでカイコの元に駆け寄った。
「カイコ、し、死んじゃった?」
ミツバチが泣きそうな顔で俺を見る。俺は息を呑んでカイコの口元に耳を寄せた。
大丈夫だ。呼吸はしてる。呼吸が乱れている感じもない。
「大丈夫……生きてるよ。気を失ってるだけだ」
一応、倒れ込んだ時に怪我をしていないかも確かめたが問題はなさそうだった。
「まあ、心配すんなよ。魔法使うのに慣れてないとそうなる。そもそも、その小さい体でっ……よっと」
ヒルサを見ると、気絶している男の体をうつ伏せにして、後ろ手に縛っていた。ロープの両端をぐいぐい引っ張りながら、口端を上げてニヤッと笑った。
「こんな大層な魔法を使ったんだから、そうならない方が不思議だよ」
「そうなんですか?」
「そうそう。その内、目を覚ますって」
俺はカイコの体についた土を軽く払い落としながら、そっと前髪をかきあげた。
まさか、本当に魔法で俺らを助けてくれるとは思ってもいなかった。
「……起きたら、お礼を言って、うんと褒めてやらないとな」
*****
俺達は奴隷商四人を縛り上げたあと、魔導石をしっかりと取り上げた。ウィララ派が三人、ニニーシェア派が一人だ。
「あんたら、これからどうすんだ?」
ヒルサが奴隷商の荷物の中から、恐らく自分のものと思われるウィララ様の首飾りを取り出して、自分の首につける。
「ここから近い町って知ってますか?」
「だったら、こいつらが行こうとしたモーリーだな。この林を抜けて何日か歩くことになるが……」
「じゃあ、そこに行きます」
「一緒に行ってもいいか?」
「もちろん、いいですよ」
「いやあ、見ず知らずの奴を助けてくれて、旅の同行まで許してくれるなんて、あんた良い人だなぁ!」
「いや、俺は何も……」
「良い出会いは、良い旅の証ってな! 俺もまだまだ運に見放されちゃいねぇってこった!」
ヒルサは大きな口を開けて豪快に笑うと、俺の肩をかなり強めに叩いた。痛みに呻いて、肩をさすっていると、ヒルサはカイコを抱いて体を休めているレグナの方を見た。そして、俺の知らない言葉で声をかけた。多分、ラコ語だろう。
すると、レグナも耳をピクピク動かしながら、控えめな声で返事をする。
ヒルサが笑いながらレグナに何か言ったかと思うと、レグナは急に耳を伏せて、少し怒ったような口調で返事をした。
レグナの唸るような声を聞いて驚いたのか、隣にいたミツバチが若干体を離してレグナをまじまじと見つめている。
「レグナ、どうしたんだ?」
声をかけてみると、ヒルサがこちらを見てニヤリとした。
「いや、実はな」
「わー! やめてバカ!!」
レグナが前のめりになって叫ぶ。
レグナが、他人に対して罵倒するような言葉を言うのを初めて聞いた。そのつい口から出てしまったのであろう子供みたいな悪口が恥ずかしかったのか、レグナは顔を真っ赤にして俯いてしまった。
ヒルサは尻尾をゆらゆら振りながら、得意げに鼻で笑うと、俺に言った。
「ちょっとからかっただけだよ」
「はぁ……」
気にはなったものの、レグナの反応を見たら、深くは聞けなかった。
ヒルサは俺の横にあぐらをかいて座ると、自分の荷物を漁って、カイコが持っているような手帳を取り出し、何かを記録していた。
失礼なので言ったりしないが、こんな、野性的な雰囲気で字が書けるのは意外だった。
「何を書いてるんですか?」
「日記だよ、日記」
そして、意外にマメだ。
「今日みたいに助けてもらったとか、こんな奴にあったとか書いといて、暇な時に読むんだよ」
ヒルサはそう言ってニヤリとすると、文章を書きながら言った。
「あんたに何かお礼をしなきゃな」
「いらないですよ、別に。ついでに助けただけですし」
「まあまあ、そう言わずによ。なんかないのか? してほしい事、やってほしい事……あっ、でも金はねぇからな!」
ヒルサは俺の肩をまた強く叩いて笑った。再び肩をさすりながら、俺は苦笑する。
ヒルサの手帳には文章がびっしりと書いてあった。厚さも中々にある。長いこと旅をしていることが覗えた。
「ヒルサさんは、一人旅なんですか?」
「ヒルサでいいぜ。……俺はずっと一人旅だな」
彼はきっと、それができるくらいに強い人なのだろうと思う。この世界で長いこと一人旅ができるのは、それだけで強いという証だ。
「怖いと思ったりしないんですか」
ヒルサは鉛筆をプラプラさせながら、頬杖をつくと、斜め下を睨みながら考え込んだ。
俺はそれを少し不思議に感じた。答えなんて決まっていると思っていたので、答え合わせをするような気持ちで聞いたつもりだった。だが。
「そうだな……旅はいつだってこえーよ。死にかけたことだって何度もあるしさ」
「えっ、じゃあなんで一人旅なんか……」
「だってさ、楽しいだろ? こえー以上にさ」
ヒルサは鉛筆を俺に向けると、歯を見せてニッと笑った。それを見て俺も嬉しくなって笑い返す。どうやらラコという種族は笑顔が素敵な種族らしい。そう思ってレグナを横目に見ると、なんとも言えない不満そうな形相でこちらを睨んでいたので、すぐにそっと目を逸らした。
ともかく。俺はそれを聞いて、彼を心底羨ましいと思った。それは、嫉妬とかそういうのではなく、羨望、憧れの気持ちだった。
「それより、なんかねぇのかよ? 頼み事はよ」
「いやー、別にないですよ。……何かあるかな……」
俺はヒルサが納得できて、かつ簡単な頼み事はないかと、視線を動かしてみた。
ミツバチは眠いのか、うとうとしている。レグナは相変わらずなぜかこちらを睨んでいるが、カイコはまだ目が覚めないようだった。細い首にかけられたペンダントの大きな魔導石が、木々の葉と葉の間を縫って入り込んできた僅かな日の光を反射させている。あれがなかったら今頃どうなっていた事か……。
「あっ」
それを見て、俺は簡単ではない頼み事を思いついてしまった。
「なんかあったか?」
「……その、無理だったら断わってもらって構わないんですけど……」
「おう」
*****
俺がヒルサに頼み事を伝えると、ヒルサは不敵な笑みを浮かべてこう答えた。
「……面白そうじゃねぇか。いいぜ、任せろ」
「よろしくお願いします!」
俺は、元気よく返事をした。
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